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ルミナス・アイランドへようこそ  作者: 蒼宮 蓮


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12/18

EP11 幕前の熱


残っていた点検を片づけながらも、指先の奥にはまだ水音が残っていた。

火気の確認をしているのに、感覚だけがまだ暗い水路に引っかかっている。

灯籠列の固定、導線脇の案内灯、広場へつながる送りの再確認。どれも大きな異常はない。ないものを、ないまま終わらせるのも仕事だった。

確認を端末へ残し、必要なところだけチームへ返す。

再点灯に問題なし。夜の本番前にもう一度見る。そこまで打ち込んだところで、カナから指定された時間が近づいていることに気づいた。


端末をしまう。

視線を切って、ファントム・ランタン前の広場へ向かった。


広場へ出ると、閉じた屋根が先に目に入った。

下りたままの屋根が昼の光を半端に切っていて、視線だけが先に上へ引かれた。

開ききっていない点検扉や、脇へ寄せられた機材箱だけが浮かび、夜の顔より先に、支えている側の線が立っていた。


広場の端では、昼のリハに入る前の確認が進んでいた。

上ではワイヤーを鳴らす短い金属音がして、下では火気の位置を合わせるスタッフが声を交わしている。

その端で、カナがこちらに気づいた。

黒に近い赤の制服。

腰の狐面が昼の光を噛んでいる。

細身なのに、しなやかな筋肉の線は隠れない。

視界の端で、ロアの尾の光が揺れ、その外にホエモリが伏せていた。


「終わった?」

「うつし世めぐりのほうは見た。大きくは崩れてない」


小さくうなずく。


「じゃあ次。アドバイスよろしく」


先に袖口へ向かう。

あとを追うと、ロアが木箱を蹴って先回りし、ホエモリは一拍遅れて立ち上がった。


途中で、振り返る。


「一応、演出家に挨拶しとく?」


気は進まなかった。ただ、ここまで来て避ける理由もない。

挨拶は普通に終わる。

昼は、問題の出る手前だけを組み直して見る。灯りの入りと踏み込みを優先する。要る話はそれだけだった。


立つ場所は正面ではなく、下手袖の少し引いた位置にした。

そこからなら、上の抜けも、降りたあとの足の入りも、灯りが走る瞬間も見逃さずに済む。


ロアは袖の木箱へ飛び乗り、尾の光を小さく揺らした。

ホエモリはその少し後ろで伏せる。

付き添わされている顔のまま、耳だけはこっちを向いていた。


上で短い合図が鳴る。

閉じた屋根の下で、空気がひとつ締まった。

見上げると、上段の影のあいだからカナがこちらを見ていた。


「変だったら、止めていい」

「流れは切らない」


短くうなずく気配がした。


「……わかった」


ワイヤーの張る音が細く走る。

昼のリハーサルが、そこで始まった。


上段から落ちた光が、中空の線へ渡る。

下で炎が立ち上がり、別の影が拍に重なる。

ばらけていた動きが、少しずつひとつへ寄っていった。


出だしは悪くない。

肩の線も、視線の置き方も、よく整っていた。

高い足場を蹴って、ワイヤーで空を切り、別の線とすれ違いながら、流れの中を無理なく抜けていく。


クライマックスの手前で、中心の円形ステージに灯りが細く走る。

まわりの動きが一度だけ薄くなり、そこへ入る。


その直後だった。


右足は出る。けれど、踏み込みだけが半拍ぶん浅い。

そのぶん、炎の立ち上がりと体の入りがひとつだけ噛み合わない。


ほんの一瞬だった。

けれど、見落とすにははっきりしすぎていた。


それでも演目はそのまま流れきる。

中心を抜け、決められた線を最後まで追う。

フィナーレの炎が細く落ち、ワイヤーだけがまだ張っていた。

崩れたわけではない。

けれど、きれいに決まったとも言い切れない。

見落とすには、あまりにはっきり残りすぎていた。


戻ってきた呼吸は、さっきより少し短かった。

顔は崩れていない。

けれど、呼吸だけが先にきつさを拾っている。


「……どうだった?」

「入りまではよかった」


目は逸れない。

そのかわり、次の言葉を待つみたいに、ほんの少しだけ呼吸を止める。


「踏み込みだけ、一呼吸ぶん遅れる」


ロアの尾の光が揺れた。


「ほらね」


軽い言い方のくせに、目だけは笑っていない。


「うるさい」


返しに勢いがない。

それで十分だった。


短く黙る。


「ロア。本番では、こういうときどう回してる」


尾の光がひとつ揺れた。


「横から寄せるよ。流れは切らない。ほんのちょっとだけ」

「視線は」

「そっちもずらせる。やろうと思えば」


短くうなずく。


「なら、一回だけ前へ流せるか」


目が丸くなる。すぐに笑う。


「先に? へえ、いいね。入るとこに、先に薄く置いとくわけだ」


横で黙って聞いている。否定しないなら、話は通じているのだろう。


「できるよ。ちょっとやってみようよ」

「頼む。一回、それで見せてくれ」


ロアは木箱を蹴って下りると、そのまま足場をひとつ、ふたつ軽く飛んだ。

尾の光だけが細く遅れて揺れ、最後はいる高さへするりと上がる。

さっきまで見物する側にいたくせに、入ると決まった瞬間だけ動きがやけに軽い。


二度目の合図が鳴る。

上段の光が落ち、中空の線が走り、外周の灯りが拍に合わせて開く。

散っていた動きがまた少しずつ中心へ寄っていく。

カナが高い足場を蹴って、その流れの芯へ戻ってくる。


クライマックスの手前で、中心の円形ステージに灯りが走る。

その一瞬前、尾の光が進む先を細く引いた。

渦の外縁に、ひとすじだけ薄い光の幕が立つ。

正面を受けるより先に、視線だけが一度そこへ抜けた。


右足が出る。

今度は遅れない。

踏み込みが素直に入る。

光と体の入りが、ほとんど揃った。


そのまま最後まで流れる。

返しも引っかからない。

フィナーレの位置まで、大きくは崩れなかった。

少なくとも、さっきよりは。


灯りが落ちる。

遅れて、焦げた匂いだけが残った。


木箱へ戻ったロアが、こちらを見た。


「……ありがと」

「どういたしまして」


軽く返すが、尾の光は静かで、下りてくる足取りは少し軽かった。

けれど、こちらを見る目は、まだ答え合わせの顔をしていた。


「今のは、よくなった」と先にそう言う。


少しだけ息が落ちる。そこで終わりにならないことも、たぶん最初からわかっていた。

右手が無意識みたいに腰のあたりへ触れかけて、途中で止まる。


「入りは戻ってる。最後まで大きくは崩れてない。でも、根は残ってる。客前なら、もっとはっきり出る」


今度ははっきり、視線が右の腰へ落ちた。


「……そこか」


飾りのない声だった。

そこで、いったん話を切る。


「……今日は、ここで切ったほうがいい」


舞台の中央を見たまま、短く息を整えてから、ようやく肩の力を落とす。

ロアが先に口を開く。


「昼でここまでなら、悪くないよ」

「悪くない、じゃ困るの」


やがて、小さく息を吐く。

軽い息ではなかった。

そこでようやく顔が上がる。


「本番も見て」


頼む、という言い方ではなかった。

強く押しつける声でもない。

ただ、引く気のない声だった。


すぐには返さない。

閉じた屋根の上を視線だけでなぞる。

昼で見えたものが、夜に入って消えるとは思えなかった。


「……設備の確認は続ける。そのあとでよければ、最後まで見る」


そこでようやく、肩から少しだけ力が抜けた。


「うん。それでいい」


短い返事だった。

けれど、さっきまでの座りの悪さとは、少しだけ違って聞こえた。


ロアが近くで尾の光をひとつ揺らす。


「じゃ、夜も集合だね」


ホエモリは何も言わない。

ただ、動かないまま広場の奥を見ていた。


一拍だけその場に残る。

ロアたちは先に袖のほうへ戻っていった。

閉じた屋根の下には、昼の熱と火の匂いだけが薄く残っていた。


夜にはまだ早い。

けれど、あのまま気を抜くには、昼に見えたものが残りすぎていた。


広場まわりの導線、灯籠列、開演前の再点灯。

足元灯、袖側の開閉、火気まわり。

残っていたのは、どれも細かな見直しばかりだった。

どれも大きな異常はない。

ないものを、ないまま終わらせる。

それも仕事だった。


通りへ出る。

眠っていた提灯に、ひとつずつ灯が入っていく。

昼には奥へ引いていた客の声も、少しずつ表へ戻ってきた。

ひと通り終えて、ようやく顔を上げる。

閉じていた屋根の骨組みが、夜の色を受けて昼より高く見えた。

昼に見えた半拍だけが、まだそこに残っている。

あれが夜に入って消えるとは思えなかった。


広場の奥で、開演前の合図が短く鳴る。

時間だった。

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