無理な要求
「――というわけで、婚礼の準備金の他に、追加で銀貨にして三千枚。それと、東の谷にある魔晶石の採掘権を、公爵家に十年間お譲りいただきたい」
応接室の長椅子に浅く腰かけたゴドウィンという男は、にこやかにそう言った。
ヴァイスハイト公爵家の紋章が入った書状を恭しく差し出しながら、まるで天気の話でもするような気安さだった。
「ゴドウィン様。それは……あまりに急な話かと存じます」
スカーレットは書状に目を落としながら、努めて平静な声で答えた。
ゴドウィンは、セドリックの後見人兼、雪渓領の家令を名乗る初老の男で、この一年ほど、婚約に関するあらゆる交渉の窓口として銀嶺を訪れるようになっていた。
「急な話ではございませんとも。セドリック様のご容態が思わしくなく、王都から高名な治療魔導師をお招きすることになりました。その費用と、道中の護衛費、それから治療に必要な特殊な魔晶石の確保――すべて、婚約者であらせられるスカーレット様のご実家にご助力いただくのが筋というものでしょう」
「筋、とおっしゃいますが」父であるラングドン辺境伯が、隣で低く唸るように言った。
「婚礼はまだ先の話だ。それに東の谷は、我が領地にとって唯一の現金収入の柱だぞ。それを十年も手放せば、この冬を越せるかどうかも怪しくなる」
「辺境伯様、それは困りましたね」ゴドウィンは眉尻を下げてみせたが、その目はまるで笑っていなかった。
「せめてもの誠意を見せていただかねば、公爵家としても、この縁談を続けるべきかどうか、考え直さざるを得ません」
婚約破棄――その言葉こそ出さなかったが、ゴドウィンの物言いにはあきらかにその含みがあった。
スカーレットは膝の上で拳を握った。
銀嶺にとって、この婚約は単なる家同士の取り決めではない。
公爵家の後ろ盾があってこそ、魔物の襲来から民を守る防衛線が保たれている。
それを人質に取られているようなものだと、スカーレットはとうに気づいていた。
「……少し、お時間をいただけますでしょうか。父とも、家臣とも相談の上でお返事を差し上げたく存じます」
ゴドウィンが辺境伯邸を去った後、スカーレットは自室で改めて公爵家から届いた書状を検めた。
末尾に添えられた「セドリック・ヴァイスハイト」の署名は、幼い頃に交わした手紙の筆跡とはどこか違う気がした。
角ばった、事務的な文字。まるで型に嵌めて書いたような。
(気のせい、かしら。何年も会っていないのだもの。筆跡だって変わるはず)
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥にざらついた不安が残った。
しかもこの一年、ゴドウィンが持ち込む「要求」は回を追うごとに大きくなっている。セドリックの治療費という名目にしては、あまりに要求の質が変わりすぎている。
(本当に、セドリック様のためになっているのかしら)
その夜、スカーレットは蝋燭の灯りの下で、何度も書きかけては破った便箋を前に、長い間考え込んでいた。




