その16 「リリサの容体」
リサは、口元をゆっくりと吊り上げた。
「……ふふ」
赤い瞳が細まる。
「今日は、ここまでにしておくわ」
「……は?」
私は思わず聞き返した。
今ここで戦わない?
リサなら、この場で決着を望むと思っていた。
「つい先日ね」
まるで世間話でもするような口調で続ける。
「各国の王たちへ、宣戦布告してきたの」
その一言に、その場の空気が凍りつく。
「……何だって?」
レーナも目を見開く。
リサは楽しそうに笑った。
「人族と魔族」
「どちらかが滅びるまで戦争をしましょう、って」
「っ……!」
胸の奥が熱くなる。
「ふざけるな!」
思わず怒鳴っていた。
「罪もない人達がいるんだぞ!」
「普通に働いて、普通に笑って、普通に生きてる人達まで巻き込む気か!」
リサは首を傾げる。
「言ったでしょう?」
笑みは崩れない。
「全部滅ぼすって」
その一言だけで十分だった。
怒りが全身を駆け巡る。
「だから――」
リサが私を指差す。
「最後は、貴方も私に殺されてちょうだいね」
「……っ!」
もう我慢できなかった。
「レーナ!」
私が叫ぶ。
レーナは一瞬で意図を理解した。
「任せなさい!」
杖を高く掲げる。
莫大な魔力が一点へ集束していく。
空気が焼ける。
地面が震える。
「極大火炎弾!!」
轟音。
太陽にも見える巨大な火球がリサへ襲い掛かる。
「私も!」
炎帝を構える。
炎龍と炎帝。
二つの力を刃へ重ねる。
「天龍閃ッ!!」
紅蓮の斬撃が大地を裂いた。
炎と斬撃。
二つの必殺が同時にリサへ到達する。
だが――
「……水神の守護」
リサが静かに呟く。
透明な水膜が幾重にも重なり、その身を包み込んだ。
轟炎が触れた瞬間。
ジュワァァァァァッ!!
莫大な水蒸気が辺りを覆う。
レーナの極大魔法が、蒸発するように消えていく。
「なっ……!」
続いて。
「……天神の怒り」
リサが右手を振る。
空気そのものが裂けた。
銀白色の巨大な斬撃。
私の天龍閃と正面から激突する。
激しい爆発。
互いの斬撃が打ち消され、空へと霧散した。
「……嘘だろ」
私は思わず呟く。
リサはくすりと笑った。
「どう?」
両手を広げる。
「私、前よりずっと強くなったでしょう?」
今の一撃で理解した。
今すぐ戦って勝てる相手じゃない。
「心配しなくても」
リサは私を真っ直ぐ見つめる。
「最後は必ず、貴方の相手をしてあげる」
「それだけは約束するわ」
私は炎帝を下ろした。
「……わかった」
短く答える。
その返事に満足したのか、リサは微笑む。
「エルバラ、帰るわよ。」
「……はっ」
エルバラは傷だらけの身体を引きずりながら立ち上がる。
失った右足は戻らない。
それでも悔しそうに私を睨みつけながら、リサの隣へ歩いていく。
「エレナ!」
レーナが叫ぶ。
「追わなくていいの!?」
私は静かに首を振った。
「今はいい」
炎帝を消す。
「ランもアイも」
「傷を治さないと」
「それと、リリサが待ってる」
その名前を口にした瞬間、胸が締め付けられた。
リサは振り返る。
「……そうだった」
「リリサが目を覚ましたら」
口元だけで笑う。
「よろしく伝えてね」
次の瞬間、黒い霧が二人を包み込む。
風が吹き抜けた時には、もう誰もいなかった。
静寂だけが残る。
私は深く息を吐く。
「……帰ろう」
ランが苦笑する。
「今回も助けられましたね」
アイも肩を押さえながら立ち上がる。
「私も修行不足です」
少し離れた場所では、レーナがゆっくり歩いてきた。
「私は回復したから平気よ」
「それより、リリサさんのところへ行きましょう」
「ああ」
私は頷く。
リリサの眠る場所へ視線を向けた。
どうかもう一度だけ。
笑って名前を呼んでほしい。
そんな願いを胸に、私たちは静かにリホーン族の村へ戻っていった。
村へ戻ってから、三日が過ぎた。
リリサは、まだ目を覚まさない。
あの日、村へ戻ると、マイとシンが村の入口で待っていた。
私たちの姿を見るなり、二人は駆け寄ってくる。
だが、私の腕の中でぐったりと眠るリリサを見た瞬間、その表情は凍りついた。
「……お姉ちゃん?」
マイの声が震える。
返事はない。
血に染まった服。
包帯で覆われた身体。
青白い顔。
それを見た瞬間、二人は声を上げて泣き崩れた。
胸が締めつけられる。
私は何も言えなかった。
村長に案内され、村の診療所へ向かう。
リホーン族の医師が診察してくれた。
レーナと私は診療が終わるまで外で待つ。
ランとアイには、戦いの疲労も大きかったため、宿で休んでもらうことにした。
しばらくして医師が姿を現す。
その表情は、とても重かった。
「正直に申し上げます」
静かな口調だった。
「私は魔族専門の医師です。人族の身体を完全に理解しているわけではありません」
私は息を呑む。
「ですが、一つだけ言えることがあります」
医師はリリサを見つめた。
「この方が生きていること自体、奇跡です」
「……っ」
胸が締めつけられる。
「本来なら、命を落としていても何もおかしくない傷でした」
左肩を貫いた爆傷。
内臓への損傷。
大量出血。
身体中を走る無数の裂傷。
どれ一つ取っても致命傷だった。
「ですが、不思議な力が命を繋ぎ止めています」
私は赤龍イグレイズから授かった光を思い出す。
「……」
小さく呟く。
医師は頷いた。
「恐らく貴方の話した龍の力が、心臓をかろうじて動かし続けているのでしょう」
「では、目は覚ますんですか?」
思わず身を乗り出す。
医師は静かに首を横へ振った。
「……それは、わかりません」
「このまま目覚めるかもしれません」
「眠り続けるかもしれません」
「あるいは――」
そこから先は言わなかった。
言えなかったのだろう。
私はそれ以上、聞くことができなかった。
それから三日。
私は一度もリリサのそばを離れていない。
眠るリリサの手を握りながら、ただ目覚めることだけを願い続けていた。
マイとシンも、交代で付き添ってくれる。
二人とも、本当にリリサのことが大好きなのだ。
その姿を見ていると、自然と笑みがこぼれる。
「ありがとう」
そう伝えると、マイは照れくさそうに笑った。
シンも少しだけ胸を張る。
「僕たちは家族みたいなもんだから」
その一言に、胸が熱くなった。
「……羨ましいな」
思わず漏れた言葉だった。
「私にも、こんな弟と妹がいたら毎日楽しそうだ」
マイは嬉しそうに笑う。
だが、シンだけはむっとした顔をした。
「何言ってるんだよ」
「え?」
「エレナ姉ちゃんまで姉になったら、姉ちゃんが二人になるじゃん」
「それは困る」
思わず笑ってしまった。
「ひどいな」
「一人で十分」
即答だった。
その言葉に、部屋の空気が少しだけ和らぐ。
リリサも、目を覚ましてくれたら一緒に笑っただろう。
そんなことを考えてしまう。
レーナたちも、日に何度か様子を見に来てくれる。
だが、基本的には宿で身体を休めてもらっていた。
皆、夜通しリリサを探してくれたし、エルバラとの戦いで疲弊している。
それでも誰一人として弱音は吐かなかった。
そして私は一人、答えの出ない問いを抱え続けていた。
リリサが目を覚ますまで、私はこの場所を離れたくない。
その気持ちは日に日に強くなっていく。
けれど現実は待ってくれない。
リサは各国へ宣戦布告した。
人族と魔族の戦争は、いつ始まってもおかしくない。
勇者である私は、地上へ戻らなければならない。
戦わなければならない。
守らなければならない。
それはわかっている。
わかっているのに――。
眠るリリサの横顔を見るたび、足が動かなくなる。
「……リリサ」
そっと手を握る。
まだ温もりは残っていた。
「お願いだから……目を覚ましてくれ」
その願いだけが、静かな病室に溶けていった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は7/12曜日22時に公開予定です。
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