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アレクサンダーが泣き止んで。
私から離れた後、灰色の瞳が、ちょっと不満そうに私を見つめる。
気の強そうな、どこか野生的で端正な顔立ちのイケメンが、目を潤ませて私に笑いかけていた。
――美形の涙、強い。
『私』の意識が現れてから思っていたが、この世界、美形が多い!
ポーリンも(中身はお転婆だが)繊細で儚げな美少女だし、リチャードも優美で大人びた美少年だし。
レスリーは言わずもがな。濃い金髪に、切れ長で理知的な紫の瞳。
それに、目の前にいるこの従兄――
「ふふん、どうしたシンディ。俺に見惚れてたのか?」
照れ隠しだろう、踏ん反り返ったイケメン従兄は大声で宣う。
それとも、美形だと思っていたのがバレたのか。おバカだけど、本質は聡い人だからね。
「……ううん、まあ、そうかもしれませんわね。アレックス様は、たいそう整ったお顔立ちでいらっしゃいますので」
さっきまで泣いていたくせに、と何となく微笑ましくなって、私は笑った。
「……そうか? それは――いや、当然だろう。今更気づいたのか?」
アレクサンダーが、目に見えて狼狽えた。顔が真っ赤だ。
この子、かわいいなあ……などとにこにこしていると、
「まあ、いい。それよりだな」
急に真顔になって、彼は私にぐいと近く。
私のふわふわの黒髪を掬い、ふわりふわりと弄ぶ。
「な、なんですの……?」
「ちょっと話があるんだ。どうだ、いつかのように庭へ出ないか?」
あれ、お願い口調です。珍しい……!
「……ふふっ。ええ、構いませんわ」
アレクサンダーを見上げて笑うと、彼も柔らかい微笑を浮かべていた。八重歯が覗いて、いたずらっ子らしさが際立っている。
□■□
応接間でティータイムを過ごしていた大人たちに挨拶して、私たちは庭へ出た。
空気は冷たいが、陽が出ているし、風もないし、どこか心地よい。
「寒くないか?」
「ええ、大丈夫ですわ。ありがとうございます」
「そうか、よかった」
アレクサンダーは、ニッと笑う。
2人で日当たりのいいベンチに座って、何とはなしに会話する。
「……最近は、どうだ?」
「そうですわね……ポーリンのお誕生日が来月ですから、プレゼントを考えておりますわ」
「ポーリン嬢のか。それはめでたいな。プレゼント、候補はあるのか?」
私は、ちょっと首を傾げて思案する。
「……ギャラハーのお菓子がよろしいかと思っておりますの。リチャードやレスリー様方と同じにならないよう、気をつけませんと」
「ああ、リチャード君……彼とも、やっぱり文通をしてるのか?」
「はい、そうですわ。学園のお勉強が忙しいと聞きましたので、そこまで頻繁ではありませんけれど」
「そうか」
アレクサンダーは、ふと黙ってしまう。何やら、思案しているようだ。
「……アレックス様?」
「あ……いや、すまない。――ところで、アリエル・ハミルトンという人とは、文通は?」
久しぶりに聞いた名前に、私は怪訝な表情をしてしまう。
アリエル君は、学園でもリチャード(とサミュエル)と仲良くしているらしい。リチャードの手紙にも、度々登場しているし。
「いいえ……?」
「そうか。いや、お前、最近この本を読んでないか?」
唇を尖らせて、アレクサンダーは、ポケットから紙を取り出した。
紙には、確かに、私が近頃愛読している小説のタイトルが書かれていた。
「ええ、読んでおりますわ……ですが、なぜ?」
隣のアレクサンダーを見上げると、彼は渋い顔で黙ってしまった。
しばし無言。
鳥の声が聞こえるなあ……と場違いなことを考えていると、アレクサンダーが口を開いた。
「偶然、学園の図書館で、リチャード・カーターと話す機会があってな。その時、アリエル・ハミルトンもいたんだ。リチャード君とは面識があったが、あの男とは初対面だったんだ」
「はあ」
「それで、まあ、無難に、本の話をするだろ? そうしたら、この本を勧められたんだよ。『シンディさんが気に入っていらっしゃるそうですよ』ってな。」
……なるほど。彼が不機嫌な理由が、少し読めてしまった。
「…………ふん、知らなくて悪かったな。嬉しそうだったぞ、彼は」
最後の方は、口調も崩れ、表情も憮然としたものだった。何か、よほど癪に触ったらしい。
もしかして、アリエル君のしたことは無礼に当たるものだったのかもしれない。もしくは、この俺様お子様な従兄には、自分の知らないことがあるのが気に食わないのか……。
「……それで、アレックス様は、そんなに気を悪くされておいでですのね」
「…………ああ。俺が愛想よくしているのをいいことに、お前のことを褒めちぎっていたぞ。『レスリー・ハンナ・ゴードン嬢と比べても劣らない』だと
――知ったような口を。そんな失礼な話があるか」
アリエル君、いい子だったからなあ。ポーリンが美人すぎてちょっとへこんだけど、アリエル君だけは私の相手をしてくれていたし。
その時のことを掻い摘んで説明すると、アレクサンダーはため息を吐いた。
「……お前、ばかだな」
「な、いくら従兄でも失礼ですわよ。レスリー様とわたくしが比較にもならないというのも、きちんと自覚しておりますわ。そんなことおっしゃらないで下さいませ!」
淑女として、あるまじき行為だが、つい反論してしまう。
こんなことを言ってしまうのは、彼の前だけだ。……アレクサンダーの振る舞いは、いわゆる"貴族の子息"というよりは、ただの少年らしいから、かもしれない。
すると、従兄は、私の顔をじっと覗き込む。
目の前に迫った美形の顔に、私は思わず瞬きを繰り返した。
睫毛の数が数えられそうなくらいに近づかれ、頰が熱くなり始めていた。
――灰色の目が、獲物を見つけたように、爛々と、魅惑的な光を帯びて。
「…………生意気な口利くのは、俺の前だけにしとくんだな」
そのまま、ふわりと抱きしめられてしまったのだった。
「えっ、アレックス様? 何されてるんですの?」
驚きのあまり、上ずった声で何度も問いかける。
アレクサンダーは、私のことをあくまで軽く、僅かに触れる程度の力で包んでいた。
「不満か?」
"そうです"なんて言えないと分かっているのだろう、弾んだ声が降ってくる。
彼の心音は、別段早いとかうるさいとかいうこともなく、とくとくと振動を伝えてきて。体温も、むしろ私より低いようだ。
「……いえ、別に」
だから、勘繰ることも意識することも必要ないはずなのだが――
「別に、何だ?」
耳許で聞こえる余裕めいたその声や、私を見つめる、恐らく楽しげなその表情。
いつもなら当たり前のそんなことが、『抱きしめられている』というこの状況のせいで、
「……もしかして、照れているのか?」
図星だ。だから――そうですね、と答える代わりに。
「痛……!」
彼の腕を、思いっ切りつねってやるのだった。
□■□
アレクサンダーが腕を緩めた瞬間を狙って、私はひらりと抜け出した。
彼の隣に座って、ジト目で見ながら聞いてみる。
「どうして、あんなことなさったんですの?」
「え……いや、済まなかった。勝手にあのようなことを」
「わたくしは理由をお聞きしていますのよ」
「えっ」
「なんですの?」
もごもご……と口を動かすアレクサンダーだが、肝心の内容は出てこない。
まあ、いいか。
ため息を吐くと、彼の肩がびくりと震えた。
「……アレックス様、一体何をそんなに気にしておいでですの?」
「…………え」
私を見下ろす表情は、先程とは打って変わって不安げに揺れている。
清涼な風がアレクサンダーの髪を靡かせるのを見つめながら、私は答えを待った。
無言のまま、しばし見つめ合う。
「…………言わん」
耳まで真っ赤に染めて、アレクサンダーはそれしか答えなかった。
□■□
どうにも悶々とした気持ちのまま、私たちは呼ばれて屋敷の中に戻った。
もちろん、夕食までには時間がある。大人たちのお茶会に混ぜてほしかったが、そっちはまだまだ大人の話があるようだ。
そういうわけなので、結局また部屋で1人だ。
ベッドに腰掛けて、そのままぱたりと横に倒れる。
コルセットはしていないから、苦しくない。どうしてロードウィンにはコルセットがないのか、私にはよく分からない。漫画の都合だろうか。
私が『王国と炎』と同じくらい愛読していた、少女漫画の金字塔の某漫画――フランス革命の時代を舞台にした、男装の麗人が主人公のあの作品だ――に出てくるような優雅なドレスに憧れはあったが、実際コルセットをつけるなんていったら、とんでもないだろう。
3分と保たない自信がある。
足を振り上げ上体を起こすと、置かれた鏡台に私の姿が映った。




