エピローグ sideリオネル
ドアをノックする音に私は執務机に置かれている書類の文字を追うのを止め、視線を上げた。
どうやら書類に目を通すのに集中していて、辺境伯の先触れどころか入室にも気付かなかったらしい。
開けたドアをノックして注意を引いた辺境伯がそこにいた。
「? 辺境伯か。コーネリアスはどうだった?」
辺境伯は人身売買を取り締まる途中で王太子の座を失ったコーネリアスの領地に用が出来て赴いていた。
コーネリアスが王太子の座を失った主な理由は正妃であったレディ・オーガスタの手綱すら締めることが出来ず、他国の貴族との密通や男漁りを許し、離婚する羽目になったからだ。本人にも女好きの噂があるおかげで民衆に嫌われたと言うのも理由の一つになっているかもしれないが、実際は正妃への断固とした対処の出来ないことに業を煮やした貴族から見捨てられた、と言うのが理由だ。
当の正妃は取り巻きの一人とさっさと再婚してしまい、王太子ではなくなったコーネリアスの側妃は降嫁し、コーネリアスはクレメンテ公として
新たに与えられた領地を一人で治めることになった。王太子として教育されてきたのだから、それくらいはできるだろう。
「残念だが、私が到着する前にクレメンテ公の館が賊に襲われて全焼してしまった」
辺境伯は淡々と報告する。
辺境伯にとっては、コーネリアスのはどうでもいい存在だった。それはコーネリアスだけに限ったことではない。辺境伯にとっては王家だろうが、王族の誰だろうが、そうなのだ。
辺境伯であるキリル・アレル・ストラットンとはそういう人物だ。
辺境伯として生きるキリルにとって守るべきは国と民衆である。そこに王侯貴族は含まれない。それはあまりにもあっさりとした、それでいて明確な事実である。
だから辺境伯には私の気持ちがわからない。
「何てことだ!」
慌てる私とは反対に辺境伯はドアを閉めて、これ以上、会話を漏らすのを止めた。
ここまでの会話を辺境伯は多くの者に聞かせたかったのだ。
「この結末のどこが悪い?」
「かつて、この国の王太子だった者が賊の手にかかって亡くなるのは外聞が悪い」
「マンドラゴラに踊らされて、盗賊と手を組んで一つの村を皆殺しにした、と言うのが露見するよりはマシだ」
「一つの村を皆殺しにしただと! そのようなことは聞いていないぞ!」
お伽話に出てくる魔物のことは後でいい。あれは引き抜かれる時に悲鳴を上げて聞いたものを死に追いやるだけだ。
それよりもコーネリアスがしたとされる犯罪のほうが重要だ。
コーネリアスは馬鹿ではないのだ。馬鹿では。
従兄弟は少し自分に自信がないだけだった。それがデボラとの婚約破棄を招き、転がり落ちるようになっていった。その一因を担ったのは私だ。
「人身売買を取り締まり中に発覚したのだから仕方がない。クレメンテ公の領地で確認が取れてから報告しようと思ったのだ」
コーネリアスの領地に行くことは連絡して来たのだから、辺境伯は事前に報告する気などなかったのだろう。
「ところが確認に赴いたら、領主の館が焼け落ちていた」
「本当にそうなのか? お前は仕事に忠実すぎる。それにだいたい、その仕事は王家の仕事だろう」
「残念ながら、王家お抱えの騎士団は魔物狩りが大捕り物になってしまう。他国のように魔物の存在を表沙汰にするなら兎も角、そうでないなら、魔物の知識のある私のほうが適任だ」
他国は騎士やら傭兵が依頼を受けて魔物を退治しているが、この国では魔物使いである辺境伯の情報網で魔物を探し出して公になる前に対処している。その為、魔物の存在をお伽話でしか知らない国民が多い。
「辺境伯・・・」
「民衆に噂を流して王太子の座から引きずり下ろした人物が何を言う?」
「私はこの国に人生を捧げることを選んだだけだ」
「それは私も同じだ」
同じようでいて、私と辺境伯は違いすぎる。
「お前はそれを逸脱している」
「国を守るは辺境伯の役目。民を治めるは王家の役目。私は役目に従ったまで」
武力で国を守ることは辺境伯の仕事。
外交で国を守ることは王家の仕事。
国を治め、この国の人間からこの国の人間を守るのは王家の仕事。
王族から国を守るのは辺境伯の仕事。
「なら、オーガスタを何故、野放しにする?」
「あれはあれでまだ役に立つ」
「彼女は国の機密を漏らしたんだぞ」
「と、言うことで、離婚にしただけだ。あのクレメンテ公も味方を残さないようによく工夫したものだ」
コーネリアスの正妃は再婚前に離婚理由が理由だけに実家から勘当されている。それでも取り巻きの一人は親戚の反対を押し切って再婚に踏み切ったそうだ。
だが、貴族は社交界で生きるもの。
実家の後ろ盾もなく、他国に国を売ったとされる女で、王太子をその座から下ろすことになったのが原因で国王夫妻の怒りまで買った人物を夫の権力だけで支えきれる筈もない。
夫ですらようやくその現実に打ちのめされ、離婚することとなった。
デボラの場合から推測すると、マールボロ侯爵家はオーガスタの為に静かに暮らせるだけの用意はしているようだが、今度は商人との結婚話があるらしい。
離婚理由が今度の社交界には知らされていないのだから社交生活はそれなりに確保できるだろう。
「それだけオーガスタへの失望が大きかったのだろう」
「レディ・デボラを得られなかったクレメンテ公の八つ当たりだな」
「・・・」
オーガスタに悪意も何もない。
すべては誰にとっても悲劇だったのだ。
デボラにもオーガスタにもコーネリアスにも。
コーネリアスが女好きとされる根拠も、他の王子たちや貴族も似たり寄ったりだ。
「マンドラゴラに操られたクレメンテ公と村人たちがマンドラゴラの取り合いをした挙句、クレメンテ公は盗賊の手を借りて村人を皆殺しにしたのだ。盗賊が売り払った村の生き残りがいなければ、私もまだ気が付かなかったかもしれない」
辺境伯の語るマンドラゴラの所業から私がお伽話で知るマンドラゴラとは違う性質のものだとわかる。人間を操る話など聞いたこともない。その上、争わせるなど・・・。
「・・・。そのマンドラゴラは?」
「既に処分した」
コーネリアスが村人を皆殺しにしたと言うなら、マンドラゴラはコーネリアスの所にいた筈だ。それを処分したということは、盗賊の手で殺された筈のコーネリアスはやはり辺境伯に消されたのだろう。
「どうして、そんなものがこの国に・・・?」
「どの国にでも魔物は現れる。国という概念は魔物にはないからな。一角獣の角が薬として出回っているように、一角獣もマンドラゴラも好きな所に出没する。人間が目を逸らしているだけで、魔物は実在するのだ。魔物の中には人間に紛れて暮らせるものもいるからな」
「ローリーのようにか?」
その名を思い出すと胸が酷く痛む。
本人の望み通り、私は忘れていたほうが幸せだったのかもしれない。しかし、彼女への想いを妹のように思っていたデボラにすり替えられていたのは許せない。
忘れたまま、コーネリアスが女好きと噂された所業をしていたほうが良かった。彼女への想いを汚されるよりは。
「私もそうかもしれないぞ?」
「悪い冗談はやめてくれ。偶然、辺境伯が魔物使いだと知ってしまっただけでも充分、頭が痛いのに、その本人も魔物だとは考えたくもない」
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