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家族ではない私に、一族の約束だけ覚えていろとおっしゃるのですか  作者: 九葉(くずは)


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第一話 遠縁の記録係

銀の名紐は、家系図から外される時にも音を立てなかった。


父の指が留め金を押すと、細い紐は厚い羊皮紙の上へ落ちた。ミレイユ・ローデンと刻まれた銀板が、燭台の明かりを細く返す。


大広間には百人近い客がいた。正面の壁を覆う家系図は、婚約披露のために新しい枝を迎えている。妹セレネの名から伸びた金の糸。その先には、ヴァレ侯爵家の嫡男アルノーの名が結ばれていた。


ミレイユの名があった場所だけ、編み目がわずかに広い。


職人なら明朝には整えるだろう。何もなかったように。


「皆様にお伝えしたいことがある」


父エドガールは、家系図の前で声を張った。家族の名誉を語る時の声だった。重さも速さも、毎年の新年祝賀と変わらない。


母エレーヌは父の右に立ち、扇を閉じたまま微笑んでいる。セレネは淡い桃色の衣装でアルノーの隣にいた。頬は明るく、視線だけがミレイユを避けた。


父はミレイユを手で示した。


「本日から彼女は、当家に仕える遠縁の記録係として扱う」


客席に小さな波が走る。


誰も声を高くしない。貴族は驚きにも礼儀を着せる。扇の角度が変わり、杯を置く指が遅れた。それだけで十分だった。


ローデン家の長女は、遠縁になった。


父が用意した説明は簡潔だ。幼い頃から養育してきた親族であり、記憶術の才を買って屋敷へ置いていた。これまで家族同様に遇したが、セレネの婚約を機に身分を正す。


乾いた事実として記されれば、明日も残る説明だ。


ミレイユは父の言葉を一つも取りこぼさなかった。父が「家族同様」と言う前に半拍置いたことも、母の扇の骨が一本だけ掌へ食い込んでいることも、セレネが金糸の先を見つめたことも。


強い感情を伴った言葉は、ローデンの血を引く者の中で朝まで保たない。


日付は残る。婚約披露が行われたという事実も、誰がどこに立ったかも覚えている。ただ、なぜその言葉を選んだのか、何を傷つけ、誰に謝ると約束したのか。夜を越えると、その部分だけが薄い紙を水へ沈めたようにほどけてしまう。


ミレイユだけが忘れなかった。


六歳の朝から二十年、彼女は家族へ昨日を返してきた。


父が領民へ強く言いすぎた翌朝には、怒りの理由と謝罪の約束を。母と父が口論した朝には、最後に交わした小さな譲歩を。セレネが泣いて眠った朝には、姉へ打ち明けた恐れと、翌日に試すはずだった勇気を。


書斎の小机には、毎朝、青い札を人数分並べた。文字は残る。それでも、文字だけでは「花を贈る」が謝罪か祝福か分からない。ミレイユは声の震えや沈黙の長さまで言葉に直した。


家族は約束を守る誠実な一族だと評されている。


その評判を聞くたび、ミレイユは青い札の角をそろえた。


「ミレイユ嬢」


隣から静かな声がした。


振り向くと、黒髪に銀の混じる男が一歩分の距離を空けて立っていた。片眼鏡の鎖には、王立証言院の小さな徽章がある。


リュシアン・ベルナール。父が今朝、王都から来る調査官だと話していた人物だ。ローデン家の記憶術について形式的な確認を行い、婚約後の信用証明を整えるという。


「落とされました」


彼が視線で示した先に、青い朝札が一枚あった。ミレイユの袖から滑ったらしい。


リュシアンは拾わなかった。


他人の記憶が書かれた札へ勝手に触れず、彼女が手を伸ばせるよう場所だけを空けた。


ミレイユは身をかがめ、札を取った。今朝、父へ渡すはずだったものだ。表には日付。裏には、セレネの持参金に含める南の果樹園について、父がアルノーへした約束が記してある。


「ありがとうございます、ベルナール院長」


「調査は後日に改めることもできます」


「本日の予定と承知しております」


返事をすると、彼はそれ以上勧めなかった。片眼鏡の奥の目が、札からミレイユの手へ移った。問う気配はあったが、口にはしない。


父の声が二人の間へ届いた。


「アルノー卿、南の果樹園は婚礼後、若い二人の住まいとして自由に使ってもらう。改装も当家で引き受けよう」


ミレイユは青い札の裏を見た。


昨日、父が約束したのは果樹園の収益を五年間、セレネの持参金へ組み入れることだった。屋敷は母が療養に使うため残す。アルノーも同席していたが、父の説明に口を挟まず、祝いの場に合わせて頷いている。


「お父様」


セレネが父の袖へ指を添えた。


「改装は春からと、昨日お決めになったでしょう。南棟を先に直すと」


「南棟は来客用だ。果樹園の屋敷とは別だろう」


「でも、アルノー様と見取り図を」


妹の声が細くなる。


アルノーは二人を見比べ、杯を卓上へ戻した。


「私が伺ったのは、果樹園の収益についてです。屋敷を頂く話は初めてかと」


父の眉間へ線が寄る。母が一歩寄った。


「あなた、昨日の夕食後に何か変更したのではありませんか」


「変更などしていない。エレーヌ、お前もいたはずだ」


母は返事を探した。昨日の夕食を覚えている。魚料理が出たことも、窓の外で雨が降ったことも。けれど、話し合いの終わりに誰が譲り、何を守ると決めたのかは残っていない。


客たちの視線が、少しずつ一か所へ集まった。


父も母もセレネも、同じ方向を見た。


ミレイユの手には青い札がある。


父の表情が緩んだ。答えがそこにあると知った者の顔だった。


「ミレイユ。昨日の取り決めを説明しなさい」


遠縁の記録係として紹介されてから、まだ十分も経っていない。


セレネの金糸は家系図の上で輝き、外された銀の名紐は父の手元に置かれたまま。父は客の前でミレイユを家族から消し、その同じ客の前で、家族にしか預けてこなかった昨日を求めている。


以前なら答えていた。


祝いの席を壊さないよう、父の言葉を訂正し、母の不安を隠し、セレネとアルノーが互いを疑わずに済む形へ整えたはずだ。今夜も札を書き、明朝には全員が自分の約束を覚えている人として起きられる。


ミレイユは青い札を折らなかった。


破りもしない。ただ銀の名紐の隣へ置く。


青と銀が、同じ卓上で触れた。


青い札には、昨夜の父が約束した言葉が残っている。銀の名紐には、今日の父が否定した関係が刻まれている。どちらも父の手でここへ置かれたものなのに、父は片方だけを有効にしようとしていた。


ミレイユの指は札から離れた。明日の父は、今夜の困惑を自分で抱えることになる。母もセレネも、誰かの声で整えられる前の昨日を持ったまま朝を迎える。ミレイユが痛みを翻訳しなければ、それは初めて彼ら自身の記憶になる。


父が促すように名を呼んだ。


ミレイユは父を見た。次に母、セレネ、アルノーへ視線を移す。最後に、何も尋ねず立っているベルナール院長を見た。


声は、自分でも驚くほど静かだった。


「家族でない者に、家族の昨日を尋ねないでください」

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