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「イブ・ライト嬢と会ったことはあったか?」
いつも通りのハスキーボイスに戻って、アレクサンダーが尋ねてくる。
「いえ、ありませんわ。大変美しい人のようですけれど……」
ジスレーヌから聞いた話を思い出し、ゆっくりと答えると、彼は軽くため息を吐いた。
「確かに、群を抜いて美しい令嬢だ。振る舞いも気品があるし、流石侯爵令嬢といったところだな。かなりの数の子息を虜にしているらしい……自分の魅せ方をよく知っているような振る舞いをする人だよ」
へえ……、と、私は脳内のイメージを微調整した。イブのイメージが、高飛車な美少女から、洗練された、小悪魔的な美人像に書き換わる。
「アレックス様は、どうなんですの?」
冷めた物言いが気になったので聞いてみると、彼は首を緩く振った。
「俺の好みではない。夫人から婚約の打診があったが断った。家格としては悪くないが、こちらにメリットが少なすぎる」
「え、そうなんですか?」
思わずむせそうになると、アレクサンダーは、ふんと鼻を鳴らした。
「ああ。非公式な、打診の打診レベルだが。ライト夫人は、社交界の評判は決してよくない。とはいえ、ライト侯爵は有能な方だし、侯爵家はこのままなら安泰だ。それに、伯爵以下には『上位貴族の血』というメリットもある。だが、格上のこちらが受ける理由はない。しかも、打診理由はイブ嬢の我儘だ。悪いが、お前との婚約を理由に断らせてもらったよ。伯母上方は知っているはずだ」
情報量が多すぎて、私は一瞬フリーズしてしまう。
……我儘って、イブはアレクサンダーに惚れていたの?
それを、目の敵にしている『カスターの娘』との婚約を理由に、断られたら……
しかも、シンディ・カスターは、将来の王妃のお気に入り……
□■□
ひらり、と目の前で手が振られた。
「驚き過ぎだ。それとも、俺が取られると思って慌てたのか? まあ、落ち着け」
彼は私に紅茶を注いでくれる。
従者のダリルさんを部屋から出した以上、注ぐべきは私なのだが……
「ありがとうございます……」
慌てて彼を止めようとしたが、手を伸ばすと、笑ってアレクサンダーはポットを置いた。
「気にするな」
「はい……アレックス様、つまり、わたくしはイブ・ライト様に恨まれている可能性も……?」
「まあ、そうだな。聞いた話によると、婚約を断る旨を伝えた時、『いいわ、将来の栄光は私のものよ』と言ったとか」
「それ、捨て台詞ですよね」
フラグじゃないですか、思いっ切り。
まさか、火事はイブ1人の犯行――おっと、まだ放火とは決まってないか。
「……でも、わたくしが、ライト家自体に恨まれるということは、あり得ますの?」
ライト夫人が無礼なのは、単にお母さまとの軋轢ゆえなのだろうか。
「どうだろうな。どうも、夫人は権力欲が強いらしい。侯爵が目を光らせている時はまだいいが……子を産むタイミングが王室と合わなかったからな。
1つ上くらいなら、と王太子殿下の婚約者にイブ嬢をねじ込もうとしたという噂もあったらしい。イブ嬢は、それなりによく出来た令嬢のようだし、あながち有り得ない話でもないぞ?」
頷いて、私は少し考える。
王室ともなると、基本的に5つある公爵家か6つの侯爵家から婚約者を選ぶ。
重視されるのは、家柄<資質≦年齢。
求められるのはできれば同い年、それか歳下だ。
(なぜ歳上が敬遠されるかというと、古代ロードウィンは、性別より年齢が立場に強い影響を及ぼしていたからだ。
つまり、王より立場が低いはずの妃が歳上だと、不都合だったからである。
今では、その思考はだいぶ緩和されたが、そんな価値観が残るのが王室である)
サミュエルと同い年に公爵令嬢はいない。そのため婚約者候補は、同い年の(見込みがありそうな)数名の侯爵令嬢、歳下の公爵令嬢と侯爵令嬢になったのである。
漫画では、レスリーが一番の資質を示し、サミュエルと婚約する。
「と、歳上のイブ様は厳しかったのでは……」
「候補になら、入ることはできたかもしれないな。しかし、侯爵は止めた。……まあ、やはり、夫人は納得いかなかったらしい。イブ嬢は、夫人のその考え方を受け継いでいるようだぞ」
「あら……まぁ、それはそれはそれは」
お茶請けのクッキーに手を伸ばし、私は苦笑いする。
ベリーの香りがふわりと広がって、気分が少し明るくなる。
「そういえば、軍服の話はもういいのか?」
「あ……もう大丈夫ですわ、ありがとうございます」
「そうか…………」
私は首を捻り、聞き忘れがないか考える……あ、そうだ。
□■□
「アレックス様、なぜわたくしがイブ様に何かされたと勘違いなさったのです?」
そう聞くと、アレクサンダーが耳まで真っ赤になる。
ポーカーフェイス俺様イケメンのはずなのだが……やっぱり微妙に分かりやすい。
「な、言わなきゃいけないのか」
「何でも聞けとおっしゃいませんでした?」
「うっ、言ったか……?」
「冗談ですわ」
真顔の私と、しどろもどろの従兄。
彼の呻きを聞いたダリルさんが、ちらりと顔を見せたが、得心したようで、音もなくまた扉は閉じた。
「……アレックス様は、ポーカーフェイスでいらっしゃるように見えて、意外と素直ですわね」
私が少しからかうと、従兄は、軽く息を吸うとカップに口をつけ、優雅に目だけで笑った。
「シンディ、本当にそうかな?」
目を細め、幸せそうに紅茶を味わうその姿に若干の違和感を覚えるが…………ふと、アレクサンダーはカップをソーサーに戻す。
「とはいえ……改めてそう言われると、なんだか恥ずかしいですね」
微笑しつつ、彼は空いていた私のカップにも紅茶を注いでくれる。
誰……この人。
淑女らしさも忘れ、目を剥いてしまった私だが、アレクサンダーはちょっと不思議そうに首を傾げただけだった。
「そんなに驚きましたか?つい、気が緩んでしまいましたからね……どうしてでしょうね、一緒にいるのがあなただからでしょうか?」
歯の浮くような文句に、いつもとは全く別人の、柔らかで甘い微笑を添える従兄。
何の冗談かと思うものの、クッキーをつまむ指先や、どこか気弱げな目線のやり方など……全てがいつもの様子と違う。
まるで、本当に、ふんわりとして甘い、そしてどこか大人しい――そう、例えば、リチャードのような少年が座っているみたいだ。
呆然として声も出ない私に、頰を赤らめた(!)アレクサンダーが控えめに声をかける。
「そんな、じっと見ないで下さい。あなたに見つめられると、本当に恥ずかしいな……他のお嬢さんだと平気なのに……」
照れたように、目線を私に向けたり、ゆらゆら揺れる紅茶に向けたり。
妙に挙動不審なその様子に、いつもの不遜な従兄らしさはない。
どうせ意趣返しだろう……とは分かっていても、ふと錯覚に負けそうになり、沈黙が落ちる。
「……ふふ、精霊が通りましたね」
そしてまた、穏やかなアレクサンダーの声が聞こえる。
『精霊が通る』――とは、前世では『天使が通る』という言い回しだった気がする。
「そう……ですわね」
雰囲気に呑まれたら、彼の思うつぼだろう。できるだけ平静を装って、私は紅茶を飲む。
すっきりとした香りで、自分のペースが少し取り戻せた……気が、する。
「……アレックス様、ご冗談はよして下さいませ?」
冷静に言うと、アレクサンダーは しょんぼりといった様子で眉を下げた。
そして俯いてしまい、彼の表情は見えなくなる。
「私は、真面目に言っていますよ? あなたは、他のお嬢さん方と違う。だから、あなたに見つめられると、胸が苦しい……心臓が、うるさくてたまらない…………!」
そう言うや否や、パッと顔を上げるアレクサンダー。
灰色の瞳は、じっと私を射すくめて、熱っぽく潤んでいる。
握られた拳は僅かに震え、顔も耳も、紅茶と同じくらい濃く染まっている。
――そんな顔、ずるい。
演技だと分かっているのに、惹きつけられて、勘違いして、深みに嵌ってしまいそうだ。
呑まれるな、呑まれるな……と必死に念じても、だめだった。
まるで、純朴で優しい、綺麗な少年に乞われているような錯覚に襲われる。
思わず応えたくなりそうなほど真剣で、一途な告白を受けているような。
「アレックス、さ、ま……」
彼は、意を決したように、私の顔に軽く手を添えた。
「え、…………?」
「………………私では、嫌ですか?」
拒むにはあまりに熱烈な視線を向けられて、心臓がやけにうるさい。
自分の鼓動のやかましさに驚いている間に、彼の顔が近づいてくる。
□■□
拒み損ねた私は、何度も瞬きを繰り返す。
距離が縮まるほどに、体が熱くなっていく。
アレクサンダーがくすりと笑い、
唇が、触れる――
□■□
その寸前で、アレクサンダーがニヤリと笑った。
八重歯が覗き、ふふん、と舌なめずりするチェシャ猫みたいな笑顔だ。
顔が離れ、添えられていた手が、私の頰を軽く引っ張る。
「ちっ、騙されましたわ。一生の不覚…………」
思わず舌打ちまでかましてしまうが、アレクサンダーは心底楽しそうだ。
「どうだ? 俺もなかなかやるだろう?」
祖父譲りのドヤ顔を決める従兄に、腹は立つが、しかしどこかホッとする。
あのままキスなどされていたら、後戻りできなくなっていただろう。
「最悪ですわね。もう……言いふらしますわよ」
じっとりと睨みつけてやるが、私の真ん丸な目では効果がないらしい。
「お前、雰囲気に呑まれすぎだ。俺より口の上手い奴だっているんだぞ。少しは拒め」
と、説教されてしまう始末だ。
「ぐ……偉そうなこと言わないで下さいまし! アレックス様が余計なことをなさるからですわ! あなただから強く拒めなかったのです!」
「なんだ、俺ならお前の唇を奪ってもいいということか?」
「自惚れないで下さい、わたくし、そんなことは言っておりませんわよ?」
何なら紅茶をかけてやりたいくらいだったが、やめておく。
「……しばらく、顔も見たくありません」
不貞腐れてそう言うのが、彼にとっては一番堪えるはずだ。
「え……悪かった、って…………シンディ……」
ドアを開けて、ダリルさんに会釈をして。
冷静になると、ますます腹が立ってきた。
その理由が、からかわれたせいだけなのかは確信できないが……腹は、立つのだ。
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自室に飛び込んで、枕をばふばふ叩く。ひとりでに出てくる恨みつらみを垂れ流していると、
「……シンディ?」
お母さまの声が、廊下から聞こえた。
「もうすぐ、お兄様方がいらっしゃるわ。客間へいらっしゃい」
何だと……。
今、気分は最悪だ。
しかし、ベッドから立ち上がり、さすがにひどい顔では出られない――と姿見を覗き込む。
伯父さま夫婦とその長男を乗せた馬車は、思ったよりも早く到着したらしい。
出来れば部屋に篭っていたかったがそうもいかず、アレクサンダーのことはなるべくシカトしようと決めて、応接間に向かった。




