その4 「魔界の村」
魔界の森は、想像以上に古代の森だった。
ティラノサウルス型に続き、翼を広げたプテラノドン型が空を旋回し、角を三本持つトリケラトプス型が群れで移動し、プラキオサウルスが木々の隙間から首を出していた。
前世で見た図鑑の挿絵が、そのまま現実になったような光景だ。
だが違うのは、すべてがブレスを使い、尾が三本、魔力を纏っている。
体から漂う魔力の密度が、地上の魔物とは桁違いだった。
「下位の冒険者がいたら、ひとたまりもないな」
私たちならば、討伐できない相手ではない。
だが無駄に戦う理由もない。
体力も温存したい。
倒すべき時だけ倒し、避けられる時は徹底して避けた。
恐竜型魔物以外にも、地上で出くわす者たちもいた。
スライム系統、ウルフ型、トロール、そして特に多かったのがトレントだ。
しかも火で燃えない特殊な個体。
雷や氷でダメージを与えられるから、私とレーナで魔法を使う。
とどめは、ランとアイに任せる。
魔界での最大の問題は、魔物ではなかった。
小川の水は赤茶色で見た目こそ不気味だったが、味は麦茶のように香ばしく、体に染み込む。
水筒に詰めておけば、当面の水分は問題ない。
問題は――食料だった。
原因は明白。
「レーナ、お前の食べ物はもうない!探してこい!」
「仕方ないじゃない!お腹すくんだもん!」
「“もん”じゃない!私たちの分にまで手をつけようとするなんて、冒険者の風上にも置けないやつ!」
「ふふん!Aランクの私に従いなさい!」
「……」
森の中で、いつものやり取りが響く。
地上から持ってきた保存食は、当初は十分あるはずだった。
だが、レーナの底なしの食欲と、魔界での戦闘頻度の高さが想定を超えた。
魔力を使えば腹も減る。
それはわかる。
だが、他人の干し肉までうっかり食べるのは別問題だ。
「エレナ様、残りはあと三日分ほどです」
アイが静かに報告する。
「……現地調達だな」
私の一言で方針は決まった。
まずは小川。
水が飲めるなら、魚もいるはずだ。
アイが素早くクナイを構え、水面を睨む。
赤茶色の流れの下、影が走った。
「います」
次の瞬間、水しぶき。
一閃。
跳ね上がった魚を、私が空中で掴む。
見た目はほぼ地上の魚と変わらない。
だが鱗はわずかに紫がかっている。
焚き火で焼く。
脂は乗っている。匂いも悪くない。
一口。
「……」
飲み込む。
少し遅れて、頭がふわりと重くなる。
「……これ、麦茶が濃いな」
「水と変わりませんね……」
ランが眉をしかめる。
アイも静かにうなずく。
体が拒絶するほどではない。
「非常食になるわね」
レーナが腕を組む。
「栄養はありそうだけど、水と同じ味だから常食には向かないわ」
ということで、魚は保存用に少量だけ確保。
主食にはならない。
次に見つけたのは、森の奥で跳ねる小さな影。
紫がかった毛並み。
長い耳。
「うさぎ……か?」
「動物ですね」
ランの嗅覚が判断する。
魔物特有の殺気や魔素の乱れがない。
私は静かにうなずいた。
「やるか」
ランとアイが左右に展開。
逃げ道を塞ぐ。
私が正面から気配を出し、跳ねた瞬間。
アイのクナイが地面すれすれを走る。
進路を変えたところを、ランの双剣で鞘ごと叩き落とす。
無駄がない。
仕留める。
血抜き。
解体。
焚き火の煙を最小限に抑えながら焼く。
肉は柔らかい。
匂いも地上のうさぎとほぼ同じ。
一口。
「……これはいける」
魔力酔いもない。
味も悪くない。
「やっとまともな食料ね」
レーナがほっとした顔で肉をかじる。
「お前のせいだけどな」
結局、数匹を捕獲し、干し肉に加工することにした。
魔界の空気は乾燥している。
干し肉作りには都合がいい。
問題は植物だ。
森には草もキノコも生えている。
だが――
紫に発光するキノコ。
黒い汁を垂らす草。
触れただけで煙を出す苔。
「……これは無理だな」
「どう見ても毒々しいわね」
「死ぬ可能性があります」
満場一致で却下。
魔界での植物鑑定は、今の私たちには難易度が高すぎる。
「つまり、当面は肉中心の生活ね」
「レーナ、食い過ぎるなよ?」
「誰が食い意地張ってるのよ!」
「事実だろ」
「失礼な!」
頭の上でアホ毛がピョンピョン跳ねている。
言い合いながらも、干し肉を均等に分ける。
アイは自分の分を最後に受け取った。
「……足りていますか?」
ランが心配そうにアイを見つめる。
「大丈夫です。私は少食ですから」
影の者は食事が少なくていいのだろうか。
魔界の森での生活は、あまり余裕はない。
水は確保できる。
肉もなんとかなる。
だが、安心はできない。
魔族の村が近い今、長期滞在は危険。
「食料の問題は念頭に置いておこう」
私がそう言うと、三人がうなずいた。
紫と深紅の森の奥で、私たちは静かに肉を噛みしめる。
魔界は地獄ではない。
だが、優しくもない。
生きるには、奪い、狩り、判断するしかない。
その現実は、地上と同じ気がする。
今日は魔力消費が多く、私とレーナは疲れていた。
夜はレーナが地下に空間を作った。
柔らかい赤土を固め、魔力で内側を補強し、外からは自然な地面にしか見えないよう偽装する。
「この森の地面は柔らかいから、地下室を作りやすいのよ」
地下室を自慢げに言うレーナに、ランとアイが素直に感心する。
「以前から見張りのいらない寝床を考えてたんだけどね」
内部は意外と広い。
湿気もなく、温度も一定。
焚き火すら必要ない。
しかも、空気穴まである。
魔界に着いて、ここまで安眠できるとは思わなかった。
疲れをとりつつ、数日ほど森を彷徨った頃だった。
ランがぴたりと足を止めた。
耳がわずかに立つ。
「近くに……村、あります」
「確実か?」
「はい。匂いと……音。なんというか……地上の街や村と同じような雑踏の気配がします」
私は腕を組み、目を細めた。
魔族の村。
ついに文明圏へと近づいた。
私たちは物陰に身を寄せ、相談を始める。
「どうする?この外見じゃ人族ってわかるよな?」
「どうなのかしら?」
レーナが腕を組む。
「そもそも人族って存在すら知らない可能性ないかしら?」
「なるほど、そういう事もあり得ますよね」
ランとアイが静かに頷く。
確かに。
魔界から地上へ侵攻してきた記録はある。
だが、魔界側の認識はどうなのか。
敵対種族として明確に把握しているのか。
それとも遠い別世界の存在程度なのか。
それすら知らないのか。
「不確定要素が多すぎるな」
私は顎に手を当てる。
「レーナの変化の魔法で、エルバラのような見た目になるのはどうだろうか?」
エルバラ。
新生魔王軍四魔将の一人、吸血族の女。
あの蒼白な肌と紅い瞳。
「えー……あの女思い出したくないわ」
レーナが露骨に顔をしかめる。
「まぁまぁ、そう言わず」
そのとき。
「私が様子を見てきましょうか?」
アイが静かに割って入った。
三人とも、少し驚く。
普段は一歩引いて状況を見る彼女が、自ら提案するのは珍しい。
「大丈夫か?」
「はい。偵察は私の得意分野です」
確かに。
気配遮断、足音消し、視線回避。
この中で最も潜むことに長けているのは彼女だ。
「うーん……任せた方が良さそうだな」
「アイさん、気をつけてくださいね」
ランが心配そうに言う。
「無理するなよ?見つからず、問題起こさずだ!」
「そこの魔法使いのようにはダメということですね?」
アイがちらりとレーナを見る。
「ちょっと!私がトラブルメーカーみたいに言うのやめてもらえますか?」
……本当のことなんだけどな。
「まぁまぁ、落ち着いて」
私は苦笑する。
レーナが真面目な顔になり、指示を出す。
「まぁいいわ!
いい?調べることは三つ。
一つ、村の位置と規模。
二つ、住民の外見的特徴。
三つ、社会性。武装の有無、階級構造、雰囲気ね。
余計なことはしない。接触もしない」
「頼むな」
「はい、エレナ様」
アイは一礼した。
次の瞬間、彼女の気配が薄れる。
足音も、衣擦れもない。
森の色と同化するように、すっと消えた。
「速いですね」
ランが感心する。
「ああ、速さだけはこの中で一番だな」
「隠密もね。正面戦闘はまだまだだけど」
レーナが付け加える。
私は森の奥を見つめた。
村ーー魔族の社会。
もし彼らが私たちと同じように暮らしているなら。
家族がいて、笑って、働いて、生きているのなら。
私たちは何を調査し、何を知ることになるのだろう。
敵の本拠地。
だが、そこに生活があるとしたら。
胸の奥が、わずかにざわついた。
「まぁ、朗報を待つしかないわね」
レーナが肩をすくめる。
風が紫の葉を揺らす。
遠くから、微かに金属音のような響きが聞こえた。
村は、確実に存在している。
魔界の文明。
その正体が、もうすぐ明らかになる。
――静かに。
呼吸を浅く、一定に。
エレナ様達と別れ、私は一人で単独行動に入った。
目的は、魔界の村の調査。
いけすかないが、あの魔法使い――レーナの言う通り調査をする。
調べるのは三点。
一つ、村の位置と規模。
二つ、住民の外見的特徴。
三つ、社会性――武装、階級、統率の有無。
余計な接触はしない。
発見されないことが最優先。
私はゆっくりと息を吐いた。
勇者エレナ様のお役に立てる。
それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。
最初に会った時にわかった。
あの方は本物の勇者だ。
優しく、強く、芯がある。
困っている人を見過ごせない。
その背中を見た瞬間、確信した。
――この方のためなら、命を懸けてもいい。
私は先祖代々、勇者に仕えるために力をつけてきた一族の末裔。
影に徹し、刃となり、盾となる。
ならば、やるべきことはただ一つ。
私は地面に手を触れた。
赤茶色の土。
地上より柔らかいが、表層は粘る。
足跡が残りやすい。
――なら、残さなければいい。
魔力を足裏に集中する。
足裏と地面の間に薄く魔力の膜を張る。
圧を分散し、痕跡を消す。
一歩。
沈まない。
成功。
感覚を研ぎ澄ます。
獣神姫ラン様が教えてくれた方向へ進む。
彼女の嗅覚は確かだ。
森は静かだが、生きている。
紫の葉が擦れ合い、低く鳴る。
赤茶色の土は湿り気を帯び、どこか鉄の匂いが混じる。
かなり進んだところで、匂いが変わった。
――煙。
――焼いた肉。
間違いない。
村だ。
鼓動がわずかに早まる。
私は呼吸を整え、さらに慎重に進む。
やがて、森がわずかに開けた。
視界の先に、人工物の影。
黒い石造りの建物。
赤い金属の装飾。
中央に立つ、淡く光るマナタイト。
間違いない。
魔族の村だ。
私は黒い幹の陰に身を潜め、ゆっくりと視線だけを前に出す。
そのとき――
「子供だけで森に行くのは危ないよ」
背後から声がした。
高い。
幼い声。
反射的に振り向く。
角の小さな子が転んでいる。
もう一人の子が手を差し伸べていた。
小さな手。
短い角。
灰色の肌。
その光景に、ほんの一瞬、意識が逸れた。
「――あ」
声を出してしまった。
いや、反射的に助けようとしてしまった。
勇者エレナ様のお役に立てるという高揚。
うまくやれているという油断。
影であるべき私が、浮ついていた。
「……誰?」
少し高い、子供の声。
今度は、はっきりとこちらへ向けられている。
背筋が凍る。
子供の視線は、正確に私のいる木の陰を射抜いていた。
子供の瞳が、わずかに光る。
縦に裂けた瞳孔。
逃げるべきか。
黙るべきか。
判断が、一瞬遅れる。
子供が一歩、こちらへ近づく。
純粋な好奇心の顔で。
「ねえ、誰なの?」
その無垢な声が、逆に刃になる。
私は、決断を誤った。
初めて魔界の住人と目を合わせた。
この出会いが――
私の運命を大きく変えることになる。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
次話は5/16土曜日22時に公開予定です。
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