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その9 「理を外れたヒューマン」

「……だったらこれはどうしますか?」


 私は静かに右手を掲げた。


 指先に白と青い、相反する二つの魔力が集束する。


 冷気。


 そして、熱。


 本来なら決して交わらない二つの属性。


 普通なら、互いを打ち消し合って霧散する。


 だが、私の魔法は違う。


「――氷炎」


 その瞬間。


 白蒼色の炎が、掌から解き放たれた。


 ゴォォォォッ――!!


 炎なのに、空気が凍る。


 熱なのに、床石が霜に覆われる。


 矛盾と理不尽。


 その全てを孕んだ異形の炎が、一直線にリサへ襲いかかった。


「――っ!」


 初めてだった。


 リサの表情が、明確に崩れた。


 余裕の笑みが消える。


 赤い瞳が大きく見開かれる。


 彼女は咄嗟に右手を前へ突き出した。


 魔法障壁を展開しようとしている。


「無駄ですよ」


 青い炎が、リサの掌から噴き上がる。


 私の氷炎がリサの右手を呑み込んだ。


 ジュゥゥッ――!


 凍結音と燃焼音が同時に響く。


 普通ならあり得ない音。


 リサは躊躇しなかった。


「……面倒ね」


 自らの右腕を、肩口から切り落とした。


 血が舞う。


 黒いドレスに赤が散った。


 直後、リサは大きく後方へ跳躍し、距離を取る。


 私は睨みつけた。


「賢明な判断ですね」


 自分でも驚くほど冷たい声が出た。


「でも、無駄ですから。私の凍てつく炎は、全てを凍らせて燃やします」


 氷であり炎。


 炎であり氷。


 触れたものは、凍りながら焼ける。


 耐えられるものなんて、ほとんどいない。


「リサ。貴方を倒す」


 私は一歩踏み出す。


 リサは切断された肩口を押さえながら笑った。


「ふふ…ふ……はははは」


 不気味だった。


 片腕を失ったのに笑っている。


「さすが、理外(りがい)の魔法使いね」


 その言葉に、私は眉をひそめた。


 その言葉をどこかで聞いた。


 ――魔王ヴァルゼイン。


 攫われた時、奴も同じことを言っていた。


「……理外?」


「そう」


「貴方は意識したことないでしょうけど、その魔法、おかしいのよ」


「私の魔法がおかしい?」


「そう」


 リサはゆっくり語り始めた。


「この世界の魔法は、女神が作った(ことわり)に従って再現される」


「……女神アルカナ」


「そう。貴方達人族が神と崇める、アルファスト大陸を創ったとされる女神様」


「実在なんてーー」


 リサはくすりと笑う。


「詠唱で女神の名を含めるのは、信仰のためじゃない」


「え?」


「許可よ」


 静寂。


 その一言が重かった。


「魔法とは、本来、女神の管理下にある力」


「詠唱とは、女神の理に接続する鍵」


「許可なく、本来魔法は発動できない」


 私は息を呑んだ。


 そんな話、聞いたことがない。


「でも、詠唱破棄する人もいます」


「ええ。同じ理屈よ」


 リサが頷く。


「詠唱を省略できる者は、脳内で理につながるだけ」


「形式が違うだけで、女神の理に従っていることは変わらない」


「っ…じゃあ…魔法はイメージ。イメージができれば使えるーー」


「女神アルカナが許した範囲内でね」


 リサの瞳が細まる。


「でも――」


 彼女は私を指差した。


「でもね、その氷炎だけは違う」


 心臓が跳ねた。


「その魔法は、女神の理に反している」


「本来、存在してはいけない魔法」


「炎が凍るなんて、自然界にないでしょ?」


「そんな……」


 頭が真っ白になる。


 存在してはいけない?


 じゃあ、師匠は?


 私は?


「……じゃあ、師匠や私が使えるのは何故!?」


 思わず叫んでいた。


「私は師匠から、この魔法を託されたのよ!」


 リサは静かに私を見る。


「貴方の師匠――氷炎の魔導士の武勇伝は聞いているわ」


「でも、それは本質じゃない」


「本質?」


「ヒューマンよ」


 私は目を見開く。


「ヒューマンだけに、異変が起き始めたの」


「女神の理に背く存在が、現れ始めた」


「ヒューマンだけ……?」


「そう」


 リサの声が、すっと低くなる。


 先ほどまでの嘲るような笑みは薄れ、どこか冷たい知性だけが残っていた。


「人族の造られた順番……」


「……順番?」


 私は眉をひそめる。


 リサは小指を一本立てた。


「最初にエルフ」


 薬指を立てる。


「次にドワーフ」


 中指を立てる。


「その次に獣人族」


 そして最後に、人差し指を立てる。


「最後がヒューマン」


「……」


「寿命も、その順番に比例している」


「エルフは長命で精霊術という魔法に長けている」


「ドワーフは力強く長く生きる」


「獣人族は身体能力が高く、ドワーフよりは短命」


「そしてヒューマンは、力も無く魔法も適度で最も短命」


 リサが小さく笑った。


「弱い上に、寿命まで短い、随分と不公平よね?」


 私は黙って聞く。


「だから女神は、ヒューマンに一つだけ特別なものを与えた」


「特別なもの……?」


「思考力」


 リサの赤い瞳が細まる。


「考える力」


「発想する力」


「既存を疑う力」


「短い生の中でも、強く輝けるように」


「限られた時間で進化し続けられるように」


 リサは肩をすくめた。


「女神はヒューマンを、とても可愛がっていたそうよ」


「一番弱いから」


「一番守ってあげたくなるから」


「……」


 私は複雑な気持ちになった。


 守るために与えられた力。


 だが、リサの声には皮肉が混じっていた。


「でも、その“考える力”が問題になった」


 空気が変わる。


 ひやり、とした悪寒が背筋を撫でた。


「考えるということは、疑問を持つということ」


「疑問を持つということは、対応するということ」


「やがて考える力から芽吹く力が出てきた」


 リサが私を見る。


 真っ直ぐに。


 逃がさないように。


 心臓が跳ねた。


 リサの唇が、ゆっくり吊り上がる。


「そうして生まれたのが――」


 一拍。


「女神の理から外れるヒューマン」


 私は血の気が引いた。


「女神自身ですら、最初は気づかなかった」


「でも、最初に異変として観測されたのが――」


 リサの視線が、私を射抜いた。


「貴方の師匠の魔法」


「氷炎が……」


「そう」


 リサは笑う。


 でも、その笑みに優しさはない。


「最初、女神は好奇心だったそうよ」


「理から外れた存在を観察したかった」


「だから貴方の運命を少しだけ弄った」


 背筋が冷えた。


「運命を……?」


「そう」


「本来、貴方の啓示は違った」


「貴方は根無草の冒険者として、そのまま生きるはずだった」


「でも、女神は貴方を――」


 一拍。


「メイドとして、エレナの元へ送った」


「――っ!」


 息が止まった。


 そんな、馬鹿な。


「嘘……」


「残念、本当よ」


 リサは楽しそうに笑っていた。


 私が揺らぐのを見て。


 私が絶望するのを見て。


 私が壊れそうになるのを見て。


 それを、心の底から楽しんでいる。


「そんな……」


 喉が震える。


 呼吸が浅くなる。


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 私はずっと信じていた。


 自分がエレナ様のもとへ導かれたことには、意味があったのだと。


 偶然なんかじゃない。


 女神の導き。


 必然。


 私は、エレナ様を支えるために選ばれたのだと。


 あの人の中に眠る巨大な力を開花させるために。


 勇者として選ばれたエレナ様を、私は誇りに思っていた、嬉しかった。


 だからこそ、私は魔界でも生きて来られた。


 だからこそ、ここまで来れた。


 でももし、それが全部違ったのだとしたら。


 もし、私に与えられた役割が、そんな綺麗なものではなかったとしたら。


 リサが、残酷な笑みを浮かべる。


 そして、ゆっくりと言い放った。


「貴方は――」


 その一言が、刃のように胸へ突き刺さる。


「実験のために、エレナの元へ送られたの」


「な、何を言って――」


「エレナは本来、魔法が使えないはずだった」


「……え?」


 エレナ様が魔法を使えない?


「女神が勇者に与えた力は、膂力変換魔法だけ」


「この世界に生まれた時に与えられたらしいわ」


 リサの笑みが深くなる。


「魔法適性はゼロ」


「……え?」


「エレナは、本来なら魔法を一つたりとも使えないはずだった」


 頭が真っ白になる。


 ありえない。


 だって、エレナ様は実際に魔法を使っている。


 しかも、かなり高度なものを。


「でも……エレナ様は……」


「そう」


 リサが頷く。


「エレナは魔法を使えるようになった」


 その赤い瞳が、まっすぐ私を射抜いた。


「貴方のおかげでね」


 心臓が跳ねた。


「その結果、本来なら勝てるはずもない相手――」


 リサの声が静かに響く。


「魔王ヴァルゼインに、勝利した」


「……っ」


 私は拳を握り締めた。


「待って……」


 私は震える声で言う。


「勝てるはずもない戦いを……女神は勇者にやらせるの?」


 その問いに、リサは少しだけ目を細めた。


「いい質問ね」


 ふっと笑う。


「そもそも、勇者という概念が生まれた本当の理由」


「……?」


「初代勇者アルス」


 その名は、伝説の存在。


 誰もが知る最初の勇者。


「彼が現れたのは、女神の力じゃない」


 私は目を見開いた。


「……え?」


「理外の力でもない」


「じゃあ……何なの?」


 リサはゆっくり答えた。


「全く別の存在」


 理解が追いつかない。


 女神でもない。


 理外でもない。


 第三の何か。


 そんなものが存在するのか。


「最初の勇者が……?」


「ええ」


 リサは静かに頷いた。


「でも、アルスは魔王を倒さなかった」


「……」


 二百年くらい前に魔王を撃退しただけ。


「その理由を、実は私もよく知らないの。捕らえた魔王ヴァルゼインに聞いても教えてくれないのよ」


 リサが肩をすくめる。


 魔王ヴァルゼインを捕らえた?


 どういうことだ?


「アルスの死後、女神は感じたの」


 リサの声が、わずかに低くなる。


「絶望的な状況であっても」


「滅びが目前にあっても」


「なお抗う人族の姿を見て――」


「女神アルカナは、心を奪われた」


 私は息を止めた。


 リサが告げる。


「ヒューマンを愛しいと思ったのよ」


「脆くて」


「弱くて」


「すぐ死ぬくせに」


「何度折れても立ち上がるヒューマンを」


 そして。


「だから女神は、自ら英雄を作ることにした」


「世界を救うための切り札」


「人族を導く希望」


「それが――勇者エレナ」


 私は、震える声で呟いた。


「……エレナ様」


 リサの笑みが深まる。


「そう……まぁここまで話すつもりはなかったわ」


「……私」


「貴方が、女神の理から外れた力を持っていたから」


「それが伝染して、エレナは本来あり得ない性能になった」


 伝染。


 その言葉が重く響く。


「そして、あのお嬢ちゃん――レーナにも」


 私はレーナの顔を思い浮かべた。


「龍を、人が撃退するなんてあり得ない」


「本来、女神の力が及ばない存在よ」


「でも、レーナはそれを成した」


「それも貴方が彼女を助けたことで、理外が……考える力が覚醒したから」


「そんな……」


 世界が揺らぐ。


 私が、皆を変えた?


「そしてエレナとレーナから、さらに周囲へ広がっていく」


「仲間へ」


「救われた人々へ」


「絆を結んだ者へ」


「理外が、伝染していく」


 リサの声が静かになる。


 だが、その静けさが逆に恐ろしい。


「女神は恐れた」


「神である自分を脅かす存在が現れたことを」


「自分の好きに作った世界が、壊されることを」


「だから、排除するために動き出した」


 リサはゆっくり微笑む。


 赤い瞳が妖しく光った。


「――真実を知って、驚いたかしら」

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は6/30火曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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