その5 「二つ月の夜」
壊れた私の心は、漆黒の闇に静かに塗り潰されていくようだった。
残ったのは、世界のすべてを憎む感情だけ。
でも、頭も心もスッキリしていた。
生まれ変わった私は静かに立った。
そこへ、村長が静かに歩み寄ってきた。
「リサ……気をしっかり持つんだ」
「…………」
私は返事をしなかった。
気をしっかり持つ。
もちろん、持っている。
驚くほど冷静だった。
あいつらを殺す。
そのために、私は今、何をするべきかまで考えられている。
だから私は、壊れてなどいない。
普通だ。
「大丈夫です」
私はゆっくりと村長へ笑いかけた。
聖女らしい、優しい笑顔を浮かべて。
「原因はまだ分からないけれど……まずは、みんなを埋葬してあげましょう」
村長は少し安心したように息を吐く。
「そうだな……」
私は周囲の村人たちへ向き直った。
「みんなも、力を貸してくれない?」
その一言で、村人たちは黙って頷いた。
誰もが涙を堪えながら動き始める。
焼け焦げた瓦礫をどかし。
まだ残っているかもしれない遺体を探し。
私はその光景を静かに見つめていた。
ふと森へ視線を向ける。
木々の陰。
そこにはエルバラが隠れてこちらを見ていた。
彼女も事態を理解したのだろう。
紅い瞳が悲しそうに揺れている。
私は小さく口だけを動かした。
『あとで話がある』
声には出さない。
エルバラは静かに頷くと、森の奥へ姿を消した。
「リサ、本当に大丈夫なのか?」
再び村長が声をかける。
その声には、私を心配する気持ちが滲んでいた。
「大丈夫よ」
私は微笑み続ける。
「さっきは少し取り乱してしまっただけ」
「だが……義父母も……」
頭も心は冷静だ。
私は笑みを崩さなかった。
「私まで倒れたら、みんながもっと悲しむでしょう?」
「だから、私がしっかりしなくちゃ」
そう。
私は、しっかりしなければならない。
最後まで笑って、聖女を演じて。
そして、エルフどもを、一人残らず殺す。
責任を取らせる。
子供たちの命。
養父母の命。
あの笑顔を奪った罪を。
誰一人、逃がさない。
私の思考は、黒い泥のような感情にゆっくりと飲み込まれていく。
それが正しいのか。
間違っているのか。
もう、そんなことを考えることはなかった。
私はただ復讐だけを望む女になっていた。
教会へ運ばれた遺体は、一人、また一人と並べられていく。
昨日まで笑っていた子供たち。
優しかった養父母。
その姿を見ても、私は悲しいという感情も湧かなくなっていた。
私は静かに目を閉じた。
義父さん。
義母さん。
施設のみんな。
そして、子供たち。
どうか、安らかに。
どうか、天国では安らかに。
私はそう祈った。
それが、私の聖女としての最後の祈りだった。
教会の神父や修道女たちも共に祈りを捧げる。
誰もが涙を流し、亡き者たちとの別れを惜しんでいた。
その後、全員を教会裏の墓地へ埋葬することになった。
私の魔法で全員を火葬にした。
村人たちも総出で墓を掘り、一人ひとり丁寧に土へ還していく。
私は黙って、その光景を見届けていた。
時間を惜しむように作業は続き、翌日、二つ鐘が鳴る頃にはすべてが終わった。
誰一人、残ってはいない。
皆、土の中だ。
村長や村人たちは、疲れ切った表情で私を気遣ってくれた。
「リサ、一人になるな」
「今日は誰かと一緒に――」
私は静かに首を横へ振る。
「いえ、少しだけ……一人にさせてください」
聖女の願いを断る者はいない。
皆、心配そうな顔をしながらも頷いてくれた。
「すぐ帰るから」
心配させないよう笑顔で私は村を出た。
向かう先は、いつもの森。
そこではエルバラが待っていた。
私の姿を見るなり駆け寄ってくる。
「リサ!大丈夫なのか……?」
「…………」
一瞬だけ言葉を探した。
でも、出てきたのは別の言葉だった。
「お願いがあるの」
「なんだ?」
「飛んで」
エルバラが何を言ってるのかわからないという表情をしている。
「私を……あのエルフたちのところへ運んで」
エルバラの表情が強張る。
「……何をするつもりなんだ?」
私は小さく笑った。
「わかるでしょう?」
見たことない私の笑顔にエルバラは驚いている。
「ふ、復讐……か」
「……そんな生ぬるいもので終わらせるつもりはないわ」
その一言で、エルバラは息を呑んだ。
私自身、自分がどんな顔をしているのかわからない。
でも、彼女がここまで怯えるのだから、きっと酷い顔をしているのだろう。
しばらく沈黙が続く。
やがてエルバラは静かに頷いた。
「……わかった」
「リサが望むなら、私は手伝う」
「ありがと」
エルフたちの進んだ方角はわかっている。
まだ遠くへは行っていないはずだ。
飛んでいけばすぐに追いつける。
「行くぞ」
私はエルバラに抱えられ、夜空へ舞い上がった。
普通なら。
空を飛ぶことに胸を躍らせたり。
高さに恐怖したり。
そんな感情があるのだろう。
でも、私の心には何もなかった。
ただ。
エルフたちを殺す。
そのことだけが、頭の中を静かに支配していた。
怒りですらない。
憎しみですらない。
もっと冷たい何か。
エルフを殺す方法だけを、淡々と考えている自分がいた。
それが恐ろしいとも思えない。
やはり私は壊れてしまった。
それなのに、不思議と違和感はない。
まるで昔から、こういう人間だったかのように。
「リサ」
エルバラが小さく声を上げる。
「あそこだ」
眼下を見る。
森の開けた場所。
エルフたちが野営の準備をしていた。
「野営中ね」
「どうする?」
「面白いこと考えたわ」
私は静かに左手を天へ掲げた。
「しっかり抱き抱えててくれる?」
エルバラが頷く。
夜空に魔力が広がる。
風が渦を巻き。
雲が集まり。
空が黒く染まっていく。
「テンペスタス――」
雷雲が完成する。
私はゆっくりと手を振り下ろした。
「――雷神の天罰」
冷たく魔法を言い放つ。
ドォォォォォォォォォンッ!!
天地を裂く轟音。
幾筋もの雷が夜空を切り裂き、エルフたちの野営地へ容赦なく降り注いだ。
逃げる時間など与えない。
悲鳴すら雷鳴に呑まれて消える。
大地が砕け。
木々が吹き飛び。
辺り一帯は白い閃光に包まれた。
「…………」
隣でエルバラが息を呑む。
ごくり、と唾を飲み込む音だけが耳に届いた。
「……半分くらいは消し炭ね」
煙の向こうでは、生き残ったエルフたちが混乱しながら逃げ惑っている。
予想通り。
孤児院へ押し入った騎士たち。
そして十老会の三人も、生き残っていた。
消し飛ばしたのは雑魚だけ。
魔力を感知すれば容易い。
「エルバラ」
「……なんだ?」
「あそこへ降ろして」
「……私も一緒に行く」
私は少しも表情を緩めない。
「ありがとう」
エルバラは何も言わず頷き、ゆっくりと地上へ降下した。
降下する途中、一部のエルフたちが私とエルバラの姿に気づいた。
「敵襲!」
「魔族だ!」
今日は二つ月が満月の日。
夜空を照らす蒼白い月明かりが、私たちの姿を隠すことを許さなかった。
だが、そんなことはどうでもいい。
エルバラに奴らの攻撃が当たるとは思っていなかったし、私も隠れるつもりなど最初からなかった。
野営地は一瞬で騒然となる。
武器を抜く者。
叫び怯える者。
仲間を殺されて悲しむ者。
誰一人としてこちらへ踏み込んでくる者はいない。
恐怖で足が動かないのだ。
エルバラはゆっくりと地面へ降下し、私を下ろした。
彼女も私の隣へ立つ。
「き、貴様!」
「やはり魔族の手先だったか!」
「その女は吸血族だろう!」
「やはりヒューマンの聖女など認めるべきではなかった!」
好き勝手に叫んでいる。
だが、その声とは裏腹に、足は震え、剣を握る手は汗で濡れていた。
騎士とは名ばかり。
本当の戦場など知らない者たちなのだろう。
私は軽く頭を下げた。
「こんばんは、エルフの皆様」
場違いなほど穏やかな声だった。
「十老会の御三方はいらっしゃいますか?」
私の問いに、一人の騎士が怒鳴る。
「き、貴様ごときに御三方がお会いになるわけが──」
私はその男を見た。
ただ、それだけだった。
「……貴方」
「孤児院にいた方ね?」
男の顔色が一瞬で変わる。
「ひっ……!」
ざわめきが広がる。
やがて、人垣を割るように三人の老人が現れた。
十老会。
「おやおや、聖女殿」
「こんな夜更けに如何なされた」
「しかも魔族を連れてとはな」
三人は余裕の笑みを浮かべていた。
私は再び頭を下げる。
「夜分遅くに失礼いたします」
「少々、お伺いしたいことがございまして」
中央の老人が顎を撫でる。
「ほう」
「それより、その隣の魔族について説明してもらおうか」
「彼女は私の友人です」
私は当然のように答えた。
「魔族ですが、人族を襲うことはありません」
老人たちは鼻で笑う。
「魔族を信用しろと?」
「聖女ともあろう者が」
「やはりヒューマンは愚かだ」
エルバラは拳を握っていたが、何も言わなかった。
私は話を戻す。
「本題へ入ります」
「つい先ほど、私の育った孤児院が何者かに爆破されました」
空気が少しだけ静まる。
「施設で暮らしていた子供たち」
「義父、義母」
「全員が亡くなりました」
誰も口を開かない。
私は懐から一つの破片を取り出し、十老会の足元へ放った。
乾いた音を立てて転がる。
「爆発の原因は、この魔法具です」
「これをご存じありませんか?」
中央の老人が拾い上げる。
しばらく眺めたあと、小さく頷いた。
「……確かに我らエルフの技術だが…」
「だが?」
私は静かに続きを促した。
老人達は鼻で笑った。
「だから何だ」
「誰かが盗んだのだろう」
「あるいはヒューマンの子供が勝手に持ち出したか」
「薄汚い種族だからな」
その瞬間、私の瞼が小さく震えた。
「つまり……貴方達は一切関係ないと?」
「当然だ」
「ヒューマンごときの言葉で我ら十老会を疑うか」
「笑わせる」
「それよりも」
老人は私を指差した。
「先程の雷」
「あれは何だ」
「ヒューマン風情が使える魔法ではない」
「何者だ、貴様」
周囲のエルフたちも口々に叫ぶ。
「偽聖女だ!」
「魔族に魂を売った女!」
「やはりヒューマンは信用ならぬ!」
私はゆっくりと目を閉じた。
「魂を魔族に、ね」
魔族ではなく女神なのだが、何も言うまい。
最後まで謝罪はないのか。
「リ、リサ?」
私の顔を見たエルバラが驚いている。
その時だった。
中央の老人だけが、私を見つめたまま大量の汗を流し始めた。
「……待て」
隣の老人が怪訝そうに振り向く。
「どうした」
「お前たちは……黙っておれ」
「何を言っておる!」
「相手はたかがヒューマンだ!」
老人は杖を高く掲げた。
「古き盟友たる炎の精霊よ!」
空気が熱を帯びる。
精霊魔法。
これがエルフだけに許された魔法。
「天に豪炎を!」
「地に炎柱を!」
「矮小なる者を焼き払え」
膨大な魔力が老人の掌へ集まっていく。
「炎の息吹!!」
巨大な炎の息吹が私とエルバラへ一直線に迫る。
エルバラが一歩前へ出ようとした。
私は右手を軽く上げて制した。
「動かないで」
ドォォォォォォォォン!!
轟音と爆炎。
森全体を揺らす衝撃。
夜空が赤く染まり、熱風が周囲へ吹き荒れる。
エルフたちは勝利を確信したように笑っていた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は7/28火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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