その15 「エレナ復活」
私の姿が精神世界から消えた後。
静寂だけが残った精神世界。
『……やれやれ。世話の焼ける友よ』
イグレイズは大きく息を吐いた。
その黄金の瞳が、暗闇の一点を見据える。
『それで、このまま隠れているつもりか』
返事はない。
だが、暗闇から一匹の巨大な龍が姿を現した。
蒼き鱗。
風を纏う長い身体。
知性を宿した黄金の瞳。
『相変わらず勘が鋭いな、赤龍……いや、イグレイズ』
『……蒼龍、なんのつもりだ』
二体の龍が向かい合う。
数千年を生きた者同士だからこそ生まれる静かな威圧感が空間を満たした。
『勇者エレナは我の鱗を用いた装備を身につけている。精神世界へ我も干渉できるようになったようだ』
『そうだったな』
イグレイズは鼻を鳴らす。
『つまり、貴様の魔力も少しずつエレナへ流れ始めているということか』
『そういうことだ。貴様の力に比べれば僅かだろうがな』
蒼龍は肩を竦めた。
『そう睨むな』
『用件を話せ』
イグレイズが低く唸る。
蒼龍も笑みを消した。
『聖女リサについてだ』
その一言で空気が変わる。
『……』
『貴様も気付いているだろう』
『エレナの記憶を見た。その女は、この世界の理から外れている』
イグレイズは黙って聞いていた。
『あれを止めるには、四龍の力が必要になる』
その言葉にイグレイズは目を細める。
『……我も同じ結論に至ってはいる。だが、エレナにだけ背負わせるのは……』
蒼龍は鼻で笑う。
『……甘くなったな』
『ふん、友だからこそ、守ってやりたいのだろう』
『だが、その甘さでは世界は救えぬ』
イグレイズは否定しなかった。
蒼龍は続ける。
『聖女リサは恐らく世界そのものを壊す』
『いや、それだけでは終わらん』
『あの女は女神にまで牙を剥くだろう』
沈黙。
『女神を殺すか』
『そうだ。世界を創った存在すら敵に回す』
蒼龍が上を見上げる。
『正直、女神も魔神もどうでも良いが、我ら龍種も決して無関係ではいられん』
イグレイズは静かに目を閉じた。
『我と貴様はいいが、問題は残る二柱だ』
蒼龍も小さく頷く。
『白龍』
『黒龍』
四龍、世界の均衡を保つ四柱。
『白龍は我が説得しよう。だが、問題は黒龍だ』
イグレイズは低く唸った。
『……千年以上、姿を見ておらん。生きていることだけは分かっているが、居場所はわからんぞ』
『探すしかあるまい』
蒼龍は翼を広げる。
『まずは白龍』
『黒龍はその後だ』
『赤龍』
『勇者を頼んだぞ』
イグレイズは静かに頷いた。
『誰にものを言っている、あいつは我が友だ』
その言葉を聞き、蒼龍は満足そうに笑う。
『ふん、その言葉が聞きたかった』
蒼龍の身体が風となり、霧となって消えていく。
静寂。
再び一人となったイグレイズは、小さく空を見上げた。
『やれやれ。友となったのは嬉しいが……エレナよ』
『貴様は、とんでもない運命を背負ってしまったな』
そう呟くと、赤き龍の姿もまた、炎となって静かに消えていった。
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瞼をゆっくりと開く。
ぼやけた視界。
最初に映ったのは、隣で横たわるリリサだった。
「……リリサ」
私は震える手を伸ばす。
赤龍イグレイズの言葉を思い出した。
『――右手を、左胸に当てろ』
私は迷わず、リリサの胸へそっと手を添えた。
すると掌に宿っていた、小さな紅い光がゆっくりと流れ込んでいく。
まるで命を探すように。
優しく。
静かに。
「お願い……」
光は胸の奥へ吸い込まれていった。
私は耳をリリサの胸へ近づける。
静寂。
数秒が、永遠のように長く感じた。
トクン。
「……っ!」
もう一度。
トクン……トクンン……。
微かだった。
本当に微かな鼓動。
それでも確かに、生きている。
「よかった……」
涙が一粒、頬を伝う。
「待ってて……絶対に助けるから」
私はリリサの額へ手を置き、ゆっくり立ち上がった。
その瞬間だった。
遠くから爆発音が響く。
ドォォォン!!
レーナ達だ。
(レーナ…ラン…アイ!)
私は左腕の防具へ魔力を流し込む。
「――炎帝」
ゴォォォォォッ!!
真紅の炎を噴き上げる。
炎は一本の剣となり、私の左手へ収束した。
私だけの剣、炎帝。
私はその柄を強く握る。
「もう……誰も失わない」
そう誓うと、赤龍イグレイズの魔力の影響で、髪の毛と瞳が紅くなった。
地面を蹴った。
ドォンッ!!
爆発するような踏み込み。
身体が一直線に森を駆け抜ける。
木々が衝撃だけで揺れ、土煙が舞い上がる。
戦場が見えた。
ランとアイは満身創痍。
レーナも倒れている。
その前では、吸血族エルバラ。
エルバラの周囲に血の波ができている。
「これぇ終わりだぁ!!」
血の波が放たれる。
レーナが歯を食いしばる。
「防ぎ切れ――」
その瞬間。
「ーー天龍閃!!」
ズガァァァァン!!!
紅蓮の一閃。
巨大な炎が血の波を、真っ二つに斬り裂いた。
爆炎が戦場を包む。
「……え?」
レーナが目を見開く。
ランもアイもだ。
煙の向こう、一人の少女が剣を肩へ担いでいる。
真っ赤な髪と瞳を燃やしながら。
エルバラが息を呑んだ。
「勇者……エレナ……!?」
私はゆっくりと炎帝を構える。
「みんなごめん」
その一言だけだった。
「迷惑をかけた」
レーナの目に涙が浮かぶ。
「エレナ……」
「ここからは――私がやる」
次の瞬間。
ドォンッ!!
地面を砕き、一瞬でエルバラの懐へ飛び込んだ。
「エルバラァァァァッ!!」
炎帝を振り下ろす。
「くっ!」
エルバラは血を凝縮させた爪で受け止める。
ギィィィィン!!
凄まじい衝撃波。
地面が陥没する。
「貴様……!」
「お前達が何を企んでいるのかは知らない。」
私はさらに魔力を膂力変換魔法に込める。
炎帝が唸る。
「でも――」
エルバラの腕が軋み始める。
「もう」
一歩踏み込む。
「私の仲間には――」
もう一歩。
「指一本」
血の爪が砕ける。
「触れさせないッ!!」
ズガァァァァァン!!
炎帝が振り抜かれ、エルバラの身体は砲弾のように森の奥へ飛ばされた。
森が揺れるほどの轟音。
遠くに飛ばしたエルバラを見据え、私は静かに炎帝を構え直す。
「ここで、お前を倒す」
そう言い放つと、私は地面を蹴った。
ドンッ!!
爆発するような踏み込み。
炎帝を斜め下に構え、一気に間合いを詰める。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
エルバラは片膝をついたまま翼を広げる。
空へ逃げるつもりだ。
(逃がさない)
私はさらに加速した。
飛ぶ暇すら与えない。
炎帝を横薙ぎに振る。
「ぐっ――!」
避けられない攻撃。
ザシュッ!!
真紅の軌跡が走る。
エルバラの右足首から先が宙を舞った。
「ぐぁぁぁぁぁぁっ!!」
鮮血が噴き出す。
エルバラは苦悶の叫びを上げながら地面へ転がった。
「こんな傷……!」
切断面へ魔力を集中させる。
吸血族特有の再生能力。
失った肉体を取り戻そうと魔力が集まる。
だが――。
「……なっ?」
右足は生えてこない。
傷口から煙だけが立ち上る。
「なぜだァァァァッ!!」
私は炎帝を肩へ担いだ。
「炎帝を甘く見るな」
静かに言い放つ。
「切断すると同時に再生する細胞ごと焼き尽くしたんだ」
「もう、お前の右足は戻らない」
エルバラの顔が歪む。
恐怖。
初めて見せる表情だった。
私は容赦なく踏み込む。
「まだ終わりじゃない」
炎帝が唸る。
一撃。
二撃。
三撃。
四撃。
五撃。
凄まじい連撃が森へ火花を散らした。
エルバラは必死に翼で距離を取り、血の爪で受け流す。
だが、防ぎ切れない。
四撃目。
ザシュッ!!
左太腿が深く裂ける。
「ぐあぁぁっ!」
続く五撃目。
炎帝が脇腹を斬り裂いた。
「がはぁっ!」
吹き飛ばされたエルバラは地面に激突する。
轟音と共に大木が折れた。
私は炎帝を下ろしたまま静かに歩く。
「終わりだ、エルバラ」
エルバラは血を吐きながら睨み返した。
「貴様ァァァ……!」
「お前じゃ相手にならない」
私は立ち止まる。
「見逃してやる」
「故郷へ帰れ」
「そして二度と、私たちの前へ現れるな」
エルバラの肩が震えた。
屈辱、怒り、プライド。
全てが入り混じる。
「ふざけるなァァァァァッ!!」
怒号と共に、全身の血液が宙へ浮かぶ。
無数の刃となって私を囲んだ。
「切り刻んでやる!!」
数百にも及ぶ血の刃が、一斉に襲い掛かる。
私は目を閉じることなく炎帝を構えた。
「遅い」
ブォンッ!!
炎帝が円を描く。
一振り。
二振り。
三振り。
血の刃が次々と断ち切られていく。
切られた血液は炎帝の灼熱に触れ――
ジュッ!!
一瞬で蒸発した。
白い蒸気が森を覆う。
「なっ……!」
「相性が悪かったな」
私は剣先をエルバラへ向ける。
炎帝の炎がさらに激しく燃え上がる。
「私の炎は、お前の血そのものを燃やし尽くす」
エルバラの顔から血の気が引いた。
武器が通じない。
再生も封じられた。
逃げる脚も失った。
勝てない。
初めてそう理解した。
「くっ……くそぉぉぉぉぉぉっ!!」
絶叫しながら膝をつく。
私はゆっくりと炎帝を上段へ構えた。
「猶予は与えた」
炎帝の切っ先がエルバラを捉える。
「それでも戦うというなら――」
深く息を吸う。
「ここで終わらせる」
私は炎帝を振り下ろした。
その瞬間――
ヒュンッ!!
一本の炎の矢が、凄まじい速度で飛来した。
「――っ!」
矢は私ではなく、足元の地面へ突き刺さる。
次の瞬間。
ドォォォォォォンッ!!
大地を揺るがす爆発。
炎の奔流が私とエルバラを強引に引き裂いた。
爆風の向こうから、聞き慣れた声が響く。
「エルバラは、私の大事な部下なんだけど……」
煙の向こうを睨みつける。
「……リサ」
炎が揺らめき、煙がゆっくりと晴れていく。
黒髪。
赤い瞳。
漆黒のドレス。
魔王城で見た姿と、何一つ変わっていない。
口元には、相変わらず人を嘲るような笑みを浮かべていた。
「こんなところにいたのね」
私は炎帝を構え直す。
「リサ……」
怒りが声となって溢れた。
「リリサを……よくも」
「あら?」
リサは肩をすくめる。
「だって、あの女は貴方の大切な人なんでしょう?」
「……そうだ」
迷いなく答える。
するとリサは嬉しそうに目を細めた。
「だから殺してあげたかったの」
「貴方に絶望を」
「悲しみを」
「怒りを」
「喪失を」
「そして最後に――死を」
両手を大きく広げる。
まるで舞台役者のように。
「貴方の不幸が、私の幸せなんだから」
胸の奥で何かが弾けた。
「だったら――!」
炎帝を握る力が強くなる。
「私だけを狙えッ!!」
森が震えた。
膨大な魔力が吹き荒れる。
「この世界の人族も!魔族も!」
「リリサも!」
「誰一人関係ない!」
「全部、こっちの問題だろうが!!」
その瞬間だった。
リサの笑みが消えた。
赤い瞳が、じっと私を見つめる。
「……」
静寂。
レーナもランもアイも。
エルバラまでもが息を呑んでいた。
やがてリサが、小さく笑う。
「ふっ……」
その笑いは、先ほどまでの嘲笑ではない。
どこか懐かしむような笑みだった。
「…俺……ね」
「本性出たじゃない」
私は眉をひそめる。
「怒ると、いつもそうだった」
「そして怒鳴る」
「昔と何一つ変わらない」
心臓がざわつく。
「……そうだな」
私は短く答えた。
「少し大人気なかった」
深く息を吐く。
だが、すぐに炎帝を構え直した。
「それでも言う」
「復讐なら私だけにしろ」
「この世界で平和に生きる人族も」
「魔族も。」
「誰も巻き込むな」
「これは私と、お前の問題だ」
数秒の沈黙。
そして――
「あっははははははははははははッ!!」
リサが腹を抱えて笑い始めた。
「……何がおかしい?」
「おめでたいのね、エレナ」
涙が出るほど笑いながら言う。
「もう、そんな小さな話じゃなくなっているのよ」
私は炎帝を握り直した。
「……どういうことだ」
笑みが消える。
赤い瞳だけが妖しく光る。
「私は、この世界を滅ぼす」
「……何?」
「人族」
「魔族」
「龍」
「全部」
リサは拳をゆっくり握り締めた。
「何もかも壊す」
「そして私は――」
一度だけ空を見上げる。
「前の世界へ帰る」
その言葉に、私は目を見開いた。
「……帰れるのか?」
「ええ」
リサは当然のように頷く。
「約束だから」
「女神との約束か?」
「ふふ」
リサは人差し指を唇へ当てた。
「それ以上は秘密」
私はゆっくりと息を吐く。
炎帝へ魔力を流し込む。
左腕の炎帝の紋章が赤く輝く。
膂力変換魔法を全身へ巡らせる。
筋肉が熱を帯びる。
骨が軋む。
空気が震える。
「そうか」
剣先をリサへ向ける。
「だったら――」
「ここで全部吐いてもらう」
リサは静かに笑っていた。
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