12
私は、建物に背を向けて立っていた。
声の主は、私と同い年くらいであろう少女。やや低めの声には、ただの令嬢とは思えない、艶と品があった。
「…………あなたは?」
知らない声だが、予感はあった。
振り返ると、彼女――レスリー・ハンナ・ゴードンが、私を見ていた。
宝石のような深い紫の、切れ長の瞳に。
僅かに赤味がかった、とろけた蜂蜜のような濃い金髪。
すらりと通った鼻梁、微笑を湛えた唇。
なめらかで柔らかそうな、白い肌。
全てが完成されたその姿は、ありえないほどの美しさ。
「そうでしたわね、失礼いたしました。初めまして。わたくしはゴードン公爵家の娘で、レスリー・ハンナと申しますの」
愕然としていた私も、やっとのことで声を絞り出す。
「お初にお目にかかりますわ。…………わたくしは、シンディ・カスターと申します」
すると、レスリーはにっこりと笑った。
彼女の笑顔に見惚れた間に、軽やかに彼女がこちらへ向かってくる。思わず身構えてしまうが、レスリーはあくまで友好的に笑う。
「どうか、怖がらないでくださいね。……わたくし、少し疲れてしまいましたの。ですから、その……、少しだけでよろしいんですの。わたくしとお話ししてくださらない?」
近づいてくる間に、彼女の頬は徐々に薔薇色に染まる。優しいその声は、半ば懇願のようにも聞こえた。
「わたくしですか……?」
「…………あなたも、パーティーに疲れてしまったのではありませんの?」
「は、はい」
「わたくしも同じです。……パーティーを抜け出す方なんて、めったにいらっしゃいませんわ。ですから……もしかしたら、気が、合うのではと……」
漫画の中の噂では、彼女は堂々たる公爵令嬢で、幼い頃から王妃教育も受けていると聞いていた。子供には見えないほど完成された淑女ぶりで、……当然ながら、自由もなくて。
関わる気はなかったのに、彼女に歩み寄っていた。
ぷるぷる震えていた細い肩は、彼女が、ただの1人の女の子だということを如実に語っている。
「みなさんのお話は、わたくしにも聞こえていますわ。わたくし、殿下には1度もお会いしたことはありませんのよ。お父様のご期待は、わたくしも、分かってはおりますわ、ですが、……」
語尾が消えきるより早く、私はレスリーの手を取っていた。
無礼とか、身分違いとか、考えず。
小さな女の子を、このまま放っておけない。
「レスリー様、わたくしでよければ、お相手いたしますわ」
レスリーは顔を上げ、くすぐったそうに笑った。大人びた笑みではなく、年相応の愛らしい笑顔だ。恥ずかしそうに、私の手を握り返してくる。
――いくら何でも、綺麗すぎるわ。
「わたくし……ったら、お恥ずかしいところをお見せいたしましたわね。どうか、忘れてくださいません?」
もう、彼女は、強かで艶のある公爵令嬢レスリー・ハンナ・ゴードンだった。
◻︎■□
実質、10分と経っていないかもしれなかった。
顔面蒼白、疲れ切った彼女の従者が駆けつけるまで、私たちは色々な話をした。
同い年であること。食当たりに、噂。ドレス、猫。
彼女の父親の厳しいこと、でも実は、レスリーのいないところでは自慢して回っていたこと。
今日のパーティーで、年上の令嬢に囲まれ、はじめて直接的に悪意をぶつけられたこと。
出会ったことのないサミュエルの噂に、本当は胸をときめかせていること。
最後に、レスリーは私に向かって、美しく微笑んだ。
「また、機会がございましたら、お会いしたいわ。では、また、……シンディさん」
◻︎■□
「シンディ! どこにいたの?」
会場に戻ると、キャンディをたくさん握ったポーリンがすぐに駆け寄ってきた。こんなにすぐに発見されるとは、まさか、野生の勘……?
「……えーと」
素直に言ったものかと迷っていると、
「ポーリン、……その手に握っているのはなあに?」
「ひぇっ」
スローン夫人が、ポーリンの手からキャンディを取り上げ、ため息を吐いて近くのキャンディポットに入れていく。
「リチャードが、もうすぐ出てくるわよ。近くに行かない?」
「本当、お母さま? 行こ、シンディ」
ポーリンが、私の手を取って駆け出ーーそうとして思い留まった。
そろそろと、2人で早歩き、である。
◻︎■□
リチャードがようやく登場すると、歓声がわっと起こった。
濃い茶色の衣装を纏ったリチャードは、優しい黒い瞳を瞬かせて、恥ずかしそうに口上を述べた。
その後、挨拶の人が殺到するのを、何とか捌いているらしい。
「やあ、ありがとう。ポーリン、シンディ」
そのせいか、私たちのところに来たときには、ちょっとくたっとしていた。
「おめでとう、リチャード。その衣装、似合ってるよ!」
「お兄さんって感じがするね。お誕生日おめでとう」
口々に褒めると、つややかな黒い髪の毛先を少しいじって、照れながらもお礼を言ってくれた。
「……来月から、僕も学園に通うんだよ。だから、しばらく会えなくなるね」
そして、微笑したままこう言った。
「…………そっか、来月か」
ポーリンも、一転肩を落として呟く。
私も、急に膝の力が抜けそうな感覚がしたので、強く踏ん張った。
「でも、年に3回、休暇があるから。それに、パーティやなんかで帰ってこられる日もあるし。もう2度と会えないわけではないからね」
リチャードは、お兄さんらしく私たちの頭をひと撫でして、
「とりあえず、僕は父のところに行ってくるよ。2人とも、楽しんで」
そう言って去っていった。
◻︎■□
私とポーリンは、賑やかなパーティー会場の隅っこまで行ってーー
「さみしくなるね」
「うん、淋しい……」
ぼやきながら、お菓子を食べ続けたのだった。




