EP04 風の奥
白い車体がホームへ滑り込んできた。
その瞬間だけ、足が半歩ぶん先に出る。
急いだところで着く時間は変わらない。わかっているのに、今の足の出し方だけが妙に引っかかった。
後味が悪くて、空席は見えたが座る気にはなれない。
そのまま反対側のドア脇まで抜け、ガラス越しに外を見たまま、列車が動き出すのを待った。
列車が動き出す。
発車の揺れは浅い。身構える間もなく、窓の外の景色が先に切り替わる。
一駅ごとの間隔は短くない。景色を眺めていればすぐだが、歩きでどうにかするには遠い。
街を抜けた先には、手つかずの自然が一瞬だけ顔を出す。
そのあいだに、低い石垣や細い道、取り残されたみたいな屋根の影が混じる。
ルミナス・アイランドになりきらないものが、まだ残っている。
一つ先のメカ・ワークスを過ぎる頃には、立ちっぱなしの脚が少しだけだるくなっていた。
ちょうどその頃、展望塔の輪郭が少しずつはっきりしてくる。
細い骨組みの線、途中で張り出した回廊、上へ伸びた先端。スカイ・ガーデン。
やがて列車は、スカイ・ガーデンとループ・ラビリンスのあいだに設けられた駅へ滑り込んだ。
片側へ出れば空、反対側へ出れば霧がかった迷路。二つのエリアの境目に、無理やり押し込んだみたいな駅だった。
降りる流れに足を合わせながらも、背中のあたりにはまださっきの後味の悪さが残っていた。
そのまま空のほうへ足を向けた。
風が少し変わる。
駅から伸びる歩道は崖沿いをゆるく上る。整った舗装のすぐ脇には、剥き出しの岩肌。
人工物と自然の境目が、きれいに塗り分けられていない。
少し進んだところで視界が開ける。
展望塔。空中回廊。空のほうへひらけた区画が、そこでようやく全体の形を見せた。
もう人の流れはできていた。
昼のピークにはまだ遠いが、展望塔へ向かう流れはじわじわ太くなり始めている。
売店前には小さな人だまりができていた。
頭上の表示には、ヒヨリのショー予定が流れていた。
次回案内。限定フード。関連グッズの販促。
朝、食卓の向こうでパンをねだっていたのと同じやつには、少し見えなかった。
視線を切る。
今はそっちじゃない。
スカイレールの設備棟へ入る。
外の光が切れた途端、空気の匂いが変わった。金属と油、それから少し古い配線の熱。
剥き出しの梁、制御盤、壁沿いを走るケーブル。
あとから足した新しい系統が、古い規格の部品のあいだに無理やり差し込まれている。
外から見えていた古さが、そのまま裏まで続いていた。
制御盤の前に立ち、ログを開く。
立ち上がり不良。報告の文面は短いが、こういうときほど中身は短く済まない。
起動シーケンスを追う。
制御は通る。エラーも残っていない。
もう一段遡ると、ノイズみたいな記録だけが引っかかった。
症状の形はあるのに、証拠が残っていない。
こういうのは、切り分けるまで片づかない。
補助系統を追うと、本件とは別の遅れが引っかかった。
センサーの反応がわずかに鈍い。今すぐ止まるほどじゃない。見えているうちに潰しておく。
必要なところだけ手を入れて、もう一度ログを返す。
数字の上では整った。営業は通せる。
ただ、本件の原因は残ったままだ。
直した、とは言い切れない。
片づけた、が近い。
端末を上げて島崎へ中間報告を入れる。
「スカイレールは暫定処置で営業継続可能です。本件の原因はまだ確定していません。別件でセンサー系の遅延があったので、そっちは手を入れました」
返ってきたのは、いつもの声だった。
『止まってないなら、まずはよかったな』
言い方だけ聞けば労いにも聞こえる。だが、それで終わるはずがないことはわかっている。
『まあ、お前が見たなら大崩れはしないだろ。そういう意味では安心してる』
返す言葉もない。
黙っていると、案の定その続きが来た。
『念のため、他の設備も見ておけ。ついででいい』
ついで。
便利な言葉だ。線を曖昧にしたまま、仕事だけ増やせる。
通信を切る。
営業は回る。
それでも、原因を掴めないまま通した仕事は、あとに残る。
設備棟を出ると、風の匂いが少しだけやわらいだ。
金属と油の気配が薄れ、その代わりに甘いものと焼けた生地の匂いが混じる。近くのカフェから流れてくる匂いだった。
端末を開いたまま、そっちへ足を向ける。
休憩というほど大げさなものじゃない。座って確認できる場所が都合よかっただけだ。
店内まで入る気にはならず、半分外に張り出した席を選ぶ。
紙カップをひとつ受け取って腰を下ろし、端末の画面を開く。
各設備の状態は数字の上では落ち着いていた。スカイレールも、いま触った範囲では静かだ。警報も出ていない。目につく異常はない。
ないのに、引っかかりだけが残る。
カップの縁に口をつけたところで、端末の向こうから子どもの笑い声が風に乗った。
顔を上げる。展望塔のほうへ向かう流れが、さっきより少し濃くなっていた。ショーの時間が近いのだろう。
――ヒヨリ。
端末を閉じる。
展望塔まわりを見る理由なら、いくらでもつく。
そういう形にだけ整えて、席を立った。
風の通り道みたいな歩道を抜けて、展望塔の裏手へ回る。
表側のにぎわいが壁一枚ぶん遠のいて、バックヤードの静けさが戻ってくる。
資材ケース、予備機材、次の回の準備用らしい小道具。
人に見せる場所の裏側は、どこもだいたい似たようなものだ。
その中に、ヒヨリがいた。
ショー衣装の一部をつけたまま、スタッフに何か確認されている。
表にいるときより、少し小さく見えた。
こっちに気づくと、羽をひくつかせるみたいにして顔を上げた。
「……レン」
声が少しやわらぐ。
こういうところは変わらない。
「どうした」
そう聞くと、ヒヨリはすぐには答えなかった。
視線が一度、表のほうへ流れる。塔の上。空。吹き抜ける風。そのどれかへ目をやって、すぐには戻さない。
「きょう……へん」
「何が」
「かぜ」
返ってくる言葉が短い。
ヒヨリはこういうとき、だいたい先に感覚が来る。説明はあとだ。だが、あとから来る説明がいつも綺麗に揃うわけでもない。
「強いのか」
「ちがう」
首を振る。
それから、羽先を胸の前で寄せるみたいにしながら、言葉を探す。
「ながれが……ちがう。
いつも、そとへぬけるのに……きょうは、しまの、おく」
島の奥。
その言い方が少しだけ引っかかった。
風向きの話としては曖昧だ。
だが、ヒヨリが曖昧なまま言うときほど、あとで面倒になることがある。
「奥に流れてるってことか」
「うん……ながれるっていうより……ひっぱられてる、みたい」
そう言って、また空を見た。
レンもつられてそっちを見る。見たところで、目に見える風があるわけじゃない。
上空の装飾はいつも通り揺れている。旗の動きにも不自然なところはない。展望塔の外周を流れる空気も、見た目には穏やかだ。
「気のせいって顔してる」
「してない」
「ちょっとした」
少しだけむっとして言い返すと、ヒヨリが小さく笑う。
だが、その笑いも今日は長く続かなかった。すぐにまた視線が泳ぐ。
面倒だな、で済まない。
こういう曖昧な引っかかりは、放っておくとあとで形を持つ。けれど今の時点では、報告に上げるほどの言葉も証拠もない。
「あとで一応見る」
そう言うと、ヒヨリは目に見えて肩の力を抜いた。
安心したのがわかると、少しだけ収まりが悪い。
「……ありがと」
「まだ何もしてない」
「でも、あんしんする」
息だけで返す。
表側から案内音が流れる。
次のショーの準備が始まる合図だった。スタッフがヒヨリに声をかける。
ヒヨリはそっちへ振り返り、それからもう一度だけレンを見た。
「みる?」
「少しだけ」
軽く返したつもりだった。
けれど、その時点で、もう引き返す気はあまり残っていなかった。




