その5 「招かれざる客」
バイエルン帝国ーー。
大陸最大の軍事国家にして、人族諸国の要。
その王城最上階、円卓の間には、各国の代表者たちが集っていた。
重厚な石壁。
高い天井。
各国の旗が等間隔に掲げられ、中央には巨大な円卓が置かれている。
だが、今日の空気は重かった。
誰一人、軽口を叩ける者はいない。
「…して、その報告はまことなのか!」
沈黙を破ったのは、皇帝ジーク・フォン・バイエルンだった。
鋭い眼光。
歴戦の王としての威圧感が出てきた。
握り締めた拳が机を震わせる。
「どうやら……本当のようじゃ」
重く口を開いたのは、エルフの国の女王オーレリア。
普段は気高い彼女が、今は見る影もなく肩を落としていた。
彼女は連合会議のためにバイエルンへ来ていた。
そのため、偶然にも難を逃れた。
もし都に残っていれば、彼女も死んでいただろう。
「我らが首都エルディア……そして周辺の村二つが、大魔王リサの手により滅ぼされたようじゃ……」
声が震えていた。
王としての威厳を保とうとしても、喪失の痛みは隠しきれない。
「だが、生き残りはいるのだろう?」
低く響く声。
ドワーフ王国の王、バラガンだった。
太い腕を組み、髭を揺らす。
言い方には少し棘があった。
エルフとドワーフは古来より犬猿の仲だ。
文化も価値観も、何もかもが合わない。
それでも今は同盟を考える立場にある。
だからこそ、バラガンも最低限の配慮はしていた。
だが、オーレリアの返答は、それすら吹き飛ばした。
「エルディアの生存者は……フローライトという若い女エルフ、一人だけじゃ」
ガタンッ。
バラガンの椅子が大きく鳴った。
「……一人だけ、だと?」
「そうじゃ……」
オーレリアは俯いた。
「そのフローライトが聖女リサの偉業を神の如く語る……心が壊されておるようじゃ」
「これでエルフの総数は、百にも満たぬ……」
室内が凍りつく。
確か八千人はいたはず。
八千から百未満。
それは滅亡と言っていい数字だ。
「むぅ……」
バラガンの顔から敵意が消えた。
「ドワーフにとっては嬉しい報告じゃろうて!」
オーレリアが苦々しく吐き捨てる。
バラガンはすぐに首を振った。
「いや、エルフの女王よ」
重い声だった。
「亡くなった者たちには、哀悼の意を示す。……すまなんだ」
オーレリアは何も返さなかった。
ジークが深く息を吐く。
「だが、俄には信じ難い」
その目にはまだ疑念が残る。
「大魔王一人で、エルフの都を滅ぼしたというのか……?」
静寂。
その時、軽い声が上がった。
「その、エルフの国へ連合軍を出しては?」
発言したのは、ロイ・ヴァン・イグニス。
イグニス王国復興団団長。
かつて滅びた王国の末裔。
そして、エレナが最も嫌っている男。
ジークは内心で眉をひそめた。
正直、この男を連合会議へ招いたことを後悔し始めていた。
王族の血筋。
それだけを理由に席を与えた。
だが実際には。
国の復興もしていない。
民の救済もしていない。
戦果もない。
発言も全て口だけだった。
「兵を出すのは構わん」
ジークの声が低くなる。
「だが、これからどこが狙われるかわからぬ以上、戦力を分散すべきか?」
ロイが口を閉じる。
「あるいは各国防衛を優先するか?」
ジークの目が鋭くなる。
「その判断一つで、人族は滅ぶぞ」
ロイの額に汗が滲む。
「ま、まぁ……そこは……」
答えられない。
考えていないからだ。
するとロイは、逃げるように声を張った。
「そ、そうだ! 早くエレナに連合を率いてもらって魔族と戦いましょうよ!」
その瞬間。
ジークの眉間に皺が寄った。
自称エレナの婚約者。
先程、カトリーナ殿に聞いたが、彼女は否定していた。元婚約者らしい。
だが、この男は何かあればエレナと言い出す。
我らを率いて魔族と戦ってもらうには勇者の威光が必要なのも事実ではある。
だが、この男はまるでブランドのように勇者エレナの名前を出す。
恥という言葉を知らんようだ。
「それで、勇者の居所は?」
ジークの問いに答えたのは、エスタ王国王代理カトリーナだった。
エレナの長姉である。
「はい。妹は我が国を出国後、アステカ皇国へ向かったと聞いております」
「それと、ロイ様」
声音が冷える。
「勇者とはいえ、私の妹に全てを押し付けるような発言はお控えくださいませ」
「あ、いや……カトリーナ殿」
「何のために連合を組むのですか?」
カトリーナの目が鋭くなる。
「私たちは全員で連合軍なのです」
ロイがたじろぐ。
カトリーナには彼に思うところがあった。
だが、それをこの場で語るつもりはない。
「うむ」
「その通りだ」
ジークとバラガンが頷く。
するとジークが静かに言った。
「だが、集結した我らの先頭へ立ってもらいたいのも事実」
「……」
「我らを率いてほしい」
「魔族との戦いには、彼女と仲間達が必要だ」
王としての本音だった。
「勇者の……いや、妹の肩に重いものを背負わせるなと言いたい気持ちもわかる……理解してもらえぬか、カトリーナ殿」
カトリーナは小さく息を吸った。
「いえ、バイエルン王ジーク様」
そして、静かに頭を下げる。
「理解しております」
以前の彼女なら違った。
妹をどんどん利用しましょうと発言しただろう。
だが今は違う。
エレナとぶつかり。
姉妹喧嘩を経て、彼女は変わった。
優しい姉であろうと決めた。
だからこそ否定しない。
妹の意思を尊重しながら、現実とも向き合う。
それが今のカトリーナだった。
「だが」
ジークの声が強くなる。
「勇者だけに重いものを背負わせることはしない」
皇帝として、断言した。
「我らも背負おうぞ」
「そうだな」
ドワーフ王バラガンが大きく頷く。
「人族全ての戦いだ。勇者一人に押し付けるのは王の恥よ」
カトリーナが深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その言葉には、姉としての感謝も混ざっていた。
ジークは頷くと、話を切り替えた。
「では、次の議題だ」
視線を会議室の端へ向ける。
「冒険者ギルドの件」
一人の大男が立ち上がった。
屈強な体格。
傷だらけの顔。
そして――右腕がなかった。
「はっ」
深く一礼する。
「冒険者ギルド、ギルドマスターを務めております、グラディオスです」
バラガンが目を細めた。
「元Aランク冒険者のグラディオスか?」
鼻を鳴らす。
「たしか二つ名は――千撃の」
グラディオスは苦く笑った。
「お恥ずかしいながら」
失った右腕を見る。
「魔王軍との戦いで片腕を失い、敗北しました」
「現役は退いております」
ジークは首を横に振った。
「恥じることはない」
真っ直ぐ見据える。
「魔王軍と戦い、生きて帰っただけでも立派な功績だ」
「……ありがとうございます」
グラディオスは短く頭を下げた。
ジークは本題に入る。
「それで、Aランク冒険者は手を貸すのか?」
空気が変わる。
この場の全員が、それを知りたかった。
グラディオスは一瞬黙った。
「……現在のAランク冒険者は四人です」
四人。
少ない。
あまりにも少ない。
「そのうち、所在が判明しているとは言い難いのですが……」
「誰だ?」
「勇者と共に旅をしている――蒼天の魔法使いです」
「……そうか」
ジークの顔が曇る。
戦力としては頼もしい。
だが、実質は勇者エレナの仲間だ。
連合として動かせる札ではない。
「四人とは少なくなったものじゃの」
オーレリアが疲れた声で呟く。
グラディオスが続ける。
「残る三人――」
一人ずつ名を挙げる。
「氷炎」
「神速」
「暴魔」
その名だけで空気が張り詰める。
伝説級。
全員、一騎当千の化け物だ。
「しかし」
グラディオスの声が沈む。
「居場所すら分かっておりません」
沈黙。
その時だった。
オーレリアが顔を上げる。
「待て」
目が見開かれる。
「氷炎の魔法使いは……復帰していたのか?」
グラディオスが頷いた。
「つい数年前に」
「そうか……」
オーレリアの表情が僅かに和らいだ。
「あの者には恩がある」
遠い目をする。
「いずれ会いたいものじゃ」
だが、今はその居場所すら分からない。
グラディオスは話を続けた。
「Aランク以外の冒険者については、特別報酬を出すよう手配済みです」
書類を差し出す。
「報酬額を通常依頼の五倍まで引き上げました」
ジークが目を通す。
「ほう」
「その影響で、多くの冒険者が参戦予定です」
「良い報告だ」
バラガンが頷く。
数は力になる。
無論、Aランクほどではない。
それでも、いないよりは遥かにいい。
希望は、確かに集まりつつあった。
だが、会議室の空気は重かった。
重苦しい沈黙が、部屋全体を包み込む。
誰も次の言葉を発しない。
いや、発せなかった。
誰も口にしない、疑問があったからだ。
光の聖女――大魔王リサ。
なぜ、彼女は人族を裏切ったのか。
かつて、人々に希望を与えた聖女。
癒しの奇跡を起こし、戦場では兵士たちを鼓舞し、魔王軍との戦いでも幾度となく人族を救ってきた女。
その彼女が、なぜ。
なぜ魔王軍を率いているのか。
なぜ人族を滅ぼそうとしているのか。
ここまで何度も議論されてきた。
だが、その最も根本的な問いだけは、誰も触れようとしなかった。
触れたくなかった。
もし理由が分かれば、何かが変わるかもしれない。
エルフ滅亡という現実、勇者が居ても勝てるかわからない戦、各国の王とはいえ、あまりにも重すぎた。
その時だった。
バンッ!!
扉が勢いよく開かれ、一人の兵士が飛び込んできた。
「陛下!火急の知らせゆえ、失礼をお許しください!」
ジークの眉がぴくりと動く。
「騒々しい!何用だ!」
兵士は息を切らしながら敬礼した。
「はっ!アステカ皇国皇王五世が参られました!」
「――!?」
その場の全員が息を呑んだ。
アステカ皇国。
大陸東方に位置する新興国家。
建国からまだ二百年ほど。
だが、その実態を知る者はほとんどいない。
独裁政権。
鎖国に近い体制。
交易も少なく、軍事力すら不明。
辛うじで冒険者ギルドからどんな国か情報が入るくらいだ。
「それは誠か!?」
「はっ!身元を完全に調べる時間はありませんでしたが……恐らく間違いなく」
ジークは即断した。
「こちらへ通せ」
「はっ!」
兵士が下がる。
室内に緊張が走る。
全員が無言で扉を見つめた。
やがて。
重い音を立てて扉が開く。
現れたのは、豪奢ながらも見慣れない装束を纏った男だった。
黄金と黒を基調とした衣。
王冠ではなく、独特の頭飾り。
鋭い眼光。
堂々とした歩み。
「皆様、初めてお目にかかる」
低くよく通る声。
「アステカ皇国より参った、アステカ五世だ」
ジークは立ち上がった。
「よくぞ参られた。私はバイエルン帝国皇帝ジーク」
手で席を示す。
「ささ、こちらへ」
「感謝する」
アステカ五世は落ち着いた動作で腰を下ろした。
ジークが切り出す。
「アステカ五世殿、本日は如何様な用件で?」
全員が耳を傾ける。
アステカ五世は一度全員を見渡した。
「……我らも独自の情報網を築いている」
静かな声だった。
「エルフの国のことは聞いた」
オーレリアを見る。
「残念だ」
オーレリアは唇を噛み、顔を逸らした。
慰めの言葉すら、今は痛い。
「我らアステカ皇国も、連合に加わるため参上した」
ざわめきが起こる。
ジークの表情が引き締まった。
「それは心強い」
アステカ五世は続けた。
「そして――勇者の行方も伝えよう」
その瞬間だった。
ロイが身を乗り出した。
「おぉ! さすがはアステカ五世殿!」
机を叩く。
「それで、エレナはどこに!?」
全員が同じことを聞きたかった。
誰もロイを止めなかった。
だが、自分のモノのようにエレナと叫んだロイに対して、カトリーナは苛立ちを覚えていた。
「うむ」
アステカ五世が頷く。
「勇者は我が国を出国し、東の最果てへ向かった」
「そこには何が?」
ジークが問う。
「初代勇者の墓場、そして彼が築いた郷がある……はずだ」
「はず?」
バラガンが眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「我らも郷の正確な位置がわからぬ」
「なんということだ……」
失望が広がる。
だが、アステカ五世は手を上げた。
「ただし、冒険者三名を派遣している」
「誰だ?」
「冒険者ガルグ、ノーム、ノノの三人だ」
ジークが頷く。
「彼らは勇者一行の後を追わせていた、優秀な冒険者たちだ」
「彼らに任せよう」
アステカ五世は断言した。
「朗報を待つしかあるまい」
ジークが大きく息を吐く。
「だが、それを聞いて安心した」
少しだけ表情が緩む。
「勇者が健在なのがな……」
「アステカ五世殿」
ジークが頭を下げる。
「連合軍への参加、嬉しく思う」
絶望の中に、わずかな希望が灯った。
誰もがそう思った。
――その時だった。
「楽しそうなお話ね、ジーク皇帝」
女の声。
柔らかい。
だが、背筋が凍るほど冷たい声。
全員が弾かれたように振り向いた。
「――!?」
誰も、気配を感じなかった。
扉は開いていない。
窓も破られていない。
結界も反応していない。
なのに。
そこにいた。
円卓から少し離れた椅子に、いつの間にか腰掛けていた一人の女。
漆黒のドレス。
長い黒髪。
白い肌。
紅い瞳。
口元に浮かぶ妖艶な笑み。
その場の全員が凍りついた。
オーレリアの顔から血の気が引く。
バラガンが立ち上がる。
ジークの拳が震える。
カトリーナが息を呑む。
ロイは椅子の後ろに隠れた。
誰もが、その女を知っていた。
かつて光の聖女と呼ばれ。
今は、大魔王と恐れられる存在。
リサ。
「貴方のお兄様は私の事を慕ってくれていたのだけど」
女は脚を組み、頬杖をついた。
まるで、招かれざる客がこの場を支配しているかのような空気だった。
優雅に。
楽しそうに。
微笑む。
「私も話し合いに混ぜてもらっていいかしら?」
その場にいた者が全員死を覚悟した。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は6/23火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
記念すべき200話です。
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