その20 「前世の記憶〜2〜」
私には、二つの人生の記憶がある。
今、この世界で聖女リサとして生きている人生。
そして、令和の日本で、二人の子どもの母として生きていた人生。
それは夢の断片のようでいて、指先に残る温度のように生々しく、けれど確かに、私の中に存在するもう一つの現実だった。
令和という時代の日本。
戦争とは無縁で、法と秩序が保たれ、平和な日常が当たり前のように続く国。
私はその中で、ごく普通の主婦として生きていた。
朝は家族の誰よりも早く起き、簡単な朝食を作り、主人と子供達を起こして、食事をさせる。
主人は先に仕事へ行き、そのあと子供達を送る。
休日になると、主人が子供たちと公園で走り回り、汗だくになりながらボールを追いかけまわしていた。
その間、私は洗濯や掃除の事を考えていた。
帰りにアイスやジュースを買うけれど、レジでは家計の事を考えている。
家族でショッピングモールへ行くが、ここでも家計を気にする。
だが、そんな主婦業のどれもが何よりも大切な時間に感じていた。
私にとっては家族が何よりも大事だ。
友人達の中には、キャリアを築いたり、研究に心血を注いだり、趣味に生きたりと、自由な生活をする人もいた。
私が選んだのは家族だった。
ずっと家族が欲しかった。
自分の家族を幸せにしたかった。
その価値観の根っこには、幼い頃の記憶がある。
私は幼少期、母方の祖母の家に預けられることが多かった。
古いが大きなレンガの家。
縁側からは小さな花畑が見え、夏になると風流にも風鈴の音が静かに鳴っていた。
春には庭で花見、夏には海外旅行、秋には山で栗拾い、冬には旅行でスキーをした。
毎年、祖母と楽しんでいた。
私はかなりヤンチャな子供時代だったそうだ。
子どもの頃、悪さをすると祖母はよく言っていた。
「手を心に当てて考えな」
私は一度、不思議に思って尋ねたことがある。
「どうして胸じゃないの?」
祖母は笑いながら、私の頭を軽く叩いた。
「人は心で生きるからよ」
当時の私には少し難しくて、どこか変わった言い回しだと思っていた。
けれど大人になった今なら、その意味がよく分かる。
心で生きる。
家族を幸せにしたい。
それが私の心だった。
祖母は優しかった。
ピアノの練習をいつも側で聞いてくれた。
食事の準備を手伝うといえば、笑って頭を撫でてくれる。
祖父は私が産まれる前に亡くなり、祖母は一人で一人息子の父を育て上げたと聞いている。
だが、たまの休みに私に会いに来る両親と祖母は、よく口論していた。
「幼い子供を置いて、いったい何の仕事をしているんだ!」
祖母はそう言った。
だが、父は首を横に振った。
「お袋、すまないが仕事の話はできない」
「お義母さん、すみません」
二人は頭を下げていた。
「何をしているのかは知らんが、自分の子供に愛情を与えるのは親にしかできん!」
祖母はよくそう言っていた。
当時の私は祖母と一緒に過ごせれば、それでよかったのだけれど、祖母は両親と私が一緒に居ることが幸せなんだと思っていた。
家族を持った今なら、それがよくわかる。
参観日や運動会に両親がいないことは、子供ながらに寂しかった。
クラスメイトにからかわれたこともある。
「お前の親、来ないの?」
「ばあちゃんが来るところじゃないぞ」
「捨てられたんじゃないの?」
「目つき悪いもんな!」
私は怒りに任せて、その子たちを引っ叩いた。
単純に頭に来たからだ。
その子たちは鼻血をだしていた。
問題になったが、両親は来なかった。
代わりに、祖母が深々と頭を下げた。
帰り道、私は泣きながら祖母に謝った。
祖母は、何も責めず、ただ頭を撫でて言った。
「暴力はよくなかった。でも、あんたは悪かないからね」
その手の温もりが、今でも忘れられない。
祖母の事が、私は大好きだった。
数年経過し、私は高校生になった。
いつも通り、入学式には両親は来てくれず、だが、祖母が参加してくれた。
親戚に支えられて弱った体を引きずって、入学式を見に来てくれた。
祖母がいるだけで嬉しかった。
高校一年生の夏、両親が行方不明になった。
捜索願いも出して、全国的にニュースにもなったが、残念ながら見つかる事はなかった。
悲しかった。
けれど、一緒に過ごさなかった両親より、祖母の方が大事な家族だという気持ちが強かった。
今となっては両親が何の仕事をしていたのか謎のままだ。
高校三年生の夏、祖母まで病で亡くなった。
ずっと体調が悪かったから、いつかこうなる気はしていた。
病室の祖母の遺体の側で泣いていた。
祖母の最後を看取る事ができた事はよかったと思う。
「◯◯は幸せにいきるんだよ」
それが、祖母の最後の言葉だった。
親戚とは遺産を巡って少し揉めたが、祖母の顧問弁護士のおかげで、大きな問題にはならなかった。
その時、親戚と縁を切った私は、天涯孤独になった。
祖母と暮らした家と十分な財産は私の手元に残った。
私はこの家でこれからも暮らし続ける。
そして、祖母の遺言のために生きようと思った。
程なくして高校を卒業し、私立大学へ進学した。
どんな道でも『家族を大切にする生き方』を選びたかった。
そして、数年後、大学時代に知り合った男性と結婚する。
穏やかであまり笑わないけど、優しい人だった。
結婚して数年後、子供が生まれ、
さらにもう一人、家族が増えた。
主人は少し変わっていて、困っている人を見過ごせないアンパンマンのような人だった。
時には家族をほったらかして、困っている人を助ける。
口論になることもあったが、結局はお互いに微笑み合い、仲直りする。
しかし、異世界に来た今でも、家族を放置して他人を助けるのは立派だが、私にはその気持ちがわからなかった。
"家族より大事なものはない"
と思っていたからだ。
その主人との出会いは大学時代だった。
天涯孤独となり、大学に入学した私は、授業には真面目に出て、友人もできた。
そこで、主人と出会った。
大学内で教授の手伝いをしていた男性に声をかけた。
ボランティアサークルに、名前だけでも貸してもらえないかという相談をした。
有名なアンパンマンと影で呼ばれている人。
この人なら助けてくれそうだと感じたからだ。
でも彼は「わざわざサークルに入らなくてもボランティアはできるのに、サークルでやる必要があるのか」と聞いてきた。
私は、「誰も彼もが貴方のように個人で行動ができないんです。そんな人たちのためにサークルのような集まりがあって、そこで活動できる人もいます」と返した。
私は少し涙目だったと思う。
目つきの悪い私が睨んだように見えたそうだ。
彼は余計な事を聞いたお詫びの印にと、名前だけではなく、活動に参加するためにサークルに入会してくれた。
それが主人との出会いだ。
それから、いろいろなことがあったが、私たち二人の境遇が似ていることもあり、お互い惹かれあい恋人になった。
そして、結婚した。
家族四人の生活は決して裕福ではなかったが、家の中にはいつも笑顔があふれ、確かな幸せがそこにあった。
だが、そんな幸せな時間は、突然終わりを告げた。
この頃の私は、家族を失い、この世界で”聖女リサ”として目を覚ますなど、想像すらしていなかった。
結婚後、数週間して、祖母から受け継いだ家と外見を殆どそのままに、家族で暮らせる家として、リフォームした。
その家で、私たち家族四人は穏やかな日々を送っていた。
ある日。
休日出勤をする主人を、いつものように玄関で見送る。
「じゃあ、行ってきます」
主人が靴を履きながら笑う。
私は少し乱れていたスーツの襟元を整えた。
「パパ、いってらっしゃい!」
子どもたちは小さな手を振りながら元気よく声を揃える。
主人はしゃがみ込み、二人の頭を優しく撫でた。
「ママと留守番、頼んだぞ」
「うん!」
二人は満面の笑みで頷いた。
「今日、本当は休みなのにね。帰りは遅いの?」
少し心配になって尋ねると、主人は肩をすくめて苦笑する。
「いや、終わり次第すぐ帰るよ。この仕事が終われば長い休みが取れるから、今度みんなで旅行にでも行こうか」
「本当に?」
「約束だ」
私たちは顔を見合わせ、小さく笑い合った。
「あなたは無理しすぎるから、ちゃんと気をつけてね」
そう言いながら、もう一度ネクタイを整える。
すると主人は、私の頭を優しく撫でた。
「忘れ物がないか、心に手を当てて考えて」
“胸”ではなく、“心”。
祖母が昔からよく口にしていた言葉だった。
私はこの言葉をずっと忘れずに使っていた。
「うん、大丈夫」
その何気ない言葉に、私はまた家族の温かさを感じていた。
玄関の扉を開けると、冷たい冬の風が頬を撫でる。
空からは小さな雪が舞い始めていた。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
主人は振り返り、大きく手を振る。
私も子どもたちと一緒に手を振り返した。
それが――主人を見た最後だった。
その後、子どもたちを学校と幼稚園へ送り届け、家へ戻ろうとしていた時だった。
スマートフォンが鳴る。
知らない番号だった。
普段なら出ない。
だが、その時だけは胸騒ぎがした。
恐る恐る電話に出る。
相手は警察だった。
主人が交通事故に遭い、亡くなったという。
その瞬間、世界から音と色が消えた。
気が付くと、私は白い布を掛けられた遺体の前に立っていた。
そこまでどうやって来たのか、まったく覚えていない。
隣には女性警察官が静かに立っていた。
震える手で、白い布をゆっくりとめくる。
そこにいたのは、紛れもなく主人だった。
「……ぁ……」
声にならない。
次の瞬間、私は泣き叫び、その場に崩れ落ちた。
どれだけ泣いたのか覚えていない。
気が付けば椅子に座っていた。
何をすればいいのか分からない。
何も考えられなかった。
仲の良い友人へ連絡し、子どもたちの迎えを頼む。
学校や幼稚園へも事情を説明した。
友人は他の友人たちにも声を掛けてくれたらしく、何人もの人が警察署まで駆け付けてくれた。
皆、励ましてくれた。
何かを話してくれていた。
けれど、その内容はほとんど覚えていない。
私たち夫婦が天涯孤独であることを知っていたからだろう。
主人の同僚や友人たちも集まり、死亡届の手続き、お葬式、お墓の準備まで、私の代わりに動いてくれた。
その頃の記憶は、本当に曖昧だ。
「ねぇ、ママ」
「パパは?」
子どもたちが、不安そうな目で尋ねる。
私は何も答えられなかった。
情けない話だ。
母親なのに。
大人なのに。
それでも、二人の怯えた瞳を見た瞬間、私は思った。
この子たちを守れるのは、私しかいない。
この子たちが大人になるまでは、絶対に生きなければならない。
他人を助けるために命を落とした主人ではなく、私はこの子たちを守る。
そう心に決めた。
それからの日々は、あっという間だった。
昼も夜も働いた。
生活費を稼ぎ、子どもたちを育てる。
祖母から受け継いだ遺産は、大学の学費や家の修繕でほとんど使い切っていた。
主人の生命保険だけは、子どもたちの将来のために残しておきたかった。
だから、私は働き続けた。
今思えば、この家を維持するだけの生活力は私には無かった。
もっとよくお金の管理をしておけばよかったと後悔した。
縁を切った親戚が何度も家を売れと言ってきたが、その度に追い返した。
祖母と暮らしたこの家を二人に残したかったからだ。
子どもたちは何度も私を心配してくれた。
「少し休んで」
そう言われても、休むことはできなかった。
気が付けば、私は昔の面影もないほど痩せ細っていた。
二人が高校生になった頃。
私は心筋梗塞で倒れた。
夜、眠る前だった。
胸を締め付けられるような激痛が走り、そのまま救急車で運ばれた。
長時間に及んだが、手術は成功した。
子供たちに心配をかけてしまった。
約二週間で退院することはできた。
だが、体は以前とはまるで違っていた。
少し動くだけで息が切れる。
すぐ疲れる。
医師には、もう一度発作を起こせば命は危ない。
そう言われた。
そこから私は、少しずつ心まで壊れていった。
働きたくても働けない。
子どもたちはまだ独り立ちできない。
不安だけが毎日積み重なっていく。
そして、私は祖母の家を売る決断をした。
借金はなかったが、子供たちとの生活費のためだ。
そして、その頃からだった。
私の中で、ある感情が静かに膨らみ始めた。
手を心に当てて考えた。
あの人が死ななければ。
自分勝手な正義感で、他人を助けようとして死ななければ。
私も。
子どもたちも。
こんな苦しみを背負うことはなかった。
主人を愛していた。
だからこそ。
その愛は少しずつ、恨みへと姿を変えていった。
私の心は真っ黒に壊れてしまった。
そして――。
長男が二十二歳。
長女が二十歳になった年。
私は病に倒れ、そのまま静かに息を引き取った。
最期に二人へ伝えた言葉は、祖母のような優しい言葉ではなかった。
ただ一言。
「ごめんね」
私の意識は真っ暗な世界に堕ちた。
私の真っ黒い感情がその闇に同調していくように。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は7/19曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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