御子柴 征司
中央記念塔の地下最深部――。
巨大なコンクリートと鉄骨で組まれた空気循環空洞は、地上のお祭りの喧騒が嘘のように冷え切っていた。
ゴォォ……という巨大ファンの重低音に混じり、ドクン、ドクンと不快な脈動音が空間全体を震わせている。
空洞の中央、空調パイプが蜘蛛の巣のように張り巡らされた基部。
そこに、赤黒い紫煙を脈打ちながら吹き出す、大岩ほどの大きさの【瘴気核】が鎮座していた。
「……見つけたぞ」
鳴神先生が低く呟き、腰の刀の鯉口を静かに切る。
その結晶のすぐ傍ら、黒いローブのフードを深く被った男が、ゆっくりとこちらを振り返った。
フードの陰から覗く、銀縁の眼鏡。
レンズの奥にある理知的な瞳は、かつての同僚とは思えないほど冷酷で、暗い狂気を宿していた。
【天狼】こと、元ギルド特務監査官――御子柴 征司。
「来たか、鳴神」
その声は静かで、ひび割れるように低かった。
「久しいな、御子柴。深層で殉職したと聞かされていたが……」
鳴神先生が一歩前へ出る。その鋭い眼光は、すでに男の間合いと周囲の警戒を完全に捉えていた。
「監査官だったお前が、一体なぜこんな真似をしている。……何があった」
「何があった、か……」
御子柴は指先で眼鏡のブリッジを押し上げ、渇いた笑い声を漏らした。その双眸に、どす黒い怨嗟の炎がじわりと滲み出る。
「数年前、都市とギルドが総力を挙げて立ち上げた【世界樹エネルギー基盤開発計画】……覚えているな、鳴神。都市の防衛と発展のためと銘打たれた、誰もが称賛した大規模プロジェクトだ。私はその監察役として、深層調査隊に同行した」
鳴神先生の眉が微かに動く。御子柴は淡々と、けれど一言ひとことに血を滲ませるように続けた。
「だが、あの美名に隠された実態は、一部の幹部たちが利権を独占するための無謀な資源強奪だった。功を焦った現場統括は安全協定を無視し、未踏の危険階層への限界穿孔を命じた。私は監査官として中止を勧告したよ。……だが、奴らは聞く耳を持たなかった」
氷華が息を呑む。
御子柴の眼鏡の奥の瞳が、狂気を孕んでギラリと光った。
「案の定、穿孔は瘴気溜まりを突き破った。パニックに陥った幹部どもが何をしたと思う? ……奴らは自分たちの独断と失態が表沙汰になるのを恐れ、地上への汚染拡大阻止という大義名分を盾に、最深部の防壁隔壁を外から緊急ロックしたんだ。私や、何も知らず働かされていた探索者たち数百人を、あの底なしの暗闇に閉じ込めてな」
爪が食い込むほど握りしめられた御子柴の拳が、微かに震えていた。
「仲間たちが瘴気に焼かれ、肉を溶かされ、互いを喰らい合う地獄の中で……私は生き延びた。だが、辛うじて地上へ通信を繋いだ私に、ギルドの幹部どもが画面越しに告げた言葉が何だったか分かるか? 『監査官・御子柴征司の独断暴走による事故であり、全隊員は名誉の殉職を遂げた』……すべて私の責任にして、真実を完全に隠蔽したのさ」
地下空洞に、御子柴の冷え切った憎悪が響き渡る。
「奴らは今も安全な地上で、功労者気取りで利権を貪り、この学園都市の明るい未来を語っている。欺瞞と、犠牲と、醜悪な隠蔽の上に築かれたこの偽りの平和……。光の届く場所で無邪気に笑う者どもごと、混沌に叩き落としてやらねば、あの暗闇で見殺しにされた者たちの無念は永遠に晴れんのだよ!」
腹の底からの怨嗟の告白。
その凄絶な現実に、氷華は息を詰まらせ、言葉を失う。
だが――鳴神先生の眼光は、揺らぐことなく冷ややかに据えられていた。
「……それが、お前が味わった地獄の正体か。上層部の腐敗も、お前の絶望も否定はせんよ」
鳴神先生は静かに刀の切先を御子柴に向けた。
「だがな、御子柴。お前がどれほどの地獄を見ただろうと、今日この街で笑っている子どもたちを巻き込んでいい理由にはならん。お前がやろうとしていることは、かつてお前を切り捨てた奴らと同等か、それ以上に醜い外道だ」
「外道で結構だ。この世界そのものが腐りきっているのだからな」
御子柴の表情から激情が消え、再び冷酷な虚無へと戻る。
「問答は終わりだ、御子柴。お前の恨みは法廷で吐き出しな。――氷華!」
「はいっ!」
鳴神先生の号令一閃、氷華が疾風の如く踏み込んだ。
先ほどの衝撃を振り払うように、細身のレイピアから放たれた氷結の魔力が、瞬時に三本の巨大な氷柱となって御子柴の四肢を狙う。
学園の頂点に立つ者の、寸分の狂いもない神速の刺突。
「浅いな」
御子柴がわずかに手を振ると同時に、背後の闇から四つの黒い影が飛び出した。
瘴気を纏った教団の強化戦闘員たちだ。手にした異形の黒刃が、氷華の氷柱を一瞬で砕き割る。
「チッ、数で押す気か!」
鳴神先生の抜刀は、もはや人間の目には捉えられない速度だった。
白刃が一閃した瞬間、前衛の戦闘員二人の武器が真っ二つに両断され、衝撃波で吹き飛ぶ。
だが、破壊されたはずの床や壁のダクトから、さらに紫黒の瘴気が湧き上がり、異形の瘴気獣が次々と形を成していく。
「キシャアアアッ!」
「くっ……次から次へと……!」
氷華が剣閃を走らせ、迫る怪物を凍結粉砕するが、空気循環パイプから漏れ出る瘴気が増援を際限なく生み出していた。
「手数を減らすな! 結晶へ近づけさせるな!」
鳴神先生が刀を旋回させ、群がる敵を寄せ付けない。
ノアもまた、後方から周囲の大気の乱れを読み取り、的確に声を張り上げた。
「先生、左上のダクトから三匹! 会長、足元に瘴気溜まりが形成されます、右へ跳んでください!」
「ああ」
「助かります、ノアさん!」
ノアの正確無比な索敵と指示により、鳴神先生と氷華は背後を取られることなく猛攻を捌き続ける。
だが、敵の数は圧倒的だった。御子柴自身は後方に控えたまま、冷たい視線で結晶の充填を監視している。
(このままじゃ、ジリ貧になる……!)
ノアが奥歯を噛みしめ、拳を強く握りしめたその時――。
「――そこまでですわ、不届き者ども!!」
頭上の鉄骨キャットウォークから、凛とした怒声が響き渡った。
紅蓮の火球が豪快な音を立てて降り注ぎ、氷華を取り囲んでいた瘴気獣たちを跡形もなく焼き尽くす。
「なに……!?」
御子柴が眼鏡の奥の目をわずかに見開いた瞬間、強烈な閃光弾が炸裂した。
「索敵・通信妨害完了! 敵の連携回路、一時的に遮断したよ!」
マリンの操るドローンが旋回し、眩い光と超音波を撒き散らす。視界と聴覚を奪われ混乱する戦闘員たちの頭上から、規格外の質量が降ってきた。
「ド派手に暴れてんじゃねえか! アタシらも混ぜろよッ!!」
轟音とともに着地したのは、身の丈ほどもある大剣を軽々と振り抜くクローディアだった。
横薙ぎの豪快な一撃が空気を破り、重装の戦闘員三人をまとめて壁の向こうまで消し飛ばす。
「みなさん……!」
氷華が驚きに目を見張る。
「遅れましてよ、神薙会長! ノアさんもご無事で何よりですわ!」
キャットウォークから優雅に着地したクラリスが杖を構え、クローディアの隣に並び立つ。
「お前たち……! なぜここへ!」
鳴神先生が一瞬眉を吊り上げるが、クローディアは大剣を肩に担ぎ、不敵に笑い飛ばした。
「説教は後だ、先生! 仲間が命張ってるときに駆けつけねえやつがどこにいるよ!」
「ふっ……まったく言うことを聞かないやつばかりだな」
鳴神先生は小さく口角を上げると、切先を真っ直ぐに御子柴へと向けた。
「行くぞお前たち! あの瘴気核を叩き割る!」
「「「はいっ!!」」」
歴戦の教官、学園最強の生徒会長、そして互いを熟知したトップクラスの実力者たち。
即席とは思えない完璧な連携が、地下空洞で爆発した。
クローディアが前線を力尽くでこじ開け、クラリスの精密な火炎が群がる瘴気獣を焼き払う。
マリンの的確な索敵指示を受け、氷華が敵の隙を的確に突いて凍結させ、そのすべてを鳴神先生の神速の刃が斬り伏せていく。
教団の防衛陣は一瞬にして崩壊した。
怒涛の連撃が瘴気の幕を切り裂き、ついに鳴神先生の刃が御子柴の目前へと肉薄する。
「終わりだ、御子柴ぁ!」
鳴神先生の刀が、御子柴の首元へと迫る――。
完璧な勝利の流れ。誰もが事態の終息を確信した、その瞬間だった。
刃の届く直前――御子柴は微動だにせず、眼鏡の奥で冷酷に口角を吊り上げた。
「……そうだ。これでいい」
「――なっ!?」
御子柴の足元から、これまで見たこともない異様な術式の光が、爆発的な輝きを放って噴れ上がった。




