15 それぞれの執着と思惑
「じゃあ、ちょうどカフェで座れるから、向こうへ行きますか?」
ニヤリと笑う彼の、勝ちを確信している時の顔。混雑はしていないけれど、席を空けて座ったとしても確実に声は聞こえる。しかも内容が内容なだけに、誰彼構わず聞かれていい話ではない。
いっくんを追い詰めてるのだろう。
「ここではまずいのはわかるだろう·····ココ、彼女のプライバシーを守るのが普通だろう」
まただ。
いっくんは必ず私の心配を真っ先にする。
「綺麗事言って、かっこつけたいだけだろ。一番困るのは犯罪者になるお前だろ、東条逸樹さん」
そう言って、狙った獲物を捕らえられたかのような得意顔をしていた。
「·····そこまで調べ上げてるのか?」
「兄さん!」
「桜樹さん」
「へーすげえ!本当に紅菱の人間だ」
私の婚約者だという彼が驚き、そして芸能人にでも会ったかのようにこぼした言葉だ。
すごいタイミングで桜樹さんが現れたことも驚いた。
「古都、大丈夫か?」
「あ……はい」
「大丈夫なわけないだろう。逸樹のいるところで無理をする必要はない」
「は·····い」
この人も私を心配してくれてる。
今ならどんな形でも突き放して、紅菱を守る方に、取るように、転じることができるのに。
目が潤んでしまい、涙が溢れそうになるのを、なんとか止めようと意識する。
そんな私の肩を抱き寄せ、
「いつでも、どんな場合でも俺はココのそばにいるから。·····ココが許可してくれるなら……傍にいたい」
「勝手なことを言うな。古都乃は本来いるべき場所に戻る」
「·····お前が決めることじゃない」
男性といっくんは睨み合ってる。
でも、今ここで私が何か言うのはためらわれる。
どこか移動しなくては·····
「ここでは落ち着いて話せない。商売の邪魔になる。少し離れたところに和食の店がある。グループ企業の1つだ。ゆっくり美味しい料理を食べながらも、悪くないんじゃないか?名前を聞いても?」
「松野章也です。まあ·····悪くないですね」
桜樹さんさんの一言で、場所を変えるのを納得した。
桜樹さんの放たれる迫力と、おそらくそれなりのお店だと踏んだのだろう。下手に逆らえば得られるものも得られなくなる。そういう計算はできる人だ。
そして私たちは和食のお店へ。
着いて分かったけれど、超有名な割烹料理店だった。予約は短くとも3ヶ月待ちは必須と聞いた事が。
当たり前だけれど、桜樹さんで顔パスとなった。
「すっげぇ造り·····料理も半端ない·····」
彼には想像以上のお店だったらしく、萎縮してしまっている感じだった。
それもそのはず。政治家、芸能人、実業家などのVIPがお忍びで来るらしい。
個室はもう個室ではなく、リビングルームのような広々とした開放感があり、ガラス面が大きくそこから見える日本庭園はとても広く、街中に建てられているとは思えない。
まもなく料理が運ばれてきた。その料理の見た目も素晴らしく、まるで美術品のようで、【目でも味わう】という表現がぴったりだと思われた。
「さあ、召し上がれ。感想をもらえるとありがたい」
桜樹さんは食事を勧めた。
こんな状況で食事が進むとは思わなかったけれど、こんな状況だからこそ、こういう美しい舌を唸らせる料理で、気持ちを和らげようとしているのかもしれない。
「そうまで言っていただけるなら、遠慮なくいただきます。古都乃、お前もいただこう」
私を完全に自分側だと思っていることに、不快さを感じた。
彼は冷えたビールと目の前の料理に、気を良くして手をつけ始めた。
「ココ·····いただこうか?この店、身内でもそう来れないから、できるだけ味わおう」
「·····うん、ありがとう」
いっくんに言われると、素直にありがとうと言えてしまう。
しばらく料理を堪能させてもらった。
桜樹さんは日本酒とあてになるものだけ口に入れていたし、いっくんはあまり味わえていないようだった。
私と彼は1つ1つの料理の味や盛り付け方に驚き、美味しさを感じていた。だけど、こんな場じゃなければもっと感動できたと思う。いっくんと楽しく話しながら、二人で驚きながら·····
早く帰りたい。
「じゃあ、そろそろちゃんと話させてもらっていいですか?」
桜樹さんが来てから、彼は敬語で話すようになった。
人を見て態度を変えてる。
「君の言い分を聞かせてもらおうか」
「まず、 古都乃は私が引き取ります。向こうへ連れて行くつもりです。もうこんな風に別れるのは嫌なんで。·····それから彼女を騙したこと、これは詐欺罪ですよね?警察に行ってもいいですが、紅菱商事さんにとって、大きなスキャンダルになることは避けたいですよね。俺たちもマスコミの渦中に巻き込まれるのはごめんです。なのでここは慰謝料という形で解決できたらと」
「どうして·····」
なぜこの人がお金の話をするのか、私の居場所を決めるのか·····私が記憶をなくして何も言えないと思っている――。声を上げようとしたら、桜樹さんに手を挙げて遮られた。
「なるほど·····」
「そのことは紅菱とは関係ない。俺が1人でとった行動だ。兄さん·····CEOも全く知らないことだ。俺が責任を負う。ココにお金を渡すのも文句はない。だけど、お前がココを引き受けるというのは許せない。ココ·····すまない、ここからは聞きたくない話しになる·····」
「 なんでお前に許されなきゃならないんだ?」
「·····以前女とホテルのエレベーターのところでイチャイチャして、キスしたりしながら乗り込み、上の階へ行くのを見た。もちろんココじゃない女性だ」
「な!!!」
「え·····」
「心当たりはあるはずだ····· ないとは言わせない。日付も覚えてる。言い逃れするならホテルの防犯カメラを見せてもらってやる。それくらい簡単なことだ」
東条の名前を持つ俺が頼めば難しい事ではない。
初めて紅菱という名前、東条一族という肩書きを盾にした。
ココを守るためなら使えるものは使う。
「·····なかなか色々叩けば出てきそうだな」
「何を·····たまたま酔っただけに違いない!向こうが仕掛けてきたんだ!それに1回ぐらいで偉そうに勝ち誇っんな」
「1度だけじゃない。調べさせてもらったら過去にもその女性と·····その前は違う女性、目に見える証拠が欲しいなら用意するけど?」
睨めつけながら言ってやった。
身辺調査は褒められたことじゃない。逆に訴えられる可能性もある。だけどこの男のはそういうのを、会社や他の人間に知られることの方が、ダメージだと考えるはずだ。
「·····よくそれで私と婚約してるだなんて言えましたね」
ココがショックを一層受けたのだと思った。
俺がまた傷つけたのか。
「違う·····!こいつはお前の前で、いいように言ってるだけだ」
「松野さん、もういいのでは?」
「何?」
「え·····?」
「兄さん?」
「こんな話があり証拠もあるなら、まずあなたの元に彼女が行くことはないでしょう。記憶がないなら余計に」
「いやっ、でももう解決してる話で!記憶が戻ればちゃんと話し合っていけますよ。俺たちはちゃんとお互い信頼を積み重ねてきた。そいつとは違って」
今度は俺を睨んで来た。
引き下がろうとはしない。
ココの記憶さえ戻れば大丈夫だと、自信があるんだろう。今まで積み重ねてきたもの、確かに戻れば話し合って、好きという気持ちが戻ればやり直すかもしれない。
·····俺が口を挟めることではない。
それぞれ幸せの価値観は違う。
何年かの付き合いが、2人の歩んできた時間で水に流せるかもしれない。
そのことを考えて、勝手に傷ついてしまった·····俺の方が酷いことをしてるというのに·····
「戻りません」
ココが急に一言発した。
「え?」
「古都乃?」
「·····」
みんながその意味を探ろうと、聞こうとした時、扉を叩く音の後に、仲居の声が聞こえてきた。
「失礼します。お客様がお見えです」
「·····どうぞ」
「誰か呼んだのか?逸樹」
「はい、ココの大切な人を」
「え?大切な人?」
扉が開き部屋に通されたのは、以前ココの会社の上司であり、親のようにココに接して想ってくれている佐々木部長だ。
松野章也という男が来たと連絡を受けた時に、佐々木部長に来てほしいと連絡した。
──俺がココに拒絶された時は、ココがショックを受けた時の傷を、癒してほしい、支えてほしいと頼んだ。
詳しく説明する時間はなかったから、それだけ頼んだ。断られたり、もっと説明をしないと動いてもらえないかと思ったが、少しの沈黙の後
『分かった。すぐ行く』
とすぐに了承してくれた。
LIMEで場所や変更になったことを伝えた。
思ったより早く駆けつけてくれたようだ。それだけココを大切に思ってくれているんだ。ありがたかった。
「失礼します」
一例して入ってきたのは佐々木部長だった。
いっくんが呼んだ。
どうして?
「急な連絡にも関わらず、お越しいただきありがとうございます。兄さん、こちらココの前の会社でお世話になっていた佐々木部長です。部長、兄の、紅菱のCEOの桜樹です」
「はじめまして、紅菱の東条です。お越しくださりありがとうございます」
「はじめまして、こちらこそ佳倉くんのことで呼んでいただき感謝します」
「さあ、どうぞお座りください」
いっくんに誘導され、私の隣に座ってもらえた。
「古都乃くん大丈夫か?大切な話があると聞いてこさせてもらったよ。君のそばにいてやってほしいと君の婚約者の彼に頼まれてね」
「私のそばに·····ありがとうございます。嬉しいです」
いっくんが私の為によんでくれたんだ。
「ああ、あなたが佐々木部長ですか?はじめまして。古都乃から伺ってますよ。あなたと会うはずでしたが、こんなことになってしまって会えませんでしたが、私が本当の婚約者の松野章也です」
「君が·····」
婚約者が2人·····どちらかが本物で、どちらかが偽物·····
1時間ほど前、東条逸樹という男から連絡が来た時は、驚いたし騙しているという前提がある以上、古都乃君がいくらいい人だと言っても警戒をした。
何を要求してくるのか、何を企んでいるのかと。
だけど自分の名を名乗ったすぐ後に、古都乃君を守るために支えてやってほしい。自分のことを拒むだろうから、その時寄りかかれる、信頼しているあなたに側にいてあげてほしいと·····
何のことを言ってるのか理解できなかったが、でも何かが起こったのだと、ならばすぐに駆けつけなければ、今度こそ彼女を支えてやりたいと思った。
そして駆けつけてみれば、本人と彼だけでなく、紅菱CEO、そしてあの男性·····本当の婚約者らしき男もいた。
かなりまとまる可能性の低い商談に挑む気分で中に入った。
古都乃君の顔を見て少し安堵した。悲しそうな顔はしていないから、思ったより大丈夫なのかと。
「いいところに来ていただきました。佐々木部長とお呼びさせていただきます。部長は私が古都乃の本当の婚約者だと証明していただけますよね?顔合わせできなかったけれど、古都乃と私とで、あなたのところへ挨拶しに行く予定になっていましたよね。私松野章也が」
「·····確かに」
「ほら、古都乃、俺達は·····」
得意気に私を見た彼は、勝ったと言わんばかりの、そして意味ありげな笑みを浮かべた。
ここからどう交渉しようかと算段しているのだろうか?
だけどその続きを走ることはできなかった。
「君の名前は聞いていたよ·····別れたとね」
「そうでしょう?·····は?別れた?」
「そう、君、松野章也という男性は、浮気をしていたから別れたと。そしていつも相談にのってくれていた、隣人である東條逸樹さんという男性に告白され、自分も引かれていることに気づいて、付き合うことになった、とね。ただ·····婚約まで進んでいたとは、さすがに驚いたよ、東条さん」
「え、いや·····あの·····」
「やっぱりそういうことだったんですね。よかった·····いっくんを好きな気持ちは、きっと前の私もあるはずだと信じてたから」
何がどうなってるんだ?
浮気を知って別れた?別れてた?
既にそうなってたのかと思えても、相談?あるはずがない。
あの時以来、ココと俺は·····
どうして佐々木部長がそんなウソを?
俺はココの側に·····支えてもらうために呼んだはずなのに、どうなってる?
この人は瞬時に何かを感じて判断したのか?
断罪が始まると思って覚悟していたが、俺ではなかった·····?
ココは俺を見て微笑んでくれてる。
·····いいのか?
俺は·····微笑み返しても·····
その話に乗っても·····
だけど、いや、またココを騙そうと·····騙してしまうことになる。ダメだ。
そう思い口を開こうとした。
「どうやら松野さん、あなたは別れていたことを受け入れられなかったようですね。それでこんな茶番をしたんですか?」
これまで入ってこなかった兄が話し始めた。
「兄さん待ってくれ」
俺はまず、正しい事実を告げなければと焦ったが、兄が手を挙げ俺の言葉を遮った。
「そんなわけないだろう!佐々木部長、あなたのとこに行く前日に、古都乃と連絡取り合ってたんだ。明日の待ち合わせ場所と時間を決めてたんだから」
「じゃあ、その証拠の文を見せてください」
「えっ、古都乃?証拠の文って·····いや、それは·····」
「ないんですか?何を信じろと?」
「·····だが、君のその調査の仕方、緻密さは賞賛するに値いするものだと評価させてもらうよ」
「賞賛?俺を?」
「兄さん?何を?」
「ああ、まあ君がこれ以上の茶番をやめて、古都を諦めるなら、是非我々の調査部門で働いてもらいたいと思ってるんだが」
「兄さん·····それは」
「そういえば逸樹、お前は古都と話があるんだろ?食事が済んだんだ。ラウンジで話をしてくるといい。ここからは松野氏と仕事の話をする。佐々木部長、あなたにもお付き合いいただけますか?」
「え?ええ、私でよければ·····何かお役に立ちますかな?」
「まあ証人というか立会人というか、そんなところでぜひお願いします」
「·····分かりました」
正直、恐ろしい事に巻き添えをくらう気分だ。
だが、古都乃くんの為なら·····そして、紅菱のCEOから頭を下げられれば、否とは言えない。
腹を括る。
「本当に私を、紅菱に?」
「紅菱というか、我がグループの調査部門だな」
「すごい·····俺が?」
「さっきも言った通り古都を諦めるのが前提だ」
「すごい!わかりました。今は引き下がります。記憶を戻ってないのも不利ですし、ある程度の地位を取れたら、正々堂々とアプローチするのは問題ないですよね。もしくは、古都乃の記憶が戻って、俺を·····私を選んだくれた場合とか」
「·····そうだな、恋愛は人に指示されるものではないし、古都の気持ちが一番だからな。それに君もステータスが上がれば、別の人にいくかもしれないしな」
「それはないですよ。結婚するなら古都乃が一番です」
「·····そうか·····チャンスをやったつもりだったが」
「え?何か言いましたか?」
「·····いや、こちらの事だ」
松野章也という人物は野心が全てなんだろう。
だけど古都乃くんに執着もしている。
まぁ、彼女のような明るさもあって優しく、相手を想って、しっかりした意見を言える聡明さもある女性なら手放せないだろう。
パートナーとして側に置けば、仕事関係でも対応能力は高い。
それにしても東条氏の考えがイマイチ掴めない。
松野という男は古都乃くんにかなり執着がある。それ故に、色々な手を使って調べ上げていたんだろう。だけど、これくらいの能力を持つ人間なら、東条グループであれば、はるかにもっと国レベルでの調査員たちがいるはずだ。わざわざスカウトするレベルではない。全く·····
「早速こちらへ移動するように勧めてほしい。できれば今月中に退職を。申し訳ないが、こっちに来るということは内密にしてほしい。何せ調査部門で働いてもらいたいので、周りに知られるのはまずい
。誰にも気付かれず、こちらに来てもらうというのも東条への入社の第一条件だ」
「分かりました。必ず守ります」
「ああ·····なら、この他条件や給与形態は、来週君の都合のいい日時に、うちの秘書と話し合いをしてもらいたい。これが秘書の名刺だ。繋いでおく」
「今書面で契約して頂けませんか?もし後日知らないと言われたら、私も無職はよろしくないので。そうなったら何をしてしまうかわかりません」
·····脅しをかけてるのか。
東条グループのナンバー2を相手に。図太いな。
私には、恐ろしい·····
表面上は穏やかに微笑んでいるが、瞳のその奥はかなりの冷酷さを感じるのは私の気のせいか。
正直あまり関わりたくない。
「そうか、ただ今は何も書類関係を持ち合わせていないからな。そうだ、佐々木部長、あなたが証人ということでお願いできますか?」
「·····それは構いませんが、私でよろしいんですか?」
「もちろんです。古都が父親のように慕っていると伺っていました。そんなあなたなら十分信用できます。構わないか?松野くん」
「まぁ仕方ないですね。東条グループとは別のところの人ですし、古都が慕っていると聞いてるので、ひとまず·····」
松野章也·····この俺と対等に近いところで、話そうとしているのか?
ふ·····度胸だけはいい。もしくは本当のバカかだな。
いずれにしても、面倒な相手ということに変わりはない。今回は早めに対処できてよかったと言える。
「話がまとまったなら親睦を深めるのと、君を歓迎ということで飲み直そうか?佐々木部長、お酒は問題ありませんか?」
「はい、大丈夫ですが、あまり飲みすぎると妻に心配をかけるので、一杯だけお付き合いさせてください」
「奥様に心配させるのは心苦しいですね。帰りはこちらの手配した車で送らせてください」
「いや、そこまでしていただくわけには·····」
「いえ、是非そうさせてください。弟が初めて愛した女性が、父親のように思っている方ですから。私たちにとっても大切な人です」
「恐縮です·····今回だけはお言葉に甘えさせていただきます」
「ええ、もちろんです。古都も安心します」
紅菱のCEOに、車の手配をさせるなど恐れ多いが、なぜだか本能が従っておいた方がいいと言っている。
それに古都乃君が安心すると言われれば弱い。
これが貸しを作るということには、全くならないことも分かっている。
紅菱程の規模の企業が、我が社に何か頼み事を持つということ自体、ありえないだろうから。




