その3 「エルフという種族」
魔族討伐へ向かった騎士団員は、誰一人として帰ってこなかった。
帰還したのは、同行していた光の聖女一人だけ。
そのようにバイエルン帝国へ報告したが、討伐対象の魔族も死亡ということにしたため、この件はそれで幕を閉じた。
誰も私を疑う事はしない。
誰も真実を知ることはない。
あの日、私は初めてヒューマンを殺した。
魔物を斬ったことはある。
魔族を討ったこともある。
けれど、同じ人族に手をかけたのは、あれが初めてだった。
……不思議だった。
罪悪感はなかった。
命を奪ったという事実は理解している。
それなのに、思っていたほど心は乱れなかった。
吐き気も、震えもない。
むしろ、どこか胸のつかえが取れたような感覚すらあった。
私は、こんな人間だったのだろうか。
異世界へ転生した影響なのか。
それとも、前世で抱えた憎しみが、少しずつ私を変えてしまったのか。
その答えは、まだ私にもわからなかった。
そして――。
吸血族エルバラとの邂逅は、そんな私の異世界人生を大きく変える転機となる。
彼女から聞かされる魔界の話は、女神アルカナから教えられてきたものとはまるで違っていた。
魔界で暮らす魔族の多くは、人族と同じように平和な生活を送っていること。
言葉を交わせても魔法を使えない者が大半であること。
言葉を持たない大型の魔族たちも、静かに暮らしている者がほとんどだということ。
そして何より、魔族にも家族があり、友がいて、笑い、泣き、愛する者がいるということ。
簡単に言えば、人族と何も変わらなかった。
今、人族と争っている魔族の多くは、力を持て余し、行き場を失った者たち。
戦うことでしか生きる意味を見いだせなかった者たちなのだという。
会話ができ知性もあり魔法が使える魔将だとか。
会話ができず知性がなく力任せの魔人だとか。
我々人族の知っている魔族はそういう者たちだったというわけだ。
だが、一人だけ例外がいる。
魔王だ。
生まれながらに圧倒的な魔力と知性を持つ突然変異。
魔族たちですら、その存在は特別視しているらしい。
ちなみにエルバラ自身は、魔王軍には所属していなかった。
興味本位で地上に来たはいいが、吸血族として血を求める本能に逆らえず、人族を襲っていただけ。
エルバラいわく、魔族の血は不味く、人族の血にだけ反応するそうだ。
しかし、女神アルカナは魔界の事を本当に知らないのだろうか。
それだけが疑問だった。
エルバラについては、週に一度、私の血を分け与えるだけで十分らしい。
その代わりに、彼女は村の周辺で人族を襲わないと約束してくれた。
それから私は、何度も森へ足を運ぶようになった。
魔族をもっと知るため。
そして、エルバラと話すために。
最初は互いに距離があった。
けれど会うたびに、その距離は少しずつ縮まっていく。
夜通し話し込むことも増えた。
私が来る前には薪を集めて火を起こしてくれたり、簡単な食事を用意してくれたり。
そんな小さな気遣いが、どこか心地よかった。
彼女の生い立ちは、私とどこか似ていた。
両親の記憶は殆どなく、祖母に育てられたこと。
吸血族の中では貴族の家柄であること。
一部の魔族には貴族という身分制度があると知った時は、正直驚いた。
人族と違う世界だと思っていたのに、似ている部分も多かったからだ。
こんなに似ているのは何か理由があるのだろうか。
気づけば私は、聖女リサとしての話だけではなく、女神の話は省いて、前世の話を打ち明けていた。
令和の日本。
家族。
祖母。
主人。
そして子供たち。
最初こそエルバラは信じられないという顔をしていた。
だが、私が冗談ではなく、本気で語っていると理解すると、最後まで黙って話を聞いてくれた。
今思えば、この世界へ来て初めてできた友達だったのかもしれない。
私は他の人族とは、必要以上に親しくならないよう距離を置いてきた。
どうせいつか元の世界へ帰る。
そう思っていたから、人との深い繋がりを作る意味はないと思っていた。
だからこそ、エルバラと過ごす時間だけは、不思議と心が安らいだ。
ある夜。
焚き火を囲みながら、エルバラがぽつりと口を開いた。
「それにしても、前の世界の旦那は許せないね」
「え?」
「自分の信念だか正義だか知らないけど、勝手に死んでさ。リサが苦労してる間、こっちの世界で女として楽しく生きてるなんて」
怒ったように薪を放り込む。
「そんなの、私だったら絶対に許せない」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「うん……ありがとう」
胸の奥に溜め込んでいたものを、誰かが代わりに怒ってくれた。
それだけで少しだけ救われた気がした。
「復讐する時は、私も手伝うよ」
エルバラは真剣な表情でそう言った。
私は笑いながら肩をすくめる。
「ははっ。それは頼もしいね」
「二人でやっちゃおうか」
「もちろん」
私たちは笑い合った。
軽い冗談のような会話だった。
けれどエルバラは、本気だったのだと思う。
そして私もあの人が今、この世界で楽しんで生きていると知ってなお、許すことはできなかった。
エルバラという友を得ても、その憎しみだけは、少しも薄れることはなかった。
だが、私のこの心は、本当に怒りや憎しみからくる感情なのだろうか。
腑に落ちない点が自分の感情であることに、少しだけ苛立ちを感じていた。
エルバラと知り合ってから、一ヶ月が過ぎた。
ある日、人族の中でも長命種として知られるエルフたちが、私の噂を聞きつけて村を訪れた。
エルフ――地上世界で最も長い歴史を持ち、古くからこの大陸に君臨する種族。
自らを最高位種と称し、他種族を見下す傲慢な民族。
それが、女神アルカナから教えられていたエルフの姿だった。
……もっとも、魔族についても女神の話は正しくなかった。
だから私は、その言葉を鵜呑みにはしないと決めていた。
自分の目で見て、自分で判断する。
「初めまして、光の聖女殿」
「我らは首都エルディアより参った十老会の者」
「噂に名高き聖女の力、この目で見定めに参った」
エルフの都は、女王オーレリアを頂点とし、その補佐を務める十老会によって統治されている。
その十老会から三名。
さらに二十名ほどの騎士を引き連れて、わざわざ私の元へやって来たのだ。
話をしてみると、確かに知性は高い。
こちらが話した回復魔法や医学の知識も、一度聞くだけで理解してしまう。
その点は素直に感心した。
だが、それだけだった。
「なぜ女神アルカナは、この知恵を我らエルフへ授けなかった」
「やはりヒューマンを贔屓しているのではないか」
「我らこそ、この世界で最も優れた種族だというのに」
そんな言葉ばかりが口をついて出る。
私は笑顔を崩さなかった。
だが、まぶたは何度も痙攣していた。
……イライラする。
流石に苛々がつのった。
この人たちの言葉だけは、どうしても好きになれなかった。
エルフについては、女神アルカナの話は間違っていなかったようだ。
だが、上手く取り繕って、彼らにはいい気分でいてもらうようにした。
村で問題が起きることは避けたかったからだ。
だが翌日、エルフの騎士たちは、決して越えてはならない一線を越えた。
その日を境に、私はエルフという種族を嫌悪するようになった。
いや、この種族はいずれ滅びるべき。
そう、本気で考えるようになってしまったから、エルフ最大の都市と森を焼き払ったのだ。
私は毎日の日課として、孤児院の子供たちへ文字や言葉、簡単な計算を教えていた。
この施設を管理する養父母から頼まれたことがきっかけだった。
極力、この世界の人間とは深く関わらないように生きてきた私だったが、子供たちだけは別だった。
少しでも知識を与え、少しでも将来の選択肢を増やしてあげたい。
前世の子供たちの代わりというわけではない。
けれど、心にぽっかり空いた穴を埋めてくれていたのは、間違いなく施設の子たちだった。
だからこそ、この日の出来事は、私の中の何かを決定的に壊した。
エルフの十老会とは五日間ほど話を続けた。
回復魔法の理論。
魔法学。
薬学。
農業。
衛生管理。
どれだけ話しても、彼らが興味を示すのは知識そのものではない。
「なぜヒューマンなどという下等種族に、その叡智が与えられたのか」
「女神はエルフを軽んじているのか」
「やはりヒューマンは運だけはいい」
そんな話ばかりだった。
「はぁ……」
心底くだらない。
このまま滞在が長引けば、本気で彼らを皆殺しにしてしまう。
皆殺しにしてしまうと考える私が、少しおかしい気もしていた。
そう思い始めた頃、ようやく彼らは翌日に村を発つと言った。
私は心から安堵していた。
そして六日目の朝。
私は孤児院へ向かった。
エルフ達の相手をしていたから、子供たちに会うのは久しぶりだ。
だが、門の前で異様な空気を感じる。
子供たちの泣き声。
養父母の怒鳴る声。
そして、耳障りな笑い声。
私は駆け出した。
そこには、エルフの騎士たちがいた。
養父母は幼い子供たちを抱き寄せ、必死に守っている。
小さな子は恐怖で震え、泣きじゃくっていた。
「ヒューマンの子供は汚い服を着ているな」
「臭いも酷い」
「やはり寿命の短い下等種族だ」
「親に捨てられた出来損ない共だろう」
「だから孤児なんだ」
笑いながら言う。
何も知らない幼い子供たちに。
その瞬間、私の中で何かが切れた。
私は無言で、一人の騎士の背後へ立つ。
「……お、おい」
仲間の一人が青ざめた。
「は?なん――」
男が振り返る。
恐らく相当に恐ろしい顔つきだったのだろう。
男は腰を抜かした。
私は拳を握った。
殺せる。
今ここで首を刎ねられる。
雷魔法で跡形もなく消し飛ばせる。
でも、泣いている子供たちが見ている。
その事実だけが、私の理性を繋ぎ止めた。
私はゆっくり口を開く。
「……消えなさい」
それだけだった。
エルフの騎士達は呆然としている。
「消えろって言ってんのが聞こえないの!」
けれど、その一言には抑え切れない殺意が滲んでいた。
騎士たちの顔色が一瞬で変わる。
「ひっ……!」
悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……リ、リサ?」
養母が震える声で私の名を呼んだ。
その声で、私はようやく我に返る。
拳を強く握り締めていたことに気づき、ゆっくりと力を抜いた。
「あ……ごめんなさい。大丈夫?義父さん、義母さん」
養父は子供たちを抱き寄せたまま、小さく息をついた。
「助かったよ、リサ。本当にありがとう」
「何があったの?」
私が尋ねると、養母は子供たちの頭を優しく撫でながら話し始めた。
「今朝、施設を開けたらエルフの騎士たちが勝手に入り込んできてね……」
「子供たちを見て、汚いだの、臭いだの、捨てられた子供は出来損ないだの……好き勝手なことを言い始めたんだよ」
その言葉を聞き、私は奥歯を強く噛み締める。
ここまでの差別主義だとは思わなかった。
視線を向けると、子供たちは今も怯えた表情で養父母にしがみついていた。
まだ涙が止まらない子もいる。
私はゆっくりと膝をつき、一人ひとりの目を見つめた。
「もう大丈夫」
「悪い人たちは、私が追い払ったから」
「ぐすっ……お姉ちゃん…」
優しく微笑みながら頭を撫でる。
その言葉で安心したように泣き止む子もいた。
けれど、恐怖が消えないのか、震え続ける子もいた。
その日の授業は中止にした。
文字を教えるどころではない。
私は養父母と一緒に子供たちの側に付き添い続けた。
泣き疲れて眠る子。
何度も私の服を握り締める子。
ようやく皆が落ち着いた頃には、村中に三つ鐘が響いていた。
私は静かに窓の外を見つめる。
胸の奥で、何かがゆっくりと変わり始めていた。
夕暮れ。
予定通り、エルフたちは村を後にした。
陽が落ちた後に村を出るのは危ないが、ヒューマンの村にこれ以上留まりたくなかったのいうのが本音だろう。
私も引き留めはしない。
私はその姿が見えなくなるまで、ただ無言で見送っていた。
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次話は7/25土曜日22時に公開予定です。
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