その4 「エルバラの嫉妬」
リサが一人で城を出て行った後。
四魔将の一人、吸血族の女王エルバラは、リサの私室にいた。
いや――正確には。
リサのベッドの上だった。
真白なシーツ。
皺一つない寝具。
整えられた枕。
余計な装飾のない部屋。
だが、その全てが異様なほど美しく、冷たかった。
まるでこの部屋そのものが、リサの人格を映しているようだった。
清廉で。
美しく。
近寄りがたく。
そして、触れれば切れる刃のように冷たい。
そのベッドの上で、エルバラは身体をくねらせていた。
衣服は何も纏っていない。
白い肌にはうっすらと紅潮が差し、長い銀髪がシーツへ流れるように広がっていた。
「あぁ……リサ様……」
掠れた吐息が漏れる。
細い指先が、リサが頭を預けていた枕をそっと撫でた。
残り香。
微かな体温。
そして、空気に残る僅かな魔力の残滓。
それだけで、ぞくりと全身が震える。
「あの冷たい目で見られると……私は……」
背筋を電流が走るような快感。
恐怖。
畏敬。
愛情。
忠誠。
渇望。
その全てが、エルバラの中で歪み、混ざり合い、快楽へと変換される。
リサに命じられること。
見下されること。
拒絶されること。
それでも、必要とされること。
それこそがエルバラの存在意義だった。
(私をもっと使ってください)
(もっと命じてください)
(もっと……壊してください)
「もっと……罵ってください……リサ様……」
恍惚とした声が、静かな私室に溶けた。
その時だった。
城の外が妙に騒がしくなった。
ざわざわ、と兵士たちの声が響く。
エルバラの眉がぴくりと動いた。
「……ちっ」
一瞬で表情が冷える。
先ほどまで蕩けていた顔は消えた。
そこにいたのは、冷酷なる四魔将。
「邪魔ね」
素早く服を纏う。
漆黒のドレス。
肩当て。
腰の剣。
吸血族の女王としての姿へ戻る。
扉を開け、廊下へ出た。
案の定、兵たちが落ち着きを失っていた。
「鎮まれ!!」
一喝。
空気が凍った。
騒いでいた部下たちが一斉に硬直する。
血の気が引いた顔で敬礼した。
「エ、エルバラ様!失礼しました!」
「何を騒いでいる」
低い声。
怒気を含んだ声音。
兵士が震えながら報告する。
「は!エルフの首都エルディアが壊滅した模様です!」
エルバラの目が細まった。
「……何?」
空気が一段冷える。
「エルディアが?なぜだ」
「はっ!リサ様が単独で向かわれたとの報告です! 同行していたアル=アガレス様からの報告で――」
ギリッ。
歯軋りが響いた。
「……奴が同行だと」
露骨な嫌悪が瞳に浮かぶ。
悪魔族。
かつて魔族最上位を自称した種族。
エルフ達の精霊術や冒険者の光魔法で絶滅に追いやられた悪魔族、その生き残りアル=アガレス。
エルバラは奴が嫌いだった。
あまりにも傲慢で。
あまりにも底知れず。
我々に協力し出したのもつい最近の新参者だ。
何よりエルバラは、リサが奴を重用するのが気に食わない。
「それで、リサ様は?」
「は!続けて周辺の二つの主要村落を滅ぼし、その後帰還予定とのことです!」
「……わかった」
エルバラは息を吐いた。
「それと、騒ぐな」
赤い瞳が兵士たちを射抜く。
「この程度で狼狽えるなど、恥だと思え」
「はっ!」
だが兵士は言い淀んだ。
「しかし……あの映像を見れば……」
エルバラが鋭く振り向く。
「映像?」
「は、はい!アル=アガレス様が魔導投影機に記録を――」
「それを先に言え!!」
怒号。
兵士たちが飛び上がる。
エルバラは踵を返した。
「映像の間へ向かうぞ!」
エルバラは急足で向かう。
映像の間ーー。
そこには新生魔王軍が誇る魔導技術の一つ――投影機があった。
巨大な魔法石を加工して作られた装置。
映像記録。
再生。
遠隔共有。
常識外れの技術。
これもまた、リサがもたらしたものだった。
「おい、早く映せ」
「はっ!」
魔力が流し込まれる。
ぶぅん、と低い振動音。
次の瞬間。
空中に巨大な映像が映し出された。
エルフの首都――エルディア。
映像の中央。
リサが笑っていた。
黒いドレスを揺らしながら、右手を天へ掲げる。
「穢れの流星」
上空に無数の隕石。
空が黒く染まる。
落下。
爆発。
轟音。
都市崩壊。
映像が一瞬途切れた。
再び映った時。
そこは、もはや首都だったものだった。
燃え盛る古代樹。
崩壊した街。
潰れた家々。
無数のエルフの死体。
血の川。
悲鳴。
絶叫。
炎。
焦げた肉の臭いすら、映像越しに伝わってきそうだった。
その中心で。
リサが笑っている。
恍惚とした表情で。
美しく。
狂気的に。
エルバラは黙って見つめた。
あの魔法。
捕縛した魔王ヴァルゼインの魔力と、リサ自身の魔力を融合して生み出した大規模殲滅魔法。
都市一つを消し飛ばせる。
理不尽そのもの。
映像では、アル=アガレスが笑いながら撮影している。
「……悪趣味な奴だ」
エルバラが吐き捨てた。
本当に嫌いだ。
あの男は、リサを理解した気でいる。
気に入らない。
あの悪魔が、リサの隣にいることが。
あの男が、リサの思考を理解したような顔をしていることが。
何よりも、私ではなく、あの男が同行を許されたことが。
胸の奥で、どす黒い感情が渦巻く。
嫉妬。
憎悪。
焦燥。
けれど、その感情の奥底で、別の熱がじわりと広がっていく。
映像の中のリサ。
破壊を撒き散らしながら、舞う漆黒の髪。
恍惚と笑うその顔。
狂気に染まった赤い瞳。
愉悦に歪む口元。
ぞくり、と背筋が震えた。
「……美しい」
リサ様の、あの狂気に満ちたお顔。
私にも向けてほしい。
あの冷たい視線で見下ろされたい。
あの瞳に映りたい。
怒りでもいい。
軽蔑でもいい。
殺意ですら構わない。
ただ、リサの感情を私に向けてほしい。
拳を握る。
爪が掌に食い込む。
「私がついて行けば……」
少なくとも護衛はできた。
いや、それ以上に。
リサの隣に立てた。
だが、リサ様は命じた。
エルバラに残るように。
エルバラの目に陰が落ちる。
(……私では足りないのですか、リサ様)
(私より、あの悪魔の方が信頼できると?)
胸が軋む。
嫉妬。
焦燥。
執着。
愛情。
崇拝。
全部がぐちゃぐちゃに混ざる。
エルバラは映像の中のリサを見つめた。
恍惚としながら破壊を撒き散らすその姿は、美しかった。
あまりにも。
だからこそ、苦しい。
「……リサ様」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声で。
「貴女の隣に立てるのは……私でありたい」
エルバラは唇を噛んだ。
爪が掌へ食い込み、赤い雫がぽたりと床へ落ちる。
リサへ向ける全ての感情、忠誠も、愛情も、嫉妬も、執着も、渇望も。
その全てを、彼女は愛していた。
だからこそ。
痛みすら、今は心地よかった。
「おやおや、エルバラ殿ではないか!」
野太い声が響いた。
エルバラが振り向く。
「……貴様、何をしている?」
そこには、巨大な体躯を持つ獣人族の男が立っていた。
褐色の毛並み。
鋭い牙。
全身を鎧で固めた獣人族。
四魔将の一人ガルガド。
「これはこれは、随分キツい言い方だな」
豪快に笑いながら、ガルガドは映像の間へ入ってくる。
「……ガルガド」
「某にも見せてくれ」
「私はもう見た」
「うむ?」
ガルガドが首を傾げた。
「なんだ貴様、顔が赤いぞ?」
「う、うるさい!」
エルバラが鋭く睨みつける。
「見るなら一人で見ろ!」
「ふっ、言われずともそうする」
ガルガドは鼻を鳴らした。
だが、その視線は映像へ向けられたままだった。
「しかし……貴様ではなく、あの悪魔が同行者か」
低く呟く。
「我も同行してみたいものだ」
「……そうかい」
エルバラは短く返した。
それ以上、会話を続ける気はなかった。
踵を返す。
映像の間を後にした。
静かな足音だけが遠ざかる。
それから二日の間に。
リサは、エルフが住まう二つの街を追加で殲滅した。
生存者は――いない。
一人残らず。
燃やし尽くされた。
古代樹も。
住居も。
歴史も。
誇りも。
何もかも。
灰になった。
これは単なる虐殺ではない。
これは、宣言だ。
人族への、明確な宣戦布告。
勇者エレナを取り逃したあの日から。
全ては、この日のために準備されていた。
世界を絶望へ沈めるための、序曲。
戦争は、もう始まっている。
静かな廊下を歩きながら、エルバラは拳を握り締めた。
「……リサ様の意識が向けられている勇者エレナ」
その名を口にするだけで、不快感が胸を満たす。
「必ず……私の手で殺す……」
低く、ドロリとした声が漏れる。
そう、リサ様の意識は、常に勇者エレナへ向いている。
それが気に入らなかった。
なぜ、勇者なのか。
なぜ、あの女なのか。
理解できない。
だが、エルバラには感じ取れていた。
リサとエレナの間には、他者が容易に踏み込めない何かがある。
憎悪。
因縁。
執着。
あるいは、それ以上の何か。
二人の間に流れる空気は、あまりにも濃密だった。
まるで最初から、互いの存在が刻み込まれていたかのように。
だからこそ。
気に入らない。
だからこそ。
殺したいほど憎い。
これまで、チャンスは二度あった。
一度目は、勇者と蒼天の魔法使いとの初戦。
二度目は、義国での偶然の戦い。
どちらも、殺せた可能性がある。
だが、全てリサの命令で退いた。
殺すな。
手を出すな。
見逃せ。
その命令に、エルバラは従うしかなかった。
リサの言葉は絶対だ。
逆らうという選択肢は存在しない。
けれど、もし。
もし、あの勇者エレナをこの手で葬れたなら。
リサ様は、私だけを見てくれるのではないか。
赤い瞳が、私だけを映してくれるのではないか。
エルバラは、そう信じていた。
いや――信じたかった。
「待っていろ、勇者エレナ……」
唇が歪む。
「貴様の命は……私が貰う」
その笑みは、美しくも狂気に満ちていた。
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次話は6/21日曜日22時に公開予定です。
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