まさかの裏切り
「よく来たわね。異界の子とその仲間達」
詩衣達が部屋に入るとそこにいたのは足元まで伸びる長いまっすぐな黒髪と闇よりも暗い漆黒なドレスが印象的な女性。
「あ、あなたが西の魔女……?」
詩衣が掠れる声で恐る恐る訊ねる。
「そう。私が西の魔女。名前はリナリアよ」
そう名乗る女性はルルやグリンダと同じく大変美しい容姿をしているのだが、ただ彼女達と違うのは周囲を凍てつかせるような冷たい空気を纏っていることだ。
何の変哲もない会話をかわしただけなのに、詩衣の背後をつーと嫌な汗が伝う。
「こ、この人が西の魔女……。西の国だけでなく、エメラルドの都まで支配するすべての元凶……。一度も会ったことがないはずなのに、なぜだろう……。この人の目。どこかで見たことがあるわ……」
詩衣は初めて会ったはずのリナリアの瞳になぜか既視感を感じた。
リナリアは前髪で片方の目だけをすっぽりと覆っている。
詩衣はその唯一見える右目の、深い色をした青をつい最近どこかで見た気がしたのだ。
「どうしたの? あまりの恐怖に動けないのかしら?」
該当する記憶を探すため黙ってその瞳をじっと見つめていた詩衣をリナリアがそうあざけ笑う。
「ち、違うわ! ここまで来てそんなわけないじゃない! あなたの味方は私達が全員倒したわ! もうあなたに勝ち目はない! おとなしく降伏しなさい!」
「本当にそうかしら?」
リナリアは余裕たっぷりにそう微笑むとパチリ! と指を弾く。
「ゔ、ゔ、ゔっ!」
その途端、トトがまるで苦しみに悶えているような奇妙なうなり声をあげ始めた。
「トト! どうしたの? ま、まさか! あなたトトに何かしたの!?」
その異変に気づいた詩衣がトトに駆け寄りながら、リナリアをきっと睨みつける。
「何かした? ふふ。まぁ、おとなしく見てなさいよ。見ていればわかるわ」
「見てればわかるって……えっ!? トト!」
気遣わしげにトトの背を擦っていた詩衣は彼の名を叫んだ。
「ゔ、ゔ、ゔ、ゔーーーっ!」
詩衣が見守る中、トトの体はめきめきと音を立て、姿を変えていったのだ。
どんどんと巨大になっていくトトの体は最終的にはあのカリダよりも大きなオオカミのような姿になった。
それも西の魔女に辿り着くまでに襲いかかってきたオオカミ達とは比べものにならないくらい眼光も鋭く、牙も爪も長い。
あの愛嬌のある小さくつぶらな瞳をしたトトの面影はどこにもなかった。
「うそ……。あなたトト……なの……?」
トトの突然の変身に詩衣は変わり果てた彼の姿を見つめたまま呆然と佇む。
「ドロシーさん! 危ない!」
「へっ?」
そんな呆けていた詩衣の体を突如麦が突き飛ばした。
「いたた……。 麦! いきなりな……きゃあ!」
突然押されたため受け身が取ることができなかった詩衣は苦情を言おうとしたが、その文句は言い終わる前に悲鳴へと変わった。
さっきまで詩衣がいた場所に長く鋭い爪が突き刺さっていたのだ。
――もちろん爪の持ち主はトトだ。
「な、何で? トト! あなた何でこんなことをするの!」
詩衣がショックのあまり顔を青ざめさせながら叫ぶ。
「ガウッ!」
しかし、トトはそんな詩衣の声には応えず、そのままそのナイフのような爪を今度麦へと叩きつけた。
「ああっ!」
麦の体が勢いよく吹っ飛び、部屋の反対側の壁まで飛んでいく。
「う……あっ……」
その衝撃で麦を構成する藁がばらばらと周囲に散乱し、麦は動かなくなった……。
「麦っ! 何で? 何で! 何でこんなひどいことをするのよ! トト! それにその姿は何? 悪い魔法でもかけられているの!? そこのあなた! 卑怯よ! トトにかけた魔法を解きなさい! 」
「ふふっ! 魔法をかけた? おもしろいことを言うわね。その姿がその犬の本当の姿だと言うのに。あなた今まで何か変だとは思わなかったの? その犬は意外とまめな子で、私への定期連絡を欠かさなかったというのに」
リナリアがいたずらが成功した子どものように楽しそうに笑う。
ただ幼子と違うのは、その笑顔から感じるのは無邪気さではなく、残虐さだけだということだ。
「……本当の姿? 定期連絡? えっ? それってどういう……? 確かにトトはどこかへふらふらといなくなることが多かったけれど、それが……」
「そこの犬が西の魔女の手下だっていうことだ!」
トトと詩衣の間に立ちふさがりながら白銀が怒鳴る。
「ぼ、僕達はずっと騙されていたんだよ! い、いなくなっていたのもこいつへ僕らのことを知らせるためだったんだ!」
太陽も二人の側で「ガルルルル!」とうなりながら叫んだ。
「う、うそ……。まさか……。そんな……」
詩衣は現実を受け入れられず血の気の失せた顔で絶句した。
それはそうだろう。
だって、あのトトが、誰よりも初めから詩衣と一緒に旅をし、苦楽を共にしてきたトトが、敵である西の魔女の手下だったのだ。
いくら決定的な証拠の数々を見せつけられても詩衣の脳はその残酷な事実を受け入れることを拒否する。
「呆けている暇はないぞ! バカ女! しっかりしろ! うわっ!」
一撃、二撃……白銀は息もつかせぬトトの猛追を斧で防いでいったが、座り込んだままでいる背後の詩衣を庇った今の状況では思うように動けなかった。
しまいには、太陽の支援もむなしく、地面へと押し潰される。
「くっ……そ……」
トトのあまりの力に硬いブリキの体さえもへこみ、白銀はぺちゃんこになってしまった……。
「白銀っ! っ……!」
白銀の無残な姿に彼の名を悲痛に叫んでいた詩衣は、自分の足がまた一人でに動こうとしていることに気づく。
「だめ……! 動いちゃだめ……!」
「ド、ドロシー!? な、何をやっているの!」
倒れた白銀の代わりに詩衣を守っていた太陽が、背後の彼女のその挙動不審な様子に気がついて叫ぶ。
「いくら西の魔女の手下だからってトトを蹴るなんてできない! お願い! 私の足! 勝手に動かないで……!」
詩衣は彼女の意思とは関係なく動きだしてしまう自分の足を必死に押し止めていた。
西の魔女の手下だったとわかったとしても詩衣にとってトトは大切な仲間のままだ。
そんな大切な仲間であるトトを傷つけるなんてことは詩衣にはできなかった。
「そ、そんなこと言ってもこのままじゃ僕達の方が……うわっ!」
攻撃を避け損ね、太陽の体が軽く宙を飛ぶ。
「太陽! きゃつ!」
詩衣は太陽に駆け寄ろうとしたが、恐怖のために足が上手く動かず、盛大に転んでしまった。
詩衣の両足から脱げた赤い靴がからころと大理石の床に転がる。
――リナリアはその一瞬の隙を見逃さなかった。
彼女がパチリ! と指を鳴らすと靴は空を舞い始め、リナリアの腕の中へとすっぽり収まってしまう。
「ふふ。この厄介な魔法の靴さえなければあなたはもはや裸も同然。あなたの命を奪うことなんて赤子の手をひねるより簡単だわ」
パチリ! また指を鳴らして詩衣の魔法の靴をどこかへと消したリナリアは、そううっそりと笑うと詩衣に向かって一歩歩を進める。
「ひっ……!」
「っ……! ド、ドロシーには指一本触れさせないぞ……!」
体に走る痛みに耐え、何とか立ち上がった太陽が詩衣とリナリアの間に体を滑り込ませた。
ふらつく体を叱咤しながら、「ガルルルゥ!」と歯を剥き出して周囲を牽制する。
「ガウッ!」
そんな満身創痍の太陽にトトは情けをかけることなく止めをさそうとした。
「太陽! やめてっ! トト!」
詩衣が叫ぶがトトは止まらない。
トトの鋭利な牙が太陽の頭を噛み砕く……




