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第16話 赤い印

朝が、進んでいた。


ニナが目を覚ました。


身体を起こすより先に、袖をつかむ手が動いた。キールの袖を、もう一度確かめていた。


キールは、起きていた。


台帳は、布で包まれていた。布の端だけが、少し乱れていた。


ロウは、その乱れを見た。


ロウは、籠の影から立った。


「動く」


ロウは、それだけ言った。


三人は、水路の縁を離れた。


ロウが先を歩いた。キールが台帳を抱えて続いた。ニナが、キールの袖の端をつかんだまま続いた。


キールの歩幅が、短かった。


台帳を抱え直すたび、肘が少し下がった。足も、その分だけ遅れた。


ロウは、何度か振り返って待った。


待つたびに、三人の影がひとつに詰まった。


ロウは、印のない通りを選んだ。


丸い鳥もない。


四角い鍵もない。


三本線の目もない通り。


そんな通りは、街には少なかった。


少ない通りを、つないで歩いた。


裏の路地。荷車の影。水路の縁。


ロウは、前に一人で歩いた通りを思い出していた。


あの日は、ロウ一人だった。


今は、三人だった。


ニナの耳があり、キールの台帳があった。


隠れるには、多かった。


最初の異変は、足音だった。


ロウの背後から、重い足音が二つ。


検めの男の足音ではなかった。


荷運びの足音でもなかった。


歩く音ではない。近づいて、つかむ音だった。


ロウは振り返らなかった。


見たと知られれば、足音は走る音に変わる。


ロウは、キールの袖を引いた。


「曲がる」


それだけ言った。


三人は、路地に入った。


二人並べない幅だった。


キールが、台帳を腕の中で抱え直した。布の角が、壁を擦った。


ニナは、キールの後ろを歩いていた。


ロウは、ニナの後ろにいた。


背後から、足音が一つ、入ってきた。


もう一つは、入ってこなかった。


その足音は、外を回っていた。


出口が、先に塞がる。


ロウは、ニナの肩に手を置いた。


「台帳、隠せ」


キールが、台帳を腕の中で深く抱え直した。布が、上から覆われた。


キールは、壁の欠けた影に身体を入れた。


足音が、路地の奥から近づいてきた。


二人だった。重い体だった。


ロウは、壁に背中を当てた。


ニナを、自分の前に隠そうとした。


だが、ニナの方が、先に動いた。


ニナは、ロウの手を取った。


後ろへは隠さなかった。


自分の横に立たせた。


ロウは、ニナを見た。


ニナの顔は、震えていた。


だが、ロウの手を握る指は、強かった。


「おい」


声が、上から落ちた。


「子供が三人、見なかったか」


ニナは、足を止めた。


息を、一度大きく吸った。


「三人、ですか」


「人間のガキと、半獣が二匹」


ニナは、首を傾けた。


「弟と二人なんです」


ロウの手を、前に出した。


「弟と、私と、二人だけ」


男の一人が、ロウのほうに目を寄せた。


ニナは、ロウを少し前へ引いた。


隠さなかった。


ロウの髪の下にある耳の先だけを、男の目に置いた。


それから、自分の耳を指した。


「兎、です」


「私と同じ、兎、です」


兎の半獣は、街の中に何人もいた。半獣の中で、兎は珍しくなかった。


男は、ロウの髪を見た。


泥で固まった髪の下に、耳の先だけが出ていた。


それから、ニナの耳を見た。


「ふん」


男は、目を逸らした。


「行け」


ニナは、頷いた。


ロウの手を引いて、歩き出した。


ロウは、振り返らなかった。


だが、ロウの耳は、後ろの足音を聞いていた。


追手の男たちは、しばらく動かなかった。


それから、別の方向へ向かって歩き出した。


ロウは、息を吐いた。


通った。


路地の出口の前に、別の影があった。


女だった。


荷車の後ろに、半分隠れていた。


女は、ニナだけを見ていた。


追手を見る目ではなかった。


「弟と」


女は、小さく言った。


ニナは、女の口を見た。


「うちにも、弟がいた」


女は、それだけ言った。


それから、荷車の後ろから出て、向こうへ歩いていった。


ニナの手が、ロウの手を、もう一度強くつかんだ。


少し歩いてから、ロウは胸に手を入れた。


頁があった。


濡れていない。


指は、赤い印の上で止まった。


ニナの番号の上に押されていた印だった。


檻の中で、その印を押されたとき、ニナは泣いていた。


今、ニナは泣かなかった。


嘘をついた。


ロウの手は、まだニナに握られていた。


逃げ切った後、ロウは腰の布を確かめた。


折り目に手を入れた。


銅貨は、二枚ともなかった。


走った時か。壁にぶつかった時か。ニナの横に立った時か。


分からなかった。


ロウは、折り目から手を抜いた。


二枚は、もうない。


夜が来た。


三人は、新しい籠の影を見つけた。


水路の縁ではない。街の縁の、倉庫の裏だった。


ニナは、キールの袖を強くつかんだ。


キールは、台帳を膝の上に置いた。


ロウは、暗がりの中で考えていた。


追手の男たちは、ロウたちの居場所を当ててきた。


街には、裏路地がいくつもある。籠の影も、水路の縁も、倉庫の裏もある。


その中から、追手はまっすぐ来た。


あの男たちが、自分で道を読んだのではない。


足音が荒すぎた。壁に近づきすぎる。泥を踏みすぎる。息を隠せていない。


あの足では、痕跡は読めない。


別の誰かが、道を教えている。


ロウは、耳を澄ました。


倉庫の裏には、三人の息しかなかった。


追手の足音は聞こえた。


道を教えた足音は、聞こえなかった。

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