その7 「二人の間には……」
魔界、リホーン族の村。
村の喧騒もすっかり静まり返り、聞こえるのは夜風に揺れる木々の音と、遠くで鳴く魔界の生き物の声だけだった。
私はリリサと二人、村の外れにある小さな丘に座っていた。
空を見上げる。
地上とは違う夜空。
星はない。
でも、不思議と綺麗だと思った。
リリサたちが、なぜここにいるのか。
その話を聞いた日の夜だった。
私は、今度は自分の話をしていた。
十五歳で勇者になって旅に出た後の物語。
仲間たちと出会ったこと。
魔王ヴァルゼインとの戦い。
そして――聖女リサのこと。
「そうですか……私が攫われて、すぐにブレイジングの街へ来られたのですね」
「うん」
私は小さく頷き、そのまま話を続けた。
「……正直、リリサも死んでしまったと思ってた」
リリサは何も言わず、ただ静かに聞いていた。
「屋敷は燃えてたし、見つけられなかった人々も多かったから……」
あの時の光景が脳裏を過る。
炎。
瓦礫の山。
家族を失った絶望。
そして、リリサを失った喪失感。
「だから、こうして再会できて本当によかった」
自然と笑みが零れた。
「旅をしながら、リリサのことも探してたんだ」
「……私を?」
「うん」
私は頷く。
「でも、冒険者を再開したとか、氷炎の魔法使いがリリサだなんて、わかるはずもなくてさ」
少し苦笑する。
「どれだけ情報を集めても、“メイドのリリサ”の情報はどこにもなかった」
リリサの瞳が揺れた。
「……すみません」
「あ、いやいや」
私は慌てて手を振る。
「仕方ないよ。リリサが謝ることじゃないって」
「……」
「だから、気にしないで」
リリサは少しだけ俯いたあとゆっくり顔を上げた。
「ありがとうございます」
その声は少し震えていた。
私もリリサも、自然と微笑んでいた。
「こうして再会できて、私はすごく嬉しい」
「……私もです」
リリサの笑顔は、昔と何も変わっていなかった。
その笑顔を見て、胸の奥の何かがようやく報われた気がした。
「でも、頭に血が上っててさ」
私は少し苦笑しながら、話を続けた。
「周りにいた魔族、ほとんど全部倒しちゃったんだよね」
「仲間からは悪魔のような戦いをしてたとか言われちゃって……」
「今こうして魔界に来て、普通に暮らしてる人たちを見てるとさ」
視線を落とす。
「なんだか、申し訳ないことをしたなって思う」
リホーン村の人たち。
マイ。
シン。
村の人々。
みんな普通に笑って、泣いて、暮らしている。
地上の人族と何も変わらない。
そんな彼らを知ってしまったからこそ、胸が痛んだ。
「エレナ様のせいじゃありませんよ」
リリサが即座に言った。
「え?」
「だって、エレナ様はご家族や私を助けるために来てくれたんです」
リリサは真っ直ぐ私を見た。
「大切な人を助けるために必死になるのは、当然です」
「リリサ……」
「だから、自分を責めないでください」
私は少しだけ目を丸くしたあと、笑った。
「……ありがとう」
リリサも柔らかく微笑んだ。
少しの沈黙。
やがて、リリサが眉をひそめる。
「それにしても、聖女……いえ、リサは、なぜエレナ様をそこまで目の敵にするのでしょう」
少し苛立っているようだった。
「私と名前が似てるから、勝手に親近感持ってたんですけど」
頬を膨らませる。
「それももう無くなりました!」
「はは」
思わず笑ってしまう。
「たしかに、名前似てるよね」
「聖女リサと大魔王リサは、別人なのではないでしょうか?」
「いや」
私は即座に首を横に振った。
「それはないよ」
リリサが少し驚いた顔になる。
「そう言い切れるのですか?」
「うん」
私は静かに答えた。
「彼女は間違いなく、私が知ってるリサだ」
あの瞳。
あの声。
あの魔力。
忘れるわけがない。
「……リリサには言うけどさ」
私は少しだけ間を置いた。
「私、なんとなく……彼女が私を殺そうとする理由、わかってるんだ」
リリサが目を見開く。
「それは……?」
私は空を見上げた。
青白い光が揺れている。
「ごめん」
小さく笑う。
「理由は、たぶん誰にも言わないと思う」
「……」
「でも、確信に近いと思ってる」
言葉にできるほど整理はできていない。
証拠もない。
ただ――直感だけが告げていた。
リサが私を憎む理由。
あの狂気の奥にある感情。
それを私は、どこかで理解している。
リリサは私の目をじっと見つめた。
何かを感じ取ったのか、それ以上は聞いてこなかった。
「……わかりました」
それだけ言って頷く。
私は空気を変えるように立ち上がった。
「それよりさ!」
ぱん、と手を叩く。
「リリサに捕まって、そこから逃げた後の話、まだ途中だったよね?」
リリサの顔がぱっと明るくなる。
「はい! ぜひ聞きたいです!」
「よし、じゃあ続きね!」
私は少し笑って、そこから先の話を続けた。
リサのもとから逃げ出した後のこと。
リレトの森を一人で彷徨ったこと。
疲れ果てて辿り着いた古い宿屋で、悪魔を見たこと。
勇者としてどうするべきなのか。
私は何を守りたいのか。
答えの出ない問いを抱えたまま、街を出たこと。
そして、魔族に襲われていた騎士団と、一人の女の子を助けたことも話した。
「私の話したこと、覚えていてくださったのですね」
リリサが静かに言った。
「うん」
私は迷わず頷いた。
「リリサが教えてくれたことがなければ、私はあのまま逃げていたかもしれない」
あの時の私は弱かった。
仲間をリサに殺されて、心も体も弱っていた。
どこか遠くに逃げたいとすら思っていた。
でも、リリサの言葉が、私を繋ぎ止めてくれた。
「本当にありがとうね」
リリサに教えられたこと。
それは、今や私の勇者としての信念になっている。
『皆が望む明るい未来』
私が戦うことで、きっとそんな未来が待っている。
だから私は戦う。
だから私は守る。
そのために、私は『弱者を助ける』
それが勇者エレナとしての答えだった。
それから私は、実の姉二人と仲直りしたことも話した。
リリサは、その話を一番嬉しそうに聞いてくれた気がする。
「実の姉妹なのですから……本当によかったです」
リリサの顔が柔らかく綻ぶ。
「これで姉妹仲良く過ごせますね」
そう言って、少し笑った。
「ふふ、ありがとう」
ーー全てが終わった後。
私は本当に、そこへ戻れるのだろうか。
姉たちの待つ場所へ。
皆のいる場所へ。
一抹の不安が胸の奥に少しだけ残っている。
「それにしても」
リリサがふと真剣な顔になった。
「エレナ様のお考えには、私は驚きました」
「え?」
「人族と魔族、両方の未来を守る……」
リリサはまっすぐ私を見つめた。
「そんなこと、私は考えたこともありませんでした」
「あ、いや……そんな上手くいくかはわからないよ?」
私は少し苦笑した。
「理想論だって言われるかもしれないし」
「いえ」
リリサは静かに首を横に振った。
「勇者エレナ様なら、きっと叶えると私は信じます」
「……リリサ」
その言葉は、思っていた以上に胸に響いた。
不安も、迷いも、恐れも。
全部消えるわけじゃない。
でも、前を向ける。
そう思えた。
リリサは優しい笑顔を向けてくれた。
昔と変わらない、あの微笑み。
「……リリサと再会できてよかった」
私がそう呟くと、リリサは少しだけ目を潤ませながら笑った。
「私もです」
こうして私たちは、夜通し語り合った。
失った時間を埋めるように。
離れていた年月を取り戻すように。
そして――夜は静かに更けていった。
静かな魔界の夜。
束の間の穏やかな時間だった。
そして――翌日。
魔界の朝。
地下の空に浮かんでいる四角いモノが、朝日代わりの淡い光を村へ降り注がせていた。
地上の太陽のような温かさはない。
それでも、この村の人々にとっては一日の始まりを告げる光だった。
私はゆっくりと目を覚ました。
「……ん」
体を起こす。
隣では、レーナが大の字になって寝ていた。
「ぐごぉ……すぴー……」
盛大なイビキ。
相変わらずだ。
思わず苦笑する。
いつも通りだ。
部屋の外からは、規則的な音が聞こえてきた。
シュッ。
ガッ。
シュッ。
ランとアイが朝の修行をしている音だろう。
あの二人は本当に真面目だ。
これもいつも通りだ。
私は静かに布団から抜け出した。
レーナを起こさないように、そっと部屋を出る。
最初に思い浮かんだのは、リリサの顔だった。
昨日は夜遅くまで話し込んだ。
きっともう起きているだろう。
私はリリサを探した。
まずはリリサの部屋。
……いない。
調理場。
……いない。
洗濯部屋。
……いない。
外の洗濯干し場。
……いない。
居間。
……やはり、いない。
「……あれ?」
小さく呟く。
胸の奥に、ちくりと何かが刺さった。
嫌な感覚。
ほんの僅かな違和感。
不安。
リリサがいない。
ただそれだけなのに、胸がざわつく。
(……大丈夫)
心の中で自分に言い聞かせる。
(きっとどこかにいるだけ)
そうだ。
村の手伝いかもしれない。
ガルドさんのところかもしれない。
マイと一緒にいるのかもしれない。
なのに、どうしてこんなに胸騒ぎがするんだろう。
その不安を口にしてしまったら、何かが決定的になってしまう気がした。
私は昨日の夜のことを思い出していた。
『エレナ様のお考えには、私は驚きました』
『人族と魔族、両方の未来を守る……』
『そんなこと、私は考えたこともありませんでした』
『あ、いや……そんな上手くいくかはわからないよ?』
『理想論だって言われるかもしれないし』
『いえ』
リリサは静かに首を横に振った。
『勇者エレナ様なら、きっと叶えると私は信じます』
『……リリサ』
あの真っ直ぐな瞳。
迷いのない声。
そして、最後。
『……リリサと再会できてよかった』
私がそう呟いた時。
リリサは少しだけ目を潤ませながら笑った。
『私もです』
そして――。
『ーーーーーーーーーー』
確かに、何かを言った。
『え? なんて?』
聞き返した私に、リリサは少し困ったように笑った。
いや。
あれは――悲しそうな笑顔だった。
『いえ、なんでもありません』
その時は深く考えなかった。
でも、今ならわかる。
あれは。
まるで、別れを覚悟した人の顔だった。
「……リリサ?」
私は無意識に、その名前を呼んでいた。
もしかすると、私とリリサの間には、何か埋められない溝があったのかもしれない。
私の嫌な予感は何故かよく当たる。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は6/26土曜日22時に公開予定です。
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