第764話 神託の巫女
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時系列としては、まだ影治たちがラテニアに旅立つより前。
神聖マルティネ教国の大教会の一室には、主教以上の神官が集まって会議をしていた。
だがいつも通り、聖光教の最高指導者である総大主教の姿はない。
今は水色の悪魔こと、影治対策本部の責任者である主教の男が報告をしていた。
「またしても、ニューホープへと放った天罰執行人からの連絡が途絶えました。すでにあの憎き水色の悪魔相手に、かなりの数の諜報員を失っております。これで何かしら成果があるのなら良いのですが、これだけ犠牲を払っても得られた情報は大したものではありません。諜報員を送るな、とまでは言いませんが、このままの状況で同じように送り続けても、ただ徒に消耗するだけかと」
「全く忌々しい悪魔め! 遠く離れたかの地では、我らの影響力が及びにくいとはいえ、好き勝手暴れおって!!」
「あの腐食の牙と、聖者の影も帰らぬ者となってしまった。やはりマルティネ様のご神託通り、迂闊に手を出すべきではなかったのでは?」
「そうは言うがな。ただの冒険者であったのならともかく、拠点を築いて以来奴の力は増すばかりではないか! 近頃はデグレスト魔導教会などという、邪教の教えまで広まっていると言う。まだまだ小さな宗教団体とはいえ、水色の悪魔の薫陶を受けた邪教徒の勢力が、これ以上拡大する事は阻まねばならぬ!」
直接影治の下まで刃が届く事はなかったが、影治が神敵認定されて以降は常に監視がついていた。
しかし影治がニューホープで活動を始めてからは、どんどん諜報がしにくくなってきている。
例えば東西にある関所を通らずに、自治区内に入るのはほぼ無理だった。
何故なら、自治区外縁には広範囲に渡って、アンデッドが配置されているからだ。
その監視の目を抜けて中に入るのも、強引に押し通る事も出来ていない。
そして東西にある関所では、通行料や関税の徴収の他に、簡単なハベイシア対策が行われている。
それはかつて江戸時代に、キリスト教信者に対して行われていたという踏み絵だった。
これがまた効果覿面で、正体を暴かれてはまずい筈の間者ですら猛烈に拒否反応を示し、すぐにその場で取り押さえられる。
これは実際に踏み絵を踏ませるといった手法ではなく、主にマルティネの暴言を口にさせるという方法が取られていた。
これにはちょっとした副次効果があり、何度も関所を通る商人達のあいだに暴言を吐かせることによって、聖光教会への悪感情が広まる効果もあった。
言わされてるだけであっても、何度も口にすることで本人も知らぬうちに聖光教会に対するヘイトが蓄積されていく。
更にそれを煽るように、影忍とレイノルズの草の者たちによって、ガンダルシアやカウワンなどの地域で、聖光教の悪行を流してもいる。
ラテニア以北の昔から帝国と争っている地域では、元々帝国に対する感情は限りなく低い。
だが長いこと直接争うことが無かった大陸南部では、首脳部はともかく一般庶民の間での帝国の評価は北部とは大違いだった。
だからこそガンダルシアでは、帝国と密接な繋がりのあるハンター協会が勢力を広げていたのだが、それもガンダルシア動乱以降は大きく風向きが変わっている。
「テオロ主教の言う事は尤もである。私としても、段々と影響力を高める水色の悪魔について、頭を悩ませておった。そこでリューズ殿にお頼み申し、マルティネ様の御意向を伺ってもらったのだ」
「なんとっ!」
「流石はブラウド大主教。して、リューズ様は何と仰っておられましたか?」
光の使徒のひとりであるリューズ・ステイシアは、ガンダルシア動乱時には神託の聖女と呼ばれていた。
しかし今では彼女は神託の巫女として、光の使徒の中でも更に特別扱いされるようになっている。
光の使徒にはそれぞれ二つ名が付けられるが、その中でも3つの分類が存在する。
実質的な権限などは変わらないのだが、内部での扱いが高い順に巫女、聖女、乙女と呼ばれているのだ。
先ほど発言したブラウド大主教も、以前の会議では「リューズ」と呼び捨てにしていたのだが、巫女となった今ではリューズ殿と呼んでいる。
「それは本人から語って頂こう。……リューズ殿」
「――では、僭越ながら神託の巫女である私リューズ・ステイシアが、マルティネ様から賜った言葉をお伝えします」
その一言に、会議室は重い静寂に包まれる。
会議に出席している主教や大主教たちは、一言一句聞き漏らさないよう、全神経を集中させてリューズの次の言葉を待つ。
『神敵エイジを討つは時期尚早。なれど、放置するもまた愚策。故に、まずは神敵以外の背信者と亜人。そして妖魔共を殲滅すべし。しかる後に戦力を結集し、神敵との聖戦に挑まん』
「お、おおおおっ……!」
リューズの明朗でよく響く声は、その声の美しさによってではなく、内容によって出席者たちの胸の内に炎を灯した。
皆一様にランランと光る狂信的な目をしており、会議室は異様な興奮に包まれる。
余りの興奮のあまり、口から涎が垂れているのも1人や2人ではない。
パチンッ!
集団で麻薬でもキメていたかのような出席者たちであったが、ブラウド大主教が柏手を打つと音が波となって伝わるように、異様な興奮状態にあった出席者たちが元の意識を取り戻していく。
「皆の者、落ち着き給え。私も始めに耳にした時は、皆と同じような反応をしてしまったので余り強くは言えぬ。だがこれこそがマルティネ様の御意向であらせられる! 無論、この事は総大主教猊下にもお伝えしてある。本日の会議では、マルティネ様の意を形とする為に、皆の意見を伺いたい」
ブラウドがそう言うと、その後は侃々諤々の会議が長時間行われた。
その熱の入りようはすさまじく、会議はそれから3日に亘って続いている。
といっても、大体的な方針は皆同じだ。
マルティネの教えが全てである彼らにとって、リューズが述べた内容が全てである。
いずれは大陸全土に教えを広めたいというのが共通認識だが、まずは厄介な対ハベイシア同盟に参加している国が、殲滅の対象であった。
とはいえ無限に戦力がある訳でもないので、どの国を相手にどのように戦うのかというのは重要である。
まず話し合いの中で、先年の動乱によって国力が弱まったガンダルシア王国や、元から規模が小さいヴォーギル共和国が対象から外された。
そうなると、やはりまず滅すべきは長年戦い続けている3国。
ラテニア連合国、ラヴェリア闇国、リニア同盟のどれかとなるだろう。
ただしこれらの3国の内、ラヴェリア闇国に関しては直接帝国と接していない。
つまり、まず最初に殲滅するのはリニア同盟かラテニア連合国という事になる。
しかし中には同時に全力で攻めればいいという意見の者もいて、なかなか会議は纏まらない。
(フンッ、自分達の身が脅かされないからと、好き勝手囀りよるわ)
一向に纏まる様子のない話を見ているブラウドは、口には出さず心の中で吐き捨てる。
この場にいるのは主教以上の身分の者達であり、各々の担当区に戻れば何十何百という下に付く者がいる。
そうした身分に就いているからには、政治的であったり経済的であったりと考える頭脳は持っている者達の集まりであるハズなのだが、ことマルティネの意が絡むと途端に暴走してしまう。
(いや、こ奴らなら例え眼前に敵が迫っていようと、このように悠長に会議をし続けるのかもしれんな)
ひとり醒めた目で会議室を見渡しているブラウドであるが、流石に3日も缶詰状態というのはいい加減参っていた。
そこでブラウドは話を纏める為に、いつものように巧みな思考誘導や他者の威光を借りて、予め用意してあった自分の腹案を認めさせる。
こうしてシャルネイア大陸に大きなうねりを齎す決定が、大陸外にある神聖マルティネ教国の聖都にて下された。
そしてその内容は、実質的に属国も同然であるハベイシア帝国の皇帝の下に、即座に齎されるのであった。




