不穏な気配
世界樹ダンジョン・第10層。
緑豊かな樹林帯と巨大な木漏れ日が広がるこのフロアは、上層と中層の境目に位置する広大なエリアだ。
周囲では、上位クラスの探索者たちが血眼になってオークや大蝙蝠を追い回し、武器の交錯する激しい金属音や魔導ドローンの飛行音が響き渡っていた。
そんな殺伐とした戦場を他所に、僕たち三人は――
「……夜々のおにぎり、美味しく握れてますかぁ……?」
巨大な木の根元に広げたレジャーシートの上で、夜々が不安そうにこちらを見つめていた。
彼女が差し出してきたのは、大人の顔ほどもある特大サイズの爆弾おにぎり。
「うん! 鮭と昆布がぎっしり入ってて、すっごく美味しいよ、夜々ちゃん!」
「本当ですかぁ……! よかったですぅ……!」
夜々は耳をパタパタさせる大型犬のように、満面の笑みを咲かせた。
「うひひ、この特大から揚げも最高っす! やっぱり実習はこうでなくっちゃね〜!」
リノはお茶を片手にポテトチップスをパリパリと齧り、完全に休日のお花見気分だ。
時折、遠くを駆け抜けていくAクラスの生徒たちが「あいつら、この緊迫した実習中に何やってんだ……?」と呆れ顔で通り過ぎていくが、僕たちには痛くも痒くもない。
おにぎりを食べ終え、お茶で一服したところで、僕は立ち上がった。
「それじゃあ、少しだけ採取のお仕事もしようか。あんまり手ぶらで帰ると、鳴神先生に怒られちゃうし」
「賛成っす! 適当にそこらの薬草を数本引っこ抜いてノルマ達成っす!」
「どこか良さそうな場所、ありますかねぇ……?」
僕はそっと目を閉じ、周囲の大気と意識を同調させた。
魔物がひしめく淀んだ風を避け、最も澄んでいて、大気の循環が心地よく滞留している『風の抜け道』を探る。
(……あ、あそこの岩陰の奥、すごく風が気持ちいいな)
「あっちの小さな洞窟に行ってみよう。魔物の気配も全然ないし、安全そうだよ」
「了解っす〜!」
僕が案内したのは、ツタに覆われた目立たない岩の裂け目だった。
かがみながら奥へと進むと――
「……わぁ……」
薄暗い洞窟の奥に、青白く幻想的な光を放つ小さな地底湖が広がっていた。
そしてその湖畔一面に、銀色に輝く三日月のような花びらを持つ植物が、絨毯のように群生していたのだ。
「な……な、なんすかこれぇぇぇぇっ!?」
リノが端末の図鑑スキャナーをかざし、目玉が飛び出そうなほど見開いた。
「【月光草】……!? 第10層の超絶激レア素材! 1本で金貨3枚、実習ポイントも1本につき驚異の500ポイントぉぉぉっ!? なんでこんな手付かずの群生地が浅層にあるんすか!?」
「えっ、そんなにすごいの……?」
「採取するっす! 一本でも多く持ち帰るっすよ!」
リノが鼻息を荒くして採取ナイフを抜こうとしたが、僕は軽く手で制した。
「あ、刃物で切ると傷口から魔力が抜けちゃうよ。ちょっと待ってね」
僕は群生地にそっと手をかざした。
――優しく摘んで。
目に見えない極小の気流の刃が、無数の月光草の根元を、細胞を一切傷つけることなくミクロン単位で水平に刈り取る。
さらに上昇気流を巻き起こし、刈り取られた百本以上の月光草が、ふわりと宙に舞い上がってそのまま夜々が広げた巨大な麻袋へと綺麗に吸い込まれていった。
「「………………」」
リノと夜々がぽかんと口を開けて固まる中、僕は刈り取った一本の月光草をそっと指先でつまみ上げた。
その瞬間――
『……おい、ノア』
脳内で、イグニスの声が冗談めかした調子を完全に消し去り、低く張り詰めた。
『……気づいたか?』
「……うん」
美しい銀色に輝く花弁の奥、毛細血管のような葉脈の奥深くに――微かに、どす黒く濁った紫色の魔力脈が混ざり込んでいた。
『この草、普通の魔力だけを吸って育ったもんじゃねえ。……地球の中心部、オレたち精霊の目すら届かねえ最深部の底の底から、異質な“澱み”が地脈を伝って噴き上がってきてやがる』
『浅層の第10層にまでこの澱みが届いているということは、深層の歪みは想像以上に深刻……』
テラの重々しい声が続く。
通常のダンジョン内なら僕が仮面を被って最深部まで飛んでいけばいい。
けれど、精霊の管理すら及ばない未踏の領域で何かが起きているのだとしたら……。
「……何が起きてるんだろう」
僕が小さく呟いた、その時だった。
「ノアちゃん! 端末の速報見てみるっす! 大変なことになってるっすよ!!」
リノの悲鳴のような声で我に返る。
リノが突き出してきたリアルタイム速報画面には、信じられない文字が並んでいた。
【学内実習:リアルタイム総合ランキング】
1位:2年Dクラス・ノア隊(採取:75,000pt)
2位:Sクラス・クラリス隊(討伐:8,400pt)
「「ぶっ!?」」
◇
地上・学内本部のテント。
巨大な集計モニターの数字を見上げ、受付カウンターの兎月ゆかりは、淹れかけの紅茶の手を止めて小首を傾げた。
「……あ、あらぁ? システムの魔導回路、混線かしら……? 7万5千ポイント……?」
いつもの穏やかな笑みを浮かべつつも、その瞳は信じられない桁数のスコアをまじまじと見つめている。
その横で、腕を組んでモニターを凝視していた担任の鳴神冴香は、鋭い眼光を細め、額に青筋を浮かべて深く息を吐き出した。
「……混線でもバグでもないな。月光草の最高品質、それも150本の一括納品ログが正式に記録されている」
冴香は腰の愛刀の柄を指先でトントンと叩き、どこか呆れと警戒の混ざった唸り声を漏らした。
「あいつら……『浅層で安全にピクニックしてきます』と言って出かけたはずだが……。一体どこをどう歩けば、第10層で手付かずの群生を最高品質で根こそぎ回収できるんだ……?」
「ふふ、ノアちゃんたち、本当に規格外ですねぇ。でも、これだけ綺麗な月光草が浅層で見つかるなんて……」
「……ああ、普通じゃないな……」
ゆかりが柔らかな口調のまま、プロの受付嬢としての観察眼で小さく呟く。
冴香もまた、モニターに表示された異常な数値の奥に、微かな不穏さを感じ取って眉をひそめていた。




