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その15 「エレナの怒り」

 帝国と王国の国境沿いにある、リレトの森。


 そこは、思っていた以上に静かだった。


 魔物の姿もない。


 動物の気配すらない。


 街道も荒らされた様子はなく、綺麗に整備されたままだ。


 不気味なほど、何もない。


 私たちはそんな森の中で、馬を走らせた。


 エレナは冷静に見える。


 けれど、私は分かっていた。


 かなり焦っている。


 馬を急かす手にも、普段とは違う力が入っている。


 やがて、道が二つに分かれた。


 片方はイグニス王都へ。


 もう片方は、ブレイジング領へ。


「ここから別れよう」


 レインが言った。


「私たちは王都へ向かうわ」


「別れて大丈夫か?」


 ザインがエレナを見る。


「王都が陥落したっていう情報も、本当なのか分からない。王都の状況を確認する必要もあるだろ」


 エレナは頷いて言った。


「私はブレイジング領へ行く」


 それが、彼女の答えだった。


 ブレイジング領は王都からそれほど遠くない。


 馬車でも数時間程度。


 馬なら、もっと早く着ける。


「じゃあ、また合流しましょう」


 レインが手を振る。


「リサも気をつけろよ」


「エレナ、無茶しないように」


 ノンナとザインも声をかける。


「みんなもね!」


 エレナは笑顔を作った。


 そして私たちは、二手に分かれた。


 私はエレナと共に、ブレイジング領へ向かう。


 馬を急がせる。


 だが、先ほどまでとは明らかに様子が違う。


 街道には、商人と思われる人々の遺体。


 騎士の遺体。


 魔物の死体。


 魔族の死体。


 そこら中に転がっている。


「……」


 私は言葉を失った。


 これほどの数の死体を見るのは初めてだった。


 ここで、どれほど激しい戦いがあったのだろう。


 まるで、死闘。


 その言葉が頭に浮かんだ。


 エレナの顔から血の気が引いていく。


 倒れている騎士たちの装備を見れば、ブレイジング領に駐在していた騎士たちだと分かる。


「……急ごう」


 エレナが呟いた。


 馬をさらに走らせる。


 そして――


「見えた……」


 エレナが呟いた。


 前方に門が見えてきた。


 恐らく、ブレイジング領の入口だ。


 だが、門は半壊していた。


 あちこちから煙が上がっている。


 門前には、門番と思われる兵士たち。


 そして魔物や魔族の死体。


 ここでも激しい戦いがあったことは、一目で分かった。


 私は馬を止め祈りを捧げた。


「……どうか、安らかに」


 だが、エレナは振り返らなかった。


 そのまま先へ進んでいく。


「エレナ!」


 私の声は届かなかった。


 急いで馬に乗り、その後を追った。


 領内へ入ると、商店街が見えてきた。


 中央には、噴水らしきものもある。


 きっと、以前は人々の笑い声で溢れていた場所なのだろう。


 だが、今は見る影もなかった。


 店は破壊されている。


 商店街は瓦礫の山と化していた。


 噴水も壊され、水だけが虚しく噴き上がっている。


 あちこちから火の手が上がり、黒い煙が空へと昇っていた。


 道の途中には、ヒューマンの遺体もちらほらと見える。


 私は何も言えなかった。


 エレナは恐らく真っ直ぐ進んだと思われる。


 私も、さらに進む。


 やがて、大きな屋敷が見えてきた。


「……!」


 屋敷の前に、エレナの馬が残されていた。


 ここが、エレナの生家なのだろう。


 私は慌てて馬を降りた。


「エレナ!」


 返事はない。


 私は屋敷の中へ駆け込んでいく。


「エレナ!どこ!」


 屋敷の中は荒れ果てていた。


 家具は倒れ、壁には大きな傷が残っている。


 床には血痕もあった。


 けれど、エレナの姿はない。


「エレナ!」


 さらに奥へ進む。


 そして、中庭へ続く扉を開けた。


「……!」


 そこに、大きな氷塊があった。


 中庭の中央。


 周囲には戦いの跡が残っている。


 その氷塊の前に、一人の少女が立っていた。


「エレナ!」


 私は叫び、中庭へ降りる。


「……」


 エレナは拳を握り締めていた。


 強く握りすぎたせいか、掌から血が流れている。


「エレナ、血が……」


 拳を開こうとはしない。


 ただ、目の前の氷塊を見つめている。


「……父様はさ」


 エレナが、ぽつりと口を開いた。


「私に好きなことをやらせてくれる、優しい人だったんだ……」


 私は何も言わず、隣に立った。


「母様は、私にそっくりで……」


 エレナの声が少し震える。


「いつも私が何かすると、ニコニコしながら私の頭を撫でてくれた。でも、誇り高い女性だった」


「兄様たちは……末っ子の私を、たくさん可愛がってくれた……」


 拳から、また血が滴り落ちる。


「執事のヨーゼフは、父様と母様の昔からの友人で……私たち子供のことも、よく面倒を見てくれた」


「メイド長は厳しかったけど……ブレイジング家のことを、いつも一番に考えてくれてた……」


「他のメイドの人たちも……優しくしてくれて……」


 エレナの頬を、一筋の涙が伝った。


「私の傍付きメイドのリリサ……彼女は私の姉のようだった……」


 そして、一度流れ始めた涙は止まらなかった。


「みんな……」


 エレナが氷塊を見つめる。


「みんな、私が帰ってくるのを待ってたはずなんだ……」


 私は何も言えなかった。


 今のエレナに、どんな言葉をかければいいのか分からない。


 私は、ただ隣にいた。


 仲間として。


 一人の少女が流す涙を、黙って受け止めるために。


 私は氷塊へ近づいた。


 そして、その中を見て息を呑んだ。


「……!」


 氷の中には、何人もの人間がいた。


 ただ無造作に凍らされているわけではない。


 まるで眠っているかのように、一人一人が綺麗に並べられている。


 恐らく、遺体が腐敗しないように氷の中へ収めたのだろう。


 これだけの時間、溶けずに残っている。


 こんな魔法は見たことがない。


 レインほどの魔法使いでも、ここまで長時間維持するのは難しいだろう。


 一体、誰がやったのだろうか。


 けれど、氷塊の表面には少しずつ水滴が浮かび始めている。


 限界が近い。


「エレナ」


 私は彼女に声をかける。


「私がなんとか氷を溶かすから、みなさんを弔ってあげましょう」


 エレナは答えなかった。


 ただ、空を見上げている。


 私もつられて空を見る。


「キシシシ……」


 空から、嫌な笑い声が聞こえた。


「勇者発見!」


「本当にいたぞ!」


「全員、ここに呼べ!」


 空を飛ぶ魔族たち。


 その姿は、今まで戦ってきた魔族よりも明らかに強そうだった。


 魔将。


 魔王軍の中でも言葉を話し、特に強力な力を持つ者たちだ。


「……魔族」


 エレナが呟いた。


 その声は驚くほど静かだった。


「こいつが勇者か!」


 魔族たちが次々と集まってくる。


 空を埋め尽くすほどではない。


 だが、数は少なくない。


「エレナ、ここは――」


 私は逃げることを提案しようとした。


 けれど――


「リサ」


 エレナが私を見る。


「みんなをお願いしてもいい?」


「え?」


「私は――」


 エレナが屋敷の屋根へ飛び乗った。


 その動きに迷いはない。


「お、おい!」


「やる気満々じゃねえか!」


「勇者を殺せば、魔王様に褒めてもらえるぞ!」


 魔族たちが笑う。


 エレナは、そんな彼らを睨みつけた。


 その瞬間、空気が変わった。


「……おい」


 エレナの声が響く。


「お前ら……」


 魔族たちの笑い声が止まる。


 何かを感じ取ったのだろう。


 一歩。


 また一歩。


 魔族たちが無意識に後退する。


 エレナから放たれる圧力に、魔族たちが怯えていた。


「ここから……」


 エレナの瞳に、怒りが宿る。


「生きて帰れると思うなよ……」


 左腕が輝いた。


 眩い光が辺りを包む。


「なっ……!」


 光が収束する。


 そして、エレナの左腕に装着されていたオリハルコンの小手が姿を変えた。


 真っ白な光が一本の剣へと変わっていく。


 片刃。


 白銀の髪と呼応するような、鮮やかな白。


 刃だけが僅かに水色を帯びている。


「初陣だ……クラウ・ソラ……」


 エレナが呟く。


 勇者の剣が、その手に現れた。


「お前ら……許さないからな」


 エレナが剣を構える。


「ひ、ひぃっ!」


 魔族の一体が逃げようとする。


 だが、一瞬だった。


 エレナの姿が消える。


「な――」


 次の瞬間。


 魔族の身体が真っ二つに斬り裂かれた。


「速すぎる!」


「囲め!」


 別の魔将が叫ぶ。


 魔族たちが一斉に襲いかかる。


 炎。


 雷。


 闇。


 無数の魔法がエレナへ向かって放たれる。


 だが、エレナは避けない。


 クラウ・ソラを振るう。


「はぁぁぁ!」


 白い軌跡が走った。


 魔法そのものが斬り裂かれる。


「な……」


 魔族たちが絶句する。


 次の瞬間には、エレナが懐へ入り込んでいた。


 斬撃。


 また斬撃。


 魔将の身体が次々と宙へ舞う。


 魔族たちは、もはや戦っているというより狩られていた。


「ば、化け物……!」


 誰かが叫んだ。


 けれど、エレナは止まらない。


 家族を奪われた怒り。


 故郷を破壊された憎しみ。


 そして、目の前にいる敵への殺意。


 その全てを、クラウ・ソラへ叩き込む。


 白い剣閃が走るたびに、魔族が一体、また一体と倒れていった。


 私はその光景を見ながら、ただ立ち尽くしていた。


 これが、勇者。


 これが、エレナの本当の力なのだ。


 やがて最後の魔族が地面へ落ちた。


 辺りが静まり返る。


 エレナは血に濡れたクラウ・ソラを握り締めたまま、しばらく動かなかった。


 そして、ゆっくりと振り返る。


 その視線の先にあるのは、氷塊だった。


 エレナは剣を握ったまま、家族の眠る氷塊を見つめていた。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は8/15土曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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