その6 「悪魔」
十老会の老人が放った魔法は、夜空が赤く染まり、熱風が周囲へ吹き荒れる。
「所詮はヒューマ──」
炎の中から静かな声だけが響いた。
「こんなもんなんですね」
炎を払い除けた。
爆炎が晴れる。
服も焦げていない。
隣に立つエルバラも無傷だった。
静まり返る野営地。
「精霊魔法……初めて見ました」
私は感心したように頷く。
「魔力の使い方が、私たちの魔法とはまるで違いますね」
十老会の老人たちは言葉を失っていた。
「確かに威力はすごい」
私は小さく笑う。
「でも、少し厄介なだけ」
精霊魔法を放った老人が一歩後退る。
「き、貴様……何者だ」
「あら?とっくにご存じでしょう?」
私は首を小馬鹿にするように言った。
「光の聖女リサです」
「違う……」
老人の声が震える。
「我々が会った聖女はお前では……」
「失礼ですね」
私はフッと笑う。
「顔を忘れるなんて」
エルフは誰も笑わない。
笑っているのは私だけだった。
「さて」
私は一歩踏み出し、冷たく言い放つ。
「そろそろ本題に戻りましょうか」
「皆様」
「死んだ子供たちへ謝る気は、おありですか?」
静寂。
そして一人の騎士が吐き捨てるように叫んだ。
「いい加減にしろ!」
「ヒューマンのガキが死んだくらいで、我らエルフが――」
ヒュッ――。
風を切る音だけが響いた。
騎士は言葉を止める。
何が起きたのかわからない。
一歩、二歩と前へ歩き――
首が滑り落ちた。
ドサリ。
胴体が崩れ落ちる。
私は血の付いた剣を軽く振った。
「実は私…魔法より剣の方が好きなんです」
「ひっ……!」
「け、剣をどこから!?」
「見えなかった……。」
誰一人として斬撃を視認できなかった。
「だって、殺した感触がよくわかるもの」
恐怖だけが広がる。
「首を切った時の感覚……気持ちいいわぁ」
私は頬を赤らめた。
「では、問題です」
満面の笑みを浮かべる。
「私は何をしに来たのでしょう?」
誰も答えない。
「はい」
私は一人の騎士を指差した。
「貴方」
「お、俺……?」
膝が震えている。
剣を握る手から汗が滴っていた。
「孤児院で会いましたよね?」
私はその騎士に笑顔を向ける。
「『ヒューマンは臭い』とか言ってましたよね」
「……覚えていますか?」
男は青ざめながら何度も頷く。
「あ……あぁ……」
「それで?」
私は優しく問いかけた。
「答えは?」
「い、いや…死――」
ヒュッ。
また風が鳴る。
男は何が起きたのか理解できないまま立っていた。
数秒後。
首が地面へ転がる。
私は少し困ったように肩を竦めた。
「私が期待した答えではありませんでした」
エルフたちは戦慄した。
攻撃が見えない。
首が落ちて初めて、斬られたことに気づく。
目の前にいる女は、もう聖女とは思えない。
二つ月の明るい空の下、冷たい空気が続く。
十老会の一人が震えながら前へ出る。
「せ、聖女殿……どうか、ここは話し合――」
ヒュッ。
二人の老人の首が宙を舞った。
私は剣を振り、付着した血を払う。
「それも……私の望む答えではありません」
残ったのは、十老会の老人一人と騎士九人。
誰も動けない。
誰も声を出せない。
「貴方だけ、話が通じそうだから残しました」
ただ一人、中央の老人だけが私を見つめ、震える声で呟いた。
「……貴様……悪魔か」
私はふっと笑った。
「また失礼ですね」
「こんな美人を悪魔だなんて」
その笑顔だけが、月明かりの下で不気味なほど美しかった。
「続けましょうか」
私はにこりと笑う。
「次は……そちらの騎士の方、どうぞ」
「あ……あ……いや……」
プシュッ
乾いた音だけが響く。
今度は剣ではない。
右手の人差し指から放った、小さな土魔法。
圧縮した土の弾丸が、銃弾のような速度で騎士の胸を貫いた。
「こんなこともできますよ」
男は何が起きたのか理解できないまま、胸から血を流して崩れ落ちる。
「さっと答えられない人は嫌いです」
私は小さくため息を吐いた。
エルフたちは誰一人、言葉を発せない。
「何だか……もう、面倒になってきたわね」
私は剣をブレスレットへ戻す。
「剣をブレスレットに……」
老人がつぶやく。
私は右手をゆっくりと持ち上げ、一人の騎士へ手のひらを向けた。
「な、何を──」
「光剣」
私が呟いた瞬間。
眩い光が収束し、上空から一振りの光の剣となって騎士を頭から貫いた。
「がっ……」
そのまま力なく倒れる。
「うん、いい感じね」
思わず笑みがこぼれる。
「ひぃっ!」
「ば……化け物……」
「あ、悪魔……」
中には頭を抱え、その場へ座り込む騎士までいた。
その時だった。
「ち、違うんだ!」
一人の騎士が叫ぶ。
私とエルバラは同時に視線を向けた。
「何が違うの?」
せっかく気分が良かったのに。
邪魔をされた私は少しだけ不機嫌になる。
「そ、その魔法具は……!」
男は中央の老人を指差した。
「じゅ、十老会の命令なんだ!夜中に爆発するよう設定しろって!爆発すれば、ヒューマン如きも少しは身の程を知るって……!」
「き、貴様!」
老人が叫ぶ。
しかし騎士は止まらない。
「俺たちは命令されたんだ!」
「逆らえない!」
「悪いのは全部そいつだ!」
「そうだ!」
「俺たちは命令に従っただけだ!」
「全部話した!」
「だから助けてくれ!」
静寂が訪れる。
私は彼らを見回した。
そして、柔らかく微笑む。
「……よくできました」
エルフたちの表情が少しだけ明るくなる。
「全員殺す前に、真実が分かって安心しました」
私は少し歩きつつ話す。
「だから、残った騎士の皆さんには、ご褒美を差し上げます」
私は両手をゆっくり前へ向けた。
「え……?」
次の瞬間、八本の光剣が同時に放たれる。
ヒュンッ!!
光が夜を裂いた。
一瞬だった。
八人全員の頭を、正確に光の剣が貫く。
「な……なん……」
「約束…」
私は倒れていく彼らを見下ろす。
「ええ、これがご褒美よ」
「お礼はいらないわ」
冷たく言い放つ。
騎士たちは一人、また一人と倒れていった。
残るは十老会の老人、一人だけ。
私はゆっくりと視線を向ける。
「さて」
「黒幕の貴方は、どうしましょうか」
老人は震えていた。
それでも最後の意地だけは失っていない。
「くっ……!」
「ヒューマンなどに……我は負けん!」
老人は杖を掲げる。
「古き盟友たる闇の精霊よ!」
精霊魔法の詠唱が始まる。
私はそれを冷たい目で見つめていた。
「我が問いに応え、深淵を喰らい尽くせ!」
「黒精霧!」
老人の足元から漆黒の霧が噴き上がり、巨大な波となって私へ襲いかかる。
「この闇は貴様の悪の心を喰らい!」
「憎しみを増幅させ!」
「死へ導く!」
「これで終わりだ!」
老人の声が響く。
「リサ!?」
エルバラが叫ぶ。
私は振り返ることなく、小さく答えた。
「エルバラ、来ないで」
次の瞬間、私は黒い霧の中へと飲み込まれた。
「ふははははは!これで終わりだな!」
十老会の老人は勝ち誇ったように笑う。
「リサー!」
エルバラの叫びだけが森に響いた。
黒い霧の中、私はただ静かに立っていた。
「悪の心を増幅する魔法……ね」
自分の胸に手を当てる。
「うーん。何も変わらないわね」
怒りも、悲しみも、憎しみも。
さっきまで抱いていた感情から、一歩も動いていない。
「……これも、こんなもんか」
私の心は、正義でも悪でもない。
あの日、あの子たちを失った瞬間に壊れてしまったのだろう。
もう何も感じない。
何も揺らがない。
「この霧、鬱陶しいわ」
私は軽く指を鳴らした。
轟風が森を駆け抜ける。
黒い霧は一瞬で吹き飛び、夜空へ霧散した。
満月の光が再び私たちを照らす。
「な……どういうことだ……」
老人の顔から血の気が引いていく。
「黒精霧が……効かぬだと……?」
「ヒューマンなら精神を侵され、死に至る魔法だぞ!」
私は肩をすくめる。
「残念でしたね」
「私には何も効きませんでした」
老人は震える唇で呟く。
「き……貴様……まさか……」
「心が……既に壊れているというのか……」
私は小さく拍手をした。
「正解です」
乾いた音だけが森に響く。
「私はもう壊れています」
「……貴方たちのおかげでね」
ゆっくりと老人へ歩み寄る。
一歩。
また一歩。
老人は後ずさろうとして、その場に尻もちをついた。
「た……頼む…助けてくれ……」
私はしゃがみ込み、老人と目線を合わせる。
「これくらいで心が折れたの?まだ始まってもいないのに」
口元だけが笑う。
「これからが、本番よ」
その夜、森には老人の悲鳴だけが何度も響き渡った。
エルバラは黙ったまま顔を背ける。
止めようとはしなかった。
止められないことを知っていたからだ。
問いかけ。
話さないなら、痛めつける。
話す。
回復魔法で命だけは繋ぎ止め、再び問いかける。
その繰り返しだった。
どれほど時間が経ったのか分からない。
老人の瞳から理性は消え失せ、言葉にならない声だけを漏らすようになっていた。
聞きたかったことは、すべて聞き出した。
私は立ち上がり、周囲に転がる亡骸へ視線を向ける。
「炎神の獄炎」
紅蓮の炎が夜の森を包み込む。
遺体も、血痕も、証拠となるものは何一つ残らない。
やがて炎が消えた時、そこには焼け焦げた大地だけが残っていた。
「エルバラ」
静かに呼ぶ。
「……帰りましょうか」
エルバラは無言で頷き、私を抱き上げる。
夜空を飛びながら、彼女は一度も口を開かなかった。
その腕から伝わる震えだけが、あの夜に起きた出来事を物語っていた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は7/30木曜日22時に公開予定です。
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