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完璧で親しみやすいあの子の秘密  作者: 石化


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3/5

第3話 「火種を消す係」

 翌朝、俺は校門の前で足を止めた。


(……どういう顔で挨拶すればいいんだ)


 昨日の今日である。「素でいてくれ」と頼んだのは俺だが、頼んだからといって、素のエリサがどんなものか、俺はまだ知らない。


「おはよう、一ノ瀬くん♪」


 背後から、あの完璧な声がした。


 振り返ると、周りに三、四人の女子を引き連れたエリサが、花が咲くように笑っていた。


「あ、おはよう」


「昨日はありがとうね。日直、大変だったでしょ?」


「いや、全然」


(あ、素じゃないんだ)


 そりゃそうか、と思い直した。人前で素になられても、それはそれで困る。


 エリサは取り巻きの子たちと一緒に先に行ってしまった。すれ違いざま、俺にだけ聞こえる声で、ぼそりと言った。


「……昼休み、階段の踊り場」


 声のトーンは低くて平らだった。さっきまでの甘い響きは、跡形もない。


(切り替え、はやっ)


振り返っても、そこにはいつも通り、友達と談笑するエリサの姿があるだけだった。

 ---


 昼休み、北校舎の階段の踊り場。ここは誰も来ない。


 エリサは、手すりにもたれて、パックのいちごオレを飲んでいた。


 無表情で、ストローをくわえて、ぼんやりと窓の外を見ている。


「……素って、これでいいの?」


「え、うん。いいと思う」


「つまんなくない?」


「いや、全然」


 本心だった。いつもの笑顔の彼女が「花」だとしたら、今の彼女は「猫」だ。毛づくろいしているところを偶然見てしまったときの、あの感じ。


 エリサは、ストローを噛みながら、ちらっとこちらを見た。


 窓から入る昼の光が、彼女の睫毛を白く縁取っていた。

 ストローをくわえた唇の端に、いちごオレの色がほんの少しだけ移っている。

 教室では絶対に見せない、気の抜けた横顔。

 人前で完璧に整えられた「美しさ」より、こっちのほうが、ずっと目が離せなかった。


「今日の放課後、結衣ちゃんに種をまくの」


「ぶっ」


 飲んでいた麦茶を吹きかけた。


「ま、まく?」


「言ったでしょ。素でいてって」


「いや、確かに言ったけど、そんな、計画まで素にならなくても」


「だって、隠すの、疲れる」


 エリサは、淡々と続けた。


「結衣ちゃん、茜ちゃんがクラスの看板イラストの担当に選ばれたの、気にしてるの。だから、茜ちゃんが『結衣ちゃんの絵、ちょっと子供っぽいよね』って言ってた、って」


「それ、茜さんは本当に言ったのか」


「言ってない」


 即答だった。


「でも、茜ちゃんって、前に別の子の絵を見て、『ちょっと子供っぽいね』って言ってたことがあるの。だから、ありえなくは、ない」


(切り取りだ)


 昨日の美咲さんと同じだ。実際に言ったことの、一部だけを借りてくる。嘘じゃない。でも本当でもない。


「……なんで俺に言うんだ?」


「止めるか、見るか、知りたい」


 エリサは、いちごオレの紙パックを両手で包んで、じっと俺を見た。


「一ノ瀬くんは、どっち?」


 試されている、と思った。


 ここで「やめろ」と怒れば、彼女は「ほら、やっぱり面倒な人」と判断するだろう。黙って見ていれば、俺は共犯者だ。


 どっちも、ちょっと違う気がした。


「じゃあ、俺も勝手にやることにする」


「……え?」


「止めない。でも、俺は俺で、動く」


「どういう意味?」


「見てて」


 俺は残りのパンを口に押し込んで、階段を降りた。


 後ろから、エリサの「は?」という声が聞こえた。


 ---


 俺にできることは、少ない。


 腹黒でもなければ、頭が切れるわけでもない。口が上手いわけでもない。


 あるのは、「頼まれごとを断れない」という体質と、その裏返しの特技だけだ。


 つまり、「頼むのが、ちょっとだけ上手い」。


 断られない人間は、頼みごとの重さが分かっている。どう頼めば相手が嫌な気持ちにならないか、嫌というほど知っている。


「あのさ、結衣さん、ちょっと頼みたいことがあって」


 教室で、結衣さんの席の横に立った。


 結衣さんは、不安そうに顔を上げた。茜さんが看板担当に決まってから、少し元気がない。


「なに? 一ノ瀬くん」


「文化祭の看板の下に貼る、クラスの出し物の説明ポスター、俺が担当になったんだけど、絵が壊滅的で」


 これは嘘ではない。実際、さっき先生に押しつけられた。


「それで、イラスト得意な人に手伝ってほしくて。結衣さん、前にノートの隅に描いてたの、すごく上手かったから」


「えっ……見てたの?」


「うん。あれ、いいなと思って」


 結衣さんの顔が、ぱっと赤くなった。


「そ、そんなこと、ないけど……」


「あとさ、茜さんにも手伝いを頼みたくて。看板と並べるから、雰囲気そろえたいんだよね。二人にお願いしていい?」


「え、茜ちゃんも?」


「うん。看板描いてる本人が、一番分かってると思うから」


 結衣さんは、少し迷った。


 それから、小さく頷いた。


「……いいよ。やる」


(よし)


 次は茜さんだ。同じように頼んで、同じように「いいよ」をもらう。


 これで、二人は、放課後に同じ机を囲むことになる。


 ---


 放課後、教室。


 窓際の机に、画用紙と絵の具と筆が並んでいた。結衣さんと茜さんは、向かい合って座っている。


 最初は気まずそうだったが、十分もすると、手を動かしながらぽつぽつと喋り始めていた。


「看板の色、緑にするつもりなんだけど、結衣ちゃんはどう思う?」


「えっ、うーん……私、青のほうが好きだけど、緑のほうが目立つかも」


「そっか。じゃあ両方入れよっか!」


 よしよし、と俺は教室の後ろの席から、こっそり頷いていた。


 そこへ、エリサが入ってきた。


「あれ、みんな何してるの?」


 いつもの優しい声。いつもの笑顔。けれど、俺にだけは分かる。


(来たな)


 エリサは、結衣さんの横にそっと座った。


「結衣ちゃん、絵、すごく上手だね」


「え、そんな」


「ねぇ、結衣ちゃん。あのね、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど……」


 エリサが声を落として、顔を寄せた。


 ここだ、と俺は思った。


 俺は立ち上がりかけて、やめた。止めない、と決めたのだ。


 代わりに、結衣さんの様子を見ていた。


「茜ちゃんがね、前に……」


 エリサの口から、茜さんの名前が出た瞬間。


 結衣さんの表情が、一瞬、動いた。


 不安。疑い。そして、ほんの一瞬だけ、暗い色。


(……あ)


 その顔を見て、胸の奥が、ちくりと痛んだ。


 昨日の美咲さんもこんな顔をしていたんだろう。誰かの何気ない言葉を、一番悪い形で受け取ってしまう、あの顔。


 エリサの目が、また輝いているのが見えた。


 でも、結衣さんは、そこで首をかしげた。


「茜ちゃんが、なに?」


「あ、えっとね……」


「ねぇ茜ちゃん」


 結衣さんが、くるりと茜さんのほうを向いた。


「エリサちゃんが、茜ちゃんが私の絵のこと、何か言ってたって」


「え? 私?」


 茜さんが、ぱちくりと目を瞬かせた。


「結衣ちゃんの絵? めっちゃ上手いって思ってるよ。だから、一緒にやれて嬉しいって、さっき一ノ瀬くんにも言ったんだけど」


「え」


「えっ」


「…………」


 結衣さんが、エリサを見た。


「エリサちゃん、なんて言おうとしてたの?」


 エリサの笑顔が、止まった。


 ほんの一瞬。でも俺には、はっきり見えた。


「あ、えっと……ううん、なんでもないの。私の聞き間違いだったみたい」


「そっか」


 結衣さんが、ほっとしたように笑った。


「でも、聞いてよかった。ずっと気にしてたから」


 そう言って、茜さんと顔を見合わせて笑った。


 種は、芽を出す前に、土ごとひっくり返された。


 ---


「……邪魔しないでって、言ったでしょ」


 階段の踊り場。エリサは、壁に背中をつけて、ふくれっ面で俺を睨んでいた。


 笑顔の優しい人気者は、どこにもいない。いるのは、せっかく作った砂の城を、波にさらわれた子供だ。


「邪魔はしてないぞ。止めてないし」


「やった。やったよね。絶対やった」


「俺は、ポスターを頼んだだけだ」


「そんなの、詐欺」


「でも、あの二人が直接話せば、あんなの何でもなかっただろ?」


「……」


 エリサは、ぐっと言葉に詰まった。


「それ、ずるい」


「ずるいの、お前のほうだぞ」


「私は誰にも直接言ってない」


「俺だって誰にも嘘言ってない」


「……むかつく」


 エリサは、ぷいっと顔を背けた。


「もう、あの二人で十分遊べると思ったのに」


(遊び、なのか)


 今さらながら、そう思った。


 この子にとって、これは悪意ですらない。ただの、遊びだ。人の心が動くのを見るのが、楽しい。それだけのことだ。


 だからこそ、怖い。そして、だからこそ、どうしようもなく、目が離せない。


「……でもね」


 エリサが、小さな声で言った。


「結衣ちゃんが、一瞬だけ、すごく良い顔をしたの」


「……ああ」


「それを、もっと見たかった」


 声が、また、少しだけ低かった。


 悔しそうなのに、楽しそうだった。


「だからって、他の子にやるなよ」


「じゃあ、どうすればいいの?」


 エリサが、顔を上げた。


「私、これしか知らないの。人の心が動くの、見るの。他に、楽しいこと、ない」


 胸のあたりが、ぎゅっとなった。


 それは、嘘をついている声じゃなかった。


(……ああ、この子は)


 本当に、他の遊び方を知らないんだ。


 俺は少し考えてから、言った。


「……じゃあ、俺で遊べば?」


「え?」


「俺の心が動くのを、見ればいいだろ」


 言ってから、とんでもないことを口走ったと気づいた。でも、撤回する気にはならなかった。


 エリサは、目を丸くして、しばらく俺を見つめていた。


 そして、にやり、と笑った。


 それは、いつもの優しい笑顔ではなかった。


 悪戯を思いついた、猫の顔だった。


「……いいの?」


「え」


「本当にいいの? 私、容赦しないよ?」


「いや、ちょっと待て」


「じゃあ、一ノ瀬くん」


 エリサは、一歩、近づいてきた。


「あなたが、私を楽しませてよ」


 声が、これまでで一番、低かった。

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