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ルミナス・アイランドへようこそ  作者: 蒼宮 蓮


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EP01 風のない朝

目覚ましが鳴っている。


あと五分。


この言葉を考えたやつには、何かしら勲章をやっていいと思う。

大勢の人間を、潔く起きることから遠ざけた功績で。

そしてたぶん、俺もその大勢のひとりだ。


布団の中はまだあたたかい。

部屋の空気は少しひんやりしていて、その境目に体だけがしがみついている。


また朝か。


そこから先は、もう何も続かない。

考えるのも面倒で、毛布を肩まで引き上げた。


このまま、あと少しだけ沈んでしまえたら。

あと五分。ほんのそれだけでいいのに。


そう思ったところで、窓のほうから小さな音がした。


コツン。


しばらくして、もう一度。


コツン。


重たいまぶたを開ける。

ベッド横の窓の向こう、手すりの上に影がある。

鳥に似た輪郭が、朝の光の中に浮かんでいた。


「……ヒヨリ」


窓を少し開けると、その影は待っていたみたいにするりと部屋へ入ってきた。

翼をひとつ打って、テーブルの上に降りる。


空色と白の羽毛が朝の光をやわらかく拾った。

頭の後ろで長い羽根がゆるく揺れる。

大きな瞳がこちらを見上げてきた。

いつ見ても、少し泣きそうな顔だ。


「レン」


「……おはよう」


まだ眠気の残る声で返すと、ヒヨリはこくりとうなずいた。


「おはよう」

「ごはん」


起きて最初がそれか、と思いながら洗面所へ向かう。


顔を洗って鏡を見る。


少し鋭い目。

目の下には、うっすら影。

昨日も帰りは遅かった。寝不足というほどでもない。いつものことだ。


いつからか、顔つきが少し固くなった気がする。

細かい作業を続けているうちに、こんな目つきが癖になったのかもしれない。


タオルで顔を拭いて戻ると、ヒヨリはもう待ちきれない顔をしていた。


「はいはい」


フライパンに火を入れて卵を割る。

白身がじわりと広がり、黄身が真ん中で小さく揺れた。

ジュッ、と音がする。


ヒヨリはカウンターのほうで焼けていく目玉焼きをじっと見ていた。

完全に狙っている顔だ。


「……待て」


トースターの音に合わせてパンを引き上げ、焼けた皿と一緒にテーブルへ運ぶ。

追いかけるようにヒヨリも飛び移ってきて、置いた瞬間、黄身をつついた。


「おい」

「卵」

「それ俺のだ」

「おいしい」


「鳥のくせに卵好きなんだな」

「鳥じゃない」

「知ってる」


ヒヨリは鳥に似た姿をしている。

けれど、人の言葉を話し、こちらの気分まで妙にわかっているふしがある。

この島には、そんな不思議な生き物が何体かいて、島の人間はまとめて「獣仔」と呼んでいる。


パンを半分にして皿へ置くと、ヒヨリはすぐについばんだ。

けれど、揺れるばかりでほとんど減らない。


何度かやっているのを見て、黙って小さくちぎってやる。

並べ直したパンを、ヒヨリは今度こそ食べはじめた。


その様子を横目に、自分も黄身を崩してトーストにのせる。


ヒヨリはもくもくとパンを食べる。

皿の端の目玉焼きを少し分けてやると、パンより先にそっちをつついた。


「……やっぱりそっちか」


窓の外はもう明るい。

仕事へ向かうには、ちょうどいい時刻だった。


皿を流しへ下げて、濡れた手のままクローゼットを開ける。

制服の上着の内側には、見慣れた自分の名前が刺繍されていた。


Ren Hadouレン・ハドウ


上着を羽織ると、肩に落ちる重みまでいつも通りだった。

昨日の疲れも、今日背負う分も、まとめてそこに乗る。

小さく息をついて、振り払うみたいに襟元を整えた。


扉を開けると、ヒヨリはもう先に飛び出して、廊下の手すりに止まっていた。


「レン」


「ん?」


「ありがとう」


「何が」


「……ごはん」


一瞬、返事に詰まる。


「どういたしまして」


そう返すと、ヒヨリはうれしそうに目を細めた。

なんとなく目をそらして、部屋の鍵を閉める。


廊下に満ちた朝の空気が、頬に触れた。


手すりの向こうには、見慣れた街並みが広がっている。

ガラス張りの住民棟、そのあいだを縫う高架通路、遠くを横切るレール。

毎朝見ている景色だ。

いまさら見入るようなものでもない。


エントランスのまわりでは、同じ制服を着たスタッフが、もうそれぞれの持ち場へ向かいはじめていた。

まだ少し眠たそうな顔で歩くやつもいれば、もう背筋を伸ばして足早に通路を渡っていくやつもいる。

ホテル棟の出入り口からは、早い時間の宿泊客が何人か出てきて、案内表示の前で立ち止まっていた。


その脇を、小型の搬送カートが音もなく通り過ぎる。

すぐ近くではパン屋が店先を開け、ガラス越しに棚を整えていた。

扉が開くたび、焼きたての匂いがここまで届きそうな気がした。


住む人間。

働く人間。

遊びに来た人間。


その全部が少しずつ重なって、ルミナス・アイランドの朝になる。


まるで島そのものが、ゆっくり息をして目を覚ましていくみたいだった。

それにつられるように、俺もひとつ深く息をした。


廊下を抜けて地上へ降り、マンションのエントランスを出る。

地面の近い朝の空気は、さらに冷たく感じた。

通い慣れた道へ足を向けると、ヒヨリもこちらの歩幅に合わせるように、低く飛んでは止まり、また少し先へ出た。


通路脇の案内表示には、園区ごとの方向と、高速船の時刻が並んでいる。

シン・トウキョウから四十分。

空路なら十五分。

客にとっては、そのくらいがちょうどいい距離なんだろう。


東京が海に沈んで、首都が移ったのは三百年ほど前の話だ。

温暖化と地殻変動で、日本の本土はずいぶん形を変えた。

海に沈んだ土地も少なくない。

東京が失われ、そのあとにできたのがシン・トウキョウ。

そういう話は学校で習ったし、島で働いていれば嫌でも耳に入る。


壁面の電光パネルには、

世界最大級のテーマパーク、ルミナス・アイランド。

開園百年まであと――日。

そんな文字が繰り返し流れていた。


この島はもともと、祈りや観光で人が集まる場所だった。

百年ほど前に、ここに暮らしていた人間が、自分たちの島をテーマパークとして開いた。

いまのルミナス・アイランドは、その延長にある。


その中心にあるのが、スタッフズ・ガーデンだ。

島の住人の半数が暮らす居住区で、俺もこのエリアに住んでいる。

とはいえ、ここは住む人間だけの場所でもない。


前から親子連れが歩いてくる。

子どもが着ているシャツには、ヒヨリの絵が大きくプリントされていた。

その視線が、シャツから抜け出してきたみたいな本人に止まった途端、ぱっと顔が明るくなる。


「わあ、いた!」


小さな手がぶんぶん振られる。

ヒヨリはそれに気づくと、小さく羽を揺らして応えた。


こうして一緒に歩いていると、自分まで表に出たみたいで少し落ち着かない。

それでも無視するわけにもいかなくて、軽く手を上げて応える。

子どもはうれしそうに笑っていた。

その横で、親が小さく頭を下げる。


やがて、通路の先に鳥居が見えてきた。

スタッフズ・ガーデンのちょうど中央。

通勤路の真ん中に、昔からそこにあるみたいな顔で収まっている。

鳥居の向こうに、神社の屋根がのぞいていた。


境内の前には、今日もホエモリが凛々しい顔で佇んでいた。


灰色の毛並みは朝の光を受けても鈍く落ち着いていて、首元や脚まわりには、くるりと巻いた毛が混じっている。

犬に似た姿ではあるが、ただの犬と思うには大きすぎた。

境内の前で静かにしているだけで、ここを預かっているのが誰かはわかった。


「おはよう、ホエモリ」


声をかけると、ホエモリはゆっくりこちらを見た。

落ち着いた琥珀色の目が、一度俺を見て、それからヒヨリへ移る。


「……おはよう」


低く短い声だった。

必要なことだけを置いていくみたいな言い方は、相変わらずだ。


ヒヨリは迷いなくそのそばへ寄った。

ホエモリも止めはしない。

ただ、鼻先をわずかに動かして、無事を確かめるように匂いを取る。


ヒヨリが小さく鳴く。

ホエモリはそれに応えるように、ほんの少しだけ尾を動かした。


「今日は仕事か」


ホエモリがヒヨリに向かって言う。

ヒヨリはこくりとうなずいた。


「仕事」


マスコットに休みなんてあるのか、と島の外の人間なら思うのかもしれない。

けれど、そのへんは意外とちゃんとしている。

獣仔たちも交代で持ち場に出て、きちんと休みを取る。

そういう細かいところは、社長の方針さまさまだ。


「そうか」


ホエモリは短く答えた。

それだけなのに、尾の位置が少し下がる。

顔には出さないくせに、わかりやすいところもある。


ヒヨリはそんなホエモリを見て、小さく鳴いた。

慰めるつもりなのか、ただ返事をしただけなのかはわからない。

ホエモリはそれに静かに応えるように、耳をわずかに動かした。


「じゃあな」


そう言うと、ヒヨリは小さく鳴いた。

まず俺を見て、それからホエモリのほうを向く。


「いってきます」


ホエモリは短く尾を打った。

ヒヨリはひとつうなずくみたいに頭を下げてから、神社の屋根をかすめるように飛び上がる。

そのままスカイ・ガーデンのほうへ消えていった。


ホエモリはその後ろ姿をしばらく見上げていたが、やがて視線を戻した。


「……今日は、島が静かな気がするな」


ぽつりと落ちた一言だった。


「朝だからだろ」


そう返すと、ホエモリは何も言わない。

ただ、ゆっくりと境内の奥へ目を向ける。


俺もつられてそちらを見る。

朝の境内は、いつも通り静かなままだった。


「気にしすぎじゃないか」


そう言って肩をすくめると、ホエモリは小さく鼻を鳴らした。


「ま、行ってくる」


ホエモリは動かないまま、落ち着いた目でこっちを見返す。

それだけで、返事の代わりには十分だった。


俺は鳥居の前を離れ、その向こうにある本社へ向かって歩き出した。


神社を離れ、本社へ続く通路を歩く。

色の違う制服が行き交っている。

目が合えば、軽く顎を引く。

ルミナス・アイランドの従業員として、感じの悪い態度だけは取らない。

それで十分だった。


通路の先に、本社棟が見えてくる。

ほかの建物よりひと回り大きいが、見せびらかすような派手さはない。

ガラスと金属で組まれた外壁が朝の光を鈍く返していて、必要なものだけ積み上げたような顔をしていた。

世界最大級のテーマパーク島を回す中枢なんて、たぶんああいう建物でいいのだろう。


本社へ近づくにつれて、背後の景色まで目に入ってくる。

手の入った街並みはそこで途切れ、その先には、深い緑と山並みが静かに連なっていた。

あの一帯まで含めて本社の敷地らしい。

島の人間でも、あっちへ足を踏み入れることはない。

あそこだけ、島の時間から切り離されていた。


自動ドアを抜けると、外の空気がひとつ切れた。

受付の横を通り、認証ゲートを抜ける。

白と金属色で揃えられた内装は無駄がなく、足音まで少し硬く響いた。


技術部のある中層階へ上がる。

客の目に入る前のものを支える人間が、まとめて押し込まれたような場所だ。

俺はその一角で、今日も古い設備の面倒を見る。


フロアへ入ると、もう何人か来ていた。

端末を開いているやつ。

工具ケースを足元に置いたまま、朝のログを眺めているやつ。

静かだが、手はもう動いている。


「おはようございます、レンさん」


ひとりが顔を上げる。

それに軽く手を上げて返し、自分のデスクへ向かった。


朝はだいたい、ここから始まる。

夜間の引き継ぎを開いて、点検ログを見て、修理申請を捌く。

少なくとも、座った瞬間まではそういう予定だった。


デスクに着いて端末を立ち上げる。

夜間ログの一覧が開ききる前に、上から声が落ちてきた。


「レン、悪い。ちょっとスカイ・ガーデン側、見てくれ」


顔を上げる。

島崎が、通路側からこちらを見ていた。

俺の上司だ。

世渡りのうまさでここまで上がってきたような男だ。

そういうところも含めて、あまり好きじゃない。


「スカイレール、朝点検でまた引っかかっててさ」


少し間を置いて、薄く笑う。


「こないだ見てもらったばっかりだったよな?」


言い方がうまい。

責めてるわけじゃない顔で、ちゃんとこっちの気分だけは悪くしてくる。


「症状、どうなってますか」


「立ち上がりが鈍い。

風が拾えてないんじゃないかって話も出てる。

止まってはないが、客足がピークになる前に一回押さえときたい」


風、か。


さっきスカイ・ガーデンのほうへ飛んでいったヒヨリの顔が浮かぶ。

思ったより早い再会になりそうだな、と思う。


「……了解です」


短く返す。


端末の画面には、まだ夜間の引き継ぎが開ききっていない。

コーヒーを淹れる暇くらいはあるかと思っていたが、甘かったらしい。


席に深く座る前に、また立ち上がる。

デスク脇に置いていた工具ポーチへ手を伸ばした。


フロアを抜け、本社の連絡通路をモノレール乗り場へ向かう。

その途中で、不意に声が飛んできた。


「……レン?」


足が止まる。


振り向くと、演出部の制服を着た男がこちらを見ていた。

昔、同じフロアにいた顔だった。

今はもう、向こう側の人間だ。


「久しぶりだな。現場?」


「まあ」


それだけ返して、すぐ視線を外す。

相手は何か言いかけたようだったが、結局、じゃあまた、とだけ言って通り過ぎていった。


心臓のあたりが、わずかにざわつく。


演出部。

その言葉だけで、頭のどこかにまだ引っかかる場所がある。

触れたくないものまで、つられて浮かびそうになる。


代わりに、先に浮かんだのはヒヨリだった。

さっき、スカイ・ガーデンのほうへ飛んでいった小さな背中。


――今日は、島が静かな気がするな。


ホエモリの言葉が、今になって妙に引っかかる。

ただの朝だと流したはずなのに、胸の奥が落ち着かない。


早くヒヨリの姿を確認したくなって、モノレール乗り場へ向かう足が少しだけ速くなる。


連絡通路の窓の向こうには、まだ日が上がりきらない朝の街が広がっていた。

いつもの景色のはずなのに、その静けさだけが妙に胸に残った。

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