↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
完璧で親しみやすいあの子の秘密  作者: 石化


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/5

第4話 「ノートの余白」

「一ノ瀬くん、今日の放課後、空いてる?」


 翌日の朝、教室の入口ですれ違いざま、エリサは完璧な笑顔でそう言った。周りには三人の女子。誰が見ても、いつもの優しい人気者だ。


「あ、うん。空いてるけど」


「じゃあ、図書室で待ってるね♪」


 ひらりと手を振って、エリサは行ってしまった。


「一ノ瀬、お前、白石さんと仲いいの?」


 後ろの席の男子が、目を丸くして聞いてくる。


「いや、そんなことは」


「ええー、羨ましい! あの白石さんだぞ?」


(羨ましがられても、俺、たぶん今、観察対象なんだが)


 そう思ったが、口には出さなかった。


 ---


 放課後の図書室は、人がまばらだった。


 奥の閲覧席で、エリサはすでに待っていた。俺の姿を見た途端、顔から表情がすっと抜ける。


「……遅い」


「ホームルーム終わってすぐ来たぞ」


「待った」


「何分」


「三分」


「短いな」


「長い」


(三分でも長いのか、この子は)


 エリサは、鞄から例の白いノートを取り出して、ぱたんと机に置いた。


「一ノ瀬くんの項目を作る」


「俺の?」


「だって、あなた、まだ載ってないもの」


 そう言って、新しいページを開く。真ん中に丸い字で『一ノ瀬くん』と書かれた。


 その下は、まっさらだった。


「嫌いなものは?」


「え、ピーマンとか」


「それ、普通すぎる。他は?」


「高いところは苦手かな。あと、虫」


「ふうん」


 エリサが、さらさらと書き込んでいく。真剣な顔だった。


「コンプレックス」


「これ、言わなきゃだめか」


「だめ」


「……えっと」


 少し迷った。でも、取引の日に弱点を突かれて「事実だし」と返したのは俺だ。今さら隠してもしょうがない。


「便利なやつで終わりそうなところ、かな」


「それは知ってる」


「あと、中学のとき、頼まれごとを全部引き受けすぎて、倒れたことがある」


 エリサの手が、止まった。


「……倒れた?」


「うん。三日くらい入院した。先生にも親にも怒られて、でも誰も悪くなくて、俺が断らなかっただけで。それ以来、何かを断れない自分が、ちょっと情けない」


 言い終えてから、自分でも驚いた。


 こんなこと、誰にも話したことがなかった。


 エリサは、ペンを持ったまま、じっと俺を見ていた。


「それ、弱点だよ」


「うん」


「私が、使うかもしれないよ」


「うん。でも、握られても、別に困らないし」


「……なんで?」


「だって、もう知ってるから」


 エリサが、ぱちり、と瞬きをした。


「自分の弱いところを、自分が知ってたら、人に言われても、びっくりしないだろ。ただの事実だ」


「…………」


「だから、握られても揺れない。たぶん」


 そう言うと、エリサは少しだけ、困ったような顔をした。


 笑顔でも、無表情でもない。眉が下がって、口がきゅっと結ばれた、初めて見る顔。


(あ、困ってる)


「……つまんない」


「え」


「弱みを渡されても、全然、楽しくない」


 エリサは、ペンを置いた。


「普通はね、弱いところを突かれたら、顔が変わるの。怒ったり、泣いたり、焦ったり。それを見るのが、楽しいのに」


「ああ」


「一ノ瀬くんは、変わらない」


「変わってるだろ。今、ちょっと恥ずかしい」


「それは変わったうちに入らない」


「厳しいな」


 ふたりして、少し黙った。


 図書室の隅の時計が、かちかちと音を立てている。


 エリサは、書き込んだ『一ノ瀬くん』のページを、指でなぞった。


「好きな人の欄」


「え」


「空けておく?」


「……」


「それとも、書く?」


 ペンを持ち上げて、俺の顔を覗き込む。


 その目が、いつもより、ほんの少しだけ近かった。


 心臓が、変な音を立てた。


「か、書くことが、ない」


「ほんとに?」


「ほんと」


「ふうん」


 エリサは、小さく笑った。


「……空けておくね」


 声が、ちょっとだけ、低かった。


 ---


 その日の帰り道、俺は昇降口で靴を履きながら、ひとり考えていた。


(俺、なんでこんなことしてるんだろう)


 秘密を知って、取引をして、それで毎日一緒にいる。本来なら、先生にでも相談したほうがいいのかもしれない。それか、全力で距離を置くとか。


 でも、俺はそのどちらもしていない。


(これって、お人好しの延長なのかな)


 頼まれたから、断れなかっただけなのか。


 それとも、もっと違う理由があるのか。


 自分でも、答えが出なかった。


 答えが出ないまま、靴紐を結び直していると、後ろから声がした。


「あれ、一ノ瀬くん?」


 振り返ると、美咲さんが立っていた。


 あの日の放課後泣いていた、小柄な女子。目元はまだ少し赤い。けれど、あの日よりずっと落ち着いた顔をしていた。


「あ、美咲さん」


「ちょっと、聞いてもいい?」


「うん」


「最近、エリサちゃんと、よく一緒にいるよね」


 どきりとした。


「あ、まあ。ちょっと、文化祭の件で」


「そっか」


 美咲さんは、少しだけ視線を落とした。


「エリサちゃん、優しいよね」


「……」


「私、この前、すごく落ち込んでたとき、ずっと隣にいてくれて。でもね」


 美咲さんは、ぎゅっと鞄の紐を握った。


「あとで、ふと思ったの。あの子たちが私の悪口を言ってた、って、誰から聞いたんだっけって」


 心臓が、止まりそうになった。


「エリサちゃんは、悪くないんだよ。うっかり言っちゃっただけで。でも、なんか、最近、ずっと分からなくて」


 美咲さんの声が、震えていた。


「あの子たちが、本当にそう言ったのかな、とか。それとも、私が、ただ聞き方を間違えただけなのかな、とか」


(……これが)


 胸の奥が、冷たくなった。


(これが、「操られた側の混乱」なんだ)


 誰も悪者にならない。誰も責められない。だから、傷ついた本人だけが、「自分が悪かったのかも」と、ずっと考え続ける。


「……美咲さん」


「うん」


「それ、ちゃんと本人たちに、確かめてみたら?」


「えっ」


「直接。『あのとき、本当にそう言ったの?』って。もしかしたら、何かの誤解かもしれないし」


「でも、そんなこと聞いたら、嫌われないかな」


「嫌われても、聞いたほうがいいと思う」


 美咲さんは、目を見開いた。


「俺も、聞かなくてモヤモヤしたまま過ごしたこと、あるから」


 嘘ではなかった。


 美咲さんは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……うん。聞いてみる。ありがとう、一ノ瀬くん」


「いや、俺は何も」


「ううん。話せて、ちょっと楽になった」


 そう言って、美咲さんは笑った。


 まだ弱々しい。でも、初めて見る、自分の意志で出した笑顔だった。


(……よかった)


 そう思ったのと同時に、別の感情が、腹の底に沈んだ。


(俺は、エリサの味方なのか、美咲さんの味方なのか)


 どっちなんだろう。


 どちらも、ちゃんとやれていない気がした。


 ---


 その夜、エリサからメッセージが届いた。


『今日の、ありがとう』


 それだけの短い文面。


 絵文字もなければ、ハートもない。素のエリサの文章だ。


 俺は、スマホを持ったまま、しばらく画面を見つめた。


 返信を打つ。


『こちらこそ』


 少しして、また着信が鳴った。


『ノート、書こうとしたの』


『何を?』


『一ノ瀬くんのページ』


『書けた?』


 既読がついた。


 けれど、返事は、なかなか来なかった。


 数分後。


『書けなかった』


『なんで?』


『手が止まった』


『なんで止まったのか、自分でも分からない』


 画面の向こうで、いつも笑っている彼女が、何も分からない顔で首をかしげている気がした。


『それ、なんでだろうな』


 そう返信したあと、俺は、ベッドの上でひとつ息を吐いた。


(この子、今、ちゃんと「人の心が分からない」って、自分で言ったんだ)


 笑っているときよりも。


 優しくしているときよりも。


 その一言のほうが、ずっと、人間らしかった。


(……俺、どうしたいんだろう)


 天井を見つめながら、俺は思った。


 エリサを、助けたいのか。


 エリサに、巻き込まれたいのか。


 それとも。


 その先を考えようとして、やめた。


 多分、まだ、考えちゃいけない気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。