その1 「神との邂逅」
目が覚めると、私は玉座に身を預け眠っていた。
「……夢」
懐かしい夢を見ていた。
前世の、家族と過ごした日々。
思い出の穏やかな時間。
数滴、涙が溢れた。
「リサ様、如何なさいましたか」
私の前には、一人の魔族の女性が跪いていた。
吸血族の四魔将、エルバラ。
「なんでもないわ」
私は軽く首を振り、玉座の背にもたれながら天井を見上げた。
女神との邂逅を思い出す。
夢の続き――。
真っ暗な世界へ落ちていく感覚だけがあった。
冷たくもなく、熱くもない。
音も光も存在しない世界。
どれほど落ち続けたのかわからない。
気が付くと、私は真っ白な空間に立っていた。
どこまでも白い世界。
床も天井も境界すら存在しない。
「こんにちは」
突然、声が聞こえた。
振り向く。
そこには、一人の女性がいた。
白銀の長い髪。
人とは思えない整った顔立ち。
まるで空中に腰掛けているように座っている。
椅子など存在しない。
それでも、そこに椅子があるかのように自然だった。
「あ、あなたは……?」
思わず問い掛ける。
女性は小さく笑った。
「ふふ、挨拶は返してくれないのね」
「あ……」
慌てて頭を下げる。
「こ、こんにちは……」
「はい、こんにちは」
その笑顔は、とても柔らかかった。
「まずは自己紹介をしましょうか」
女性は静かに立ち上がる。
「私はーー女神アルカナ」
「この世界を司る神よ」
「か、神様……?」
「ええ」
女神アルカナは優しく微笑む。
「そして、あなたは○○さん」
「……はい…間違い…ありません」
「ふふ」
また笑う。
どこか優しそうな人だ。
でも、少しだけ居心地の悪さを感じていた。
「驚かないのね?」
「……いえ、驚いています」
私は正直に答えた。
「あなたが神様なら……ここは天国ですか?」
「惜しいわね」
アルカナは指を鳴らした。
乾いた音だけが白い空間へ響く。
「ここは神々の住まう世界」
「あなたは寿命を終え、この場所へ導かれたの」
「神々の……世界」
現実感がない。
夢でも見ているようだった。
アルカナはゆっくりと私の前まで歩いてくる。
「あなた、本当によく頑張ったわね」
「……え?」
「子どもたちを一人で育てて」
「体を壊しても働き続けて」
「誰にも弱音を吐けなくて」
「ずっと苦しかったでしょう?」
私は言葉を失った。
誰にも言われたことのない言葉だった。
「……はい」
小さく返事をする。
その一言だけで、胸の奥にしまい込んでいた感情が揺れた。
「家族のためだけに生きてきた人生」
「本当に立派だったわ」
その言葉に、涙が込み上げそうになる。
「もし――」
アルカナは静かに続けた。
「ご主人が亡くならなければ」
「あなたの人生は、違うものになっていたのでしょうね」
胸が締め付けられる。
「……」
「私は誰も責めてはいないわ」
アルカナは優しく首を振った。
「でも、事実として」
「あなたは全てを一人で背負うことになった」
「ご主人は、家族よりも困っている誰かを助けることを選んだ」
「その結果、あなたは全てを失った」
心臓が大きく脈打つ。
ドクン――。
「祖母の家も」
「健康も」
「若さも」
「命も」
「そして……最後に家族までも」
私はその場に座り込んだ。
押し込めていた感情が、少しずつ溢れてくる。
死ぬ間際。
確かに私は思った。
どうして。
どうして私たちを置いて逝ったの。
愛していたはずなのに。
心のどこかで、主人を恨んでしまった。
アルカナは静かに私の前へしゃがみ込む。
「だから、私はあなたへ機会を与えたいの」
「……機会?」
「ええ」
「私の権能をもって」
「あなたに、もう一度別の人生を歩む機会を」
私は顔を上げる。
「その男に……復讐する機会を与えましょう」
空気が止まった。
「復讐…したいのでしょう?」
私はアルカナを見つめる。
「このまま終わるなんて、納得できないでしょう?」
「……」
「どうかしら?」
しばらく沈黙する。
そして私はゆっくり口を開いた。
「わ、私の得られるものは分かりました」
「では、女神様にはどんな利益があるのですか?」
アルカナは一瞬だけ目を丸くした。
そして、小さく笑う。
「ふふ……」
「話が早くて助かるわ」
「少し落ち着いたようね」
「ええ」
私は頷く。
「取り乱していても、何も始まりませんから」
「いい子ね」
アルカナは満足そうに微笑んだ。
「あなたにお願いしたいことは、一つだけ」
「でも、その前に――」
アルカナが静かに指を鳴らす。
何もなかった白い空間に、一枚の巨大な光の幕が現れた。
「まずは、この映像を見てもらいましょうか」
白い空間に、一枚の光の幕が浮かび上がる。
そこには、一人の幼い少女が映し出されていた。
歳は五つほどだろうか。
金色の髪。
澄み切った青い瞳。
どこか気品を感じさせる少女が、メイドと思われる女性と共に庭で魔法の訓練をしている。
「魔法……」
思わず声が漏れた。
アルカナは静かに頷く。
「ここは、私が創った世界――アルファスト」
「貴方たちの世界で言えば、中世に近い文明かしら」
「剣と魔法が存在する世界よ」
「……異世界」
「あら?わかる?」
「息子が、そういうアニメをよく見ていました」
「そう。それなら説明が早く済むわね」
アルカナは映像へ視線を向けた。
「この世界では、数百年前から魔王軍が人族を侵略しているの」
映像が切り替わる。
燃え上がる街。
逃げ惑う人々。
魔族に襲われる兵士たち。
「……魔王」
「人族は滅びへ向かっているわ」
私は画面から目を離せなかった。
「女神様なら止められるんじゃ……?」
私が尋ねると、アルカナは静かに首を横へ振った。
「神には神の制約があるの」
「世界へ直接干渉することは許されていない」
「だから、ほんの少し背中を押すことしかできないのよ」
「……そうなんですね」
さっき権能とか言ってたのに。
アルカナは再び指を鳴らす。
映像が変わる。
先ほどとは別の少女が映し出された。
「この子が、貴方になる少女」
「数年後、この世界では聖女と呼ばれる存在となる器」
「私が……?」
「ええ」
私は画面を見つめる。
知らない少女。
それなのに、不思議と懐かしさを覚えた。
「とりあえず、この話はまた後」
「これから十年後、この世界に勇者が現れるわ」
「貴方には、その勇者と共に魔王討伐の旅へ出てもらいたいの」
「勇者と一緒に?」
少しだけ安心した。
魔王を倒す。
それなら理解できる。
けれど、アルカナの表情が少しだけ変わった。
「そして――」
静かな声。
「魔王を討ったその時」
「勇者を殺していいわ」
「……え?」
息が止まる。
「な、何を言っているんですか?」
「勇者なんですよね?」
アルカナは私を見つめたまま答える。
「そう」
「勇者よ」
「でも、その勇者は」
「貴方のご主人なの」
世界が止まった。
「……え?」
理解できない。
「ご主人は、この世界へ転生したの」
「前世の記憶を持ったまま」
「勇者として」
「そんな……」
「正確には、神々の管理から外れて転生した存在」
「本来、この世界にいるはずのない異物」
私は何も言えなかった。
あの人が生きている。
しかも別の世界で。
アルカナは私の表情を見ながら続ける。
「貴方が必死に働いて、身体を壊して。子どもたちを一人で育てていた間」
「ご主人は、この世界で新しい人生を歩んでいる」
映像が変わる。
先程のメイドと修行をしていた少女だ。
笑っている。
家族と笑い合う姿。
領民に感謝される姿。
「人助けをしながら」
「この世界を楽しんでいるわ」
胸の奥が熱くなる。
怒り。
悲しみ。
嫉妬。
憎しみ。
様々な感情が入り混じる。
映像が先程の金髪青眼の女の子に変わる。
「この子が、勇者の運命を受ける。これは逃れられない運命……」
アルカナは優しく微笑んでいた。
「だから私は、貴方へ機会を与えるの」
「その人に会える機会を」
「その人へ復讐する機会を」
私は何も答えられなかった。
「もちろん、強制はしないわ」
「選ぶのは貴方自身」
長い沈黙が流れる。
やがて私は、小さく口を開いた。
「……その後は?」
アルカナは微笑む。
「ここまでが、貴方への報酬
「そして、ここからが私の本当の願い」
「それを、もし叶えてくれたなら」
「貴方を元の世界へ帰してあげる」
私は顔を上げた。
「元の……世界?」
「ええ」
「子どもたちの待つ世界へ」
「貴方が死ぬ前に戻す」
胸が大きく高鳴る。
「本当に……?」
「神に二言はないわ」
私は迷わなかったふりをした。
正直、この女は少し怪しい。
でも、子どもたちに会える。
それだけで十分だった。
「……分かりました」
「その契約、お受けします」
アルカナは満足そうに頷いた。
「ありがとう、これから貴方の名は"リサ"」
「まずは、この世界の知識を授けましょう」
アルカナが額へ指先を当てる。
膨大な情報が、一気に頭の中へ流れ込んでくる。
歴史。
地理。
魔法。
剣術。
魔族。
龍。
勇者。
聖女。
そして、最後に告げられた、女神と魔神の願い。
この世界を終わらせること。
女神の言葉も、魔神の思惑も。
そして、この選択がどれほど多くの命を巻き込むことになるのか。
私は、理解していたが、私はこの世界を壊す。
ただ一つの望みを叶えたい。
子供たちに会えるのなら。
元の世界へ帰れるのなら。
私は神にでも、悪魔にでも魂を売る。
そう、決めた。
「そう最後に伝えるわ。貴方のご主人だった男は、この世界でエレナと名乗っているわ」
エレナ……私が殺すべき相手。
必ずこの手で殺す。
異世界で、女として、何不自由なく、生を謳歌している。
絶対に、苦しめて、苦しめて、後悔させて、殺す。
この感情と共に、私は聖女リサとして生きていく。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は7/21火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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