↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
191/240

その16 「理外(りがい)の魔法」

 奥様が亡くなっても、悲しみに浸る時間すら与えてもらえませんでした。


「おい」


 下品な笑い声が聞こえた。


「ししし、ヒューマンが残ってるぞ」


 振り返る。


 そこには数体の魔将と魔人が立っていました。


 恐らく巡回部隊なのでしょうか。


 血の臭いを纏いながら笑っていました。


 私の心に余裕はなく睨みつけました。


「おぉ、怖ぇ顔」


「おい、こいつ殺していいんじゃねぇか?」


「ああ。その女は歯ごたえがなかったからな」


 私は立ち上がり、ゆっくりと奥様の前に立つ。


「…………の?」


「なんだ?聞こえ――」


 パキン。


 魔将の舌が凍りつく。


「――――ッ!?」


 氷が口の中を埋め尽くす。


 悲鳴すら出させません。


 私は静かに伝えました。


「話さなくていいですよ」


「すぐに殺します」


 周囲の魔将たちが慌てて魔法を唱えようとする。


 魔人たちが襲いかかってくるがーー。


 その瞬間、怒りで震えるほど、静かな炎が魔族を包んだ。


「――氷炎」


 世界が青白く染まる。


 青い炎が燃える。


 凍りながら燃える。


 魔将たちは逃げることもできず。


 魔人たちは悲鳴すら上げられず。


 次々と氷像へ変わり。


 そして灰となって崩れ落ちた。


「きっ貴様!」


 私は止まらなかった。


 残っていた魔族を殺した。


 怒りに身を任せて魔法を使ったのは、後にも先にもこの時だけでした。


 全てが終わった後。


 私は一人で遺体を運びました。


 奥様。


 執事長。


 メイド長。


 そして仲間たち。


 一人ずつ丁寧に。


 ブレイジング家の中庭へ、皆を眠るように並べていく。


 ギルバート様の言いつけ通り、旦那様の側に奥様を寝かせました。


 最後に私は氷魔法で遺体を包みこんだ。


 腐敗しないように。


 傷まないように。


 きっと、エレナ様は帰ってくる。


 ご家族に会いたいはずだ。


 そう信じていました。


「エレナ様……」


 冷たい風が吹く。


 私は凍りついた皆を見つめながら、小さく呟いた。


 氷の中で眠るその姿は、まるで今にも目を覚ましそうでした。


 けれど、それは叶いません。


 皆、もう帰ってこない。


 私は両手を胸の前で組みました。


 初めて祈りました。


 この時ばかりは願わずにはいられませんでした。


「どうか……」


 声が震える。


「どうか、悲しまず戦い続けてください」


 エレナ様ならきっと帰って来る。


「エレナ様…」


 この光景を見るだろう。


 家族も。


 仲間も。


 故郷も。


 全て失った現実を。


 それでも、どうか立ち止まらないでほしい。


 十七歳の少女には酷な話だと思う。


 それでも、前へ進んでほしい。


 私はそう願った。


 その時でしたーー。


「それは困るな」


 低い声が響く。


 私は反射的に振り返りました。


 背筋が凍った。


 漆黒の甲冑。


 夜よりも深い黒。


 六本の腕を胸の前で組み、魔人を優に超える巨体が立っていた。


 魔人魔将など比較にもならない。


 まるで災害そのものが人の形を取ったような存在でした。


 存在に気がつきませんでした。


「勇者が全てを失い、やる気を無くすための作戦だったんだがな」


 そいつは、愉快そうに笑った。


 その瞬間、空気が震えた。


 いや、空気ではない。


 世界そのものが悲鳴を上げているようだった。


「やはり、勇者に選ばれるようなヒューマンは心も強いのか」


 圧倒的な魔力。


 黒い波動。


 魂を握り潰されるような威圧感。


 私は本能で理解しました。


 いえ、理解してしまった。


「…魔王……」


 掠れた声が漏れる。


 魔王は口元を歪めた。


「ふふ」


 その笑みだけで心臓が跳ねた。


「自己紹介の必要はないようだな」


 私は無意識に後退っていました。


 膝が震える。


 呼吸が浅い。


 今まで数え切れない魔物や魔族と戦ってきました。


 S級迷宮も攻略した。


 Aランク冒険者にもなった。


 それでも。


 目の前の存在だけは違います。


 勝てない。


 そんな言葉では足りない。


 戦いになることすら想像できなかった。


 「我は魔王ヴァルゼイン」


 私が今まで積み上げてきた全てが、砂粒に思えるほどの差があるように感じました。


 それでも。


 私は一歩だけ前へ出て、両手を開いた。


 後ろには皆が眠っている。


 退くわけにはいかない。


「ここで……」


 震える声を押し殺し叫びました。


「ここで、足止めすればーー」


「ほう?」


 魔王が興味深そうに目を細めた。


「随分と勇者を信頼しているようだな」


「当然です」


 私は杖を握り締めた。


「あの方は、必ずやってきます」


 魔王は少しだけ笑った。


 それは獲物を見つけた猛獣の笑みだった。


「貴様が勇者を育てたというメイドだな」


「そうだと言ったら?」


「ならば好都合だ」


 六本の腕のうち一本がゆっくりと持ち上がる。


「貴様は生け捕りだ」


 その言葉に背筋が冷えた。


「対勇者への人質という手土産としてな」


「っ――」


 私は魔力を練り上げる。


 周囲の温度が急激に下がる。


 白い霜が地面を覆った。


「そう上手く行かせませんよ」


 魔王が笑う。


 まるで子供の反抗を見るように。


「面白い女だ」


 黒い魔力が溢れ出した。


 空が揺れる。


 大地が震える。


 私の全身が警鐘を鳴らしていた。


 冷や汗が止まらない。


 逃げろ。


 勝てない。


 死ぬ。


 本能がそう叫ぶ。


 それでも私は退きませんでした。


 旦那様や奥様。

 ギルバート様。


 皆様の最期をいつかエレナ様へ伝える。


 そのために、ここは生き残る。


 たとえ勝てなくても。


 たとえ無様でも。


 私はここで終われない。


 私は拳を握り直した。


 私は杖を持たない魔法使い。


 代わりにこの指輪が杖代わりだ。


 左手を魔王に向ける。


「――氷縛アイスバインド


 地面が凍りつく。


 魔王の足元から巨大な氷柱が伸び、両足を絡め取った。


「ほう」


 魔王が僅かに眉を上げる。


「小癪な」


 次の瞬間、詠唱すらない。


「黒炎」


 魔王の身体から噴き出した黒い炎が氷を飲み込んだ。


 氷縛は一瞬で蒸発する。


 私は最初から分かっていた。


 通用しないことなど。


「貴様に敬意を評して、魔法だけでやってやろう」


 魔王がそう言い放った時、私の魔法は既に完成していた。


火炎弾ファイアボム!」


 真紅の火球が空へ。


 私は魔王に当たる瞬間、指を鳴らした。


「爆ぜろ!」


 ドォォォォォォォン!!


 轟音。


 爆炎。


 中庭全体が揺れる。


 エレナ様が好んで使った火属性魔法。


 私はそれを改良した。


 爆発の中から魔王が現れる。


 甲冑の一部が煤けていた。


 だが、それだけだった。


「うむ」


 魔王は感心したように頷く。


「いい魔法だ」


 私は奥歯を噛み締めた。


「くっ……」


 効いていない。


 まるで効いていない。


 「なら、これはどう!」


 「氷槍(アイスランス)炎槍(ファイアランス)!」


 無数の槍が魔王を襲う。


 「ふはははは!」


 魔王が笑う。


 「カァァァァ!」


 魔王が魔力の籠った咆哮を放つと、私の魔法が掻き消えた。


 「まだまだよ!」


 私は魔力を練り上げる。


 師匠から受け継いだ魔法。


「――氷炎」


 青白い炎が出現する。


 魔王の肩。


 腕。


 首。


 背中。


 全身へ。


 氷のように凍てつきながら燃える炎が絡みついた。


 さすがの魔王も表情を変えた。


「むっ」


 初めて警戒した顔だった。


「これは……!」


 魔王の全身から黒炎が噴き出す。


 黒と青白。


 二つの炎が激突した。


 ゴオオオォッ!!


 空間そのものが悲鳴を上げる。


 やがて、私の氷炎が消された。


「ちっ……これもダメなの!」


 舌打ちが漏れた。


 魔王は静かに私を見る。


「その魔法、理外(りがい)の魔法だな」


 私は眉をひそめる。


「理外?」


「なんのことですか」


「知らぬのか」


 魔王は少し意外そうな顔をした。


「この魔法は師匠から受け継いだものです」


「貴様、ヒューマンのくせに気付いておらぬのか」


 私は言葉を失う。


 理外。


 文字通りなら、世界の理から外れた魔法。


 なぜかその言葉が胸に引っかかった。

 

「その魔法は……」


 魔王がゆっくりと言う。


「この世界の理、女神の力から外れた魔法だ」


「それをヒューマンの女が扱うとはな」


「ヒューマンの女は女神に愛されている。特に貴様のような女はな。だから、魔法が得意な者が多い」


「貴様の使うその魔法は、本来は我ら魔族側の力」


 そう言って自身の黒炎を見せる。


「我の黒炎と同じだ」


「なぜ貴様は扱える?」


 魔王の眼が私を見下ろした。


「面白い」


 ぞくり、と背筋が震える。


「…くっ!」


 獲物を見る目ではない。


 研究対象を見る目だった。


「貴様は捕らえる」


 魔王の六本の腕が同時に動いた。


 空が歪む。


 空間が軋む。


 私は反射的に氷壁を展開した。


 だが――


「なっ……」


 次の瞬間、世界が真っ暗になった。

 

 意識が沈む。


 どこまでも深く。


 夢も見なかった。


 どれほどの時間が経ったのかも分からない。


 ふと、微かな光を感じた。


 重い瞼をゆっくりと開く。


 見慣れない石造りの天井が視界に映った。


「……ここは……」


 声が掠れる。


 私は反射的に身を起こそうとして、顔をしかめた。


「っ……」


 腰に鈍い痛みが走る。


 だが、それだけだった。


 腕を動かす。


 足を動かす。


 指を握る。

 

 問題なく、五体満足だった。


 傷もない。


 骨も折れていない。


「どういうこと……?」


 私は周囲を見渡した。


 そこは大きな部屋だった。


 簡素な石造りの建物。


 壁も床も見慣れない造りをしている。

 

 そして部屋の中には、私以外にも多くのベッドが並んでいた。


 十人――いや、十八人。


 そのほとんどが寝かされている。


 老若男女。


 服装も様々だ。


 旅人のような者。


 商人。


 農民。


 兵士。


 そして、その全員が――


「ヒューマン……?」


 私は思わず呟いた。


 全員、人族だった。


 しかも、見覚えのある顔が多い。


「そんな……」


 胸が大きく脈打つ。


 間違いない。


 全員がブレイジングの街の住人だった。


 市場で見かけた商人。


 露店を出していた職人。


 屋敷へ品物を納めていた農家の男。


 死んだと思っていたが、なぜ、こんな場所にいる。


 私はゆっくりとベッドから降りた。


 足元は少しふらつくが歩ける。


 窓へ近づく。


 そして、外を見た瞬間。


 私は息を呑んだ。


「なっ……」


 見たことのない景色だった。


 空の色が違う。


 光が違う。


 遠くに連なる山々も。


 森の色も。


 何もかもが違っていた。


 まるで別の世界のようだった。


 背筋に冷たいものが走る。


 最後の記憶が蘇る。


 魔王ヴァルゼイン。


 圧倒的な力。


 六本の腕。


 理外の魔法。


 そして――世界が歪んだ。


「私は……」


 拳を握る。


「魔王と戦って……敗れたはず……?」


 答える者はいない。


 静まり返った部屋。


 眠る人々の寝息だけが聞こえる。


 私はもう一度、窓の外へ目を向けた。


 胸の奥に不安が広がっていく。


 ここはどこなのか。


 なぜ自分は生きているのか。


 なぜヒューマンがこんなにも集められているのか。


 そして、ブレイジング領は、エレナ様は無事なのか。


「……私は、何故助かったの?」


 その呟きは、誰に届くこともなく静かに消えていった。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は6/6土曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。