天狼
制御室で拘束された男たちの身柄を警備隊へ引き渡した直後、鳴神先生と氷華、そしてノアは、中央広場裏の生徒会警備本部の奥室へと移動していた。
押収された通信端末が魔導解析機に接続され、暗号が次々と解除されていく。
青白いモニターの光が鳴神先生の横顔を照らしていた。そこに浮かんでいたのは、普段の気だるげな様子とは程遠い、鋭く引き締まった険しさだった。
ピピピッ、と解析完了の電子音が鳴る。
画面に表示されたのは、教団の最高指導者のプロファイル――。
コードネーム――【導師・天狼】。
そして、その仮面の下に隠されていた男の顔写真と経歴データ。
【元・探索者ギルド特務監査官:御子柴 征司】
画面に浮かび上がった顔を見つめ、鳴神先生は低く息を吐いた。
「……チッ。嫌な予感が当たってしまったな」
「先生、ご存じの方なのですか?」
訝しげに尋ねる氷華に、鳴神先生は硬い表情のまま、刀の柄に手を添えた。
「ああ。……私の元同僚だ。ギルド内の不正や汚職を取り締まる特務監査官だった男さ。数年前、ギルドが絡む深層調査の査察に向かった際、崩落事故に巻き込まれて殉職扱いになっていたはずなんだがな。現場に残された魔術痕が奴のものに近かったから胸騒ぎはしていたが……まさか生きて裏でこんなカルトを立ち上げていたとは」
「ギルドの不正を暴く側の人間が……なぜこのようなテロの首謀者に……」
学生である氷華が息を呑む隣で、鳴神先生は苦い表情で吐き捨てた。
「さあな、奴の事情は本人にしか分からないさ」
鳴神先生は机の上に置かれた証拠品――制御塔から回収された紫黒の呪杭や、工作員たちが所持していた短剣に視線を落とした。
「……ただ、どうしても腑に落ちない点がある。御子柴は優秀な男だったが、さっき奴らが防壁を壊すために使おうとしていたあの呪杭……それに、武器に直接瘴気を定着させていた加工技術。あれは現代の魔導工学には存在しない未知の技術だ。いくら狂ったところで、独力で開発できる領域じゃない」
「それは……背後に、別の協力者がいるということでしょうか」
「分からない。だが、端末の通信ログは都市のインフラ回線じゃない……ダンジョンの途方もなく深い場所から届いている形跡がある」
鳴神先生は軽く頭を振り、思考を切り替えるように鋭く告げた。
「詮索は後だ。いま目の前にある危機を潰すのが先決だな」
机の上の呪杭を見つめていたノアは、小さく眉を寄せた。
現代にはない未知の技術。
そして、ダンジョンの底から届く不気味な通信。
確かな形にはならないけれど、言葉にできない奇妙な違和感が、胸の奥をチクリと突いた。
(……気のせい、なのかな……)
いまは余計なことを考えている場合じゃない。
ノアは小さく息を吸い、目の前の現実に意識を戻した。
端末のデータから浮かび上がった御子柴の計画は、あまりにも恐ろしいものだった。
数日前からノワールが地上付近に出没させ、探索者や警備隊を陽動。
都市の防衛部隊の目をダンジョンの入り口へ引きつけ、何十万人もの一般客が集まるこの大蒼樹祭の熱気の裏で――。
「都市の心臓部……『中央記念塔』の真下にある地下空間だ」
鳴神先生が厳しく告げる。
「あそこは都市全体の空気循環パイプが集まる場所だ。奴らはそこに、世界樹の底から引きずり出した【高濃度の瘴気を瘴気核】を仕掛ける気だ。あれを起爆されたら、記念塔を通じて街中に瘴気の嵐が吹き荒れる。……半モンスターの青年のように狂暴化する人間が溢れかえって、この都市は一瞬で地獄絵図になる」
「そんなこと……絶対にさせません!」
氷華が毅然とレイピアの柄を握りしめ、前を見据えた。
「警備隊の本隊へ即座に増援要請を――」
「いや、待て」
鳴神先生が手を挙げて氷華を制した。
「外縁の別働隊の対処で、動かせるプロの戦力はすでに手一杯だ。それに、下手に警備部隊を一斉に動かせば、一般客にパニックが広がる。奴らの起爆準備が整う前に、少数の手練れで電撃的に突入して親玉を叩くしかない」
「……ならば、私が参ります。生徒会長として、この街の祭りを脅かす者を看過するわけにはいきません」
決然と言い切る氷華に、鳴神先生は鋭い視線を投げかけ、真剣な面持ちで問いかけた。
「氷華。お前の実力が並のプロを凌駕していることは、私もよく分かっている。……だが、お前はまだ学生だ。相手は元監査官であり、命のやり取りに躊躇のない狂信者どもだぞ。本当にいいのか? 命の保証はない」
「はい。覚悟の上です」
氷華の瞳に迷いはなかった。静かに、けれど鋼のように揺るぎない声で返す。
「この学園都市を守り、生徒たちが築き上げた祭りを守ることこそ、私が生徒会長として果たすべき責務です。先生の背中は、私が支えます」
氷華の覚悟を見届けた鳴神先生は、短く頷いた。
「……そうか。ただし、油断はするなよ」
二人の間に張り詰める、実戦の冷たい覚悟。
その輪の端で――ノアは自らの手を見つめ、静かに息を吸い込んだ。
今日この街で笑い合っているリノや夜々、一生懸命お祭りを作ってきた生徒たちの居場所を、こんな理不尽な悪意で奪わせるわけにはいかない。
ノアは一歩、前に踏み出した。
「――先生。僕も、行かせてください」
「ノア……!?」
氷華が驚いて振り返る。
鳴神先生は眉をひそめ、厳しい声音で言った。
「馬鹿を言うな。さっきの制御塔の件は見逃してやるが、あそこはただの侵入者退治で済む場所じゃない。ダンジョン探索とはわけが違うんだぞ。おとなしく教室へ戻りなさい」
「僕なら、大気の流れで地下の瘴気の広がりも、危険な罠も、誰よりも早く察知できます!」
ノアは逃げずに、真っ直ぐに鳴神先生の瞳を見つめ返した。
「それに……支援科の僕だからこそ、先生たちの背中を守るための手助けができるはずです。足手まといには絶対になりません。だから……連れて行ってください!」
その翡翠の双眸に宿る光は、ただの守られるべき生徒のものではなかった。
澄み切っていて、けれどどんな嵐にも揺るがない、絶対の覚悟。
鳴神先生は数秒間ノアを見つめ続けたあと、ふっと息を漏らし、静かに肩の力を抜いた。
「……まったく。言っても引かない目をしてるな」
腰の刀を確かめ、鳴神先生は歩き出した。
「いいか、私の後ろから絶対に離れるなよ。そのひらひら引っかけて転ぶんじゃないぞ、ノア」
「はいっ!」
「ノアさん、私の隣に。私が必ず守ります」
氷華が真剣な面持ちでノアの手を取る。
三人は音もなく警備本部を抜け出し、中央記念塔の地下搬入口へと姿を消した。
◇
一方――祝祭でごった返す中央大通り。
カフェ『風の止まり木』を出て広場を歩いていたクラリスとクローディアは、ある「異変」に足を止めていた。
「……なあ、クラリス。気づいてるか?」
大剣を背負ったクローディアが、人混みの頭越しに鋭い視線を走らせる。
「ええ。……お祭りの巡回にしては、ずいぶん慌ただしいですわね。それに、先ほどからフル装備のプロ探索者たちが、一般客に気づかれないよう路地裏を縫って都市の外縁部へ急行しています」
「ああ。……ただの迷子探しやスリの対応じゃあなさそうだ」
クローディアが顎をしゃくった先、広場の裏路地へ足早に滑り込んでいく小柄な人影があった。
プロ探索者用の通信ギアを耳に当て、険しい表情で周囲を警戒しながら小走りに進む少女――水無瀬マリンだった。
「……あれ、マリンさんじゃないかい? 配信の仕事はどうしたんだ?」
「楽しく配信中って感じじゃありませんわね。声をかけてみましょう」
二人は素早く人混みをすり抜け、路地の曲がり角でマリンの前に立ちはだかった。
「うわっ!? ……な、なんだ、クラリスちゃんにクローディアちゃん!?」
突然の二人の出現に、マリンはギョッとして通信機を手で隠した。
「そんなに慌てて、一体どうしたのですか? 探索者ギルドの特務回線を開いているようですが……」
クラリスが目を細め、静かに問い詰める。
「え、あ、いや……これはその、公式配信の機材トラブルというか……」
「嘘つくなよ。アタシら前衛の鼻は誤魔化せないよ。街中の警備の空気がピリついてるし、プロ探索者としてギルドから任務受けてんだろ? 何が起きてる?」
クローディアに鋭く詰め寄られ、マリンは唇を噛んで言葉を詰まらせた。
「……言えないよ。守秘義務があるし、二人はまだ学生なんだから巻き込めないって」
「巻き込めない、ですって? ふふ、舐められたものですわね」
クラリスは毅然とした眼光でマリンを見据えた。
「わたくしたちの手で作り、守るべきこの学園祭ですのよ。この不穏な空気を前にして、何も知らされずに手をこまねいていろと?」
二人の鋭い眼光と真剣な気迫。
プロの探索者として守秘義務はある。けれど、以前の地下迷宮の探索で、二人の並外れた実力と頼もしさは痛いほどよく知っていた。
マリンは頭を抱え、苦笑いを浮かべながら息を吐き出した。
「……はぁ、もう。二人に睨まれたら敵わないよ。それに、以前一緒に潜ったときの実力、あたしが一番知ってるしね……」
周囲に人がいないことを素早く確認し、マリンは声を極限まで潜めて口を開いた。
「手短に話すね。都市の外縁部と地下で、大規模なテロが動き出してるの。ギルドと警備隊が外縁の別働隊を抑えてるけど、本命は……中央記念塔の地下。街の換気パイプが集まる場所に、高濃度の瘴気爆弾が仕掛けられようとしてるの」
「瘴気爆弾……!? それが爆発したら、地上のみんなが……!」
クラリスが息を呑む。
「うん。だからあたしは、記念塔周辺の電波遮断と地下の索敵サポートをギルドから特務として受けたの。それでね……現場へ向かう途中で見ちゃったんだよ。警備本部の裏から、鳴神先生と氷華ちゃん、それに――メイド服のノアちゃんが、ものすごい形相で記念塔の地下通路に降りていくのを!」
「「ノアが!?」」
クラリスとクローディアの声が重なった。
「先生と会長はともかく、なぜ支援科のノアさんまで……!」
「あいつ、巻き込まれてるのか!? それとも自分から突っ込んでいったのか!?」
「詳しい事情までは分からないよ! でも、あの三人だけで向かったのは確か」
マリンの言葉に、クローディアは獰猛に口角を吊り上げ、背中の大剣の柄を力強く握り直した。
「外縁にプロが走り、中心部の地下へ主力が潜る……。街のど真ん中に、そんなヤバいモンが仕掛けられてて、しかもアタシらの仲間がそこに飛び込んでんだ。……前衛が指くわえて待ってられるか」
「ええ、まったく同感ですわ! わたくしたちの街とお友達に仇なす不届き者、骨の髄まで焼き尽くして差し上げます!」
二人の迷いのない瞳を見て、マリンは頼もしげに頷いた。
「よし、決まり! 先生たち三人だけじゃ手が足りないかもしれないし、あたしも地下へ向かう任務だから案内するよ。追いついて、先生たちとノアちゃんを支えよう!」
「頼りにしていますわ!」
三人は目配せを交わすと、パレードの歓声に包まれる地上を背に、記念塔の地下へと続く重い鉄扉へと駆け出した。




