階段の下
2036年。
最初に報告されたのは、
ごく普通の失踪事件だった。
東京のマンション。
会社員の男性が、
突然いなくなった。
部屋はそのまま。
財布もスマホもある。
ただ、
玄関のドアだけが開いていた。
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防犯カメラ映像には、
奇妙なものが映っていた。
男は深夜2時、
部屋を出る。
そして階段を降りる。
降り続ける。
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そのマンションは5階建てだった。
だが映像の男は、
10分以上、
階段を降り続けていた。
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やがて画面が乱れる。
そして男が振り返る。
恐怖で顔が歪んでいる。
何かを見た。
その直後。
映像が切れる。
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男は見つからなかった。
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同じ事件が、
世界中で起き始める。
階段。
地下鉄。
長い廊下。
“下へ続く場所”。
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人々は、
途中で消える。
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2038年。
ネット上で、
共通証言が話題になる。
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「下から音がする」
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水音。
咀嚼音。
足音。
そして時々。
誰かが、
自分の名前を呼ぶ声。
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精神疾患扱いされた。
だが、
録音にも入る。
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存在しないはずの地下から。
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2040年。
ある建設会社が異常を報告する。
地下掘削中、
設計図にない空間が見つかる。
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巨大な空洞。
コンクリートではない。
岩でもない。
壁が、
湿った皮膚みたいだった。
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調査隊が入る。
通信は正常。
最初の数分は。
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隊員たちは、
地下を歩き続ける。
一本道。
終わらない。
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「おかしい、
深さが合わない」
GPSは使えない。
方位磁石も回り続ける。
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その時。
先頭の隊員が止まる。
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「誰かいる」
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暗闇の奥。
何かが立っている。
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人間に見える。
ただ。
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異様に細長い。
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脚が長すぎる。
腕が床につくほど。
顔が、
暗くて見えない。
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隊員がライトを向ける。
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それは、
人間の顔をしていた。
ただし。
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顔の皮が、
上下逆に付いていた。
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口が額にある。
目が顎に並んでいる。
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それが笑う。
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隊員の悲鳴。
通信断絶。
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回収された映像には、
最後に変な音だけが残っていた。
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階段を降りる音。
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2042年。
世界各地で、
“深度異常”が発生。
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地下鉄駅が、
本来より深くなる。
降りても降りても、
ホームに着かない。
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エレベーターが、
存在しない階へ行く。
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帰ってきた人間もいる。
だが。
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どこか変だった。
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家族の顔を見ても、
認識に数秒かかる。
食事を見つめ続ける。
暗い場所を異常に嫌がる。
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そして時々。
夜中に、
床へ耳を当てている。
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「まだ上がってきてない」
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そう呟く。
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2045年。
地下利用禁止法制定。
世界中で地下鉄封鎖。
地下駐車場閉鎖。
地下街閉鎖。
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だが意味はなかった。
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“下”は増えていく。
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押し入れの奥。
排水口。
ベッドの下。
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本来、
深さが存在しない場所に、
深度が発生し始める。
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子供たちが消える。
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「下に行った」
それだけ言い残して。
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2047年。
ついに空にも異常が出る。
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夜空を見上げた人々が、
奇妙なことを言い始める。
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「空が深い」
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星空が、
穴に見える。
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吸い込まれそうな、
“下方向”。
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その頃から、
自殺者が急増する。
高所から飛び降りる人々。
皆、
同じことを言う。
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「落ちれば戻れると思った」
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2049年。
最後の大規模調査。
核シェルター地下。
深度1200m。
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調査隊は、
途中で気づく。
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もう地球内部じゃない。
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壁に、
巨大な爪痕。
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遠くで響く、
無数の足音。
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そして。
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下から、
人間の声。
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何万人分もの声で、
同時に囁いている。
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「見つけた」
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映像終了。
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2053年。
世界人口激減。
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人々は、
“下”を恐れて暮らす。
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椅子の下を確認する。
ベッドの下を覗く。
マンホールを避ける。
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それでも。
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夜中。
静かな部屋で。
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階段を降りる音だけが、
時々聞こえる。




