その4 「渦巻く黒い感情」
エルフたちが村を去ったあと、ようやく子どもたちにも笑顔が戻り始めた。
夕食の支度を終え、私は食堂で手を叩く。
「さぁ、夕食よー!」
昼間は泣き続けていた子どもたちも、温かいスープの匂いに少しだけ表情を和らげる。
それでも今日の出来事は、幼い心に深い傷を残しただろう。
夜になれば、怖い夢を見る子もいるかもしれない。
(今日は早めに戻ろう……)
エルバラと会う約束はしている。
村の入り口付近に黄色の花を、一輪だけ置くのが会う時の合図だ。
今日は子どもたちの様子が気になって仕方がなかったが、エルバラと少し話がしたい。
そんなことを考えている時だった。
「リサ姉ちゃん!ユナちゃんだけ、あっちで遊んでるよー!」
子どもの一人が指を差す。
視線の先には、小さな女の子が一人、部屋の隅でしゃがみ込んでいた。
「ユナ。夕飯よ」
声を掛けると、少女は肩を大きく震わせた。
びくり、と怯えたように振り返る。
「どうしたの?」
「いまいくよー」
そう言うと、私の方へ駆け寄ってきた。
「さぁ、みんなで食べましょう」
ふと、ユナがいた場所へ目を向ける。
丸い何かが地面に落ちていた。
木でできた玩具だろうか。
少し気になったが、子どもたちを待たせるわけにもいかない。
私はそれを玩具箱になおして、そのまま食堂へ戻った。
夕食を終え、お風呂に入り、子どもたちを寝かしつける。
泣き疲れて眠る子。
私の服の裾を掴んだまま眠る子。
今日は一人ひとりの頭を撫でながら、「大丈夫」と何度も声を掛けた。
義父母や職員、全員が寝静まったことを確認すると、私は孤児院を静かに抜け出す。
村を離れ、森の奥へ向かった。
エルフたちが滞在していたせいで、エルバラと会うのは約一週間ぶりになる。
待ち合わせ場所へ着くと、焚き火が揺れていた。
エルバラは、私が来ることを信じていたのだろう。
焚き火を起こし、果物まで用意して待っていてくれた。
「おかえり」
その一言だけで、張り詰めていた心が少しだけ軽くなる。
「ただいま」
私は焚き火の前へ腰を下ろし、この数日間にあった出来事を話した。
エルフたちのこと。
子どもたちが浴びせられた侮辱。
怒りを抑えきれず、騎士たちを追い払ったこと。
全部、包み隠さず話した。
「エルフって、そんな連中なのか」
エルバラは静かに呟く。
「魔界にも嫌な奴はいる。でも、子どもを泣かせて楽しむような奴はそう多くない」
私は苦笑する。
「ありがとう」
気づけば、愚痴ばかりこぼしていた。
それでもエルバラは、一度も話を遮らず聞いてくれた。
……けれど。
胸の奥で渦巻く、本当の感情だけは口にできなかった。
黒い泥のような感情。
粘つき、絡みつき、私の負の感情を喰らって大きくなっていく何か。
エルフなんて……滅んでしまえばいい。
そんな考えが頭をよぎる。
その自分に驚く私と当然でしょうと囁くもう一人の私がいる。
その時だった。
――ドォォォォォォォンッ!!
夜の静寂を引き裂く轟音。
大地が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
私は反射的に立ち上がった。
立ち上る黒煙。
その方向を見た瞬間、血の気が引く。
「あれは……!」
煙が上がっているのは、孤児院のある方角だった。
「エルバラ、ごめん!」
返事を待つことなく、私は地面を蹴る。
「リサ!気をつけて!」
エルバラが何か言っていたのは聞こえた。
森を駆け抜けた。
嫌な予感だけが、胸の奥で膨れ上がっていた。
村へ戻った私は、脇目も振らず孤児院へ駆け出した。
夜だというのに、村人たちが次々と家から飛び出してくる。
悲鳴。
怒号。
泣き声。
胸騒ぎが止まらない。
「村長!」
人混みの中で村長を見つける。
「おぉ、リサ!無事だったか!」
「私は散歩を……それより、この爆発は……!」
村長は苦しそうに目を伏せた。
「……孤児院だ」
その一言で、頭の中が真っ白になった。
私は返事もせず走り出す。
「リサ!見るな!」
背後で村長が叫ぶ。
だが、その声は耳に届いていなかった。
走る。
走る。
走る。
近づくほどに、鼻を刺す焦げ臭い匂いが濃くなる。
嫌だ。
違う。
間に合って。
お願いだから。
子供たちを、一人でもいい。
助けたい。
ただ、それだけだった。
そして辿り着いた。
孤児院は――もう孤児院ではなかった。
壁は崩れ落ち。
屋根は消え。
燃え盛る炎だけが夜空を赤く染めている。
「……みんな……」
膝から力が抜けた。
立っていられない。
私の居場所が。
子供たちの家が。
全部、燃えていた。
「こっちだ!子供が一人いたぞ!」
誰かの叫びで我に返る。
私は声の方へ走った。
「リサ様!」
「その子を寝かせて!」
村人が腕の中の少女を地面へ横たえる。
私は息を呑んだ。
「……ユナ」
昼間まで笑っていた。
夕食も一緒に食べた。
あのユナだった。
「大丈夫。助けるから」
私は震える手を重ねる。
「──癒光」
眩い光がユナを包む。
だが。
傷は閉じない。
呼吸も戻らない。
「……え?」
もう一度。
「癒光!」
光は溢れる。
魔力も十分ある。
なのに。
治らない。
「なんで……!」
私は光の聖女だ。
今まで何百人、何千人という命を救ってきた。
死の淵から救い上げた者もいる。
なのに。
どうして。
どうしてこの子だけ――。
「リ……サ……ねぇ……ちゃん……」
か細い声。
私は涙を堪えながら笑顔を作った。
「うん。大丈夫。もう大丈夫だからね」
「まる……い……おも……ちゃ……」
「うん」
「あれ……煙……でて……」
私は思い出す。
夕方、ユナが遊んでいた場所に落ちていた丸い物体。
玩具だと思い、深く考えなかった。
「お……とう……さん……が……」
義父さん。
様子を見に行ったのか。
「うん、聞いてるよ」
「……ばく……は……」
激しく咳き込む。
真っ赤な血が口元から零れ落ちた。
「喋らなくていい!」
私は必死に魔法を流し込む。
「お願い……!」
「癒光!」
「癒光!」
「癒光!!」
何度唱えても。
光はただ、虚しく散っていくだけだった。
ユナは小さく笑った。
「お……ねぇ……ちゃん……」
その手が、私の指先を弱々しく握る。
そして。
力が抜けた。
「…………」
「ユナ?」
返事はない。
「ユナ?」
私は肩を揺する。
「起きて」
返事はない。
「お願いだから」
返事はない。
「起きてよ!」
返事は、もう二度と返ってこなかった。
私はユナを抱き締めた。
小さな身体から、温度が無くなっていく。
親に捨てられ。
愛情を知らず。
ようやく笑えるようになった女の子。
その未来が、こんな形で終わった。
私は何もできなかった。
光の聖女なのに。
誰よりも回復魔法が得意な私なのに。
救えなかった。
救えなかった。
救えなかった。
周囲では消火活動が続いていた。
「水を!」
「まだ中に人が!」
怒号が飛び交う。
私は無意識に空を見上げた。
涙で霞む視界。
雨が降れば。
少しでも火が弱まれば。
そう願った瞬間だった。
空が暗雲に覆われる。
大粒の雨が降り始めた。
誰かが驚きの声を上げた。
「雨だ!」
私は魔法を使った記憶すらなかった。
身体が勝手に動いていた。
村人たちは懸命に消火を続ける。
私はユナを抱いたまま、一歩も動けなかった。
夜が明けて、救助活動は終わった。
孤児院にいた者は、全員死亡、あるいは行方不明。
義父も。
義母も。
子供たちも。
誰一人として戻らなかった。
ユナも、他の子供たちと共に教会へ運ばれていく。
私は見送ることしかできない。
村長が何度も肩に手を置いてくれた。
でも、何も聞こえない。
何も感じない。
世界から音が消えたようだった。
やがて村長は、小さな袋を差し出した。
「……これを」
中には、不格好な木彫りのペンダントが入っていた。
子供たちが私の誕生日に、一生懸命作ってくれたものだった。
その瞬間。
胸の奥で、何かが切れた。
「ぁ……」
涙が溢れる。
止まらない。
「う……」
呼吸ができない。
苦しい。
悲しい。
悔しい。
どうして。
どうしてこの子たちが。
「うわああああああああああああああああああああっ!!」
私は空へ向かって叫んだ。
その叫びは村中に響き渡った。
その日、私の心は完全に壊れた。
そして同時に、私の中に渦巻いていた黒い感情が、すべてを飲み込んだ。
夕方、ユナが拾っていた丸い玩具。
あれは孤児院の物ではない。
あの形。
あの材質。
見覚えがある。
エルフたちが持っていた荷物の中に、同じ物があった。
偶然なのか。
故意なのか。
もう、そんなことはどうでもよかった。
私はエルフたちを追うことを決めた。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は7/26日曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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