表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
215/227

その20 「前世の記憶〜2〜」

私には、二つの人生の記憶がある。

今、この世界で聖女リサとして生きている人生。

そして、令和の日本で、二人の子どもの母として生きていた人生。


それは夢の断片のようでいて、指先に残る温度のように生々しく、けれど確かに、私の中に存在するもう一つの現実だった。


令和という時代の日本。


戦争とは無縁で、法と秩序が保たれ、平和な日常が当たり前のように続く国。


私はその中で、ごく普通の主婦として生きていた。


朝は家族の誰よりも早く起き、簡単な朝食を作り、主人と子供達を起こして、食事をさせる。

主人は先に仕事へ行き、そのあと子供達を送る。


休日になると、主人が子供たちと公園で走り回り、汗だくになりながらボールを追いかけまわしていた。

その間、私は洗濯や掃除の事を考えていた。


帰りにアイスやジュースを買うけれど、レジでは家計の事を考えている。


家族でショッピングモールへ行くが、ここでも家計を気にする。


だが、そんな主婦業のどれもが何よりも大切な時間に感じていた。


私にとっては家族が何よりも大事だ。


友人達の中には、キャリアを築いたり、研究に心血を注いだり、趣味に生きたりと、自由な生活をする人もいた。


私が選んだのは家族だった。

ずっと家族が欲しかった。

自分の家族を幸せにしたかった。


その価値観の根っこには、幼い頃の記憶がある。

私は幼少期、母方の祖母の家に預けられることが多かった。


古いが大きなレンガの家。

縁側からは小さな花畑が見え、夏になると風流にも風鈴の音が静かに鳴っていた。


春には庭で花見、夏には海外旅行、秋には山で栗拾い、冬には旅行でスキーをした。

毎年、祖母と楽しんでいた。


私はかなりヤンチャな子供時代だったそうだ。


子どもの頃、悪さをすると祖母はよく言っていた。


「手を心に当てて考えな」


私は一度、不思議に思って尋ねたことがある。


「どうして胸じゃないの?」


祖母は笑いながら、私の頭を軽く叩いた。


「人は心で生きるからよ」


当時の私には少し難しくて、どこか変わった言い回しだと思っていた。


けれど大人になった今なら、その意味がよく分かる。


心で生きる。

家族を幸せにしたい。

それが私の心だった。


祖母は優しかった。


ピアノの練習をいつも側で聞いてくれた。

食事の準備を手伝うといえば、笑って頭を撫でてくれる。


祖父は私が産まれる前に亡くなり、祖母は一人で一人息子の父を育て上げたと聞いている。


だが、たまの休みに私に会いに来る両親と祖母は、よく口論していた。


「幼い子供を置いて、いったい何の仕事をしているんだ!」


祖母はそう言った。


だが、父は首を横に振った。


「お袋、すまないが仕事の話はできない」


「お義母さん、すみません」


二人は頭を下げていた。


「何をしているのかは知らんが、自分の子供に愛情を与えるのは親にしかできん!」


祖母はよくそう言っていた。


当時の私は祖母と一緒に過ごせれば、それでよかったのだけれど、祖母は両親と私が一緒に居ることが幸せなんだと思っていた。


家族を持った今なら、それがよくわかる。


参観日や運動会に両親がいないことは、子供ながらに寂しかった。


クラスメイトにからかわれたこともある。


「お前の親、来ないの?」

「ばあちゃんが来るところじゃないぞ」

「捨てられたんじゃないの?」

「目つき悪いもんな!」


私は怒りに任せて、その子たちを引っ叩いた。

単純に頭に来たからだ。

その子たちは鼻血をだしていた。


問題になったが、両親は来なかった。

代わりに、祖母が深々と頭を下げた。


帰り道、私は泣きながら祖母に謝った。


祖母は、何も責めず、ただ頭を撫でて言った。


「暴力はよくなかった。でも、あんたは悪かないからね」


その手の温もりが、今でも忘れられない。

祖母の事が、私は大好きだった。


数年経過し、私は高校生になった。

いつも通り、入学式には両親は来てくれず、だが、祖母が参加してくれた。


親戚に支えられて弱った体を引きずって、入学式を見に来てくれた。

祖母がいるだけで嬉しかった。


高校一年生の夏、両親が行方不明になった。

捜索願いも出して、全国的にニュースにもなったが、残念ながら見つかる事はなかった。


悲しかった。

けれど、一緒に過ごさなかった両親より、祖母の方が大事な家族だという気持ちが強かった。


今となっては両親が何の仕事をしていたのか謎のままだ。


高校三年生の夏、祖母まで病で亡くなった。


ずっと体調が悪かったから、いつかこうなる気はしていた。


病室の祖母の遺体の側で泣いていた。


祖母の最後を看取る事ができた事はよかったと思う。


「◯◯は幸せにいきるんだよ」


それが、祖母の最後の言葉だった。


親戚とは遺産を巡って少し揉めたが、祖母の顧問弁護士のおかげで、大きな問題にはならなかった。


その時、親戚と縁を切った私は、天涯孤独になった。


祖母と暮らした家と十分な財産は私の手元に残った。


私はこの家でこれからも暮らし続ける。


そして、祖母の遺言のために生きようと思った。


程なくして高校を卒業し、私立大学へ進学した。


どんな道でも『家族を大切にする生き方』を選びたかった。


そして、数年後、大学時代に知り合った男性と結婚する。


穏やかであまり笑わないけど、優しい人だった。


結婚して数年後、子供が生まれ、

さらにもう一人、家族が増えた。


主人は少し変わっていて、困っている人を見過ごせないアンパンマンのような人だった。


時には家族をほったらかして、困っている人を助ける。

口論になることもあったが、結局はお互いに微笑み合い、仲直りする。


しかし、異世界に来た今でも、家族を放置して他人を助けるのは立派だが、私にはその気持ちがわからなかった。


"家族より大事なものはない"


と思っていたからだ。


その主人との出会いは大学時代だった。

天涯孤独となり、大学に入学した私は、授業には真面目に出て、友人もできた。


そこで、主人と出会った。

大学内で教授の手伝いをしていた男性に声をかけた。

ボランティアサークルに、名前だけでも貸してもらえないかという相談をした。


有名なアンパンマンと影で呼ばれている人。

この人なら助けてくれそうだと感じたからだ。


でも彼は「わざわざサークルに入らなくてもボランティアはできるのに、サークルでやる必要があるのか」と聞いてきた。


私は、「誰も彼もが貴方のように個人で行動ができないんです。そんな人たちのためにサークルのような集まりがあって、そこで活動できる人もいます」と返した。


私は少し涙目だったと思う。

目つきの悪い私が睨んだように見えたそうだ。


彼は余計な事を聞いたお詫びの印にと、名前だけではなく、活動に参加するためにサークルに入会してくれた。


それが主人との出会いだ。


それから、いろいろなことがあったが、私たち二人の境遇が似ていることもあり、お互い惹かれあい恋人になった。


そして、結婚した。


家族四人の生活は決して裕福ではなかったが、家の中にはいつも笑顔があふれ、確かな幸せがそこにあった。


だが、そんな幸せな時間は、突然終わりを告げた。


この頃の私は、家族を失い、この世界で”聖女リサ”として目を覚ますなど、想像すらしていなかった。


結婚後、数週間して、祖母から受け継いだ家と外見を殆どそのままに、家族で暮らせる家として、リフォームした。


その家で、私たち家族四人は穏やかな日々を送っていた。


ある日。


休日出勤をする主人を、いつものように玄関で見送る。


「じゃあ、行ってきます」


主人が靴を履きながら笑う。


私は少し乱れていたスーツの襟元を整えた。


「パパ、いってらっしゃい!」


子どもたちは小さな手を振りながら元気よく声を揃える。


主人はしゃがみ込み、二人の頭を優しく撫でた。


「ママと留守番、頼んだぞ」


「うん!」


二人は満面の笑みで頷いた。


「今日、本当は休みなのにね。帰りは遅いの?」


少し心配になって尋ねると、主人は肩をすくめて苦笑する。


「いや、終わり次第すぐ帰るよ。この仕事が終われば長い休みが取れるから、今度みんなで旅行にでも行こうか」


「本当に?」


「約束だ」


私たちは顔を見合わせ、小さく笑い合った。


「あなたは無理しすぎるから、ちゃんと気をつけてね」


そう言いながら、もう一度ネクタイを整える。


すると主人は、私の頭を優しく撫でた。


「忘れ物がないか、心に手を当てて考えて」


“胸”ではなく、“心”。


祖母が昔からよく口にしていた言葉だった。


私はこの言葉をずっと忘れずに使っていた。


「うん、大丈夫」


その何気ない言葉に、私はまた家族の温かさを感じていた。


玄関の扉を開けると、冷たい冬の風が頬を撫でる。


空からは小さな雪が舞い始めていた。


「いってらっしゃい。気をつけてね」


主人は振り返り、大きく手を振る。


私も子どもたちと一緒に手を振り返した。


それが――主人を見た最後だった。


その後、子どもたちを学校と幼稚園へ送り届け、家へ戻ろうとしていた時だった。


スマートフォンが鳴る。


知らない番号だった。


普段なら出ない。


だが、その時だけは胸騒ぎがした。


恐る恐る電話に出る。


相手は警察だった。


主人が交通事故に遭い、亡くなったという。


その瞬間、世界から音と色が消えた。


気が付くと、私は白い布を掛けられた遺体の前に立っていた。


そこまでどうやって来たのか、まったく覚えていない。


隣には女性警察官が静かに立っていた。


震える手で、白い布をゆっくりとめくる。


そこにいたのは、紛れもなく主人だった。


「……ぁ……」


声にならない。


次の瞬間、私は泣き叫び、その場に崩れ落ちた。


どれだけ泣いたのか覚えていない。


気が付けば椅子に座っていた。


何をすればいいのか分からない。


何も考えられなかった。


仲の良い友人へ連絡し、子どもたちの迎えを頼む。


学校や幼稚園へも事情を説明した。


友人は他の友人たちにも声を掛けてくれたらしく、何人もの人が警察署まで駆け付けてくれた。


皆、励ましてくれた。


何かを話してくれていた。


けれど、その内容はほとんど覚えていない。


私たち夫婦が天涯孤独であることを知っていたからだろう。


主人の同僚や友人たちも集まり、死亡届の手続き、お葬式、お墓の準備まで、私の代わりに動いてくれた。


その頃の記憶は、本当に曖昧だ。


「ねぇ、ママ」


「パパは?」


子どもたちが、不安そうな目で尋ねる。


私は何も答えられなかった。


情けない話だ。


母親なのに。


大人なのに。


それでも、二人の怯えた瞳を見た瞬間、私は思った。


この子たちを守れるのは、私しかいない。


この子たちが大人になるまでは、絶対に生きなければならない。


他人を助けるために命を落とした主人ではなく、私はこの子たちを守る。


そう心に決めた。


それからの日々は、あっという間だった。


昼も夜も働いた。


生活費を稼ぎ、子どもたちを育てる。


祖母から受け継いだ遺産は、大学の学費や家の修繕でほとんど使い切っていた。


主人の生命保険だけは、子どもたちの将来のために残しておきたかった。


だから、私は働き続けた。


今思えば、この家を維持するだけの生活力は私には無かった。


もっとよくお金の管理をしておけばよかったと後悔した。


縁を切った親戚が何度も家を売れと言ってきたが、その度に追い返した。


祖母と暮らしたこの家を二人に残したかったからだ。


子どもたちは何度も私を心配してくれた。


「少し休んで」


そう言われても、休むことはできなかった。


気が付けば、私は昔の面影もないほど痩せ細っていた。


二人が高校生になった頃。


私は心筋梗塞で倒れた。


夜、眠る前だった。


胸を締め付けられるような激痛が走り、そのまま救急車で運ばれた。


長時間に及んだが、手術は成功した。


子供たちに心配をかけてしまった。


約二週間で退院することはできた。


だが、体は以前とはまるで違っていた。


少し動くだけで息が切れる。


すぐ疲れる。


医師には、もう一度発作を起こせば命は危ない。


そう言われた。


そこから私は、少しずつ心まで壊れていった。


働きたくても働けない。


子どもたちはまだ独り立ちできない。


不安だけが毎日積み重なっていく。


そして、私は祖母の家を売る決断をした。


借金はなかったが、子供たちとの生活費のためだ。




そして、その頃からだった。


私の中で、ある感情が静かに膨らみ始めた。


手を心に当てて考えた。


あの人が死ななければ。


自分勝手な正義感で、他人を助けようとして死ななければ。


私も。


子どもたちも。


こんな苦しみを背負うことはなかった。


主人を愛していた。


だからこそ。


その愛は少しずつ、恨みへと姿を変えていった。


私の心は真っ黒に壊れてしまった。




そして――。


長男が二十二歳。


長女が二十歳になった年。


私は病に倒れ、そのまま静かに息を引き取った。


最期に二人へ伝えた言葉は、祖母のような優しい言葉ではなかった。


ただ一言。


「ごめんね」


私の意識は真っ暗な世界に堕ちた。

私の真っ黒い感情がその闇に同調していくように。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は7/19曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ