錆びついたプライド
学生クラン『剛腕の鉄血隊』。
アルトを追放して以降、彼らの快進撃は完全に止まっていた。
雑用や索敵、ヘイトの管理、細やかなバフの掛け直し――アルトが一人で陰ながら背負っていたすべてが抜け落ちた穴は、彼らが想像していたよりも遥かに致命的だったのだ。
以前なら難なく踏破できていた浅層から中層ですら苦戦を強いられ、チーム内の連携は崩壊寸前。今回も失地回復を焦り、身の丈に合わない第28層へと無謀な挑戦を繰り返していたが、ここまで辿り着くことすら満身創痍のギリギリだった。
そして今――這う這うの体で奥へと滑り込んだ彼らの視界に広がっていたのは、すでに討伐され、粒子となって消えかけているグロースベアの巨体と、息一つ乱していない僕たちの姿だった。
「な、なんだよ……これ……」
リーダーの豪島が、血走った目で消えゆく魔獣を見つめた。
自分たちが手も足も出ず、あと一歩で全滅しかけていた脅威が、あっけなく転がっている。
その現実を、膨れ上がった無駄なプライドが受け入れることを拒絶していた。
「おい、待てよ……! そいつは、俺たちがずっと追ってた獲物だぞ!」
豪島が喚き散らしながら、足早に詰め寄ってきた。
「手傷を負わせて追い詰めてたのは俺たちだ! 横取りすんじゃねえよ! そいつの討伐部位は俺らがギルドに納品して、任務完了にするからな!」
そう言って、消滅しかけているグロースベアの毛皮へ強引に手を伸ばそうとする。
そのあまりにも浅ましい物言いに、即座にクラリスの冷徹な声が飛んだ。
「まあ……恥知らずにも程がありますわね。虫の息で転がり込んできた分際で、横取りとはどの口が仰いますの?」
「アタシらが秒殺したのをてめえらも見てただろ。手傷ひとつついてなかったぜ? 落ちぶれたハイエナみたいな真似してんじゃねえよ」
クローディアが大剣の石突きをドンと地面に叩きつける。
氷華も冷たい視線を豪島へと向け、マリンに至っては心底呆れたようにドローンカメラを向けた。
「あのねぇ……探索者協定違反だって分かって言ってる? 誰が見たって正当な討伐はこっちだし、見苦しい言い掛かりはやめなよ」
カメラ越しに、配信のコメント欄も猛烈な勢いで炎上し始める。
《は???? こいつら何??》
《横取りハイエナクランじゃんキモすぎ》
《剛腕の鉄血隊って学生クランだろ? こんな民度低かったのかよ》
《マリンちゃんたちが瞬殺したの全人類が見てたぞwww》
《見苦しすぎて草も生えない》
だが、豪島は画面の向こうの無数の視線にも気づかず、逆上して唾を飛ばした。
「うるせえ! ダンジョンの中に順番もルールもあるかよ! 最後に獲物を手に入れた奴が勝者なんだよ!!」
あの最後の日と、何一つ変わっていない。
自分たちの都合のいいように世界が回っていると思い込み、他人の尊厳を踏みにじる身勝手さ。
「……もうやめてください」
僕はたまらず、一歩前に出て声を絞り出した。
「これ以上は、あなたたちの探索者としての格が下がるだけです。傷の手当てをして、早く引き返してください」
正体を明かす気はなかった。ただ、かつて同じ時間を過ごした者たちのあまりの零落ぶりに、耐えきれなくなっただけだった。
けれど、豪島はその言葉を聞くや否や、嘲笑を浮かべて僕を上から下へと値踏みするように睨みつけてきた。
「あぁ? なんだテメエ……支援科のガキじゃねえか。Sランクやプロの女どもに媚びへつらって、腰巾着でくっついてきてるだけの分際がよぉ!」
豪島は鼻を鳴らし、吐き捨てるように言い放つ。
「実力もねえお飾りのマスコットが、偉そうに説教垂れてんじゃねえぞ!」
ドクン、と胸の奥が激しく脈打った。
(――派手な回復もできねえお荷物を、情けで置いてやってたんだぞ。たまには役に立てよ?)
視界の端が白く明滅する。
あの日、この第28層の冷たい大地で、荷物を奪われ、泥水を啜らされながら浴びせられた言葉。
姿形が変わっても、相手が僕を認識していなくても――吐き出される悪意の形は、あの時と寸分違わず同じだった。
「……っ」
「ノアさんに何たる口を――!」
「てめえ、ぶっ飛ばすぞ!!」
氷華とクローディアが激昂し、武器に手をかけた――その、刹那だった。
カチリ。
静寂の洞窟に、冷酷な乾いた金属音が響いた。
「ひっ……!?」
豪島の後ろで怯えていた鉄血隊のメンバーの一人が、後退りした拍子に、苔生した岩の隙間に隠されていた突起を深々と踏み抜いていた。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
「な……っ!?」
空気が凍りついた。
次の瞬間、僕たちの足元――洞窟の床面全体を覆い尽くすほどの、禍々しい紫紺の光を放つ巨大な魔法陣が浮かび上がった。
世界樹ダンジョンの深層に時折仕掛けられている、最も厄介で危険な空間転移トラップ。
「全員、私の手を取りなさい――!!」
氷華が叫び、手を伸ばす。
だが、トラップの起動速度はあまりにも速すぎた。
足元から噴き上がる光の奔流は、その場にいた者たちの距離と位置関係によって、残酷に空間を分断していく。
「ノアッ!!」
氷華、クラリス、クローディア、そしてマリンが、身を寄せ合うようにひとつの光の柱に呑み込まれる。
すぐ傍で、腰を抜かした『剛腕の鉄血隊』の五人が、別の光の渦へと引きずり込まれていく。
そして――。
一歩前に出ていた僕は、誰の手にも届かない、完全に孤立した光の中心にいた。
「氷華さん……っ!」
伸ばした指先が、空間の歪みによって掻き消される。
視界が激しい極彩色に染まり、身体がどこか遠くの見知らぬ深淵へと、猛烈な重力とともに引きずり落とされていった。




