その15 「家族の最後」
けれど、そこにあった光景は――王都以上の地獄でした。
見慣れた門は崩れ落ち。
騎士団が常駐していた練兵場は跡形もなく。
屋敷へ続く大通りは焼け焦げ。
かつて賑わっていた露店や商店は瓦礫と化していました。
人々の笑い声が響いていた街並みは、見る影もありません。
風が吹くたびに灰が舞い上がる。
その光景があまりにも現実離れしていて、私は一瞬、自分が悪い夢でも見ているのではないかと思いました。
ですが、道の途中に横たわる遺体が、それを否定します。
知っている顔もありました。
知らない顔もありました。
けれど私は立ち止まりませんでした。
立ち止まれなかったのです。
確認したいことがありました。
確かめなければならないことがありました。
「魔族がいない……」
思わず呟きます。
王都でもそうでした。
ここでもそうです。
これほどの惨状を生み出したはずの魔王軍の姿がどこにもありません。
見張りもいない。
巡回もいない。
それが私の不安を掻き立てました。
嫌な予感ばかりが膨らんでいきます。
もう既に全て終わってしまったのではないかと。
私は走りました。
屋敷へ向かって。
やがて見えてきたブレイジング伯爵家の屋敷。
その姿を見た瞬間、胸が締め付けられました。
屋敷もまた半壊していました。
壁は崩れ。
窓は砕け。
あちこちに戦闘の痕跡が残っています。
それでも、不思議なことにエレナ様のお部屋があった東棟だけは、辛うじて形を保っていました。
私は理由もなく安堵してしまいました。
もうエレナ様がいるはずもないのに。
それでも、その部屋が残っているだけで少しだけ救われた気持ちになったのです。
魔族に見つかる危険など考えませんでした。
私は屋敷へ飛び込みました。
「旦那様!」
返事はありません。
「奥様!」
静寂だけが返ってきます。
「みんな!」
誰も答えない。
かつて賑やかだった屋敷は、死んだように静まり返っていました。
あの優しかった方々はどこへ行ったのでしょうか。
そう思った、その時でした。
ふと二階の廊下から中庭が見えました。
そこに。
人影がありました。
「――っ!」
私は駆け出しました。
二階の窓を開け放ち、そのまま飛び降ります。
着地と同時に走りました。
そこに横たわっていたのは。
旦那様。
ヘンリース様。
エドワード様。
そしてギルバート様でした。
「旦那様……」
膝をつきます。
手を取ります。
冷たい。
もう温もりはありませんでした。
「ヘンリース様……」
返事はありません。
「エドワード様……」
静かなままです。
三人とも既に息絶えていました。
私は唇を噛み締めます。
ですが。
まだ一人。
ギルバート様の腕に手を当てた瞬間。
「……!」
微かな温もりを感じました。
私は急いで回復魔法をつかいました。
「女神アルカナよ、我が願いを聞き届けこの者に再び立ち上がる力を与えん!癒光」
「お願い……!」
下手くそな回復魔法。
傷を癒し。
命を繋ぎ止める。
けれど、失われそうな命までは回復する力は、私にはありませんでした。
私にできたのは、ほんの僅かに意識を繋ぐことだけでした。
「……っ」
ギルバート様の瞼が震える。
ゆっくりと目が開かれました。
「……リリサか?」
「はい!」
私は思わず声を上げます。
「ギルバート様!わかりますか!?」
「あぁ……」
かすかに笑う。
「懐かしいな……」
「はいっ……!」
涙がこぼれそうになる。
けれど、今は聞かなければならない。
「父さんたちは……?」
「旦那様たちは既に……」
最後まで言えませんでした。
ギルバート様は目を閉じる。
「……そうか」
その一言だけでした。
「すみません……」
私は俯いた。
「間に合わず……」
「気にするな……」
ギルバート様は弱々しく首を振る。
「王都陥落の知らせも……なかった……」
「突然だったんだ……」
そして途切れ途切れに語ってくれました。
王都へ援軍を送る準備をしていたこと。
その最中に魔王軍が現れたこと。
そして。
魔王本人が先頭に立っていたことを。
大軍勢を率い、圧倒的な力で、全てを蹂躙したことを。
「あいつ、勇者が怖かったんだよ」
「…勇者……産んだ家系を……根絶やしにしたかったそうだ」
「俺ら四人じゃ、魔王は無理だった」
話している間にも、ギルバート様の声は弱くなっていきました。
「俺も……もう……」
「ギルバート様!」
私は手を握る。
離したくなかった。
けれど。
ギルバート様は穏やかだった。
「リリサ……」
「はい」
「噴水広場の方に……母さんたちを逃がした……」
苦しそうに息を吐く。
「父さんの側に…弔ってやってくれ……」
「はい……!」
「もし……」
震える声。
「エレナに会うことがあれば……」
私は頷きながら話を聞きました。
何度も。
「みんな……勇……に戦った……」
「……はい」
「ブレイジング家の名に……恥じない……だった……」
途切れ途切れだが、私にはわかる。
「はい……!」
涙が零れました。
「必ずお伝えします……!」
その言葉を聞いて。
「あり……う」
ギルバート様は安心したように微笑みました。
そして、静かに息を引き取られました。
私はしばらく動けませんでした。
中庭には風だけが吹いていました。
やがて私は立ち上がります。
泣いている時間はありません。
まだやるべきことが残っている。
私は旦那様たちのご遺体を丁寧に並べました。
私にとっても大事な家族のような人達。
そして私は振り返ります。
ギルバート様が託した願いを果たすために。
噴水広場へ向かいました。
噴水広場は屋敷の西。
エレナ様とよく出かけた場所。
幼い頃は噴水の周りを走り回り、私が慌てて追いかけました。
夏の日には腰掛けて一緒に果実水を飲み、冬の日には雪を眺めながら帰った忘れもしない、大切な場所です。
けれど、そこにあった光景は、思い出とは似ても似つかぬものでした。
噴水は崩れ落ち、水だけが止まることなく流れ続けている。
石畳は割れ、建物は焼け落ち、広場全体が戦場の跡と化していました。
そして、そこには多くの遺体がーー。
見慣れた顔ばかりです。
共に働いたメイド仲間。
厳しくも優しかったメイド長。
いつも背筋を伸ばしていた執事長。
皆、動かない。
もう二度と笑わない。
「みんな……」
膝が崩れそうになった。
涙が止まらなかった。
だが、一人だけ見当たらない人物がいた。
「奥様……!」
私は必死に周囲を探しました。
瓦礫を乗り越え。
倒れた荷車の陰を覗き。
何度も名前を呼んだ。
「奥様!」
すると。
かすかに。
本当にかすかに。
「……サ……」
声が聞こえた。
私は弾かれたように走った。
崩れた壁の向こう。
そこに奥様はいた。
「奥様!」
エレオノラ様の身体は、一本の剣によって壁へ縫い付けられていた。
鮮血が石壁を染めている。
それでも、手に剣を握っていました。
息を呑んだ。
「奥様、今助けます!」
震える手で回復魔法を発動する。
傷口へ魔力を流し込みながら、慎重に剣を引き抜いた。
傷口は塞がり、出血も止まりました。
だが、私には分かっていました。
内臓まで破壊されている。
もう助からない。
どれほど魔力を注いでも。
どれほど願っても。
「ごほっ……ごほっ……」
「奥様……」
エレオノラ様は苦しそうに息を吐きながら、それでも微笑んだ。
「大丈夫よ、リリサ」
「久しぶりね……」
「はい……ご無沙汰しております」
「ふふ……」
奥様は目を細めた。
「あなたが旅立ってから……もうかなり経つのね」
「はい」
「まだ…冒険者を?……」
「はい…」
その言葉が胸に刺さった。
ここに残っていれば、皆を守れたかもしれない。
「……あの人は?」
奥様が静かに尋ねた。
私は首を横に振った。
「旦那様は……」
それ以上言えなかった。
だが奥様は理解した。
「そう……」
悲しむ様子はなかった。
むしろ少しだけ誇らしそうだった。
「勇敢に戦ったのでしょうね」
「ギルバート様が勇敢だったと、仰ってました」
「そう……あの子も?」
「……はい」
奥様は静かに目を閉じた。
「私も腕が鈍ったわ……」
「たかが魔族数体に負けるなんてね……」
私は何も答えられなかった。
答えられるはずもなかった。
「エレナは……?」
私は首を振る。
「ここにはまだ……」
「そう……」
奥様は少しだけ安堵したようだった。
「あのお転婆も、もう十七歳ね……」
「はい」
私は笑った。
涙を流しながら。
「ものすごい美人になっていると思います」
「どうかしら……お転婆だものね」
奥様は笑った。
「でも、あの子は少し変わった子だったわ」
「はい」
「私もそう思います」
「ふふっ……」
かすかな笑い声。
それは昔、エレナ様の話をしていた頃と同じだった。
「リリサ……」
「はい」
「エレナに伝えて」
「あなたらしく生きなさいって」
「はい」
「必ず」
奥様はゆっくり頷いた。
そして、震える手を私の頬へ伸ばした。
「それから……」
「あなたも……わ……家族……よ……」
その手が力を失う。
ゆっくりと落ちた。
「奥様……?」
返事はなかった。
「奥様……」
もう一度呼ぶ。
それでも。
返事はなかった。
私はその場でしばらく動けなかった。
ただ、奥様の手をずっと握り続けていた。
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