17 知らぬが仏
あれから一ヶ月が過ぎた。
俺は、彼女の記憶が戻ったけど、俺の嘘がバレて、罪悪感がなかなかとれずだった。
あの時、ラウンジで抱きしめて、お互いわだかまりが無くなったはずなのに、ココがいつかやっぱり許せないとか、俺に愛想つかして出ていってしまうのではないという不安が出て、ギクシャクしたりした。
が、様子がおかしいと感じたココは、その度に何も言わず俺に寄り添い、甘えてくれ安心させてくれた。·····情けないことだけど。
最近思うのは·····ココは記憶が戻ったことをすぐ言わなかった。
色んな理由を話してくれてたけど、俺だけが嘘をついていたんじゃなく、自分も嘘をついていたと俺が酷く抱くだろう罪悪感を軽くしようというためだけ·····だったんじゃないかと·····
松野章也がいくら自分が本物の婚約者で、俺の罪を暴いたとしても、記憶が戻ったならあの男が浮気していたことや、その後俺たちは結ばれたということにもできたはずだ。
ココにその事を聞いても『なるほど!じゃあそういうことにしよう』とにこにこと言われた。
「いっくん、用意できたよ。お待たせ」
「いくらでも待てる。じゃあ行こうか」
「ふふ」
今日は結婚式の打ち合わせだ。
自分の罪悪感も落ち着き、改めてココをちゃんと真っ直ぐ愛せるようになって、真っ先にプロポーズした。
指輪をまず初めに用意した。
あの男の渡したものよりも、豪華でココが喜ぶものを必死に考えた結果、中心が1カラットのピンクダイヤで、リング部分は小さなダイヤが全体についている。
竜にはドン引きされた。
最上級のグレードのもので、1千万ほどだったから。
重すぎて逃げられるぞと言われた。·····逃がさないし。
今はそう断言できるくらいには開き直り、ココにべったりだ。
兄さんはそのリングに関しては、『まあ普通だな。だが、もう1つ日常使いできるものを渡しておいた方がいい。その類はいつもは怖くて付けられないらしいからな、庶民からすると』
と皮肉でもなんでもなく、兄さんの奥さんもそうだったかららしい。
自分という男がいるアピールと牽制は絶対だから、日常使いの0、5カラットが全体についているものを渡したらしい·····ピンクダイヤモンドで。
それでもドン引きらしかった。
さらに、それならもっとライトなものをとオーダーしようとしたら、慌てて止められ、それを絶対つけると約束させたそうだ。
やり手だ。さすが兄さん。
東条家は愛が重い家系のようだ。
右手を差し出せば、ココの左手がそっと乗せられる。その手を辿ってココの顔を見た。
プロポーズをしたあの日───
ドキドキしながら、ピンクダイヤが中心についたリングを見せて、プロポーズをした。
わかってはいても、やはり女性は嬉しくて泣いてしまうようだ。ココの嬉し涙で微笑んだ姿は、女神のようだった。
天に召されたのかと思った。
目に涙をいっぱい浮かべて、潤んだ目で
『嬉しい。本当にあなたが私を好きになってくれてよかった。ありがとう。これからもよろしくお願いします』
そう言ってくれて、たまらず抱き寄せた。
しばらくの間、唇を合わせて堪能して、今はこれ以上いったらダメだと、理性を働かせて彼女から少し離れて指輪を左手の薬指にはめた。
よかったジャストサイズ!
喜んでくれている顔を想像して、彼女の顔を覗く。·····あれ、なんか目が·····指輪を見たまま動かない。あんまり好みじゃなかったのかもしれない。もしかして「やっぱり違う」と思ったのか⁉️
血の気が引いていく思いで声をかける。
「·····どうかした?ココ·····正直に·····」
声が震える。やっぱりウソの方がいいかもしれない·····
「あっ!ごめんなさい·····びっくりして·····このリングって本物?あ!違うの·····だって、これ·····サイドストーンも全部ダイヤついてるし、しかも中心の大きいし·····ピンクダイヤでしょ?ピンクダイヤってものすごく高級なはず·····」
しまった·····記憶がなくなってからは、あまりおしゃれをしなかったけれど、それ以前は化粧品メーカーで働くだけあって、とても身なりに気を使っていた女性だった。
ファッション関係には常に気を配っていた人だった!
俺よりも詳しかった·····
ドン引きされて、振られるかもしれない!
「いや·····これは、周りはメレダイヤなんだ。ピンクダイヤを注文したらお店の方が『リーズナブルなサイドストーンを特別にお付けします』って言ってくれたから、そんな驚くほどじゃないよ。それに東条家として、あまり安すぎるのはダメだしね」
慌ててそう言った。
メレダイヤでリーズナブルなんて大ウソだ。
よく見ればダイヤのカットが多いのでメレダイヤを何こか付けて、1つのダイヤにしたかのように見えるが、0.5カラットのダイヤがぐるりと付いている。でもココの指サイズは、8号だから太い人より付ける数は少ない。
兄さんに言われた──
「『知らぬが仏』ということも世の中にはごまんとある。特に俺たちの生きる世界には·····」
そう言って、ゆっくり目を閉じた兄さん·····
俺の知らないことを、すごくたくさん抱えているのだろう·····いやきっとそうに違いない。
醜いもの、汚いものを見て神経を図太くさせていかないと、こんな世界の頂点には立てない。
どんどん人間らしさを失う場所だろう。
でも兄さんが人と居られるのは、俺がいるからだと昔は言ってくれていた。
でも今は、俺以上に兄さんが愛する奥さんがいるからだ。俺もいつかそんな人間にならなければいけない日が来るかもしれない·····
でもココがいてくれれば、兄さんと竜だけは無理でも、ココという愛すべき人が、ずっとそばにいてくれたら俺はまともでいられると思う。
でも、必要ならココのために、醜くも悪魔にもなる。
『 知らぬが仏 』
──そんなある時の会話が頭に過ぎった。
はっと我に返ってココに意識を戻せば、ほんのり頬を染めて微笑んでくれていた。
やばい·····打ち合わせなんか行きたくなくなった。この手を引き寄せ腕の中に抱き込んで·····
「いっくん?行こう?ドレスの予約時間守らないと」
「·····そうだな·····行こう」
今日は、ドレスの選びの日だ。
たくさん着せて綺麗な姿を、お姫様のようなココを見て堪能し、写真を撮って目の保養にするんだった。待ち受け画面にもする!
迎えに来た車に乗り込み、少しするとココが遠慮がちに話してきた。
「·····ねぇ、いっくん·····聞いておきたいことがあって·····」
「ん?何?改まって」
夫婦になる前の気持ちの整理か?
急に態度が変わったりしないか、心配してるのかな。
竜が以前、マリッジブルーというのがあると教えてくれていた。
でも俺はこのままだから。
ココが好きと言ってくれた、俺以外の俺は存在してない。
「あの·····章也は·····あれから、いっくんや桜樹さんに迷惑かけてない?」
チッ。アイツの事か。
「·····ああ。大丈夫みたいだ。兄さんがこの前会ったとき言ってた。そういえば忘れてたよ。ごめん気になるよな」
「うん·····あ!でも誤解しないで?章也に気持ちがあるからとかじゃなくて、何かお金要求してきたりとか·····前それらしいこと言ってたから、私のせいで何か迷惑かけてるんじゃって」
ああ、そんなことで·····よかった。
ちょっと気持ちがあるのかって心配してしまった。でもココには俺だけを見てほしいし、俺だけを気にかけてほしい。
たとえ【好き】という感情じゃないにしても、アイツのことを考えて欲しくはない。
「今は調査部へ行って、研修的なことをしているらしい。実は本部に当たるところはドイツにあるらしくて、そこへ行ってるって。
向こうでやる気出して、仕事もやりがいがあるし街も気に入って、その·····ココのことはもう吹っ切ったって言ってたらしいんだ」
ココの様子を伺う。
今の言葉で信じてもらえただろうか?
「そう·····よかったぁ」
始めは硬い顔してたけど、今の言葉を聞き終わったら緊張が解けて、本当に安堵した顔をしていた。
よかった·····もし信じてもらえず、本部のことを詳しく聞かれたりしたら·····
「彼しつこいところがあったから、いつまでも私のことにこだわって、口止め料とか言ったりしないか気になってたの。あなたはきっと私のことを思って言わないだろうし·····でも仕事に対しては凄くやりがいを求めて、向上心ある人だったから、仕事の方に魅力を感じて、のめり込んでくれたならよかった。きっと大丈夫ね」
「·····あんまり、あいつのこと心配するのは嫌だ、ココ」
「えっ·····違っ、いっくん、さっきも言っ·····」
ココが言いきる前に、抱き寄せて包み込む。顔を首筋に乗せ、軽くキスをする。
「いっくん·····好きよ」
優しい声で聞かせてくれる。
「俺の方が何百倍も愛してる」
「もう·····私も負けてないよ、ふふ·····」
抱きしめる力を強める。
今日はホテルからの迎えの車に乗ってるから、後頭部座席でイチャつき放題だ。
ココを抱きしめながら思い返していた。
数日前兄さんに呼び出された·····ちょうど俺もあの男のことを聞きたいと思ってたところだった。
『どうだ?式の準備は進んでるのか?』
『ああ、進んでる。今度ココの衣装見に行くよ』
『そうか、一番楽しみだな。指輪喜んでもらえたか?』
『まだ渡してない。でもココが引かないように、そんなに高くないように見える工夫したから、時間がかかってるんだ』
『 そんなとこまで、ごまかさないといけないのか、大変だな庶民は』
『兄さんの愛する人もだろう』
ちょっとムッとする。
『ああ、そうだ。だから値段はもう聞くなと言った。プレゼントした側に失礼だと諭したら、ごめんなさいって少し落ち込んでたな。可愛いぞ』
『·····』
何の話を聞かされてるんだか·····
兄さんがいつもの冷徹な顔を崩して、優しく思い出して口元が歪んでる。
でも嬉しい。兄さんが夢中になれ、心を癒してくれる人が現れて。兄さんを人として保ってくれてる。
「で、今日は何の用?仕事?俺もちょうど聞きたかったし」
「聞きたい事?」
「うん·····あいつはどうなったのか。本当に紅菱に入れたの?」
「ああ·····頑張ってるはずだ」
「はず?」
「·····引き渡してあるからな。研修が終わったら、こっちに呼ぶか本部に残すか決める」
「どこにいる?またココに近づかれたらたまらない。何かあってからじゃ遅い。詳しく教えといてほしいんだ」
「心配ない。ドイツにいる」
「ドイツ?そんなとこに?なんで?」
「調査部の研修だ。ドイツの諜報機関に知り合いがいて、その人物に頼んでる。だからしばらくは戻ってこない。だが先日の報告ではなかなか馴染んで、ドイツの生活を満喫してるらしい。あちらは新鮮で、仕事以外でも興味のもてるものがたくさんあると」
「そうなの?あんなにココに執着してたのに?」
まあ、外国は日本とは違う文化だし、旅行で行くには夢中になれることは多いかもしれないが·····
「一時のものだろう?すぐにココにまた近づこうとするかもしれない」
「まぁ、数年は大丈夫だ。給与も前のところより倍はあるからな。お前はこっちのことを気にせず、古都との生活と、プログラマーとしてのスキルを世界トップに名を連ねるぐらいに磨け。そうすればお前は全てを守れる。だから、これ以上は詮索するな。お前はまだ無理だ」
「それは·····どういう?」
正妻の子供じゃないからって意味か?
まだ社会経験が足りないってことか?
組織は渡さないってことか?
いや、違う。兄さんはそんな人じゃない。俺をちゃんと大切な人と、弟と扱ってくれてる。
一瞬でもそんな風に、考えてしまった自分を恥じる。
「·····お前はまだこっちの世界を見なくていい。だがいずれ知るようになる。知らなければならない時が来る。愛する女ができれば·····まだ先だと思ってたけどな」
「·····何か·····動いたのか兄さん·····父さんが。何か、父さんにさせられたのか?」
「違う。あの人が動いてたら、もっと簡単に済ませてた。あの人に動かれたら、お前を傷つけることになる可能性は十分あるから、俺が先に動く」
ああ、そうだ。
父さんが動けば、きっともっと早く残酷なやり方で追い立てただろう。
父さんにとって、守るべきはこの組織だから。
母さんは、決して父さんに文句やわがままを言わなかった。兄さんの母親みたいには。
だからこそ父さんは、母さんをずっとそばに置いてる。本当のところはわからないが·····母さんは幸せだと言っているから、俺が口出しすることではない。
愛する人ができれば、裏側を知らざるを得なくなる。守らなければいけならないから。
守りたいから。
失いたくないから。
幸せにしたいから·····一緒に幸せになりたいから。
·····そうか、父さんも兄さんもその想いが軸か。
口元が弛んだ。笑ってしまう。
なら、何も迷うことはないな·····怖くもない。
この東条グループを持って、ココを守れるなら。
以前はグループに入ることを拒んでた。
雁字搦めになりそうで、自分がなくなりそうで。
でも今はもう思わない。
ココといられるなら、幸せでいられるならいい。
守れるなら何でも、誰でも利用させてもらう。
·····きっと調査部門なんてないだろう。
それに、ドイツは分からないが、国内にはもう入れることはないんだろう。どこに行って何をしてるのか、できるのか。
·····生きてるのか。
まあなんでもいい。
ココに近寄らないでくれれば。
やっと本当の道を歩き出せたんだ。
そんな思いに駆られてたら、目の前にパサッと封筒が置かれる。
なんだ?
「結婚祝いだ」
「えっ、そんなのいいよ。もうこの前も、もらったじゃないか」
「それは古都にだ」
「古都に?」
開けてみると書類だった。
「あのカフェを、好みの紅茶の店に変えるといい。心配いらない。こちらから送ってる、店長やチーフや、あの大学生は引き続きそのままだ。経理もゆっくり学ぶといい。その経費は全て結婚祝いだ。家具も自分の気に入ったものにしたらいい」
「兄さん·····!ありがとう。でもココ受け取るかな?また引くよ。ははっ」
「大丈夫だ、俺の妻の時より安いと言っとけ」
「ぶっ。変な説得だな」
だけど、やっぱりココはドン引きした。そりゃそうだろう。
でも、俺も兄さんも幸せだ。 ココが笑ってるから。
愛する人が笑ってるから。




