28
「ふー……」
12月。
朝の寒さが厳しくなってきて、ベッドから出る気にならない。
二度寝してしまおうかしら……と目を閉じかけたとき、軽いノックの音がした。
「ふぁーい」
思ったより間の抜けた声が出て、自分でぎょっとする。これだから幼女はいかん。12歳って幼女かしら?
「失礼致します、お嬢様。朝食の準備が整いましたので、お迎えに上がりました」
静かに入ってきたのはサラだ。
やはり寒いのだろうか、鼻の頭がほんのり赤い。
「おはよう、サラ。ありがとう」
「はい、おはようございます」
あまり抑揚のない口調で言ってから、サラはお辞儀をする。
そして、私はそんな彼女に、寝間着から着替えさせてもらった。
サラの手が冷たくてびっくりしたが、『申し訳ございません。もう少しだけ我慢して下さいませね……』と、珍しく申し訳なさそうな表情を浮かべていた。レアだね。
□■□
居間に降りていくと、暖炉のおかげで暖かい。装飾が控えめなうちの暖炉だが、日本人の感覚からしたら、とても豪華。
……しかし、火を見ると何とも恐ろしくて困ってしまう。
「おはよう、シンディ」
「おはようございます。お父さま、お母さま」
2人も、間もなく連れ立ってやってきた。運ばれてきたあつあつのスープがいい匂いだ。今日は、トマトのスープのようだ。
「今年も恙なく過ごすことができました。1年の恵みと祝福に、心よりの感謝を捧げます――」
いつもより念入りな――いわばフルバージョンの――食前の祈りを捧げる。
(ちなみに、ロードウィンでは、特定の神様や宗教を信じている人は少ない。
基本的に多くの国民は、『先祖からの祝福と、自然の恵みによって生かされている』と考えている。昔の日本に近いのかもしれない)
「さあ、食べようか。シンディは、今日からお義父さまのところに行くんだよね」
「エリック、私たちも行くんですからね……?」
「そうだった。僕も、仕事はもう休みなんだよね。忘れてたよ」
社畜気味なお父さまが心配だが……
今日から、感謝祭が始まる。
□■□
私は、今日の午後からサンディ家に向かい出発する。そう、祖父母宅にお泊まりだ。1週間のロングステイの予定である。冬休みの宿題もないし、部活もないし。ありがたくも、また妙に淋しく味気なくもあるのだった。
「シンディ、用意はできたかしら?」
身支度を済ませたお母さまが、私を呼びにきた。後ろには、私の荷物を持ったサラ、お母さまの荷物を持ったリズも控えている。
「はい!」
「では、行きましょう」
□■□
馬車に揺られて、クロークスに向かう。
正直言うと、山道の揺れはそれなりに不快だ。クッションもあるが、どうしても体は痛くなる。
しかし、久しぶりに会う祖父母の顔を思い浮かべながら、近づいてくる山脈に目をやった。
「楽しみだわ、感謝祭……」
思わず頰が緩み、呟きが漏れる。
それは聞かれていたのだろう、お父さまとお母さまが、目を合わせて微笑み合っていた。
□■□
途中に休憩も挟み、予定より少し遅れてしまったが、無事、7日後の昼食の前にはクロークスに到着した。
高地の空気は澄んでいて、馬車から降りて、思わず首を竦めてしまう。
「やっぱり、こちらは寒いわね。小さい頃はよく駆け回っていたものだけど……」
冠雪する遠くの山々を眺めて、お母さまが笑う。
サンディ家では、自然に囲まれた領地や代々の当主の気風が影響して、子供はみな、やんちゃに育つ。
お母さまもかなりのお転婆だったらしい。今は立派な淑女だが……。
「よく来たなあ。ご苦労さん。さあ、入って休みな」
馭者にもウィンクを飛ばし、お祖父さまが今回も出迎えてくれた。
「久しぶりね!会えて嬉しいわ」
その後ろから、中年の侍女と共に、お祖母さまもやって来る。
「久しぶりね、お父さま、お母さま。お兄さまたちはもういらっしゃった?」
「いや、今日の夜くらいに着くらしいぞ。……エリック君も元気かい? 」
「ありがとうございます。僕はとても元気ですよ、お義父さま」
……などと、大人同士の会話に、私が退屈し始めた頃。
「シンディ!」
少し上ずった声が、私のことを呼んだ。
「あ、アレックス様、お久しぶりですね。お元気ですか?」
アレクサンダーも、次の誕生日で16歳になる。日本でいうと、高1くらいだ。
「見ての通りだ。元気に決まっているだろう? お前も、少しは大人っぽくなったな。お祖父さまが褒めるだけはある」
しかし、不遜な俺様ツンデレは相変わらずだ。
爛々と輝く灰色の目やすらっと通った鼻筋の感じから、じわじわ男らしい顔立ちに変化していることが伺えるが……中身は変わらず。
濃い茶色の髪を偉そうにかき上げ、アレクサンダーはフフンと笑う。
「俺もだいぶ成長したんだ。精々、後から後悔しないことだな」
「……え、後悔って何でしょうか?」
「お前は、相変わらず俺には不遜な態度だな。淑女の振る舞いはどうした」
「いや……アレックス様の前で淑女と言われましても」
「生意気だなあ!まあいい、他の人間の前では精々猫を被っているんだな」
……アレクサンダー、『精々』好きだな。
私が呆れていると、お祖父さまの豪快な笑い声が響いた。
「お前たち、仲がいいな。こりゃあ、カーラとレイチェルの約束も案外――」
しかし、その言葉は、お母さまとお祖母さまによって、しっかり遮られたのだった。
□■□
昼食は、私たち一家、祖父母、アレクサンダーの6人でとった。
お互いの近況の報告などで、会話は弾む。
「母と父も、できれば新年には伺いたいと話していました」
「まあ、カーラに会えるかしら。楽しみだわ」
「そうだな。カーラに、サイラス君も元気か? 兄貴たちはどうだ?」
サイラスさんというのは、アレクサンダーのお父さん、つまりキール公爵だ。私の血の繋がらない叔父さまね。
「お気遣い頂き恐縮です。みんな元気に過ごしていますよ」
そう言って、微笑するアレクサンダーは、なかなか絵になっている。
いつも、そうやって優しい微笑を浮かべていればいいのに……まあ、俺様オーラを少し隠せるようになっただけ、成長なのかしらね?
□■□
楽しい昼食が終わり、私は宛てがわれた部屋でひと息ついた。
昔、お母さまの部屋だったこの部屋からは、雪をかぶった山脈が見える。
背景の蒼穹は広く、雲ひとつ浮かんでいない。どこまでも広がっている、まさにそんな感じの空だ。
窓を僅かに開いて、ひんやりした空気を味わっていると――
「シンディ、入っていいか」
有無を言わさぬ口調の、俺様アレクサンダー様がやってきた。
「アレックス様、あなたもう社交界デビューは済まされておいでですわよね?よろしいのですか?」
哀れなる私は、一応の抵抗を試みた。
「お前はまだだろう。だからいいんだ」
抵抗虚しく、ニヤリと、悪ガキの表情を見せるアレクサンダー。
何となく、猫のような……野性味溢れる笑顔である。
「まあ、そうですわね」
お父さまが寝室に来たこともあったし。
「ああ……それとも、お前は嫌か」
心の中で茶化していた、その思考が停止する。
アレクサンダーの表情を見つめると、初めて会ったときと同じ、翳った微笑だった。
精神年齢だけでお子様と決めつけていたのに、どこか大人びた雰囲気だ。
「俺といるのは、楽しくないか」
いつもより低い声に、突き放すようで縋るように深くなる笑み。
灰色の瞳が、揺らめいていた。
「お前も、今はまだ世界が狭いかもしれないが……世界が広がるにつれ、俺から離れていってしまうんだろうな」
呟かれた言葉に、私はハッとする。
――ひょっとして、淋しいのだろうか?
かつて、『……お前のことは、信用してもいいのか』と尋ねられた記憶が、脳裏で点滅した。
「……アレックス様」
「なんだ」
「わたくしは、変わったりいたしませんよ」
「は……?」
社交界に入って、アレクサンダーは、それまでよりも更に色んな人に出会ったのだろう。
打算に塗れた人間や、上っ面だけの人間にも。
……でも、だからと言って私に救いを求めるなんて、ちょっとおバカだわ。
だって、私、しがない少女なのよ。前世も平凡なJKだったし。
年頃の子女の中では、一番親しくしているからだろうか。
彼のあの表情を、弱音を知っているからだろうか。
「アレックス様を裏切ったりなど、いたしませんわ」
小さい子を宥めるように、私は微笑を見せる。すると、彼の目が、ぎゅっと閉じられた。
そして、アレクサンダーの手が、私の肩に伸びる。
……やっぱ、あの時と同じだ。
ぽんと軽い音がして、肩に手が乗っかる。
「ありがとう」
「はい」
短いやり取りの後、彼は目を開けて、
「……見苦しいところを見せたな。他の人間には言うなよ? 俺とお前の、秘密だからな」
ぽろぽろと涙を零しながら、いたずらっぽく笑うのだった。




