◆先生へ、謝罪と感謝を
先生方へと報告すべきことは、次から次へと思い浮かびます。
たとえば言葉が持つ力について、とか。
言葉は力を持つのですね、先生
私は少しもわかっていませんでした
申し訳ありません
私は健忘が酷く自分が言っていたことなど覚えていないし、先生のお仕事のお名前だって曖昧です。なにがあったのかも少しも正確なところはわからず、降り積もった歳月の埃の中に埋もれています。
かろうじて覚えていたのは、あの先生が鍛え続けている小説だけでした。それをきっかけに先生のことを思い出したのは非常にドラマティックで物語の中の出来事のように思われました。
なにもかも一連の出来事が現実的ではありませんでした。夢は夢のまま、私の中でこのまま終わるのでしょう。
それでいいかと思っています。
一瞬の邂逅でした。意図しての再会は許されないのです。そちらのほうが先生もお仕事が少なくて済むでしょう。すべてを忘れてのほほんと暮らしていたことも申し訳ありません。私は幸せ者で、ぽんこつで半端なままです。
思い返してみれば、
毎回、危ないときになって先生が現れて、私を助けてくれるのが不思議です
先生は正義が好きとおっしゃっていましたね
弱い人の味方に立ちたいという立派な意思を持っていらっしゃいました
私をやりこめないことが正義になるとお考えだったんでしょうか、先生。少しだけ訊いてみたいです。
私を悪だと断じる人のほうが多い状況で、私の味方をすることにどんな利があったのでしょう。そこに利を見ず、ただ倫理観に従って味方になってくれたのですか。だとしたら先生は本当に達観した、人の世界に馴染んだ善悪の感覚というものをお持ちで尊敬いたします。
先生のなさっていることは中立を保ち、善悪相殺、どちらか片方が行き過ぎたら止めるということ。
先生は私の抱えたトラブルだけではなくて、ほかの方のトラブルの仲裁にも入っていらっしゃいましたね。
私も就職してトラブルを収拾しなければならない機会が増えたのでわかりました。中立でいつづけることは難しいのです。
人間だから感情があるからどちらかに肩入れしちゃうのです。
「一度失敗したら過剰なくらい叩いてもいい」と炎上しがちなネットのコミュニケーションだったり、会社の中での上司からの指導を受け入れられるか否かだったりを考えても、感情の制御と人間関係の絶妙なバランスが試されます。誰かが間違っていると、それを正したくなる人たちがいる。
世の中の揉め事はスルーすれば波風立たず終わるものも多く、でもスルーできないから燃え上がる。
解りあえないならなれないで、世界を住み分ければ話は簡単なのですが、現実はそうではありません。
解りあえない人たちがいて、でもどちらも隣り合わせで生きなきゃいけなくて、というふうにできています。その間に入って仲裁をするのは難儀です。
先生のなさっていることは、途方もなく、人徳が要求される行為ですね。忍耐も、弁舌も、頭の回転の速さも必要です。並大抵のことではありません。
フルパワーで私を救ってくださって、本当にありがとうございました。お疲れ様です、先生。そしてこれからも、先生の信じるもののために戦ってください
私も成長し、自分の行いを反省し、人と協調して生きていくことを願っています。
十代のころは狂っていましたね。それに「書くために生きる」が正しいと思っていましたが、それは誤りでした。正しくは「生きるために書く」です。私はただの自己表現のために物語を綴ります。どこにも上りもしないことを望みます。平穏を望みます。このまま幸せになります。文章は私の趣味として、自分と同じ趣味を持つ人に向けて書き綴ります。
先生がこの世界にいてくれると思うと、顔が綻びます。きっともう二度と会うことはなく、言葉を交わす機会さえあるかもわからないですが、先生はたしかにこの世界に生きていて、私を救ってくれて、別の人も救い続けている。そんな先生のことが愛おしく、狂おしく、大好きです。
どうか先生が願う場所へ到達しますように。
文章だけではなくて私生活も、先生の人生が満たされますように。
直接お礼を言うこともできないので祈ります。
先生におやすみと、この間書いたので、
今度はおはようと書きたいです
先生、闇は明けましたよ
おはようございます




