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その18 「足下の世界」

裂け目の縁に立ち、私は思わず息を呑んだ。


かなり地下深く、底が白い。


闇の中にあるはずなのに、ぼんやりと淡い光が揺らめいている。

雪でも氷でもない。

発光しているようだった。


「……綺麗ですね」


ランがぽつりと呟く。


だがその光は、どこか不気味でもある。


「ここなら岩石だから、足場を作れるわ」


レーナが一歩前へ出る。

両手を地面に置き、魔法を使う。


「はい!」


地面が軋み、裂け目の内壁から石がせり出した。


「おぉ、さすがレーナさん」


階段状の足場が、下へ下へと伸びていく。


「よし、行くぞ。慎重にな」


レーナを見ると、彼女の足は震えていた。


「そうか、高所恐怖症だったな……」


「え、エレナ、手を、手を繋いで…」


アホ毛がシナシナとヘタってしまった。


「わかったよ」


私とレーナが先に降り、ラン、アイの順で続く。


足場はしっかりしているが、幅は狭い。

下を覗けば、白い光の海がゆらりと揺れている。


「勇者様、足元お気をつけください」


アイが私の背後から静かに声をかける。


「あ、獣神姫様、頭危ないです」


今度はランの頭上に突き出た岩を素早く払い落とす。


「魔法使い!もっと強固な足場を作りなさい。気が利きませんね」


レーナにだけ辛辣だ。


高所恐怖症で震えているレーナの眉がぴくりと跳ねる。


「あー!もう!うるさいわね!陰気娘!」


「私は陰気ではありません」


アイが無表情で話す。


「陰気よ!」


言い合いが裂け目の中で反響する。


私は思わず苦笑しつつ、二人の間に声を挟む。


「まぁまぁ」


「エレナもランも、その子に甘すぎるわ!Aランク魔法使いで蒼天の二つ名持ちの私が、なぜこんな扱いなのよ!」


それは日頃の行いだろう。

仕方ない気もする。


でも、私はアイに振り返る。


「アイ。彼女も仲間だ。こうやって揉め続けると、後で連携に響く。ここは仲間として扱ってくれないか?」


静寂。


アイは一瞬だけレーナを見つめ、そして深く頭を下げた。


「……勇者様がおっしゃるなら、そのように」


「それと、私はエレナでいい。ランもレーナもだ」


「わかりました。エレナ様。ラン様、レーナ」


「私だけ呼び捨てなのが気に入らないんですけど?」


レーナのこめかみに青筋が浮かぶ。


「まぁまぁ、とりあえずこれで落ち着いてくれ」


「ふん!さっさと降りるわよ!」


文句を言いつつも、土魔法を使い、再び石の足場が伸びていく。



* * * * * *



どれくらい降りただろうか。


地下だから当然だが、闇の中から甲高い鳴き声が響く。


「来るぞ!」


黒い影が群れをなして襲いかかってきた。


巨大な蝙蝠型魔物。

翼を広げれば人の背丈を超える。


「チッ、鬱陶しい!」


レーナの火球が炸裂し、魔物が燃え落ちる。


ランとアイが滑るように前へ出て、首筋を斬り裂く。


私も火炎弾で、二体まとめて叩き落とした。


だが、そのたびに足場作りは止まる。


そして気づいた。


「……でかくないか?」


「大きいですね」


降りるほどに、蝙蝠型魔物の体格が明らかに大きくなる。


それと同時に空気が重い。


魔素が濃い。


肌にまとわりつくような、粘ついた感覚。


私はまだ耐えられる。ランもアイも問題なさそうだ。


だが。


「……っ」


レーナの顔色が悪い。


魔法使いは魔素の影響を受けやすいようだ。


「気分悪いわね……ここ、好きじゃないわ」


3分の1ほど降りたところで、私は手を上げた。


「一旦休もうか」


レーナが壁に手を当て、大きめの横穴を穿つ。


即席の洞穴。


内部を少し整形し、床を平らにする。


野営の準備を整えた。


「見張りは私が」


アイが当然のように言う。


「助かる。でも、無理してないか?」


「問題ありません」


私はレーナとランを見る。


「二人とも先に寝ろ。特にレーナはな」


「……言われなくても寝るわよ」


強がっているが、足場、戦闘、高所恐怖症と疲労は隠せていない。


「お先に失礼しますね」


ランも横になった。


やがて二人の呼吸が落ち着く。


洞穴の入り口付近で、私はアイの隣に腰を下ろした。


裂け目の底から、白い光が揺らめいている。


そして、零に入らなくてもわかる、濃い魔素の流れ。


「……どうだ?」


私が小声で問うと、アイは少しだけ目を細めた。


「そうですね。里をこうやって出るのは初めてなので、面白いです」


「ついて来れそうか?」


「ええ。楽しみです」


私は底を見つめる。


あの先に、魔界がある。


未知の世界。


「エレナ様は、こんな旅を続けておられるのですね」


アイが言う。


「冒険者だからな」


私は笑う。


「未知があるなら、行く。調べる。確かめる。それが私のやり方だ。たまに、人を助けたり、面倒ごとに巻き込まれるけどな」


アイはしばらく黙っていた。


やがて、静かに告げる。


「……だから、お二人はエレナ様についてくるのですね」


その横顔は、いつもの冷たい表情とは違って見えた。


裂け目の底から、白い光がゆらりと揺れる。


まだ、先は長い。


だが確実に。


私たちは魔界へと近づいていた。


見張りを交代し、短い眠りで体力を回復させた私たちは、再び裂け目の底へ向かって歩き出した。

 

下へ行くほど空気は冷え、魔素は濃く、肺の奥がじんわりと重くなる。


「……ふぅ」


レーナが足場を伸ばしながら、小さく息を吐く。

まだ、魔素の濃度に慣れていないようだ。


そのときだった。


彼女の足が止まる。


腕を組み、じっと前方を見つめている。


「レーナ、どうした?」


「……あれ、見てよ」


顎で示された方向へ視線を向ける。


「……岩が、浮いてるな」


足元より少し下。

裂け目の中央付近に、大小さまざまな岩塊が空中に静止している。


落ちるでもなく、回転するでもなく、ただそこにある。


「岩……浮いてますね……」


ランが目を丸くする。


「………」


私たちは、しばし言葉を失った。


「あれ、どういうことかしらね?」


レーナは顎に手を当て、目を細める。


「……わからん」


正直な感想だ。


浮遊魔法や重力魔法の気配は感じない。

魔物の巣でもなさそうだ。

罠でも無さそう。


だが。


「3人とも、一旦ここで休みましょう」


レーナがきっぱりと言う。


「あそこ、たぶんかなり重要な気がする」


私は眉を上げる。


「それはベテラン冒険者としての勘か?」


「そうね」


迷いなく頷いた。


「あそこ、何かのトラップか、環境の不一致。説明できないけど……無視すると大変なことになる気がするわ」


「私たちには、不思議な岩が浮いてるくらいにしか思えないな」


「ええ、私も理屈はまだ掴めてない。でも……ちょっと待ってて」


彼女はしゃがみ込み、裂け目の構造を観察し始めた。


私たちは少し離れて小休止することにした。


私は岩壁に背を預け、アイに声をかける。


「アイは、あの岩をどう思う?」


「……申し訳ありません。私にも、不思議な岩としか」


「気にするな、私も同じだ」


ランが苦笑する。


「私もですよ。レーナさんに任せましょう。冒険者としての経験値が高いだけが、レーナさんの取り柄ですからね」


「お二人は、あの方を信じておられるのですね?」


アイが少し意外そうに問う。


「そうだな。何度も助けられた」


「普段の生活はクソですけどね」


「ラン、クソなんて言葉は使ったらダメだよ。乙女として」


「はーい。気をつけます」


軽い冗談の言い合い。


張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐ。


アイはそのやり取りを、どこか不思議そうに見ていた。


「……皆さんは、緊張の中でも笑えるのですね」


「笑わないとやってられない時もあるからな」


私は肩をすくめる。


「アイは、冒険者やりたいと思わなかったか?」


「はい。里の掟として、他国に深く関わることは禁じられていました」


「そうか」


残火の里は閉じた世界だった。


だが――。


「それなら、いつか登録して旅をしてもいいかもな。

 アイは絶対に冒険者やれると思うぞ」


「私が……ですか?」


「気配消しの技術、状況判断、十分だ」


ランも笑顔で頷く。


「私も、エレナとレーナさんを見て冒険者に憧れたんですよ」


「……憧れ、ですか」


アイは小さくその言葉を発した。


裂け目の奥から、淡い光が揺らめく。


浮かぶ岩。


濃くなる魔素。


そして、魔界へ続く道。


その入口で、私たちは立ち止まっている。


少し離れた場所で、レーナがゆっくりと立ち上がった。


何かを掴んだ顔だ。


「エレナ!ちょっと手伝って!」


「何かわかったのか!?」


「足元に手のひらサイズの石があったの」


彼女の手には、丸く削れた小石。


「それで?」


「この石を、穴の下めがけて思いっきり投げて」


「穴の下にか?」


「そう!潰さないようにね!」


「……注文多いな」


私は深呼吸し、野球の投手のように足を上げる。


腰をひねり、全身を連動させる。


「ふんっ!」


石は鋭く放物線を描き、浮いている岩の横を通過し、穴の奥へ吸い込まれていった。


「通過したな!」


「……まだよ」


レーナは目を細めて、落ちていく石を見つめている。


石は勢いのまま、白い光の底へ向かうがーー。


その瞬間。


「え?」


「なんですか、あれ!?」


落ち続けるはずの石が、ある一点で減速した。


いや。


違う。


減速したのではない。


落ちる向きが、変わった。


「……戻ってくる?」


石は“下”に向かっていたはずなのに、今は私たちのいる方向へ向かって“上に戻って”いる。


まるで、上下が入れ替わったかのように。


そして。


浮遊岩の並ぶあたりで、ぴたりと止まった。


空中に、静止。


「レーナ……あれはどういうことだ? 魔法か?」


「違うわ」


レーナは杖を掲げる。


「ちょっと、見てて」


杖を掲げた。

火属性の魔法。


浮いている岩より、さらに“下”の岩盤を狙い撃つ。


破片が散る。


だが、下へ落下せず、上へ向かってくる。


「えぇぇ!?」


ランが悲鳴を上げる。


破壊された岩も、先ほどの石と同じ地点で止まった。


レーナが、にやりと笑う。


「これで間違いないわ」


「何がだ?」


「ちょうど、あの岩が浮いている付近が“ゼロ地点”なのよ」


「ゼロ地点?」


「そう。あそこを境にして、重力が打ち消しあってる」


彼女は空中を指さす。


「あの大穴の先から、こちらへ向かって働いている力も重力ってことはーー」


「……ああ」


私は、ゆっくり理解する。


「向こう側にも地面があるってことか」


レーナがにやりと笑う。


「さすがエレナ。飲み込みが早いわね」


ランは目をぱちぱちさせている。


「えっと……どういうことですか?」


レーナはしゃがみ込み、地面に杖で図を描き始めた。


丸い星ではない。


彼女たちの常識は、平らな地面だ。


だから、描かれたのは横から見た“断面”。


一本の線。


その下に、もう一本の線。


「こういうことよ」


上の線に棒人間を描く。


「これが私たち」


下の線に角のある小さな魔族の絵。


「そして、これが向こう側」


ランとアイが息を呑む。


続けて大穴を描き、重力を矢印で説明する。


「つまり……地下世界は、私たちの足元のさらに下にあるってこと?」


「そう。この深さ分の岩盤を隔てた裏側ね」


レーナは浮遊地点に×印を描く。


「ここが、あの岩が浮いてるところね」


私は裂け目の底を見下ろす。


白く輝く底。


あそこは――魔界の天井なのかもしれない。


「……魔族は、私たちの足元からやってくる」


「数百年前から、ずっとね」


アイが静かに呟く。


「勇者様……では、この戦争は……」


「隣人同士の争いってことになるな」


胸の奥がざわつく。


遠い異界だと思っていた。


別世界だと思っていた。


だが違う。


地続きだ。


ただ、上下が逆なだけ。


レーナが立ち上がる。


「問題はここからよ」


「何がだ?」


「この境目をどう通過するか」


なるほど。


確かに。


さっきの石は、真ん中で止まっている。


だが、自分の体で突っ込めばどうなる?


「慎重に行く必要があるな」


「ええ。状況を理解したとしても、重力をどうやって攻略するかね」


私はもう一度、浮かぶ岩を見た。


世界の裏側へ続く裂け目。


魔界は遠くない。


足元にある。


その事実が、ぞくりと背筋を震わせた。

魔界まであと一歩だ。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は5/9土曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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