その14 「リリサの正体」
リリサは静かに息を吐いた。
広場に集まった人々も、誰一人として口を挟まない。
これから語られる話の重さを、皆知っているのだろう。
リリサは少しだけ遠くを見るような目をした後、ゆっくりと私たちへ視線を戻した。
「まず、私の事をお話しさせてください」
そう言って私を見る。
どこか覚悟を決めたような顔だった。
「エレナ様、申し訳ありません。一つだけ隠していたことがあります」
「隠していたこと?」
「はい」
リリサは少し困ったように苦笑した。
「わかった!リリサ、聞かせてくれ」
「私が冒険者をしていた話は、以前お話ししたと思います」
「うん、覚えてるよ」
「ですが、ただの冒険者ではありませんでした」
その言葉に私は首を傾げた。
何を言いたいのだろう。
ただの冒険者ではないとはどう意味なのか。
だが、次の言葉で思考が止まる。
「私はかつて――氷炎の魔法使いと呼ばれていたAランク冒険者だったんです」
一瞬。
その場の空気が凍りついた。
「……え?」
思わず間抜けな声が漏れる。
いや、待って。
待ってほしい。
氷炎の魔法使い?
あの?
イグニス王国どころか周辺諸国でも有名だった?
「えええええええっ!?」
気付けば私は叫んでいた。
「ちょ、ちょっと待って!?リリサが!?」
「はい」
「氷炎の魔法使い!?」
「はい」
「いやいやいやいや!」
私は思わず頭を抱えた。
そんな話、一度も聞いたことがない。
魔法が上手いとは思っていた。
強いとも思っていた。
冒険者をしていたことも聞いていた。
でもまさか。
あの氷炎の魔法使いだったなんて。
「子供の頃、一緒に紙芝居見たじゃん!」
「……はい」
「氷炎の魔法使い、かっこいいねって言ったよね!?」
「言われました」
「なんで黙ってたの!?」
「旦那様と奥様との約束でしたもので……」
「それなら無理もないか……」
私のトーンが下がると、リリサは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「すみません……」
本当に反省しているような顔をされると、それ以上責められない。
だが驚きは収まらなかった。
十年。
十年も一緒にいたのに。
私は伝説の冒険者に魔法を教わっていたらしい。
その横で、レーナが目を細めた。
「……ちょっと待って」
レーナは私を手で制しながら、じっとリリサを見つめる。
「あなた、昔私を助けてくれた人よね?」
「え?」
私はレーナを見る。
レーナは記憶を辿るように言葉を続けた。
「今から三年近く前。バイエルン帝国とイグニス王国の街道で、大型のトロール数体と戦ってた時よ」
私はその話を聞いたことがある。
レーナがまだ冒険者として新米だった頃の話だ。
「私、冒険者始めたばかりで、危ない状況だったの」
「その時、青い炎を使う魔法使いに助けられたの」
レーナは真っ直ぐリリサを見る。
「あなたよね?」
リリサは少しだけ考えた後、
「ああ」
と頷いた。
「あの時助けた魔法使いのお嬢さんでしたか」
そして優しく微笑む。
「それは私ですね」
「やっぱり!」
「立派な魔法使いになるって仰っていまーー」
レーナが額を押さえた。
「いや待ちなさいよ!」
「なんでこんな大物がメイドなのよ!」
「……女神の啓示だったもので」
即答だった。
レーナは盛大にため息を吐く。
「やっぱり女神の啓示って信用できないわね」
「こんな優秀な人をメイドにするなんて!」
「まぁまぁ」
私は苦笑した。
「おかげで私はリリサに会えたし……」
「それはそうなんだけど!」
レーナは納得いかない顔をしていた。
その横で、今度はランが恐る恐る手を挙げる。
「あ、あの……」
「はい?」
リリサが優しく返事をする。
ランは少し緊張した様子だった。
「獣人族の都には有名な御伽話がありまして……」
「はい」
「お母さんが小さい頃によく読んでくれたんです」
ランの耳がぴくりと動く。
「氷炎の魔導士のお話を」
その言葉に、リリサが少しだけ目を細めた。
「はい」
「その方と関係があるんですか?」
「ありますよ」
あまりにもあっさりした返答だった。
ランの耳がぴんと立つ。
「えっ」
「その方は、私の師匠です」
「ええっ!?」
今度はランが叫んだ。
「し、師匠!?」
「はい」
「本当に存在したんですか!?」
「存在していました」
リリサは懐かしそうに微笑んだ。
「師匠は、若い頃に獣人族の都へ行ったことがあると聞いております」
「そうなんですね……」
ランは目を輝かせていた。
だが次の言葉で少しだけ肩を落とす。
「もうかなり前に亡くなられましたが」
「そうですか……」
ランは残念そうに耳を伏せた。
きっと彼女にとって、氷炎の魔導士は伝説の英雄のような存在だったのだろう。
その弟子が目の前にいる。
しかも私の元メイド。
情報量が多すぎて頭が追いつかなかった。
そんな中。
アイだけは黙ったままリリサを見つめていた。
無表情だった。
だが視線だけは真っ直ぐ向けられている。
「……」
リリサも静かにアイを見る。
しばらく沈黙が流れた。
そしてアイは小さく頷いた。
「納得しました」
「だから、あれほど強かったんですね」
それだけ言って腕を組む。
きっとアイなりの最大級の納得なのだろう。
リリサは苦笑した。
「お恥ずかしい限りです」
そして改めて私たちを見る。
その表情から笑みが消えた。
「すみません。少し脱線しましたね」
空気が変わる。
私も自然と姿勢を正した。
リリサは静かに息を吸う。
「ここからが本題です」
広場に集まっていた人々も、表情を引き締めた。
「なぜ私たちが魔界にいるのか――その話です」
そうしてリリサは、静かに語り始めた。
私たちは黙って耳を傾けた。
リリサの視線は、どこか遠い過去へ向いていた。
私はーー。
エレナ様が勇者として旅立ち数日後、ブレイジング伯爵家を離れ、再び冒険者として旅をしておりました。
師匠から受け継いだ力を誰かの役立てたい。
もっと世界を見てみたい。
エレナ様に負けないように。
そんな思いのままに、各地を巡っていたのです。
依頼を受け。
困っている人を助け。
魔物を討伐し。
時には国境を越えて旅を続けました。
エレナ様が育ったブレイジング領を離れて、二年ほどが経過した頃です。
私はエルフの国に滞在していました。
森の奥深くにある美しい国でした。
ある日。
冒険者ギルドへ立ち寄った時です。
慌ただしい空気が流れていました。
皆、同じ話をしていたのです。
「魔王軍が動いたらしい」
「総攻撃だ」
「勇者の生まれた国が狙われている」
最初は噂話だと思いました。
ですが。
次第に入ってくる情報は具体性を増していきます。
王都陥落。
各地の要塞壊滅。
大規模な魔王軍侵攻。
そして――。
イグニス王国が滅びるのではないか。
そんな話まで聞こえてきました。
その瞬間。
私は全身の血の気が引くのを感じました。
エレナ様の故郷。
旦那様。
奥様。
ブレイジング領の人々。
私の大切な人たちの国。
顔が次々と浮かびます。
いても立ってもいられませんでした。
私はその日のうちに準備を整えました。
長期移動用の装備を買い込み。
必要最低限の荷物だけを持ち。
依頼も全て断りました。
そして。
イグニス王国へ向かったのです。
少しでも早く。
一刻でも早く。
無事でいてほしい。
そんな願いだけを胸に。
昼も夜も関係なく移動しました。
宿もほとんど取らず。
野営を繰り返しながら進みました。
数週間後。
ようやく私はイグニス王国へ辿り着きました。
そして、絶句しました。
王都が、陥落していたのです。
正確には存在はしていました。
ですが、私の知る王都ではありませんでした。
建物は崩れ。
石畳は砕け。
城壁は半壊していました。
あちこちから黒煙が上がり。
焼け焦げた臭いが風に乗って漂ってくる。
かつて人々で賑わっていた大通りには誰もいない。
笑い声も。
商人の呼び声も。
子供たちの声も。
何も聞こえませんでした。
静かでした。
恐ろしいほどに。
ただ風だけが吹いていたのです。
私は街中を走りました。
生存者を探しました。
ですが――。
誰もいない。
どこにもいない。
生きている人間を一人も見つけることができませんでした。
まるで世界から命そのものが消え去ったようでした。
あの光景を、私は今でも忘れられません。
王都は、地獄でした。
私は震える手を握り締めました。
考えるべきことは一つだけ。
ブレイジング領です。
エレナ様の故郷。
旦那様と奥様がいる場所。
私はすぐに王都を離れました。
休むこともなく馬を走らせます。
見慣れた景色が消えている。
人の営みが消えている。
その事実が恐ろしくてたまりませんでした。
そして、私はブレイジング領へ辿り着きました。
けれど、そこにあった光景は、王都以上の地獄でした。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は6/2火曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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