その9 「氷炎の魔法使い④」
ある日。
エレナ様が満面の笑みで私の部屋に飛び込んできた。
「魔法を教えて!お父様にはもう許可をもらった!」
その瞳は、好奇心の色をしていた。
実は、事前に旦那様と奥様に呼ばれ、事情は聞いていた。
「エレナが魔法を学びたいと言い出してな」
「あなたにお願いできないかしら」
あの時、私は静かに頭を下げながら、胸の奥で確信していた。
ついに来た。
二陽の日から続いていた、あの違和感。
あれは偶然ではない。
この子は、目覚める。
私はエレナ様に魔法を教える覚悟を決めていた。
屋敷に雇われてから、私はほとんど魔法を使うことが無くなっていた。
だから、ここ最近は毎晩こっそりと練習していた。
もしこの時が来たら、きちんと教えられるように。
「分かりました。私でよろしければ、お手伝いさせていただきます」
その日の夕刻から、中庭で修行が始まった。
エレナ様は、魔素を感じるどころか、それを魔力に変換し、さらに膂力変換魔法を扱えることがわかった。
身体能力を魔力で強化する、極めて高度な補助魔法。
使い手は少ない。
私が冒険者時代に見たのは、たった一人。
それを。
「無意識に」使った。
背筋が震えた。
才能という次元ではなく、天性のものだ。
まるで、空気を吸うように、使っている。
それから数日で火属性魔法も習得した。
理論を復習しているかのように頷く。
「やはり、エレナ様は何か使命を持って生まれたのかもしれない」
私はそう思った。
七歳になると、貴族教育が本格化した。
礼儀作法、歴史、政治、算術、語学。
エレナ様は吸い込むように学んだ。
家庭教師たちは口を揃える。
「天才でございます」
「教えることがありません」
「私の方が教えられました」
ただ、貴族作法だけは苦手だった。
優雅に歩くより、走る。
微笑むより、本音を言う。
それがエレナ様だ。
やがて、剣術も始めることにした。
体格はまだ小さい。
だが、動きに迷いがない。
膂力変換魔法を重ねれば、大人の騎士にも引けを取らない。
だが、必然的に、私と過ごす時間は減っていった。
少しだけ、寂しかった。
私は、師匠というより、メイドとして、だには姉のやつな存在として、接していたからだ。
昼食と夜の寝室だけは、変わらず私が一緒にいた。
「リリサは、本当の姉より姉みたい」
そう言われたとき。
胸が温かくなった。
同時に、少しだけ申し訳なさも覚えた。
二人の実の姉君に。
だが――悪い気は、しなかった。
話は逸れるが。
私は結婚適齢期を過ぎていた。
結婚できなかったのではない。
敢えて、しなかった。
領内で買い物をしていると、なぜかよく求婚された。
「リリサ様を妻に」
本気の者しかいなかった。
中には、屋敷の旦那様に許可を願う者もいた。
私のどこがいいのだろうか。
ただの身寄りのない、冒険者だった私ことを。
私はエレナ様が成人されるまで、側にいるつもりだ。
だが、エレナ様には心配されていた。
「リリサの婿を見つけるのは私の役目。良い人を探すね」
真顔で言う。
「私は必要ありません」と伝えると、少しだけ頬を膨らませる。
「リリサが年老いたとき、ひとりだったら寂しいでしょ?」
その言葉に、返答を失った。
師匠のフリーダ様も独り身だった。
良い人はいたのだろうか。
そんな話を師匠とはしたことがなかった。
「いずれ、エレナ様が独り立ちされたら探します」
そう話すと、エレナ様は「絶対だよ」と話していた。
エレナ様が十歳の頃。
私は屋敷で待機していたため、後で聞いた話だ。
騎士団と旦那様に同行した魔物討伐。
本来なら見学程度のはずだった。
皆が油断していたところへ、魔人が現れた。
近くにいたエレナ様は、単独で討伐した。
剣でもない。
魔法でもない。
膂力変換魔法を最大まで重ね。
拳で殴って倒したそうだ。
同じ年齢で私も魔人を倒したが、エレナ様はモノが違う。
そう思った。
誇らしい。
だが、同時に少しだけ怖さもある。
エレナ様はどこまでいくのだろうか。
初めての魔人討伐から、四年の月日が流れた。
エレナ様は十四歳になられていた。
だが――。
世間の言う「年頃の令嬢」という言葉は、どうにもあの方には似合わない。
朝は剣の鍛錬から始まり、昼は魔法理論、夕刻には騎士団との模擬戦。
汗を流しながら笑う姿の方が、豪奢なドレス姿よりよほど自然だった。
もちろん、変わった部分もある。
幼さは抜け、美しく成長された。
金色の髪は陽光を受ければ輝くようで、整った顔立ちは領内でも評判だった。
「まるで女神のようだ」
そう囁く者もいる。
だが本人はまるで気にしていない。
鏡を見る時間があるなら、剣を振る。
それがエレナ様だった。
貴族教育は既に全て修了している。
国語、算術、歴史、政治、経済、外交、礼儀作法。
苦手だった所作も、今では外へ出しても恥ずかしくない程度には洗練された。
……本人は未だに窮屈そうだが。
食事会や晩餐会の後など、部屋へ戻った瞬間にドレスと靴を脱ぎ捨てる。
「あー! 疲れた!めんどくさい!」
と、ソファへ倒れ込む姿は昔と変わらない。
私はそんな姿を見るたび、少し安心していた。
変わってしまった部分も多い。
だが、根の部分は変わっていない。
昨年頃からだろうか。
ブレイジング領内で、エレナ様に勝てる者がいなくなった。
実の兄君。
領内の騎士団長。
領内の剣士。
招かれた民間の強者。
誰も敵わない。
剣技。
魔法。
膂力。
その全てが圧倒的だった。
模擬戦など、もはや訓練になっていない。
エレナ様が本気を出せば、誰も相手にならない。
旦那様は嬉しそうに笑う一方で、時折複雑そうな顔をしていた。
当然だろう。
十四歳の娘が、大人の騎士たちを容易く打ち倒すのだ。
常識では測れない。
恐らく冒険者になれば、瞬く間にBランクへ到達する。
いや。
本気で実績を積めば、Aランクすら見えている。
私は元Aランク冒険者だからこそ、それが分かった。
この子は、異常だ。
貴族の女性としては心配も多いが、冒険者だった私からすると、エレナ様の成長が嬉しい限りだ。
たまに、旦那様や騎士団との見回りにも時折同行された。
だが、あの日以来。
魔人が現れることはなかった。
イグニス王国は治安が良い。
国境警備も厳重で、騎士の質も高い。
魔族が王国内へ侵入すること自体、極めて稀だった。
「つまらないなぁ」
ある日、エレナ様はぽつりと漏らした。
もっと強い敵と戦いたい。
もっと世界を見たい。
その瞳には、既に領地の外が映っている。
私は笑いながらも、内心では安堵していた。
平和が一番だ。
どれだけ強くとも。
私は、エレナ様が傷つく姿を見たくなかった。
十四歳になったエレナ様には、大きな悩みが二つあった。
一つは――女神の啓示。
十五歳で成人となるこの世界では、教会で啓示を受ける。
その内容は人生を左右する。
職業。
使命。
伴侶。
時には国の運命すら。
貴族の娘の進む先は、概ね決まっている。
政略結婚だ。
ブレイジング伯爵家は、王の懐刀とも呼ばれる名門。
三女とはいえ、価値は高い。
恐らく、どこか有力貴族との縁談が来る。
エレナ様は、それを嫌がっていた。
「知らない男と結婚なんて絶対嫌」
真顔でそう言う。
しかも、かなり本気だ。
嗜めるのも私の仕事だが、私は苦笑するしかなかった。
エレナ様の気持ちが、痛いほどわかるからだ。
もう一つの悩み。
それは、姉君たちとの関係だった。
仲が悪い。
昔からだ。
理由は私にも分からない。
だが、姉君たちはエレナ様に辛く当たった。
陰口。
嫌味。
小さな嫌がらせ。
何度か私は現場を見た。
だがエレナ様は、決してやり返さなかった。
自分の力を理解しているのだろう。
本気で怒れば、相手を傷つけてしまう。
だから黙って耐えていた。
ある日。
私は見かねて、姉君たちへ進言した。
「実の御姉妹でいらっしゃいますから、何卒仲良くしていただけないでしょうか」
結果。
今度は私への嫌がらせが増えた。
「平民上がりの侍女のくせに」
そんな陰口も聞こえた。
旦那様や奥様への告げ口。
事実を曲げられ、叱責を受けたこともある。
だが、そのたびに。
「お父様、お母様、それは違います」
エレナ様が、前へ出た。
冷静に。
感情的にならず。
誰が何をしたのか。
何が正しいのか。
静かに説明する。
旦那様も奥様も、最終的には理解してくださった。
エレナ様は、本当によく周囲を見ている。
力だけではない。
人の感情も。
空気も。
立場も。
きっと――。
きっとこの方は、良き夫人となる。
そう思った。
……まあ、本人は絶対に嫌がるのでしょうが。
ある日の夜だった。
就寝前。
私はいつものように、翌日の予定を確認しながらエレナ様の部屋の片付けをしていた。
すると、執事が静かにやって来る。
「リリサ、旦那様がお呼びです」
「……この時間に?」
嫌な予感しかしなかった。
呼び出される理由など、大抵決まっている。
エレナ様の姉君たちからの告げ口か。
あるいは――。
エレナ様本人が何かやらかしたか。
思い当たる節はある。
私はため息を飲み込み、急いで身支度を整えた。
幸い、まだ寝間着には着替えていなかった。
髪を整え、侍女服の乱れを直す。
そして静かな廊下を歩き、旦那様の執務室へ向かった。
扉をノックする。
「リリサです」
「入れ」
重い声だった。
部屋へ入った瞬間、空気の重さを感じる。
旦那様も。
奥様も。
どちらも暗い表情をしていた。
私は静かに頭を下げる。
「何かございましたか?」
「うむ……エレナのことだ」
やはりか。
私は内心で苦笑した。
先日、門番の勤務態度に腹を立てたエレナ様が、門をの一部を叩き壊した件だろうか。
門番が賄賂を受け取っていたことに激怒し、
「門番以前に人として失格!」
と言いながら、門ごと吹き飛ばした。
正義感が強いのは良い。
だが、加減というものを覚えていただきたい。
今回は旦那様も怒っておられたし、その件かもしれない。
だが――。
口を開いたのは、珍しく奥様だった。
「あの子は、貴族としての教養も作法も、もう十分すぎるほど身につけました」
「はい、おっしゃる通りでございます」
「力もある」
その言葉に、私は少しだけ表情を引き締めた。
奥様は続ける。
「来年、あの子は成人を迎えます。女神の啓示も……」
そこで言葉を切る。
私は、二人が何を言いたいのか測りかねていた。
すると旦那様が、静かに口を開いた。
「リリサ。単刀直入に聞こう」
「はい」
「エレナの力を、お前はどう見ている?」
私は一瞬だけ目を伏せた。
元Aランク冒険者として。
そして、十年近くあの子を見続けてきた者として。
誤魔化すべきではない。
「エレナ様の力は、既にAランク冒険者と同等……いえ、条件次第では、それ以上です」
私は迷わず答えた。
「まだ十四歳です。これから先の成長を考えれば……末恐ろしいほどかと」
沈黙。
暖炉の薪が、小さく爆ぜる。
やがて旦那様は、ゆっくりと息を吐いた。
「……やはり、お前もそう思うか」
「母である私から見ても、同じです」
奥様も静かに頷いていた。
二人とも、親として誇らしい反面、不安なのだろう。
エレナ様は、普通ではない。
それを誰より理解しているのは、家族なのだから。
そして旦那様は、真っ直ぐ私を見た。
「リリサ」
「はい」
「来年の誕生日の前に……エレナを連れて冒険者として旅に出ないか?」
「――っ!?」
思わず、息を呑んだ。
冒険者として。
旅に出る。
その言葉は、私の胸の奥に、忘れていた感覚を呼び起こした。
「旦那様……それは……」
「君も分かっているだろう。女神の啓示がどう出るかは分からん」
旦那様は苦い顔をする。
「場合によっては、他家へ嫁がせることになる」
「……はい」
「だが、エレナはそれを望まない」
その言葉には、父としての苦しさが滲んでいた。
「貴族として、父として、娘の幸せが一番だ」
奥様も目を伏せている。
「私も同じ考えです」
旦那様は続けた。
「だが、エレナの力は、貴族の屋敷の中だけで終わらせるべきではない」
「冒険者として、世界でこそ活かされる力だ」
「もちろん、啓示を受けた後の話だ。そうならない可能性もある」
「……どう思う?」
私はすぐには答えられなかった。
考えたこともなかったからだ。
この十年。
私の人生は、エレナ様と共にあった。
朝も。
昼も。
夜も。
ずっとエレナ様の側で生きてきた。
いつしか私は、冒険者リリサではなく、エレナ様付き侍女のリリサになっていた。
嫁がれるなら、嫁ぎ先へついていく。
それが当然だと思っていた。
だから。
再び旅へ出るなど、想像すらしていなかった。
私は一度深呼吸し、静かに口を開いた。
「……これから申し上げることは、私個人の独り言でございます」
「聞き流してください」
「うむ」
二人は静かに頷いた。
私はゆっくりと言葉を選ぶ。
「エレナ様は、このまま貴族令嬢として生きることを、良しとは思っておられません」
「ですが同時に、旦那様と奥様を深く慕っておられます」
「お二人の望みを叶えたいとも思っておられる」
「……だからこそ、迷っておられるのです」
部屋は静まり返っていた。
私は続ける。
「ですが私は……エレナ様の力は、この世界に必要な力だと考えております」
「氷炎の魔法使いと呼ばれた私が、ここへ導かれたのも……そのためではないかと」
旦那様も奥様も、黙って聞いている。
「エレナ様の女神の啓示は、恐らく――世界に関わるものになります」
自分で言っていて、背筋が冷えた。
だが、不思議と確信があった。
エレナ様は、普通では終わらない。
「お二人のお話は、とても嬉しく思います」
「ですが……まずは、女神の啓示を待ちませんか」
「全ては、その後に決めるべきかと」
長い沈黙の後。
旦那様は、小さく笑った。
「……なるほどな」
「確かに、まだ見ぬ答えを先に議論しても仕方あるまい」
奥様も穏やかに頷く。
「ええ。リリサの言う通りね」
そして旦那様は、静かに締めくくった。
「分かった。今日の話は保留だ」
「また来年……エレナの誕生日を迎えてから話そう」
「かしこまりました」
私は深く頭を下げ、執務室を後にした。
閉まる扉の向こうで。
旦那様と奥様が、どこか寂しそうな顔をしていたのが――妙に印象に残った。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は5/24日曜日22時に公開予定です。
引き続き宜しくお願い申し上げます。
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