その19 「魔王城のある島」
ノルディア島――。
魔王軍が、このアルファスト大陸で最初に占領した島。
それから数百年以上。
人族が何度も上陸を試みたが、生きて戻ってきた者はほとんどいない。
そして、命からがら戻ってきた数少ない者たちは、皆同じことを口にした。
あの島には、魔王城がある。
それが真実なのか。
私たちは確かめるため、この島へ向かっていた。
船乗りたちは、一睡もせずに船を操ってくれていた。
海は穏やかだった。
魔物にも魔族にも、一度も遭遇しない。
あまりにも順調だった。
そして、伝書鳩がやってきてから一日が経過した。
「おーい! 見えてきたぞ!」
見張り番の声が船上に響いた。
私たちは船室から飛び出し、前方を見る。
「あれが……ノルディア島……」
遠くに、大きな島が見えた。
島全体を覆うように、真っ黒な雲が渦巻いている。
雲の切れ間から差し込む光すらなく、まるで島そのものが世界から切り離されているようだった。
「……」
誰も言葉を発しなかった。
これが、数百年もの間、魔王軍が支配してきた場所。
魔王がいる場所。
そして、私たちがこれから向かう場所。
「ここまで魔族に襲われなかったのも」
レインが島を見つめながら呟く。
「戦力を、エルフの都の北側に集めているんだろうな」
ノンナが答える。
「そう考えると……」
ザインが海岸の向こうを見る。
「僕たちはかなり上手く抜けてこられたってことだね」
「ええ。ここまで無傷で来られたのは大きいわ」
私がそう言うと、エレナも頷いた。
「うん。みんなが頑張ってくれたおかげだね」
しばらくして、船がゆっくりと海岸へ近づいていく。
「勇者様!」
船乗りの一人が声を上げた。
「あそこへ小舟を着けます!」
「お願いします!」
小舟は砂浜へ乗り上げるようにして停止した。
私たちは荷物を持ち、次々と降りていく。
最後にエレナが降りる。
「皆さん」
エレナが船乗りたちへ向き直った。
「ここから先は私たちだけで行きます。皆さんは海上都市へ戻ってください」
「おう。すまねぇがありがてぇ。そうさせてもらうぜ」
一人の船乗りが笑う。
「俺たちは戦えねぇからな。魔王城まで連れていけって言われたって、さすがに怖ぇ」
「ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございました」
エレナが頭を下げる。
「この街を魔族から解放してくれた勇者様の頼みだからな」
「俺たちも、少しは役に立てたってことだろ?」
「はい!」
エレナが笑う。
「また会いましょう」
船乗りの一人が言った。
「魔王を倒した後に、な」
「もちろんです!」
船乗りたちは笑いながら手を振った。
「勇者様たち、頑張ってくれ!」
「絶対に生きて帰ってこいよ!」
「はい!」
エレナも手を振り返す。
やがて船はゆっくりと海へ戻っていった。
私たちはその船が遠ざかっていくのを見送った。
そして、五人全員が振り返る。
遠くに見える巨大な城。
黒い雲の下に佇むその姿は、まるで島そのものを支配しているかのようだった。
「あれが……魔王城……」
ザインが呟く。
「間違いないわね」
レインも頷く。
「いよいよ……ですね」
ノンナが拳を握る。
私も魔王城を見つめた。
胸の奥が、妙にざわついていた。
怖い。
それなのに、どこかワクワクしている。
そんな矛盾した感覚だった。
だが、今はそれを考えている暇はない。
私たちは船に乗せてきた馬へ向かった。
それぞれ馬に跨る。
エレナも白銀の髪を風になびかせる。
「みんな」
エレナが前を見る。
その表情には、もう迷いはなかった。
「行こう!」
「おう!」
「ええ!」
「はい!」
「うん!」
五人の声が重なる。
私たちは、ノルディア島の奥へ向かって進み始めた。
目指すは魔王城。
魔王討伐。
魔王城までの道のりには、魔物こそ現れたものの、やはり魔族は一体も姿を見せなかった。
「魔物だけだから余裕ね」
レインが魔法を放ち、群がってきた魔物を一掃する。
「油断するなよ!」
エレナが周囲を警戒しながら言った。
「わかってるわよ!」
二人のいつものやり取りを聞きながら、私たちは魔王城を目指して進んでいった。
そして、さらに一日ほどが経過した。
私たちは魔王城近くの森へと辿り着いていた。
木々の隙間から、遠くに巨大な城が見える。
黒い雲に覆われた空。
禍々しいほど巨大な城壁。
その中央には、天へ突き刺さるような塔がそびえ立っている。
「あれが……魔王城」
ザインが呟く。
「間違いないな」
ノンナも城を見つめる。
ここまで来ても、魔族の姿はない。
私たちはまだ、魔王軍に気づかれていないようだった。
「……静かすぎるわね」
私は周囲を見回した。
魔王の本拠地。
それなのに、聞こえてくるのは風で木々が揺れる音だけ。
魔物の鳴き声すら、ほとんど聞こえない。
「ここまで何の問題もなく来られたのは大きいわね」
レインが言う。
「うん……」
私は頷いた。
確かにそうだ。
北部海岸では、エルフ軍と魔王軍の戦いが始まっている。
魔王軍の主力がそちらへ向かっているのなら、この静けさにも説明はつく。
それでも、私は胸の奥に嫌な感覚を覚えていた。
「……なんか、おかしくない?」
「リサもそう思う?」
エレナが私を見る。
「うん」
エレナも同じことを考えていたようだ。
「魔王城なんだよね?」
「そうだ」
「それなのに、見張りの魔族が一体もいない」
「……ああ」
エレナは城をじっと見つめる。
「魔王軍のほとんどが北部海岸に出ているとしても、魔王城を守る兵まで全部出払うとは思えない」
「そうね」
レインも頷く。
「だからこそ、どうするか考えないといけないわ」
ノンナが腕を組む。
「門から正々堂々と入るか」
「それとも二手に分かれるか」
ザインが続けた。
「二手に?」
「俺たちが正面から攻め込んで、その隙に別の場所から侵入する」
レインが城の裏手を指差す。
「その場合、エレナ、ノンナ、ザインは正面。私とリサは裏手ね」
「……うーん」
エレナが腕を組んだ。
いつもの彼女なら、迷わず「それで行こう!」と言いそうなところだ。
だが、今回は違った。
「どうしたの?」
私が尋ねる。
「……わからない」
エレナはしばらく黙ってから、城を見つめた。
「城の中にどれくらい魔族が残っているのか。それがわからない」
「魔族が少ないなら、二手に分かれた方がいい」
「うん」
「でも……」
エレナは左腕を見る。
「もし、私たちが思っている以上に敵が残っていたら?」
誰も答えなかった。
「正面から行けば敵を引きつけられる。でも、その間にリサとレインが危険になるかもしれない」
「……」
「逆に全員で行けば、確実に戦える。でも、敵に気づかれる可能性が高い」
エレナは深く息を吐いた。
「ここまで来たんだ。絶対に失敗したくない」
その言葉を聞いた瞬間、私はエレナの横顔を見つめた。
故郷を奪われ、家族を失った。
それでも彼女は勇者として立ち上がり、ここまで来た。
そして今、その目の前に魔王がいる。
「エレナ」
「ん?」
「私は、エレナについていくよ」
エレナが私を見る。
「どんな方法を選んでも」
「……リサ」
「だから、ちゃんと考えて決めて」
私は微笑んだ。
「私たちは五人でここまで来たんだから」
エレナは少しだけ目を見開き、やがて、いつもの笑顔を浮かべた。
「……そうだな」
そして彼女は、もう一度魔王城を見上げた。
「正面から堂々と五人で行こうか」
エレナが決断した。
「不確定な要素が多すぎる。ここで二手に分かれるのは怖い」
「じゃあ、それでいきましょう」
レインが頷く。
「いつも通り、先頭は私とノンナとザイン。レインが真ん中で、リサが後方」
「了解」
ノンナとザインも頷いた。
「まずは、あの門を私が壊す」
エレナが遠くに見える巨大な門を指差す。
「そして、そのまま突入しよう」
全員が頷いた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
魔王城を見つめる。
ここまで来た。
長い旅だった。
そして――これが最後の戦いになる。
「……みんなと冒険できて、楽しかったよ」
エレナが突然、そんなことを言った。
「何よ急に? ビビってんの?」
レインが茶化す。
「珍しく弱気だな」
ノンナも笑う。
「違うでしょ」
ザインが穏やかに言った。
「最後の戦いだから、話しておきたいんだろ?」
「……ふふ」
私は思わず笑った。
「そういうことでしょう」
エレナも笑う。
「そう、リサの言う通り」
「でも、これが最後じゃないんだから」
私はエレナを見る。
「終わった後に、ゆっくり話しましょう」
「そうよ!」
レインが続ける。
「魔王を倒したら、またみんなで旅の話をすればいいじゃない」
「いやぁ……なんか、今のうちに話しておきたくてさ」
エレナは少し照れたように笑った。
「終わった後に酒でも飲みながら話そうじゃないか」
ノンナが豪快に笑う。
ザインも頷いた。
「それがいいな」
「私はお酒弱いんだけど……」
「じゃあリサはジュースでいいだろ」
「ふふっ」
五人の間に笑い声が広がった。
ほんの一瞬だけ。
これから魔王城へ乗り込むことなど忘れてしまいそうなほど、いつもの私たちだった。
けれど、笑い声が止まる。
全員が魔王城へ視線を向けた。
そこにあるのは、巨大な城。
数百年にもわたって人族を苦しめ続けた魔王の居城。
そして、その先にいる。
この世界のすべてを変えた存在、魔王。
エレナがゆっくりとクラウ・ソラを顕現させる。
淡い光が左腕を包み、白銀の剣がその手に現れた。
「……行こうか」
エレナが静かに宣言する。
「うん」
私は杖を握り直した。
ノンナが拳を鳴らす。
ザインが盾を構える。
レインが魔力を高める。
そして五人は、魔王城へ向かって歩き出した。
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次話は8/22土曜日22時に公開予定です。
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