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私の目の前には、美しいタルトが鎮座していた。
「さあ、シンディ様。どうぞお召し上がりになって」
「あ、ありがとうございます……」
彼女と、目の前の皿を見比べて、そっとフォークに手を伸ばす。
目の前にいるのは、そばかすの散った頬や、緑と茶色が美しく混ざったアースアイが印象的な少女。
彼女が、ジスレーヌ・ゲーンズボロだ。目を輝かせて、私の様子を注視してくる。恥ずかしい。
◻︎■□
念願叶って、ジスレーヌとの初対面を果たしたのは30分ほど前。
王都に足を踏み入れたのも今日が初。
そして今は、ロードウィンで1番ともいわれるギャラハー洋菓子店の未発売新作を、一足先に食べている! マジか自分!
(人見知りなジスレーヌに、クラリベル以外の友達ができそうということで、凄まじい歓迎を受けたのだ。既視感……)
最初はオドオドしていたジスレーヌだが、私がギャラハーのチョコを褒めたり、何点か質問したりするといたく喜ばれた。あれこれ尋ねてくる令嬢は珍しかったようだ。
彼女は、私より3つ歳上――アレクサンダーと同い年であるが、何となく庇護欲を感じてしまうタイプだった。
そして、お近づきの印にと、モニターを兼ねて新作『王太子のタルト』なるものを出してくれたのである。
サミュエルの学園入学を記念したオリジナルのタルトだという。
「…………わあっ、とても美味ですわ」
「左様でございますか? 職人たちが、腕によりをかけて作りましたの。気に入っていただけて、何よりですわ!」
美しい瞳が、嬉しそうに細められる。
「ええ、あの……クリームに混ぜられているこのキャンディが、大変美しいですね。食感も面白いです」
『王太子のタルト』は一口大のタルトだが、材料はその分贅沢だ。
ギャラハーの名物であり、サミュエルの好物でもあるビターチョコレートをふんだんに使ったチョコタルト。振られた金粉の上に絞られたクリームには、何と、細かく砕かれた青色のキャンディ――サミュエルの瞳の色だ!――が混ぜられているのである。
「程よい大きさにするのに、たいそう研究したそうですわ。お褒めに預かり光栄です……って、わたくしが作ったわけではありませんけれど。皆にお伝えしておきますわね」
くすりとジスレーヌが笑う。だいぶ、心を開いてくれたようだ――むしろ、私が餌付けをされた気がするが――。
□■□
その後は、ジスレーヌと軽い世間話をした。社交界のことについて聞いてみると、思わぬ名前が出てきた。
「そうですわね……わたくしたちの歳の令嬢の中では、イブ・ライト様が断然人気ですわ。侯爵家のご令嬢ということで血筋もおよろしいですし、何よりお綺麗なんですの!」
「あら、ライト家の? どのようなお方か、わたくしにも教えてくださいません?」
ライト家……恐るべし。確か、あの夫人以外の皆様は人気なのだ。正直、外面だけだろうと思ってしまうが。
「ええ、もちろん。 イブ様は、肌が雪のような白さなんですの。それに、薄い栗色と言うんでしょうか……つやつやで柔らかそうな髪! 瞳も髪と同じ色で、目はぱっちりと大きくていらっしゃるの」
「確かに、とてもお美しい方のようですわね。わたくしが男性でも、心を奪われてしまうかもしれませんわ」
私の頭の中では、もっと美しい2人の少女――ポーリンとレスリーだ――が浮かんでいた。しかし、笑って相槌を打つ。
「……も、申し訳ありませんわ。熱が入ってしまって…………」
「いいえ、わたくしは構いませんわ。社交界のお話は興味深いですもの」
まあ、これも嘘じゃないし。ライト家のことは知っておきたい。
「まあ……ありがとうございます。シンディ様は、お優しいのですね」
「いえいえ……」
ジスレーヌが、不安そうに指を動かす。眉の下がった様子は、前会ったときの様子を彷彿とさせた。
「……あの、そういえば、ですけれど」
「はい」
私は注意深く切り出した。
本題に入っても、いいだろうか?
「ジスレーヌ様のお名前――失礼なことを申していましたら、忘れていただきたいのですけれど――は、ファルパス語のお名前ですの?」
予想通りというべきか、彼女は目に見えて動揺した。聞かない方がよかったかもしれない。
「ご、ごめんなさい――」
「いいえ! お気になさらないで。ええ、わたくしの名前は、ファルパス語なんですの」
やや語気を強めて、ジスレーヌが遮る。視線を彷徨わせた後、すっと息を吸ってこう切り出した。
「ええ、……曽祖父の父が、ファルパス出身なのです」
「あら、わたくしの曽祖父もファルパス人ですわ」
「……えっ、そうなのですか?」
呆気にとられたジスレーヌが、思い出したように紅茶に口をつける。
もしかして、そのことで嫌な思いでもしたことがあるのだろうか……。
「ええ、そうですわ」
「あら……そう――そうなのですか!」
何度か繰り返した後、ごく控えめに、ジスレーヌが言う。
「失礼ですけれど……その方は、ご身分のある方ですの? そのう、爵位をお持ちの」
「ええと、はい、伯爵でしたわ」
「左様でございますの……あの、」
「はい」
緊張した面持ちで、しかし意思の強い声で、……しかし窺うような目で、ゆっくり切り出す。
「わたくしの曽祖父の父は、ファルパスの公爵の息子でしたの……。何か、ファルパス貴族についてご存知のことがありませんか?」
それを聞いて、私は飲んでいた紅茶を吹き出しかけた。むせそうになるのを堪え、「え、そうなんですか?」と前世丸出しの口調で聞いてしまった。
「はい。……長くなるかもしれませんけれど、聞いていただけません?」
「ええ、もちろん」
向こうから話してくれるとは、ありがたい。ニヤニヤしないよう、あくまで優しくと気をつけて……私はゆっくり微笑んだ。
そして、ジスレーヌの話が始まる。
□■□
わたくしの曽祖父の父――フロランタンというのです――は、ファルパスの公爵の息子だったのですけれど……父親と不仲だったそうですの。フロランタンは絵がたいそう好きで、画家になると言って。そのまま家出同然にファルパスを出て、ロードウィンに来て、……豪商だった曽祖父の祖父――曽祖父の母の父親ですの――の目に留まったのですわ。
そして、その娘と結婚したのです。
当時、曽祖父の祖父の家はパン屋を営んでおりまして、その傍らで、貿易商といいましょうか……ファルパスの食べ物やら、美術品やらを取り扱っていたそうですわ。
フロランタンは、そこで大変役に立ったそうですの。彼が、家を一気に大きくしたと聞いておりますわ。
ですけれど……曽祖父が叙爵されましたでしょう?
あれは、当時の領主だった男爵様のお家が絶えてしまったからでもあったんですの。それで、ギャラハー領主として叙爵された――そこまではよかったのですけれど。
ああ、そうですわ。ギャラハー洋菓子店――当時は『ギャラハー製パン店』――の名は、かの地の名前から取っておりますの!
それで、ええと……実は、フロランタンの素性が問題になってしまったのですわ。
あら、そんな意外な顔をなさらないでくださいませ。 平民から叙爵される時は、血筋を調べられますのよ。ファルパス出身で、しかも公爵の息子。本当にそうだとしても、具体的にどこの公爵家かは不明。――では嘘をついていた? それならもっと問題でしょう。
得体の知れない人間だったわけですわね、フロランタンは。
ですから、曽祖父はなんとか身元を証そうとしたそうですわ。
ですが、フロランタンは、完全に生家と縁を切っていたようで……ファルパスにも使者を出したというのですけれど、それでも分からずじまい。
結局のところ、他の者に問題がなかったために、爵位を頂戴することができたのですわ。
とは言いましても、ロードウィンの貴族の皆様の中には、このことをよく思わない方もいらっしゃるんですの……。
わたくしの名前ジスレーヌも、気に入ってはおりますけれど……わざわざファルパス語にすることはなかったのではないかと。フロランタンの身元が分からないのですから。
――それに、わたくしの目です。祖父とわたくしがこの瞳なんですの。フロランタンの父君もそうだったらしいですわ。
ロードウィンの貴族にはない瞳だから、余計に……その、フロランタンのことを意識してしまうのですわ。
□■□
長く喋ったのが負担だったようだ。
ジスレーヌは紅茶を飲み、クッキーを――1つ、2つ、3つ……ゆっくり味わって、やっと笑顔に戻った。
「ご……ごめんなさい。このようなお話を、突然してしまいまして」
慌てるジスレーヌに、私もつい慌ててしまう。むしろ、この話を聞くために来たようなものだ。
「いいえ、お気になさらないでくださいませ。興味深かったですわ……と言ったら不謹慎かしら」
すると、彼女の顔が綻んだ。
「とんでもございませんわ。ありがとうございます」
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帰るとき、宣伝を兼ねてだろう、小さなチョコレートの詰め合わせをもらってしまった。個包装で、やはりギャラハーは気が利いているなと感嘆した。
そういえば、チョコレートについてはあまり聞けなかった。
地球の世界史と一緒にしてはいけないが、ギャラハーはチョコレートの最先端を行っているといえるだろう。
むしろ、ちょっと早すぎる気がするほどだ。……そういうもの、なのだろうか?
ウィーラスへ向かう、カスター家の馬車の中で首を傾げると、――今日の担当のサラも、くいと首を傾げたのだった。
□■□
帰宅して、お母さまにジスレーヌから聞いた話をした。
フロランタンの出自が分かれば、彼女も私も嬉しい。win-winだ。
でも、現実は難しい。
「そうねえ……エリックに聞いてみましょうね」
"聞いて分からなかったら、そこまでよ?"と目で語っている。
「はい」
聞き分けよく頷いて、サラに言ってチョコレートを渡してもらう。
お母さまは仰天して、次いでとても嬉しそうな顔をする。
「あと、お母さま。わたくし、新作のお菓子を頂きましたのよ!」
「そうなの? どんなお菓子だったの?」
「王太子のタルトというお菓子ですわ!」
それを聞くと――いよいよお母さまは、眦が裂けるほどに目を見開いた。
えっ、淑女にこんな顔させて大丈夫なんでしょうか。いいのかこれ。
「シンディ、そのお菓子、一般にも発売されるの? 詳しく聞かせてちょうだい!」
ガシッと肩を掴まれて、私はコクコクと頷いた。
王太子のタルトの話に加えて、フロランタンの話も詳しく伝えた。
「ああ、発売が楽しみですこと!……それにしても、不思議なこともあるものねえ。出奔だなんて。ファルパスでは有り得ることなのかしら?」
「わたくしにも分かりませんわ……。でも、本当に仲が悪かったそうですよ」
「それとも、本当は穏便に家を出ていたのかしら?ほら、エリックのお兄様のように、ね」
「そうかもしれませんわねえ……」
などと、ギャラハー・チョコレートをお供に、私たちは終わりのない雑談をするのだった。




