闇の編入生
世界樹総合探索学園・高等部1年Aクラス。
支援科や普通科が集まるフロアとは異なり、将来のSランク探索者候補や大企業のエリート特待生がひしめくこの教室は、朝からどこか張り詰めた空気が漂っていた。
その一番後ろ、窓際の席。
机の上に突っ伏し、漆黒のウルフカットで顔を半分隠した少年――ノワールは、机の木目を睨みつけながら小さく舌打ちを漏らした。
(……かったるい)
学園制服は、首元までボタンを留めるのが校則らしいが、鬱陶しくて第二ボタンまで外してある。
周囲の優等生たちが、教科書や魔導端末を広げながらヒソヒソと交わす視線と小声が、闇の精霊としての鋭い聴覚に嫌でも届いてくる。
「……おい、あいつだろ? 例の特別編入生」
「ギルドの査察部長、あの獅堂部長の直々の預かりらしいぜ」
「魔力測定で測定不能のエラーを出したって噂だ。……テロ事件のどさくさで入ってきた連中、なんか不気味だよな」
警戒、詮索、好奇。
人間どもの放つ無遠慮な感情の波が、肌をチクチクと刺してくる。
かつてなら、一睨みでその影を凍りつかせ、空間ごと切り裂いていたかもしれない。だが――
『ノワール、学校楽しんでね! 友達、いっぱいできるといいね』
病室で見送ってくれた、あのアイツの屈託のない笑顔が脳裏をチラついて、衝動を強引に抑え込ませていた。
(……俺に、友達だの青春だの、作れるわけねえだろ)
心の中で悪態をつきながら、ノワールは再び机に深く額を沈めた。
時計の針が刻む重苦しい音だけが、授業中の退屈を刻んでいく。
◇
キーンコーンカーンコーン。
昼休みの鐘が鳴り響いた瞬間、教室の静寂が弾け飛んだ。
生徒たちが一斉に席を立ち、財布や端末を握りしめて扉へと殺到する。
「急げ! 今日の購買、数量限定の『竜肉メンチカツバーガー』の日だぞ!」
「学食の券売機、混む前に並ばねえと昼休み終わる!」
ドタバタと騒がしい足音が廊下へと消えていく。
一人取り残された教室で、ノワールはゆっくりと上体を起こした。
ぐぎゅるるるる……。
腹の底から、情けない音が鳴る。
人間の肉体を得てしまった以上、こまめに飯を食わなければ普通にエネルギー切れを起こす。それはノアと全く同じ仕様だった。
ノワールはポケットから、獅堂に無理やり押し付けられた学園専用の電子マネーカードを取り出した。
『おいノワール、いいか。学食でも購買でも、この板を端末の光ってるところにピッと押し当てりゃメシが買える。腹が減ったら遠慮なく使え。……ただし、無駄遣いしたら訓練でケツひっぱたくからな』
あの筋肉ダルマの粗野な声を思い出しながら、ノワールは重い足取りで教室を出た。
だが――現実はそう甘くなかった。
購買部の前に広がる人だかりは、もはや戦場だった。
ひしめき合う生徒たちの怒号、飛び交うパンの争奪戦。
人混みを掻き分ける気力もなく、購買を諦めて自販機コーナーへと逃れたものの、目の前に立ち塞がったのは、最新型のタッチパネル式飲料自販機だった。
「…………」
ノワールは画面を睨みつける。
【商品をタッチしてください】
【お支払い方法を選択してください:コード決済/学生証IC/ギルドPay】
指先で画面の缶コーヒーを押してみるが、ウンともスンとも言わない。
カードをどこに翳せばいいのかも分からない。
ピッ、と赤いエラー音が鳴り響き、『もう一度最初からやり直してください』という無機質な合成音声が廊下に響き渡る。
「……チッ、壊れてんのかこの機械……ッ」
苛立ちのあまり、拳にわずかな黒煙を纏わせかけた、その時だった。
「あ、あのぉ……ノワールさん……?」
おずおずとした、けれどどこか間延びした柔らかな声が背後から降ってきた。
振り返ると、そこには百八十センチを超える長身を小さく丸め、両手にお弁当包みを抱えた少女――1年Cクラスの影守夜々が立っていた。
「……お前」
「ふぇぇ、やっぱりノワールさんでしたぁ……! Aクラスの教室にいらっしゃらなかったので、探してたんですよぉ」
夜々は耳をパタパタと振る大型犬のように嬉しそうに目を細めると、自販機の光るリーダー部分を指差した。
「それ、カードを置く場所がちょっと下なんですぅ。……ほら、ピピッて」
夜々が代わりにカードを読み取り機にかざすと、ガコンッ! と気持ちのいい音を立てて缶コーヒーが取り出し口へ転がり落ちてきた。
「…………」
「えへへ、買えましたねぇ」
「……余計な世話だ」
ノワールはそっぽを向きながら缶を拾い上げた。
けれど、夜々は気を悪くするどころか、大事そうに抱えていた風呂敷包みを持ち上げて見せてきた。
「あのぉ、もしよかったら……お昼ご飯、一緒に食べませんかぁ……? 夜々、今日はお弁当、張り切って二人分作ってきちゃったんですぅ……」
◇
旧校舎の裏手、渡り廊下の木陰。
吹き抜ける秋風が、二人の黒髪をさらさらと揺らしていた。
ベンチに広げられたのは、巨大な二段重ねのタッパー。
中には、大人の拳ほどもある巨大なおにぎりが四つと、厚焼きの卵焼き、タコさんウインナー、山盛りの唐揚げがぎっしりと詰め込まれていた。
「……なんだこの量は。遠足かよ」
ノワールが呆れたように眉をひそめると、夜々は少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「えへへ……ノワールさん、いっぱい食べないと力が出ないかなぁって思いましてぇ……。大蒼樹祭のとき、ノワールさんに力の使い方を教えてもらったお礼も、ちゃんとできていませんでしたし……」
夜々はふわりと微笑み、大きなおにぎりをノワールの前に差し出した。
「鮭と昆布と、おかかが入ってますぅ。ノア先輩も、すっごく美味しいって言ってくれたんですよぉ」
「……あいつが」
ノワールの手が、ピクリと止まる。
差し出されたおにぎりを受け取り、躊躇いがちに一口かじる。
パリッとした海苔の香ばしさと、ふっくら炊かれた米の甘み、そして少し濃いめの具材の旨味が口いっぱいに広がった。
「…………っ」
「どうですかぁ……?」
夜々が大きな瞳を潤ませ、祈るように両手を合わせて見つめてくる。
「……悪くねえ」
ノワールは横を向き、ガツガツと二口目を頬張った。
「米の握り方が少し柔らかいが……まあ、食えなくはない」
「わぁぁ……! よかったですぅ……!」
夜々はパッと顔を輝かせ、自分も嬉しそうにおにぎりを頬張り始めた。
もぐもぐと咀嚼しながら、ノワールは缶コーヒーのプルタブを引き、喉へと流し込んだ。
苦味の奥にある、ほんの少しの甘み。
隣で幸せそうに唐揚げを頬張る夜々の横顔を見つめながら、ノワールはぽつりと零した。
「……お前、なんで俺に構うんだ?」
「ふぇ? 何がですかぁ?」
「みんな俺を気味悪がって、避けてやがるし。俺を構えばお前だって避けられるかもしれねぇのによ」
ただでさえ闇の力は異能すぎて周りも避ける。
だが、夜々はきょとんと目を丸くした後、とろんとした優しい瞳で首を横に振った。
「……ノア先輩も私に声をかけてくれて、こうやって助けてくれたんです。だから、夜々もノア先輩の大切な人を助けてあげたい!それに……あの時、夜々の大盾を支えてくれたノワールさんの手、すっごく温かかったですから」
「……っ」
「夜々、知ってますぅ。ノワールさんは本当はとっても優しくて……ノア先輩のことが、誰よりも大好きなんだってこと」
「ぶふっ……!? ゲホッ、ゴホッ……!!」
吹き出しそうになったコーヒーを喉に詰まらせ、ノワールは激しくむせ返った。
「な、何言ってんだバカ! 誰があいつなんか……! あんなお人好しの世話焼き、鬱陶しくて敵わねえっつーの!」
顔を真っ赤にして捲し立てるノワール。
その時だった。
「おやおや〜? 中庭で、青春の甘酸っぱいラブコメが展開されてるっすね〜!?」
渡り廊下の曲がり角から、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた早坂リノがぬるりと姿を現した。
手には購買の焼きそばパン、首からは魔導カメラを提げている。
「ひぇっ、リノ先輩……!?」
「ち、違うわボケ眼鏡! 何でお前がここにいるんだよ!」
「支援科フロアから、ノワール君の『初めての学園生活観察日記』を付けに来たんすよ! いや〜、夜々ちゃんの手作り弁当を前に顔真っ赤にする闇の精霊様、絵になりすぎっす! 翠光教の裏掲示板に投下したら確実に三千いいねはつくっすね!」
「テメエ……そのカメラごと叩き割るぞ!!」
立ち上がって怒鳴りつけるノワールと、キャッキャと逃げ回るリノ。
「ふたりとも、喧嘩はダメですぅ〜!」とオロオロしながらタッパーを抱える夜々。
秋の木漏れ日が、三人の影を柔らかく地面に落としていた。
騒がしくて、くだらなくて、隙だらけの人間たちの世界。
(……あいつは、こんな場所で笑ってたんだな)
リノの胸倉を掴みかけながら、ノワールはふと遠い空を見上げた。
世界樹の最奥へと消えた、あの銀髪の少女。
待ってろ、ノア。
お前の守りたかったこの温い日常ごと、必ず引きずり戻してやるからな。
不器用な少年の胸の奥で、静かな、けれど決して揺るがない誓いが、確かに息づいていた。




