正義のメイド
生徒会の警備テントを後にして、ノアは2年Dクラスの教室――カフェ『風の止まり木』へと戻ってきた。
午後のピークを迎えた店内は、依然として満席の賑わいを見せている。
「お帰りっすノアちゃん! 後半戦もガンガン行くっすよ!」
「うん、任せて!」
カーディガンを脱ぎ、エプロンを締め直したノアは、再びフロアへと小走りで駆け出した。
お茶を運び、笑顔を交わし、リノやクラスメイトたちと連携して注文をさばいていく。
満ち足りた時間。
この穏やかで楽しい祝祭の時間が、ずっと続いてほしい――そう願いながら、ノアがトレイを片付けていた、その時だった。
――ゾクッ。
背筋を氷の刃で撫でられたような、冷酷な悪寒がノアを貫いた。
(……っ!?)
店内に張り巡らせていた、呼吸よりも薄い風の索敵網。その遠く外縁――学園都市の敷地深部から。
祭りの喧騒を巧妙にすり抜け、一般生徒の立ち入りが固く禁じられている【地下第3結界制御塔】へと、急速に侵入していく複数の影。
纏っているのは、常軌を逸した冷たい殺気。
そして――あのノワールや地下25層と同じ、ドス黒く澱んだ深淵の瘴気。
(この気配……先日の!? 学園の結界を狙ってる……!?)
周囲を見渡す。
お客さんも、リノも、他クラスの生徒たちも、誰もこの異変に気づいていない。
プロ探索者チームや学園警備隊が警戒網を敷いているはずだが、この侵入速度と手口の鮮やかさでは、地下の制御室到達に防衛が間に合わない。
「……リノちゃん! ごめん、ちょっとだけお手洗い行ってくる!」
「了解っす! 無理せずゆっくりしてくるっすよー!」
厨房のリノに声をかけると、ノアは着替える時間すら惜しみ、メイド服のまま教室の裏口から音もなく滑り出た。
廊下を駆け抜け、人目のない角を曲がった瞬間、指先を軽く鳴らす。
『――急いで』
柔らかな風そのものになったかのように、風とともに駆ける。
翡翠のリボンとフリルを翻し、白銀の突風と化したノアは、暗い地下への階段を一気に駆け下りていった。
◇
学園の地下深く、重厚な魔導隔壁の奥に位置する『第3結界制御塔』。
普段は厳重な魔導認証で閉ざされているはずの分厚い鋼鉄の扉が、黒い腐食液のようなもので溶かされ、無惨に破られていた。
「急げ。ここに【呪杭】を打ち込めば、学園都市の広域防壁は30分間完全にダウンする」
「ククク……愚か者どもめ。地上で浮かれ騒いでいる間に、すべてを深淵の炎で焼き尽くしてくれるわ」
薄暗い制御室の中、黒いローブを纏った四人の男たちが、禍々しい紫黒の杭を魔導リアクターの中枢へ突き立てようとしていた。
腕には「双頭の蛇と揺籠」の刺青。不気味な瘴気が、男たちの肉体を黒く異形のように膨張させている。
その時――。
「――そこまでだよ」
静寂を切り裂いて、澄んだ、凛とした声が響き渡った。
「「「だれだ!?」」」
男たちが一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、抜刀した警備兵でも、歴戦の探索者でもなかった。
純白のフリルと翡翠のリボンを揺らし、怒りを湛えた瞳で見据える――可憐なメイド服姿の少女だった。
「……あァ? なんだァ、このガキは……?」
「コスプレイヤーでも迷い込んできたのか? 傑作だな!」
工作員たちが嘲笑を浮かべ、腰の短剣を抜き放つ。刃にはドス黒い瘴気がしたたり落ちていた。
「運が悪かったな、お嬢ちゃん。俺たちの崇高な『救済』の生贄一号にしてやるよ――死ねェッ!」
先頭の男が、瘴気の推進力を爆発させて肉薄する。
並の学生探索者なら反応すらできずに首を刎ねられる神速の刺突。
だが、ノアは――瞬き一つしなかった。
「ふっ――!」
パッ、と空気が弾けるような音がした。
足元で翡翠の旋風が渦巻いたかと思うと、その姿が一瞬で掻き消える。
「なっ……消え――がッ!?」
男の背後に音もなく回り込んだノアは、フリルの袖から覗く華奢な右手を、大気圧を纏わせた鋭い手刀として男の頸動脈へ叩き込んだ。
ドゴォッ!と重い衝撃波が走り、大男の巨体が床へ叩きつけられて白目を剥く。
「な、なんだと……!? てめえ、ただの学生じゃねえな!?」
「殺せ! 全員で刻めッ!」
残る三人が狂乱し、四方から瘴気の刃を振り下ろす。
しかし、ノアの周囲の大気は、すでに絶対不可侵の領域と化していた。
『大気統律』による超高密度の風の障壁が、三人の刃をミリ単位の隙間もなく弾き飛ばす。ガガガガッ!と火花が散り、男たちの手首が逆負荷でへし折れた。
「くっ……あ、あぐぅっ!?」
「僕たちの学園祭を……みんなが一生懸命準備した大切な場所を、こんな理不尽な悪意で汚させない!」
ノアが両手を軽く広げ、指先を握り込む。
「――おとなしくして」
ヒュンッ!と大気が収束し、三人の周囲の酸素が瞬時にゼロへと遮断された。
「カハッ……!? あ、息が……ぐ、あ……ッ!」
男たちは胸を掻きむしり、数秒と経たずにバタリと床へ折り重なるように倒れ伏した。
フゥ、と小さく息を吐き、ノアは乱れたスカートの裾を整える。
倒れた男たちの顔を改めると、胸元には見覚えのある学園の旧型学生証が覗いていた。数年前、昇格試験の不正や素行不良で除籍された元探索科の生徒たちだ。
(……ここの学生……?)
胸に広がるやり切れない思い。
その時、通路の奥からバタバタと複数の足音が急速に近づいてきた。
「おい、こっちだ! 制御室の魔力反応が乱れている!」
「侵入者を逃すな!」
現れたのは、帯刀した鳴神冴香と、生徒会腕章を巻いた神薙氷華率いる警備選抜隊だった。
血相を変えて飛び込んできた二人は、床に転がる四人の凶悪犯と、その中央でポツンと立っているエプロン姿のノアを見て、完全に言葉を失った。
「「……………………」」
「あ、あはは……な、鳴神先生、氷華さん……」
ノアは慌てて両手をぶんぶんと振り、引きつった笑みを浮かべた。
「え、えっとですね! 休憩中にちょっと涼しいところを探して迷い込んじゃったら、この人たちが急に現れて……! なんか、足元が滑ったらしくて、三人同時に頭を壁にぶつけて自滅しちゃったみたいで……!?」
「「……んなわけあるかッ!!」」
鳴神と氷華のツッコミが完璧にハモった。
しかし、鳴神の鋭い眼光は、男たちの首筋に残る的確すぎる当身の痕と、完全に解体された呪杭の残骸を見逃さなかった。
鳴神はそれ以上追及せず、ぐしゃりと自分の頭を掻いてため息をついた。
「……はぁ。事情聴取は後だ。氷華、こいつらを地下牢へ叩き込め。端末から情報を全部引っこ抜くぞ」
「了解しました。……ノアさん、怪我はありませんか?」
「は、はい! 全然平気です!」
氷華が心配そうにノアのメイド服の汚れを払ってくれる。
しかし、制圧した男の懐から転がり出た通信端末の画面に、ノアと鳴神の視線が同時に吸い寄せられた。
赤く明滅する画面に表示されていた文字――。
『作戦最終段階・中央記念塔へ移行――【天狼】』
そのコードネームを目にした瞬間、鳴神冴香の表情が凍りついた。




