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16 おあいこ



兄さん達のそんな話が進められていた頃、俺とココはラウンジへと通されていた。

食事をしていた部屋が、完全な和の庭園の見える和室だったのに対し、ラウンジは名前通りのようだ。でもソファやサイドテーブルに置かれているランプは和テイストだ。

仄暗さもあるけれど、1組みごとに案内される席が、ゆとりを十分に取ってあるので開放感もある。何より隣の声が聞こえないだろうと思える。盛り上がって声が大きくなれば別だが。


案内されたところは、演奏する舞台の側だ。

今日は琴を奏でるらしい。ちょうど演奏の時間のようだった。

でも今はその音楽を堪能している時ではない。

出された緑茶をひと口、口に含みココを見た。ココもお茶を飲んではいたが、視線を感じて俺を見てくれた。


そして俺は深く頭を下げた。


「ココ·····いや、佳倉古都乃さん、実は·····松野章也が言ってた事はウソじゃないんだ·····君が記憶喪失だとわかって、君の傍にいたいと自分勝手な欲を出して·····申し訳ありませんでした。誤って済むことではないのは十分承知しています。佳倉さんの気の済むように、責任を取らせてもらうつもりです」


そのまま頭を下げていた。顔を見れないのもある。


──何も反応もない。


睨まれているのか、涙を浮かべているのか、表情を変えていないのか、分からないけれど下げ続けた。それから少したった時、やっと声をかけてくれた。


「頭を上げてください、顔を見て話しましょう」


敬語だった。ショックだった。

何を厚かましく、ショックを受けてるんだと自分に呆れる。

彼女の言う通り、顔見て話さないといけないと顔を上げた。

俺の目に映るココは悲しげに微笑んでいる。

どういう思いで·····


「警察に行くのは覚悟しています。その前に古都乃さんの希望や聞いておきたい事、全て済ませてから·····」

「私をどう思ってる?」

「え?·····どう、って··········嫌がられるだろうけど·····好きだ·····愛してる·····片思いしてた時よりずっとずっと」

「ずっと傍にいてくれるんでしょう?··········あの人から守ってくれるんでしょう?良かった·····」

「あの·····?」


彼女の表情は、俺への不信感や嫌悪感があるようには思えなかった。それどころか、いつも通りの優しい·····いや、安堵感も混ざった微笑みが·····

もしかして俺の現実逃避がそう見させてる?


「助けてくれたのが貴方で良かった。貴方に着いて来て一緒に暮らせて良かった。事故に合わなければ、本当の幸せを知らなかったわ。あの人にはなかった·····こんな気持ちは·····」


何か·····違う?彼女の言ってる事·····

松野章也にはなかった?

もしかして·····


「·····記憶が?佐々木部長のあの言葉は·····」


古都乃さんは頷いた。


一体いつから·····

横田さんの家に泊まった時には、既に戻っていたのかもしれないという考えもあるが。

そして佐々木部長が、俺が今ココの恋人だと証言した。


「·····果耶さんの家に泊まると、LIMEした日に·····あの日、前に住んでたマンションに行きたくなったの。·····部長に私が紹介すると言ってた人の名前が、貴方とは違っていたと言われて、聞いていた感じの人ではなかったとも言われて·····怖かったけれど·····もしあなたが本当の婚約者じゃなかったら·····って、あなたの目的は·····?

でも考えてもわからなかった。あなたが私を騙さないといけないような、何かを見たのか、したのか。

お金は私に逆に使ってくれていたし·····」


「何も·····ココは何も·····俺が君のそばにいたいと欲を出してしまったんだ·····」

「ええ·····。出た答えは、あなたの気持ちは嘘じゃないってこと。もし真実がわかっても、あなたが私を思ってくれていることは嘘じゃないって、今までのあなたの言動を振り返ってそう信じられた。

でもやっぱり何が本当で、何が違うのか知りたかった」

「ココ·····信じて?くれた·····?俺を」

「記憶をなくす前がどうであれ、私が好きになったのは、記憶をなくしてから、ずっと私を支えて思ってくれたあなただから。

いっくんがいっくんなら大丈夫って。

でも、果耶さんとマンションの前に行くと、偶然章也と会ってしまったの。初めはもちろん分からなかったけれど、私を無理矢理掴んできて、振り払おうと揉み合いになって、壁に頭をぶつけてしまったら、次々記憶が流れ入ってくる感じで·····気を失ったみたいで。

目を覚ましたのは救急車の中だったの。

その時混乱したけど、あの空間だったから冷静になれて、病室まで目を開けずに今までのことを考えたの。

だから果耶さんも章也も、記憶が戻ったことを知らないままよ。

その後、佐々木部長と奥様が心配してきてくれたわ。

果耶さんが傍にずっといると言ってくれていたけど、夜も遅いから帰るよう、交代だと部長が言ってくれて、果耶さんは渋々帰ったの。で、部長には起こったことを話して、家に来たらいいと言ってもらえたの。

今はあなたと落ち着いて向き合えないと思ったから、甘えさせてもらったの」


「そうだったのか。やっぱりあの日に事は起こっていたんだな·····だけどこの1ヶ月何も言わずに、責めずに、許せないはずだろうに、どうして黙って?普通なら俺は訴えられても、憎まれても当然だった。いや、今も当然だ」


「言ったでしょう?私があなたを好きになったのは、記憶を失ってからだって。それに章也のような男の元に、戻る気も全くなかったし·····

あなたと過ごした日々が、以前の私がいかにちゃんと見えていなかったか教えてくれた。お互いを思い合うこと」



以前の章也は誰にでも気さくで優しく、憎めない人好きのする人だったはず。目上の人から可愛がられ、年下の人から慕われているように思っていたけれど、

出会って告白されて付き合い始めた頃は、そんな人だった。転勤が決まって遠距離になってから、何かが少しずつ変わってしまった。


違ってたのかも·····私がいないところでは違う彼だったのか·····

あの頃は私も仕事が面白くてやりがいがあって·····そんな風に少しずつ、変わっていった2人の間を気付けていなかった。


気付いていたら、章也が今のような人間ではなかったかもしれない。悩みとかちゃんと話を聞いてあげていたら·····そんなタラレバを今更考えてしまった。




じゃあ、タラレバ通りになったとして、いっくんとの今がなくなってもいいか?それは·····



「ココ·····」


俺は、ただ、ただ好きになっただけだ。

この欲を君へぶつけただけだ。

なのにそんな風に言ってくれるのか?



「黙ってたのは、章也がこのまま私を放っておいてくれると確信できたら、記憶が戻ったと話そうと思ってたの。でも、もし何か言ってきたら、脅してきたりしたら、紅菱商事はもちろん東条グループにすごいスキャンダルになってしまうかもしれない。私のせいでそんなことになったらいけないって·····だから証拠がないなら、記憶がないままでいた方がいいんじゃないかと·····

章也はいつも写真を撮りたがらなかったし、LIMEのやり取りもすぐ消していたの。普通に思えばおかしいんだろうけど、お互いうまくいっている距離感だと思ってたから、こういう人なんだなと思ってた。バカよね·····」



·····章也はLIMEなどの文を全て消してるはずだと思いながらも、正直賭けではあった。万が一残されていたら·····



章也には、私の記憶が戻ったことも、まだ婚約していたということも、知られない方がいいと思ったから·····きっとつけ込んでくる。お金を要求してくる。そう思った。


恋人としてそばにいた時は、何も思わなかったけれど、仕事の話を聞いていた時、結構相手を追い詰めるところがある。敵に回したくないわと笑いながら言っていた。


でも実際、今のような彼のやり方を目の当たりにすると良い気持ちはしなかった。もう恋愛感情がないからかもしれないけれど·····




「ばかなんかじゃない!馬鹿なのは·····卑怯で、最低なのはあいつだ」

「ありがとう。でも章也の浮気をあなたが知ってたなんて·····それもあって婚約者になって守ろうとしてくれたのよね」

「いや、それは後付けのようなものだ。あいつに渡したくないという思いの方が強くて、咄嗟に口から出てしまったんだ。そばにいられるとも思った」

「·····いっくん、私の気持ちは整理がついた時点で佐々木部長に、もし章也が現れて何か言ってきたら、さっきのように言ってほしいってお願いしたの。嘘の証言はできないって断られるのを覚悟で····でも二つ返事で、『それで私の幸せになるんなら』って·····本当にありがたくて、私を大切に思ってくれて、奥様も」


「本当に·····良かった·····君をちゃんと守って、そばにいてくれる人がいて」

「·····」



これで大丈夫だ。きっと全て落ち着く。

いや、落ち着かせる。



「だから、これでおあいこでしょ?」

「え?おあいこ?」

「うん。先にあなたは私の記憶がないことで、婚約者だと嘘をついた。そしてその後、私は知ってたのに知らないふりをし続けた。今も章也とはとっくに別れてるということにしてるし、記憶がないままにしてるもの」

「いや!それとこれとは!」

「あなたは私と別れた方がいい?もうしんどくなった?もし疲れてしまったなら·····終わりにした方がいいなら·····」


「そんなことない!別れたいはずがない!」


別れた方がいいのかと言われた言葉に、思わずすぐ拒絶した。

そのまま立ち上がり、向かい合って座っていたのに、ココの隣に座って彼女の手を握りしめていた。



「愛してる·····このままココの側にいてもいいのか?許されるのか?」


半分は彼女に告げた言葉。

半分は独り言のような感じだった。

本当に起こってる事か分からなくなってきた。

奇跡とも思える。

ココが俺を本当に受け入れてくれるなんて·····

いや、前も受け入れてくれたけれど、それは婚約者だという前提があってのことだ。だからうぬぼれるなと言い聞かせてきた。

でも今はもうその前提はなくて·····本当の気持ちをもらえたんだ·····そう思うと、もう気持ちは高揚して、愛しさが込み上げて、離したくない思いがMAXとなり、止められずココを抱きしめた。



「·····っあ、い、いっくん·····ここ·····みんないるから」


びっくりしたココは恥ずかしさで小声で言い、必死に俺から離れようとした。


「少しだけ·····お願いだ。もう、ずっと·····さっきから、ココと別れなければいけない·····もう二度と君の笑顔は、俺に向けてもらえないと思っていたから·····頼む、安心させて。現実だと·····俺の愛しい人が、傍にいてくれると確認させてほしい」

「いっくん·····」


いっくんは半分震えながら、泣きそうな声で私の耳元で言った。そんな事言われたら、無理やり離すなんてできない。·····でも恥ずかしい。


ラウンジスタッフの人達( さすが冷静に、見ていませんという通常モードで対応している)、数組いるお客さんに見られているのは、恥ずかしさでいっぱいだったけれど、徐々に、この人といられる、この人が愛おしいという思いを、自分の中で改めて感じられて、ゆっくり抱きしめ返した。

10秒ほどだけ·····

あとは耳元で、『続きは帰ってからね』と言ったら、ガバッと私から顔と体を離し、立ち上がろうとしたから、慌てた。


「ま、待って!まだお茶とお菓子を頂いてないから!滅多に食べられないし、こんな雰囲気のいいところだから、味わいたいから」とお願いした。


始めは、いつでも連れてこれるし、なんならもっといいところも行くからと言い出したけれど、なんとかなだめた。

これですぐ出ていけば、もう周りはどこに行って何をするつもりかバレバレのような····

また来たいと思ったし、何より東条グループのお店だし。


結局いっくんは元の向かいの席に戻らず、私の隣で私にしきりに触れ、構いながら2人で恥ずかしく幸せな時間を過ごした。

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