EP02 鳥居の静けさ
島の朝は、外へ出た途端に言い訳を許さなくなる。
地面の近い朝の空気は、さらに冷たく感じた。
通い慣れた道へ足を向けると、ヒヨリもこちらの歩幅に合わせるように、低く飛んでは止まり、また少し先へ出た。
通路脇の案内表示には、園区ごとの方向と、高速船の時刻が並んでいる。
シン・トウキョウから四十分。
空路なら十五分。
客にとっては、そのくらいがちょうどいい距離なんだろう。
東京が海に沈んで、首都が移ったのは三百年ほど前の話だ。
温暖化と地殻変動で、日本の本土はずいぶん形を変えた。
海に沈んだ土地も少なくない。
東京が失われ、そのあとにできたのがシン・トウキョウ。
そういう話は学校で習ったし、島で働いていれば嫌でも耳に入る。
壁面の電光パネルには、
世界最大級のテーマパーク、ルミナス・アイランド。
開園百年まであと――日。
そんな文字が繰り返し流れていた。
この島はもともと、祈りや観光で人が集まる場所だった。
百年ほど前に、ここに暮らしていた人間が、自分たちの島をテーマパークとして開いた。
いまのルミナス・アイランドは、その延長にある。
その中心にあるのが、スタッフズ・ガーデンだ。
島の住人の半数が暮らす居住区で、俺もこのエリアに住んでいる。
とはいえ、ここは住む人間だけの場所でもない。
前から親子連れが歩いてくる。
子どもが着ているシャツには、ヒヨリの絵が大きくプリントされていた。
その視線が、シャツから抜け出してきたみたいな本人に止まった途端、ぱっと顔が明るくなる。
「わあ、いた!」
小さな手がぶんぶん振られる。
ヒヨリはそれに気づくと、小さく羽を揺らして応えた。
こうして一緒に歩いていると、自分まで表に出たみたいで少し落ち着かない。
それでも無視するわけにもいかなくて、軽く手を上げて応える。
子どもはうれしそうに笑っていた。
その横で、親が小さく頭を下げる。
やがて、通路の先に鳥居が見えてきた。
スタッフズ・ガーデンのちょうど中央。
通勤路の真ん中に、昔からそこにあるみたいな顔で収まっている。
鳥居の向こうに、神社の屋根がのぞいていた。
境内の前には、今日もホエモリが凛々しい顔で佇んでいた。
灰色の毛並みは朝の光を受けても鈍く落ち着いていて、首元や脚まわりには、くるりと巻いた毛が混じっている。
犬に似た姿ではあるが、ただの犬と思うには大きすぎた。
境内の前で静かにしているだけで、ここを預かっているのが誰かはわかった。
「おはよう、ホエモリ」
声をかけると、ホエモリはゆっくりこちらを見た。
落ち着いた琥珀色の目が、一度俺を見て、それからヒヨリへ移る。
「……おはよう」
低く短い声だった。
必要なことだけを置いていくみたいな言い方は、相変わらずだ。
ヒヨリは迷いなくそのそばへ寄った。
ホエモリも止めはしない。
ただ、鼻先をわずかに動かして、無事を確かめるように匂いを取る。
ヒヨリが小さく鳴く。
ホエモリはそれに応えるように、ほんの少しだけ尾を動かした。
「今日は仕事か」
ホエモリがヒヨリに向かって言う。
ヒヨリはこくりとうなずいた。
「仕事」
マスコットに休みなんてあるのか、と島の外の人間なら思うのかもしれない。
けれど、そのへんは意外とちゃんとしている。
獣仔たちも交代で持ち場に出て、きちんと休みを取る。
そういう細かいところは、社長の方針さまさまだ。
「そうか」
ホエモリは短く答えた。
それだけなのに、尾の位置が少し下がる。
顔には出さないくせに、わかりやすいところもある。
ヒヨリはそんなホエモリを見て、小さく鳴いた。
慰めるつもりなのか、ただ返事をしただけなのかはわからない。
ホエモリはそれに静かに応えるように、耳をわずかに動かした。
「じゃあな」
そう言うと、ヒヨリは小さく鳴いた。
まず俺を見て、それからホエモリのほうを向く。
「いってきます」
ホエモリは短く尾を打った。
ヒヨリはひとつうなずくみたいに頭を下げてから、神社の屋根をかすめるように飛び上がる。
そのままスカイ・ガーデンのほうへ消えていった。
ホエモリはその後ろ姿をしばらく見上げていたが、やがて視線を戻した。
「……今日は、島が静かな気がするな」
ぽつりと落ちた一言だった。
「朝だからだろ」
そう返すと、ホエモリは何も言わない。
ただ、ゆっくりと境内の奥へ目を向ける。
俺もつられてそちらを見る。
朝の境内は、いつも通り静かなままだった。
「気にしすぎじゃないか」
そう言って肩をすくめると、ホエモリは小さく鼻を鳴らした。
「ま、行ってくる」
気のせいで済むなら、そのほうが楽だった。
だいたい、こういう朝に限って面倒はあとから形になる。
俺は本社への通路を歩き出した。




