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その17 「地下で眠る龍姫」

魔界――。


数百年前、突如として地上へ侵攻してきた魔王と魔族たちの故郷。


彼らは空間を越え、こちらへ現れた。

だが、地上に生きる人族で魔界をその目で見た者は、誰一人としていないと言われていた。


その存在も、脅威も、憎悪も、恐怖も語られてきた。


けれど、実際にどんな世界なのかは、誰も知らない。


その未知へと繋がるかもしれない道が、今、私の足元にある。


残火の里の地下深く。

白龍の眠るさらに奥。

巨大な大穴。


そこを降りれば、魔界へ辿り着く可能性が高い――と、アスラは言った。


私は、その話を聞いた瞬間から胸が高鳴っていた。


魔界を見てみたい。


戦うためではなく。

滅ぼすためでもなく。


知るためにだ。


魔族がどんな空を見て、どんな土地で生き、どんな日常を送っているのか。

それを知らずして、私が目指す未来を作る事はできない。


その日の夕刻、私はレーナとランを呼び出した。


里の外れ、小川のような地下水の流れる場所。

地下水のせいで少し寒い。


「魔界へ行く?」


レーナが片眉を上げる。


「魔界って、あの魔界ですか……?」


ランは少し青ざめている。


「あぁ。そこに繋がる可能性がある道が見つかった」


私は隠さず全てを話した。

アスラの隠し事についてだ。

白龍のこと。

大穴のこと。

濃い魔素の流れ。


そして、自分の考えも。


「私は、魔界を見たい」


二人は黙って聞いていた。


「魔族を知るために?」


レーナの問い。


私は首を横に振る。


「いや、私が作りたい未来のためにだ」


地上と魔界。

憎しみの連鎖を断ち切るなら、まず敵を知らなければならない。


レーナはふっと笑った。


「まったく……勇者様はスケールが大きいわね」


ランは小さく息を吐いたあと、微笑む。


「でも、エレナさんらしいです」


その一言で、私は少し救われた。


「で?三人で行くの?」


「いえ」


背後から、静かな声が割って入った。


振り向くと、そこにはアイが立っていた。


いつから聞いていたんだ。


気配が、まったくなかった。


「里長として無視はできません」


腕を組み、じっと私を見る。


「私も行く」


即答だった。


レーナが小さく口笛を吹く。


「大丈夫かしら?」


アイは頬を膨らまし続ける。


「む、貴方より役に立ちます」


確かに、彼女の隠密能力は異常だ。

魔素の流れが見えにくい。


未知の土地を調査するなら、これ以上の適任はいない。


私は頷いた。


「頼む、アイ」


「はい」


その言葉に、ほんの少しだけ誇りが滲んでいた。


翌日の出発前、私はアスラに報告した。


地下室。

壊れた岩盤の奥。


「やっぱり行くんだな」


小柄な体で腕を組むアスラ。


「止めるのか?」


「止めても無駄なんだろ?」


苦笑。


「俺は残る」


「一緒に行かないのか?」


「この体に、まだ慣れてない」


尻尾が不満そうに揺れる。


「力も落ちてる」


以前は使えなかった魔法も使えるようになっが、まだ制御は荒い。


「足手まといになるだろう」


珍しく、真面目な声だった。


「珍しく弱気だな?」


そして、最後に言った。


「何度も言う、白龍を起こすな」


その声音には、冗談が一切なかった。


「姫はヤバい」


「姫?」


「あぁ」


あのチャランポランなアスラが、真顔で言う。


「龍姫とでも呼んだ方がいいな。彼女は、赤龍や蒼龍より格上だと、俺は思う」


それだけで十分だった。


「……わかった。絶対に起こさない」


「気をつけろよ」


私たちは壁を壊して、四人で地下へ降りる。


「あ、マルを預ける。お願いするなアスラ」


「いいのか!マル、俺と遊ぼう」


猫のマルは、アスラに預けた。


「ニャァー」


マルはついてきたそうに鳴いていた。


私。

レーナ。

ラン。

アイ。


階段を下りるごとに、空気が変わる。


寒い。


白龍が存在することで保たれている、春のような空間が、少しずつ冬になる。


そして、空気が静まり返っていく。


音が吸われるような感覚。


「ここから先は、気配を最小限に落としましょう」


アイが小声で言う。


私たちは頷く。


やがて、白龍の眠る広間が見えてきた。


巨大な氷の鱗。

白銀の体。

凍てつく吐息。


だが、眠っている。


圧倒的な存在感。


近づくだけで、肌が粟立つ。


「……でかい」


レーナが小さく呟く。


私は黙って頭を下げた。


確かにでかい。

赤龍より一回りは大きい。


起こさない。


刺激しない。


静かに。


白龍の巨体を横目に、私たちは足音を殺して進もうとした。


氷の結晶に覆われた広大な空間。

天井からは無数の氷柱が垂れ下がり、床には白銀の霜が敷き詰められている。


純白の鱗に包まれた巨大な龍が、翼を畳み、静かに眠っていた。


規則正しい呼吸。

吐息のたびに、白い霧が広がる。


起こすな。

アスラの忠告が脳裏をよぎる。


私は仲間たちに目配せし、音を立てぬよう大きく迂回する。


そして、さらに奥へと続く暗い通路へ足を踏み入れようとした――その瞬間。


『うぬらは我に挨拶もなしに通ろうというのか』


低く、澄みきった声。


しかしその響きは、刃のように鋭かった。


背筋が凍る。


本当に、凍ったのではないかと思うほどに。


ゆっくりと振り返る。


白龍の瞳が、開いていた。


氷のように透き通った蒼白の瞳孔。

静かな怒気を湛えて、こちらを射抜いている。


巨大な首が持ち上がり、翼がわずかに軋む。


『何やら、こざかしい奴の魔力を感じたが、おらぬな』


その言葉に、私は内心でぎくりとする。


私たちは息を呑み、身動きひとつできない。


白龍の視線が、ゆっくりと私へ移る。


『そこのお前から赤龍の魔力を感じるが、どういうことだ』


次の瞬間。


鋭い爪が、私の目前へと伸びた。


氷の刃のような爪先が、喉元すれすれで止まる。


冷気が皮膚を刺す。


だが、私は目を逸らさなかった。


「は、初めまして、龍姫」


声が震えないよう、腹に力を込める。


「私たちは冒険者一行。この先へ進むためにここへ来ました」


『龍姫か……久々に呼ばれたな。だが、そんな粗末な事はどうでも良い。質問に答えるのだ』


圧が強まる。


空気が重い。


「……赤龍の力を、私は少し借りています。魔力はそのためです」


一瞬の沈黙。


そして。


『!? あやつが人族に力を貸しているというのか!』


白龍が大きく身を起こした。


氷が砕け、空間が震える。


ランが身構え、アイが静かに位置を変える。

レーナは――なぜか腕を組んでふんぞり返っている。肝が据わりすぎだ。


『なるほど……たしかにあやつはヒューマンに関心をもっておったな。だが、力を貸すなど初めて聞く』


白龍は興味深そうに私を見下ろす。


「……仲良くなったんです」


正直に言う。


『ふむ』


巨大な瞳が細められる。


『それで、うぬの名を聞いておこうか』


私は一瞬迷い――やめた。


ここで隠す意味はない。


「私はエレナ。勇者エレナです」


空気がわずかに揺らぐ。


「彼女らは仲間です」


ランとアイが静かに頭を下げる。

レーナは小さく鼻を鳴らした。


『貴様が勇者?アルスはどうした?』


胸が締めつけられる。


「彼は……百五十年ほど前に亡くなっています。私は二代目です」


白龍の瞳が、わずかに揺れた。


『そうか、長く寝過ぎたな。ヒューマンの寿命は短いからな。あんな強い男を亡くして残念だ』


その声音には、ほんのわずかに寂しさが混じっていた。


「私も同じ気持ちです……」


静かに返す。


しばしの沈黙。


『……まぁ良い』


何か勘付かれた気がする。


そして、白龍は視線を奥の闇へと向けた。


『そして、うぬらはここを通り、地下世界――魔界へ向かうつもりか?』


「はい。そのつもりです。やはり、この先に?」


『そうだ。この先にある大穴。その先に魔界がある』


心臓が高鳴る。


やはり。


「降りたことはないんですか?」


『敬語は良い。話しにくい』


「……じゃあ、お言葉に甘えて……なんで降りなかったんだ?」


白龍はふっと鼻息を漏らした。


『単純に興味がないからだ』


「……興味がない?」


『我は自分の氷の力に困っておる。あちこちを凍らせ、望まずして破壊してきた。魔界に降りたところで同じだろう。疲れたのだ。だからここで眠る。それだけだ』


その言葉は、どこか人間じみていた。


強大すぎる力。

それゆえの孤独。


「……なるほどな」


私は小さく頷く。


白龍は再び私を見下ろす。


『二代目勇者達よ。止めはせん。だが、うぬらが見たことのないものが、そこには多くある。地上の理など通じぬ世界だ。心して迎え』


その言葉は警告であり、餞でもあった。


「ありがとう」


私は真っ直ぐに礼を言う。


白龍はゆっくりと巨体を横たえた。


氷がきしみ、白銀の翼が静かに折り畳まれる。


『うむ……では我は再び眠る。次に会うときは、面白い話でも持ってくるがよい』


瞳が閉じられる。


冷気が穏やかになる。


巨大な存在は、再び静寂の中心へと戻った。


私は深く息を吐く。


「……生きてるって、ありがたいな」


ランが小さく笑い、

アイが「危なかったですね」と呟き、

レーナが「まぁ当然よね」と偉そうに言う。


「赤龍より強いと言われても仕方ないくらい、魔力の圧がすごかったな」


私は前を向いた。


白龍の眠る地を越えた先。


闇の奥から、かすかな風が吹き上げてくる。


冷たく――そしてどこか、禍々しい。


「行くぞ」


私たちは足音を殺し、さらに奥へと進んだ。


その先に待つのは、巨大な裂け目。


地の底へと続く、底知れぬ大穴だった。


底が見えない。


冷たい風が、下から吹き上げてくる。


だが、その風には。


濃い。


異様に濃い魔素が混ざっていた。


「……たしかに間違いなく、魔界かもしれませんね」


ランの声が震える。


私は穴の縁に立つ。


暗闇の向こう。


未知の世界。


恐怖はある。


だが、それ以上に。


高揚。


「行こう」


私は振り返る。


「戦いに行くわけじゃない」


「調査だ」


「未来を知るための、一歩だ」


レーナが杖を握り直す。


ランが頷く。


アイは無表情だが、どこか笑顔に見える。


そして、私たちは、奈落へと足を踏み出した。


地上と魔界の境界へ。


未来を選ぶための、最初の一歩を。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

次話は5/7木曜日22時に公開予定です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

少しでも「面白い」と思って頂けましたら、ブックマークをよろしくお願いします。

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