その7 「氷炎の魔法使い②」
あれから一週間が経過した。
倒れていた騎士団によって、私は保護され、フリーダ様の遺体は回収された。
あやふやな記憶だが、私が魔法で魔人を倒した。
でも確かなのは、フリーダ様だけ亡くなった。
イグニス王国の功労者であるフリーダ様は国葬される予定だったが、生前の遺言によって、それは取りやめになった。
「大層な式はいらん。骨は土に還ればそれでいい」
そう書き残されていたらしい。
王はそれを汲んでくれた。
結局、葬儀は小さく、慎ましいものになった。
だが、参列者も多く、皆が深く頭を下げていた。
亡くなった後も、師匠の凄さがよくわかった。
私が紙芝居で見た、有名な騎士団副団長とその奥様も来ていたらしい。
フリーダ様の側付き騎士が、全てを取り仕切ってくれた。
この人は、最後まで泣かなかった。
私はというと、何もできなかった。
最後の別れもできず、ただ棺を見つめていただけ。
放心していた。
情けない限りだ。
氷炎の魔導士の弟子が聞いて呆れる。
葬儀の翌日。
フリーダ様の自宅に、ひとりの男が訪れた。
簡素な外套。
護衛も最低限。
だが、その気配は隠せない。
この国の王だった。
「……楽にしなさい」
私は慌てて膝をつこうとしたが、制された。
王は部屋を見渡す。
本棚。
魔導書。
焦げた跡の残る机。
「懐かしい部屋だ」
王の顔に、少しだけ懐かしさと悲しみが伺えた。
「王となる前、私はここによく訪れていた。氷炎の魔導士の逸話を聞くためだ」
そして私を見た。
「弟子である君は、これからどうする?」
その問いは、静かだった。
だが逃げ場はない。
私は口を開く。
声が出ない。
何も、考えていなかった。
「君は魔法を継承したのだろう?」
「……はい」
「十歳の子供には酷な事を言うが、もっとしっかりしなさい」
王の声が、わずかに強まる。
「フリーダが何のためにそれを受け継がせたと思っている?」
胸が締め付けられる。
「わ、私は……」
涙が込み上げる。
「ただ、フリーダ様に喜んでほしくて……」
沈黙。
王は、すぐには否定しなかった。
「それはわかる」
低い声。
「だが、それだけではないはずだ」
視線が鋭くなる。
「君は分かっているはずだ」
分かっている。
本当は。
私は目を閉じた。
思い出が、押し寄せる。
口の悪い叱責。
不器用な優しさ。
魔法の基礎を何度も叩き込まれた日々。
「魔法はな、イメージだ」
「自分自身と大切なモノを守るためのもんだ」
そして最後の言葉。
「私が死んだら、やりたいことをやりなさい」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「私は……」
喉が震える。
けれど今度は、言葉が出た。
「私は、世界を見たい」
王は何も言わない。
「師匠は、私が一人でも生きていける力を与えてくれました」
「だから私は、それを世界で試したい」
「いつか、大切な人を守れるようになりたい」
静かな部屋に、私の声だけが響く。
「まずは、冒険者になります」
王は、しばらく私を見つめていた。
やがて小さく頷く。
「……そうか」
それだけだった。
引き止めもしない。
褒めもしない。
だが去り際に、こう言った。
「フリーダは、誇りに思うだろう」
それだけで、胸が熱くなった。
数日後。
私は十一歳になった。
誕生日を祝う者は、いない。
フリーダ様の遺言で、この自宅は私の物となったが、私はこれから旅に出る。
家の中は静かだった。
生活の痕跡が、そのまま残っている。
椅子。
魔導書。
湯のみ。
全部、師匠の匂いがする。
このままここにいれば、私は前に進めない。
私は魔導書だけ外に持ち出し、庭に立った。
空は、よく晴れていた。
深く息を吸う。
「……すみません、師匠」
掌に魔力を集める。
青い炎が灯る。
氷炎。
破壊のためではない。
区切りのためだ。
家に向けて放つ。
青い炎は建物を包み込む。
激しくは燃えない。
静かに、凍りつきながら焼いていく。
やがて家は、白い灰となって崩れ落ちた。
思い出ごと、消すわけじゃない。
背負っていくために、形をなくした。
私は振り返らなかった。
小さな荷物だけを持つ。
腰に下げた短剣と小さな杖。
それとフリーダの書。
そして氷炎の魔法。
私は歩き出した。
冒険者となり、二年が経過した。
私は十三歳になっていた。
最初は雑用ばかりだった。
薬草採取、低級魔物の討伐、護衛任務。
氷炎は使わなかった。
いや――使えなかった。
あの魔法は、軽々しく振るうものではない。
身バレするし、今の私では自分を守ることすら怪しいと感じていたからだ。
それと、師匠の言葉が、いつも胸にあった。
だが、ある日。
私は一つのパーティーに誘われる。
実力主義の探索者たち。
目指すは、未踏破のS級迷宮。
正気の沙汰ではないと笑われていた場所だ。
十三歳の私には、荷が重すぎる挑戦だった。
それでも、私は参加した。
荷物持ちと雑用のためだ。
迷宮は地獄だった。
上層からして異常。
魔物の質も量も、常識外れ。
仲間が一人倒れ、また一人倒れた。
撤退の声もあった。
だが、最奥で現れたのは、魔人なのか魔物なのか区別もつかない怪物。
私は、震えなかった。
だが、最後の手段。
「氷炎!」
氷炎を解き放った。
青い炎が迷宮を包む。
凍てつきながら燃え上がる世界。
仲間を庇い、進み、戦い続けた。
だが、魔物を倒した時。
私以外、誰も立っていなかった。
全滅。
それでも、私は歩いた。
泣く暇はなかった。
最奥へと辿り着き、迷宮の魔石を破壊し、迷宮を踏破した。
たった一人で。
地上に戻ったとき、私は血塗れだった。
十三歳の少女とは思えない目をしていたと、後に言われた。
あの魔物は、過去に多くの冒険者が挑み全滅していたそうだ。
討伐の功績が認められ、私はAランク冒険者に昇格した。
世界に数人しかいない称号。
師匠と同じ場所に十三歳で立てた。
「氷炎の魔法使い」
いつの間にか、そう呼ばれていた。
だが誇りはなかった。
仲間を守れなかったからだ。
冒険者が簡単ではないと知っていたが、やはり私は力不足だ。
それから二年。
依頼を受け、魔物を討ち、魔族を退ける。
戦場は増え、名は広まった。
だが私は、どこか空虚だった。
強くなればなるほど、分からなくなる。
私は、本当に何か守れているのだろうか。
十五歳の誕生日。
バイエルン帝国の中央教会。
厳かな空気の中、私は祭壇の前に立っていた。
女神の啓示を受けるためだ。
神父が水晶を掲げる。
「女神の御心を示されよ」
私は無言で手をかざした。
次の瞬間、水晶が強く光った。
通常よりも、明らかに強い。
神父が一歩後ずさる。
光が収まると、文字が浮かび上がった。
神父は読み上げる。
「……イグニス王国」
ざわめき。
続けて。
「ブレイジング領に住まう伯爵家三女のメイドとなれ」
教会が静まり返る。
短い。
だが、異様なほど具体的。
神父が困惑した顔で私を見る。
「こ、これは…」
私は水晶を見つめた。
光はもうない。
ただ、冷たい透明な石。
――なぜ私がメイド?
Aランク冒険者。
氷炎の魔導士。
迷宮を踏破した。
それなのに。
伯爵家三女の世話係。
私は教会を出た。
バイエルン帝都の石畳を歩きながら、何度も考えた。
女神の啓示は絶対か?
従わなければならないのか?
従わない人の末路は見てきた。
私は、冒険者だ。
誰かの従者になるために強くなったわけじゃない。
師匠は、私に自由をくれた。
世界を見ろと言ってくれた。
なら、無視してもいいのではないか?
その夜。
宿で一人、天井を見つめながら考える。
フリーダの声がよみがえる。
『守るための魔法だよ』
守る。
私は深く息を吐く。
「……行くだけ、行ってみようかな」
合わなければ帰ればいい。
女神が何を考えているのか、確かめるだけだ。
それが、私なりの答えだった。
数日後。
旅の準備を整えて、私はバイエルン帝都を発ち、イグニス王国ブレイジング領へ向かう。
伯爵家の門前。
立派な屋敷。
門番に名乗る。
「啓示を受けて参りました。冒険者リリサと申します。これは、バイエルン帝都の教会からの紹介状です」
門番の目がわずかに見開かれる。
氷炎の魔法使いの名は、この国にも届いているのだろう。
「伯爵様へお取り次ぎ願います」
やがて屋敷へ通された。
通されたのは客間。
いや、客間という言葉では足りない。
磨き上げられた大理石の床。
深紅の絨毯。
壁には剣と高価な絵画。
天井のシャンデリアは、王都の上級貴族に匹敵する。
(……こんな部屋に通されたのは初めてだなぁ)
冒険者として貴族の依頼を受けたことはある。
だが大抵は控えの間か、使用人の部屋だった。
しばらくして扉が開く。
威厳ある壮年の男と、優雅な女性が入ってきた。
「君が氷炎の魔法使いだね?」
私は立ち上がり、頭を下げる。
「リリサです。お初にお目にかかります」
「うむ。私がブレイジング領主、バルバトル・フォン・ブレイジングだ。こちらは妻のエレオノラ」
夫人は柔らかく微笑んだ。
「話は聞いている」
「はい」
伯爵は腕を組む。
「本当に、このような啓示が出たのか?」
「はい。間違いございません」
伯爵は眉間に皺を寄せる。
「三女はエレナと申してな。まだ四歳だ。我々の子としては、至って普通の、のんびりした幼子だ」
「……はぁ?」
「とても君のような強者が面倒を見るような子には見えんのだ」
私は一瞬、戸惑った。
(普通の……子?)
女神の啓示が、普通の子を指す?
夫人が口を挟む。
「でもあなた、リリサさんのような方が傍にいれば、エレナも少しは変わるのではなくて?」
「それに、背筋も綺麗で、お顔立ちも整ってられるわ。きっとエレナも喜びます」
私は思わず苦笑した。
(顔で判断されるのは、冒険者としては初めてだな……)
伯爵はため息をつく。
「だがな、エレナは人見知りでな。屋敷の侍女にも懐かん」
「人見知り……ですか」
そのとき。
扉が、静かに開いた。
小さな足音。
「お父様、お母様」
伯爵が振り向く。
「エレナ、どうした?」
とことこと歩いてくる小さな少女。
淡い金髪。
大きな金色の瞳。
奥様にそっくりな顔。
絵本から抜け出たような幼子だ。
その子が、迷いなく私の前に立った。
じっと見上げる。
そして。
「お姉さん、綺麗」
次の瞬間、柔らかな両手が私の頬に触れた。
「……!」
部屋が凍りつく。
「エレナが、他人に声を……」
夫人の声が震える。
伯爵が慌てる。
「エレナ、失礼だ――」
私は、即座にかぶせた。
「いえ、旦那様」
自然に、微笑みがこぼれる。
「お嬢様が懐いてくださったようで、私は嬉しいです」
本心だった。
冒険者として、依頼をこなし、迷宮を踏破してきた。
氷炎の魔導士と呼ばれてきた。
けれど。
こんなふうに、無垢な目で見られたことはなかった。
ただ“綺麗”と。
ただ“お姉さん”と。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
守りたい。
そして、この子の中に何かを感じた。
そう思えた。
理由はわからない。
だが確信だけがあった。
私は跪き深く頭を下げる。
「伯爵様――いえ、旦那様」
顔を上げる。
「エレナ様の侍女として、私を雇っていただけませんか」
伯爵は目を丸くし。
夫人は涙ぐみ。
小さな少女は、私の手をぎゅっと握った。
「お姉さん、これからもいっしょ?」
エレナ様のこの無垢な表情を見た、その瞬間。
女神の啓示の意味が、ほんの少しだけわかった気がした。
こうして。
私、氷炎の魔導士リリサは、冒険者としての名を胸に秘め、ブレイジング伯爵家の侍女となった。
それが、私の新しい戦場。
そして。
エレナ様との、十年の始まりだった。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は5/21木曜日22時に公開予定です。
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